凍てつく嫉妬の炎
前回: 大学で再開し、次の約束を交わした悠真と凛。
放課後の公園が日常に埋もれた時、凛の心に火種が生まれる。
その日は、いつものノートをカバンに忍ばせ、少し浮かれた気分でキャンパスを歩いていた。
ふと、中庭の大きな楠の木の下に、見慣れたギターケースを見つける。
悠真だ。
けれど、駆け寄ろうとした凛の足が、氷に触れたように凍りついた。
悠真の隣には、華やかな雰囲気の女の子が立っていた。
同じ学科の学生だろうか。
彼女は楽しそうに笑い、悠真の腕を軽く叩いている。
そして、悠真も——。
凛に見せるあの戸惑ったような顔ではなく、自然な笑みを浮かべて、彼女に応えていた。
凛には、彼が何を話しているのか分からない。
唇の動きを読もうとしても、斜め後ろからの角度では断片的な形しか捉えられない。
ただ、彼が「声」を出して、彼女と滑らかに、心地よいリズムで会話を交わしていることだけは、残酷なほどはっきりと伝わってきた。
(……あぁ、そうか)
凛の胸の奥に、どろりとした重い感覚が広がる。
自分といる時の彼は、いつもペンを握り、必死に言葉を紙に書き付けてくれる。
それはとても優しい時間だと思っていた。
けれど、今の彼が見せているのは、ペンもノートも必要としない、当たり前の「音」の世界の住人としての姿だ。
彼女が耳元で何かを囁くと、悠真が少し照れたように視線を逸らす。
その一瞬の表情。
凛がノートの端の落書きでしか知らなかった彼の感情が、今、誰かの「声」によって引き出されている。
持っていたノートの角が、指に食い込む。
自分だけが知っている「ハル」だと思っていた。
自分と彼の間には、音のない特別な絆があると思い込んでいた。
けれど、彼が発する「声」という振動を、自分は一生、直接受け取ることはできない。
その決定的な事実が、今さらながらに鋭い痛みとなって凛を襲った。
気づけば、凛は二人に背を向け、逃げるようにその場を去っていた。
視界が少しずつ、春の陽光に溶けて滲んでいく。
——私は、彼の「声」を、知らない。
その空っぽの隙間を埋めていたのは、いつの間にか「憧れ」を超えて育っていた、独占欲という名の恋心だった。
公園へ続く緩やかな坂道。
いつもなら心が弾むはずのその道が、今は一歩踏み出すごとに、足首に鎖を巻かれたかのように重い。
(……ただの、知り合いだもんね)
何度も心の中で繰り返す。
自分は彼のファンで、彼はたまたま同じ大学の、秘密を共有しているだけの男の子。
あの女の子と楽しそうに笑い合っていた彼こそが、本来の「悠真」なのだ。音のない世界に住む自分とは、住む領域が違う。
視界の先に、いつものベンチが見えた。
そこには、ギターケースを足元に置いて、スマートフォンの画面を覗き込んでいる悠真がいた。
不意に、彼が顔を上げる。
「…………!」
凛の姿を見つけた瞬間、彼の表情がパッと明るくなった。
彼は大きく手を振り、立ち上がってこちらへ駆け寄ってくる。
その屈託のない動きが、今の凛には眩しすぎて、少しだけ目を逸らしたくなった。
彼は何かを言いかけたように口を動かし、すぐにハッとして、自分の口を手で押さえた。
そして、大急ぎで首から下げていたノートを手に取る。
凛は、胸の奥をキリキリと締め付けるような痛みを感じながら、深呼吸を一つした。
悲しい顔をしてはいけない。
彼に気を遣わせてはいけない。
今のこの「秘密の時間」すら失いたくないのなら、自分はただの「聞き手」でいなければならない。
凛は、頬の筋肉を無理やり引き上げ、鏡の前で練習したような、完璧な「いつも通り」の笑顔を作った。
『お疲れ様。今日も練習、頑張ってるね』
差し出したノートを受け取った悠真は、凛の無理な笑顔に気づく様子もなく、嬉しそうにペンを走らせる。
『凛が来るのを待ってたんだ。新しいフレーズができたから、一番に聴いて……ううん、触ってほしくて』
一番に、なんて。
その残酷なまでに優しい言葉が、凛の心に深く刺さる。
彼はギターを引き寄せると、凛の手をそっと導き、木製のボディの上に置かせた。
彼の指が弦に触れる。
伝わってくるのは、温かくて、力強い振動。
凛は目を閉じ、手に伝わるその震えだけに集中した。
今のこの瞬間だけは、彼の「音」が、自分のためだけに鳴っていると信じさせてほしい。
たとえ、この震えが止まれば、また遠い存在に戻ってしまうのだとしても。
第五話「凍てつく嫉妬の炎」最後まで読んでいただきありがとうございます。
「音が聞こえない」という高い壁を突きつけられた凛。
落ち込む凛に気づかず、振動を聴かせる悠真。
次回も、どうぞよろしくお願いします。




