第三章 最初の夜
その夜、
オイラは知らない場所にいた。
昼間までいた場所とは、
匂いも、音も、空気も、全部が違う。
母ちゃんの匂いが、ない。
それだけで、
世界はずいぶん広くて、
少しだけ怖いものになった。
小さな囲いの中で、
オイラは体を丸めていた。
外の気配を、じっと感じていた。
人の足音。
何かが動く音。
遠くで鳴る、低い機械の音。
どれも、まだよくわからない。
暗くなっていくと、
まわりの音が少しずつ減っていった。
静かだった。
静かすぎて、
自分の息の音がやけに大きく聞こえた。
さみしい。
その気持ちが、
胸の奥からじわっと広がってきた。
気がつくと、
小さく声が出ていた。
「キュン」
それだけでは足りなくて、
もう一度、声を出した。
母ちゃんを呼ぶみたいに。
仲間を探すみたいに。
声はだんだん長くなって、
夜の中に溶けていった。
そのとき、
近くに気配が来た。
昼間、オイラを見ていた人だ。
あの声が、また聞こえた。
「寅、大丈夫や。」
やわらかい声だった。
意味はわからない。
でも、
その音は、不思議と体にしみてきた。
少しだけ、
怖さが遠くなった気がした。
囲いの外から、
何かが近づいてくる。
オイラは、そっと鼻を向けた。
指先だった。
ためらいながら、
その匂いをかいだ。
知らない匂い。
でも――
嫌じゃなかった。
鼻が触れたとき、
ほんの少しだけ、あたたかさが伝わった。
その瞬間、
胸の中のざわざわが、少し静かになった。
この人は、大丈夫かもしれない。
そんな気がした。
オイラはもう一度、体を丸めた。
さっきより、
ほんの少しだけ楽な気持ちで。
目を閉じると、
遠くで母ちゃんの匂いを思い出した。
でも、その代わりに、
さっきの声とぬくもりが、近くに残っていた。
だから――
オイラは、少しだけ安心して、
眠りに落ちていった。
新しい夜の中で。




