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第十三章 名古屋の輪 ― 琥珀とアキナとトシヒコ

大阪を離れて、

今度は名古屋へ行くらしい。


オイラは車の中で、

窓から流れていく景色を見ていた。


知らん匂い。

知らん空。


でも、不思議と不安はなかった。


どうせまた、

新しい散歩道ができる。


新しい匂いが増える。


オイラはもう、

そういうことを知っていた。


引っ越したばかりの家には、

まだ段ボールが積まれていた。


でも、

いつもの毛布を敷いてもらうと、

そこはすぐオイラの場所になった。


友ちゃんが笑っていた。


「寅、もう落ち着いてる。」


そらそうや。


オイラは、

こう見えて順応性あるんや。


思い返せば、

アキナたちと初めて会ったんは、

まだ大阪にいたころやった。


人がいっぱいおる会場。


暑い空気。

犬の匂い。

人の声。


オイラは少し疲れながら歩いていた。


そのときや。


「その子、豆柴ちゃん? ええ顔してるね!」


明るい声が飛んできた。


振り向くと、

笑顔の女の人がおった。


それがアキナやった。


なんやろ。


初めて会った感じがせえへん。


隣には、

穏やかな顔の男の人。


トシヒコ。


そしてその足元には、

赤柴の琥珀。


琥珀は落ち着いていた。


オイラが近づいても、

慌てへん。


静かに鼻を寄せてきた。


ええ犬や。


オイラはすぐそう思った。


変に強がらへん。

でも弱くもない。


なんか空気がやわらかい。


短い時間やったけど、

気づいたらみんな笑っていた。


そのときはまだ知らんかった。


この人たちと、

あとで同じ街で暮らすことになるなんて。


名古屋での暮らしが始まってしばらくしたころ、

アキナから連絡が来た。


「ごはんでもどう?」


その声を聞いた友ちゃんの匂いが、

少し安心した感じになった。


オイラも嬉しかった。


また琥珀に会える。


トシヒコの家へ行くと、

玄関で琥珀が待っていた。


しっぽを振っている。


オイラも近づく。


久しぶりやな。


そんな感じで鼻を合わせた。


アキナが笑う。


「ほら、覚えとる。」


そら覚えとる。


犬は匂いを忘れへん。


部屋の中には、

ええ匂いが広がっていた。


人間のごはん。

泡の出る黄色い飲み物。

笑い声。


あの人は、

やっぱりあれを飲んでいた。


ほんま好きやなぁ。


トシヒコは静かな人やった。


あんまり前へ出えへん。


でも、

ちゃんとみんなを見ている。


そういう人やった。


アキナは明るい。


気がつくと、

誰かを自然に気づかっている。


友ちゃんとも、

すぐに空気が合っていた。


人間たちが笑っている間、

オイラと琥珀は足元でのんびりしていた。


ときどき目が合う。


でも無理に遊ばへん。


その距離感が、

なんか心地よかった。


帰るとき。


オイラは玄関で振り返った。


琥珀もこっちを見ている。


オイラたちは、

そっと鼻をくっつけた。


またな。


たぶん、

そんな意味やったと思う。


翌朝。


新しい散歩道を歩く。


空気をかぐ。


草の匂い。

土の匂い。

朝の街の匂い。


悪くない。


オイラは立ち止まって、

うんちをした。


いつもの“くの字スタイル”や。


そのあと、

静かに放尿した。


もちろん脚は上げへん。


これでええ。


この街にも、

ちゃんとオイラの印を残した。


友ちゃんとあの人が笑っている。


「寅、もう名古屋の子やね。」


そうかもしれへんな。


富士山で生まれて、

関東で育って、

関西弁を覚えて、

今は名古屋を歩いている。


犬も案外、

忙しい生き物なんや。


でも――


人の縁も、

犬の縁も、

たぶん全部つながっている。


その線の上を、

オイラは今日も歩いていた。

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