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第十四章 名古屋

名古屋へ来たのは、

まだ少し寒さの残るころやった。


車の中には、

段ボールの匂いと、

いつもの毛布の匂いが混ざっていた。


オイラは後ろの席で丸くなりながら、

窓の外を流れていく景色を見ていた。


また新しい場所か。


でも、不思議と嫌やなかった。


だって、

友ちゃんとあの人がおる。


それだけで、

ちゃんと“家”になることを、

オイラはもう知っていた。


新しい部屋に着く。


荷物はまだぐちゃぐちゃ。


でも、

いつもの布団を敷いてもらうと、

オイラはそこへ座った。


うん。


ここが今日からの家やな。


友ちゃんとあの人が、

「もう落ち着いてる」って笑っていた。


そらそうや。


オイラ、引っ越し慣れしとるからな。


名古屋の風は、

なんかやわらかかった。


人の声も、

どこか丸い。


関西みたいに勢いだけやなくて、

少しゆっくり流れている感じがした。


オイラはこの街も、

きっと好きになる気がした。


名古屋での毎日は、

なんや不思議やった。


特別なことがいっぱいあったわけやない。


でも、

毎日がちゃんと温かかった。


あの人は、

相変わらず泡の出る黄色い飲み物を飲んでいた。


三十円の焼鳥屋。


煙の匂いをつけて帰ってきて、

「安いのにうまい」って嬉しそうにしている。


オイラには分からへん。


でも、

楽しそうなのは分かった。


甥っ子いう若い人と、

大きな球場へ行った日もあった。


帰ってきたあの人は、

また黄色い泡の匂いをさせていた。


ほんま好きやなぁ。


でもその日は、

なんか特に嬉しそうやった。


試合より、

甥っ子の顔を見てる方が楽しかったらしい。


人間って、

よう分からん。


ある休日。


オイラは電車を見に連れて行ってもらった。


鉄の匂い。

線路の音。

古い車両。


あの人は、

ずっと遠くを見ていた。


懐かしい顔をしていた。


子どものころ見ていた電車らしい。


オイラは思った。


人間にも、

“昔の匂い”みたいなもんがあるんやろな。


トシヒコと出かける日も多かった。


大きな建物。

人がいっぱい。

大声。


相撲やら、

プロレスやら、

オイラにはよう分からんかったけど、

帰ってくるとみんな楽しそうやった。


そしてやっぱり、

黄色い泡の飲み物の匂いがした。


どこへ行っても、

人間は飲む。


嬉しいときも。

笑うときも。


たぶん、

生きてる確認なんやろな。


その中心には、

いつも友ちゃんと、

あの人がおった。


そして、

その足元にはオイラがおった。


仕事から帰ってくると、

オイラは玄関まで迎えに行く。


すると、

あの人の疲れた匂いが少しやわらぐ。


それが分かる。


翌朝。


散歩へ出る。


歩きながら、

空気をかぐ。


今日も大丈夫。


そう思ったら、

自然とうんちが出る。


もちろん、

いつもの“くの字スタイル”や。


放尿も静かに済ませる。


脚は上げへん。


それがオイラや。


友ちゃんとあの人が、

顔を見合わせて笑う。


「寅はほんとにお利口やね。」


褒められると、

悪い気はせえへん。


名古屋の朝の風は、

静かでやさしかった。


あの二年間。


オイラはたぶん、

みんなの真ん中で暮らしていた。


特別なことやなくてええ。


朝起きて、

散歩して、

ごはん食べて、

笑い声を聞いて眠る。


それだけで十分やった。


人の縁も、

犬の縁も、

全部どこかでつながっている。


その線の上を、

オイラは今日も歩いていた。

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