表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/11

名前の無い旋律

前回: 公園で語り合った二人。


ギターの振動を、心臓で聴いた凛は生まれて初めて「音」に触れる。



夕闇が迫り、公園の街灯がひとつ、またひとつと灯り始める。


彼はギターを傍らに置き、りんの手からノートをそっと引き寄せた。


 『僕は、ハル。……本名は、悠真ゆうま。リアルの友達には、ギターを弾いてることさえ内緒なんだ』


凛は、その文字の横に添えられたギターの落書きを見つめる。


彼がなぜ自分に心を開いたのか。


その答えも、迷いのない筆致で綴られた。

 

 『驚かないでくれて、ありがとう。僕が「ハル」だって気づいたのに、騒いだり、スマホを向けたりしないで、真っ先にノートを出してくれたから……。なんだか、信じられる気がしたんだ』


凛は胸が熱くなるのを感じた。


聞こえない世界に住む自分を、彼は「特別」としてではなく、「一人の人間」として見つめてくれている。


 『私は、凛。……音のない世界にいるけれど、あなたの指が動くたびに、私の中に新しい景色が生まれます。さっきの振動、すごく綺麗だった』


凛がそう書くと、悠真は少し照れくさそうに鼻の頭を掻いた。


それから、何かを決意したようにノートの隅にQRコードを素早く描こうとして——「あ」と小さく口を動かし、ペンを止める。


 『……絵は下手だから、これじゃ読み取れないな』


彼は苦笑しながら、自分のスマートフォンの画面を表示させて、凛に差し出した。


画面には、あのアカウントのプロフィールではなく、個人の連絡先が表示されている。


 『凛のこと、もっと知りたい。……いいかな?』


ノートに記された、控えめな問いかけ。


凛は自分のスマートフォンを取り出すと、震える手でカメラを起動した。


ピッと小さな電子音が鳴ったはずだが、凛には聞こえない。


けれど、悠真のスマートフォンの画面が明るく光り、新しい友達が追加されたことを知らせる振動が、凛の指先に心地よく伝わってきた。


 『よろしくね、悠真くん』


ノートの最後のページに、凛は精一杯の笑顔を込めてそう書いた。


 二人の間に流れる時間は、もう「動画の投稿主とファン」ではなく、一対一の「秘密を共有した友人」へと変わっていた。




公園での出会いから三日後。


凛は大学の講堂へ続く並木道を歩いていた。


四月のキャンパスは、新入生の勧誘やサークルの呼び込みで溢れ、活気に満ちている。


補聴器を外している凛には、その熱気は「色の氾濫」や「空気の震え」としてしか伝わらない。


(……あ)


ふと、視界の端に既視感のある「背中」が映った。


学食へ向かう人波を避けるように、少し猫背気味に歩く影。


グレーのパーカーに、背負ったギターケース。


その歩幅、リズム。


凛は思わず駆け出し、彼の背中を軽く叩いた。


振り返った彼は、驚いたように目を見開いた。


フードの隙間から覗くその瞳は、間違いなくあの公園で出会った悠真だった。


「…………っ!」


彼は慌てて口元を押さえ、周囲をキョロキョロと見渡した。


自分が「ハル」だとバレてはいけないという、彼なりの警戒心だ。


凛はクスッと笑って、すぐにカバンからあのノートを取り出した。


 『同じ大学だったんだね。私は文学部。悠真くんは?』


悠真は安堵したように肩の力を抜くと、凛のペンを奪ってさらさらと書き込む。


 『僕は工学部。……まさか、こんなに早く再会するなんて。ギター持ってるから、すぐバレちゃうかと思った』


周囲では学生たちが大声で笑い、看板を掲げて騒いでいる。


その騒音の渦中で、二人だけがノートを覗き込み、一文字一文字を大切に読み合っている。


まるで、透明な膜で仕切られた「二人だけのシェルター」にいるようだった。


 『講義、これから?』


凛が問いかけると、悠真は腕時計を見て、少し困ったように眉を下げた。


 『あと十分で始まる。……でも、もう少しだけ、こうして話してたいかも』


彼はノートの端に、小さな音符のマークを一つ描いた。


それは、言葉にできない「名残惜しさ」の代わりのように見えた。


 『放課後、またあの公園で。待っててもいい?』


凛がそう書き込むと、悠真は力強く、何度も頷く。


別れ際、彼は小さく手を振り、唇を動かした。


(また、あとで)


その形がはっきりと読めた。


耳には届かないはずのその「声」が、春の風に乗って凛の胸に真っ直ぐに飛び込んできた。


第四話「名前の無い旋律」最後まで読んでいただきありがとうございます。


お互いの名前を教え合った二人の関係は「大学の友人」に進展。


静かに会話する「シェルター」の中で、次の約束が交わされる。


次回も、どうぞよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ