山の境界線
春になると、家族全員でたけのこ狩りに出かけることがあった。
山は、代々、源蔵の家が所有している近所の山だった。
春江にとって、家族全員で出かける機会は、ほとんどなかった。野菜を育て、売りに出し、家のことをする。毎日の暮らしに追われ、家族でどこかへ出かける余裕などなかった。
だから、たけのこ狩りは、家族にとって唯一の家族イベントのようなものだった。
その日も、春江、健一、浩二、和也、イネがそろい、源蔵を先頭に山へ入った。
「今日は、ええたけのこが出とるはずじゃ」
源蔵は、朝から張り切っていた。
孫たちも、山へ行くとなると少し浮き足立つ。普段の家の手伝いとは違い、山の中を歩き回れるのが楽しかった。
ただ、山に入ってしばらくすると、いつもの説明が始まった。
源蔵が立ち止まり、少し離れた木を指さした。
「ええか。あの木が目印じゃ。あそこから向こうは隣の山。こっちがうちの山じゃけえな」
「うん、分かった」
浩二は、適当に返事をした。
「分かったんか?」
「分かったよ」
健一が横で笑った。
「浩二、去年も聞いとったじゃろ」
「兄ちゃんも覚えとらんじゃろ!」
源蔵は、二人を見て眉をひそめた。
「お前ら、山の境くらい覚えとけ。先祖から受け継いだ土地なんじゃぞ」
孫たちは、そろってうなずいた。
源蔵は、さらに説明を続けた。
「こっちがうちの山。あっちが隣の山。間違えたらいけんぞ」
浩二は、また「分かった」と答えた。
何度聞いても、山の境界線など覚えられない。いや、覚える気がなかったのかもしれない。
源蔵が説明を終えた、その直後だった。
「たけのこ、あった!」
和也が叫んだ。
全員が一斉にそちらを向いた。
和也が指さしていたのは、隣の山だった。
源蔵は、深いため息をついた。
「お前、今の話を聞いとったんか!」
「えっ、ここ違うん?」
健一が吹き出した。
浩二も笑った。
源蔵は、また境界線の説明を始めた。
「ここがうちの山で、あそこから向こうは……」
孫たちは、今度こそ真面目な顔で聞いた。
その説明が終わるころには、たけのこを見つけたという興奮も、少し落ち着いていた。
「もうええ。今度こそ、たけのこを探すぞ」
源蔵の声で、みんなが散らばった。
浩二は、兄の健一より先に見つけようと、目を皿のようにして地面を見た。
「あった!」
小さな頭が、土から顔を出している。
「母ちゃん、見つけたで!」
春江が近づいてきた。
「ほんまじゃ。よく見つけたね」
浩二は、少し得意になった。
「これ、俺が掘るけえ」
源蔵から鍬を借り、たけのこの周りを掘り始めた。
しかし、思ったようにはいかない。
土が固く、鍬を入れてもなかなか掘れない。
「もうちょっと下じゃ。根元を見んといけん」
源蔵が横から口を出す。
「分かっとるよ」
浩二は、むきになって鍬を振った。
その瞬間、鍬の先がたけのこに当たった。
「あっ!」
たけのこの先が、欠けてしまった。
源蔵は、苦笑いした。
「ほれ、慌てるけえじゃ」
「じいちゃんが、横からごちゃごちゃ言うけえじゃろ!」
「誰がごちゃごちゃ言うたんじゃ!」
健一が、横で大笑いした。
「浩二、下手くそじゃのう」
「兄ちゃん、やってみい!」
健一は、得意そうに鍬を受け取った。
「見とれよ」
ところが、健一も力を入れすぎた。
鍬が土に深く入り、たけのこの根元を傷つけてしまった。
「あっ、兄ちゃんもやった!」
浩二が叫ぶ。
「うるさい!」
二人が言い合っていると、源蔵が鍬を取り上げた。
「お前ら、たけのこを掘るんか、けんかをするんか、どっちなんじゃ!」
春江は、呆れながらも笑っていた。
「二人とも、もうちょっと落ち着きんさい」
その間に、和也は別のたけのこを見つけていた。
「じいちゃん、こっち!」
源蔵が振り向く。
「どこじゃ?」
「ここ!」
源蔵が近づいてみると、今度はちゃんと自分の山だった。
「おお、これはええのう」
源蔵は、嬉しそうにうなずいた。
和也は、得意げな顔をした。
「ほら、俺はちゃんと覚えとる」
浩二が、すかさず言った。
「さっき、隣の山に行っとったじゃろ」
「もう忘れたんじゃ!」
和也は、顔を赤くして言い返した。
イネは、少し離れたところで、その様子を見て笑っていた。
「ほんまに、あんたらは騒がしいねえ」
春江も、いつもより表情が柔らかかった。
普段は、野菜の準備や家のことで忙しい。子どもたちと、こんなふうに一緒になって笑う時間は、そう多くなかった。
やがて、源蔵がまた立ち止まった。
「ここから先は、うちの山の端じゃ。あそこに見える木が……」
健一と浩二は、思わず顔を見合わせた。
また始まった。
浩二は、わざと大きな声で言った。
「じいちゃん、去年も聞いたで!」
「去年聞いたから、覚えとるんか?」
源蔵が振り向いた。
「……いや」
「ほれみい!」
健一が笑い、和也もつられて笑った。
源蔵は、呆れたように首を振った。
「お前らには、何遍言うても分からんのう」
そう言いながらも、源蔵の顔はどこか嬉しそうだった。
昼近くになると、採れたたけのこをまとめることになった。
大きなたけのこ、小さなたけのこ。形も大きさもばらばらだったが、山の中で集めたものを並べると、なかなかの量になった。
「こんだけ採れたら、ええじゃろ」
源蔵は、満足そうに眺めた。
春江が持ってきた麻袋を広げ、たけのこを詰めていく。
「これ、重いで」
浩二が袋を持ち上げようとしたが、思った以上に重かった。
「うわっ!」
袋が傾き、たけのこが何本か転がり落ちた。
「浩二、何しよるん!」
春江が声を上げた。
「重いんじゃもん!」
健一が笑いながら、転がったたけのこを拾った。
「お前、ほんまに力がないのう」
「兄ちゃんが持ってみい!」
健一が袋を持ち上げた。
「ほら、これくらい……」
そう言ったものの、健一も顔をしかめた。
「……重いな」
「ほらみい!」
浩二は、すかさず言い返した。
源蔵は、二人の様子を見て笑った。
「もうええ。二人で持て」
結局、健一と浩二が両側から麻袋を担ぎ、和也が後ろから押すようにして山を下りた。
「和也、押すな! 危ないじゃろ!」
「だって、重いんじゃもん!」
「お前が押すけえ、余計に重いんじゃ!」
後ろから春江の声が飛んできた。
「こら、けんかせんと、ちゃんと持ちんさい!」
家族の声が、山道に響いた。
家に帰ると、春江とイネがたけのこの下ごしらえを始めた。
採れたたけのこは、家で食べる分だけではなかった。
「ふみちゃんにも、持って行ってあげようかね」
春江が言った。
「そうじゃね。こんだけあるんじゃけえ」
イネも、賛成した。
麻袋からたけのこを取り出し、いくつかを別にまとめた。
春江は、ふみにお裾分けする分を用意した。
「浩二、これ、ふみちゃんのところへ持って行ってくれる?」
「ええー、俺が?」
「近所じゃろ。すぐそこじゃけえ」
浩二は、少し面倒そうな顔をした。
山ではあんなに張り切っていたのに、家に帰ると、もう外へ出る気がしなかった。
「健一に頼めばええじゃん」
「健一は、今、別のことをしよるんよ」
「……分かったよ」
浩二は、たけのこを抱えて、ふみのところへ向かった。
ふみは、受け取ると嬉しそうに笑った。
「まあ、ようけ採れたんじゃね。ありがとう」
「うん。じいちゃんの山で採ったんよ」
「そう。みんなで行ったん?」
「うん」
ふみは、浩二の顔を見た。
「楽しかった?」
浩二は、少し考えてから答えた。
「……まあ、楽しかった」
そう言って、照れくさそうに帰っていった。
家に戻ると、台所から、たけのこを煮る匂いが漂ってきた。
浩二は、その匂いを嗅いで、少しだけ顔をしかめた。
たけのこ狩りは、楽しかった。
山を歩くのも、見つけるのも、掘るのも、家族で騒ぐのも好きだった。
けれど、たけのこは、あまり好きではなかった。
夕食の食卓には、たけのこの煮物が並んだ。
「今日採ったたけのこじゃ。おいしいよ」
イネが、嬉しそうに言った。
健一は、普通に箸を伸ばした。
和也も、何も気にせず食べている。
浩二は、煮物を見つめた。
山であんなに頑張って掘ったのに、食べるとなると、どうにも気が進まない。
「浩二、食べんの?」
春江に聞かれた。
「……食べるよ」
浩二は、仕方なく箸を伸ばした。
口に入れると、やっぱり好きではなかった。
「どうじゃ、おいしいじゃろ?」
源蔵が聞いた。
浩二は、口の中のたけのこを飲み込んでから答えた。
「……うん」
本当は、あまりおいしいとは思っていなかった。
家族全員で出かけるのは、たけのこ狩りくらいだった。
山の中では、じいちゃんの話に付き合わされ、兄ちゃんとけんかをし、和也が騒ぐ。
帰りには、重たい麻袋をみんなで担いだ。採れたたけのこは、ふみにもお裾分けした。
そんな一日だった。
みんなで一緒にいるのは、悪くなかった。
ただ、夕食にたけのこの煮物が出るのだけは、どうにも嬉しくなかった。




