背中が痛い
中学生になった浩二は、家の手伝いをするのが当たり前になっていた。
学校から帰ると、畑に出たり、採ってきた野菜をそろえたり、袋に詰めたりする。春江に頼まれれば、文句を言いながらも手を動かした。
その日も、家で野菜の手伝いをしていた。
最初は、背中にちょっとした違和感がある程度だった。
「母ちゃん、背中が痛いんじゃけど」
「どうしたん。変な格好しとったんじゃないん?」
「分からん。なんか痛い」
春江は浩二の顔をちらっと見た。
「そのうち治るじゃろ。ちょっと休んどき」
春江には、翌日の野菜売りの準備があった。野菜をそろえ、袋に詰め、売りに出せるようにしておかなければならない。毎日の暮らしがかかっている仕事だった。
浩二も、母ちゃんが忙しいことは分かっていた。
だから、それ以上は言わなかった。
ところが、痛みは少しずつ強くなっていった。
背中の一部分が痛む程度だったのが、だんだん激しくなっていく。体を動かすと痛い。じっとしていても痛い。息をするのさえつらくなってきた。
「母ちゃん、痛い……」
浩二の声が変わった。
次の瞬間、浩二は痛みに耐えきれず、その場に横向きに倒れ込んだ。
「浩二!」
春江は慌てて駆け寄った。
「どうしたん! 浩二、しっかりせえ!」
浩二は背中を押さえ、体を丸めるようにしている。顔も苦しそうだった。声を出すのもつらいのか、返事もほとんどできない。
その姿を見た瞬間、春江の頭に進のことがよぎった。
あのときも、突然だった。
もう二度と、あんな思いはしたくない。
一瞬、胸の奥が凍りついた。
「浩二、待っとき。すぐ病院に連れて行くからな」
春江は、とっさにふみに電話をかけた。
「ふみちゃん、悪いけど、すぐ来てくれん? 浩二が背中を痛がって、動けんようになってしもうて……」
電話を切ると、春江は浩二のそばに戻った。
「母ちゃんが病院に連れて行くからな」
そう言って、浩二の様子を気遣いながら、どうやって車まで運ぼうかと考えていた。
ほどなくして、ふみがやって来た。
浩二の様子を見るなり、ふみの表情が変わった。
「こりゃ、えらいことじゃ。早う病院へ行かにゃあ」
「うん。私が連れて行くわ」
春江はすぐに答えた。
ところが、ふみは春江の顔を見て言った。
「春江ちゃん、あんたはここにおりんさい。私が連れて行くけえ」
「でも、私が行かんと……」
「何を言よるん。今は浩二を病院へ連れて行くのが先じゃろ。私がついとるけえ、心配せんでええ」
「だけど……」
「野菜の準備もあるんじゃろ。あんたが毎日どれだけ大変か、私も知っとるよ。ここは任せんさい」
ふみの言葉は、少し強かったが、突き放すようなものではなかった。
春江は、ふみの顔を見た。
本当は自分がそばについていたい。けれど、浩二を一刻も早く病院へ連れて行かなければならない。ふみが一緒に行ってくれるというなら、今は任せるしかなかった。
「……悪いけど、お願いするね」
「分かった。心配せんでええから」
ふみは浩二のそばにしゃがみ込んだ。
「浩二、もうちょっとじゃからな。ゆっくりでええよ。車まで行こうな」
浩二は痛みに耐えながら、何とか体を起こした。
春江は、ふみと一緒に行くべきか、最後まで迷っていた。
「ふみちゃん、本当にごめんね」
「謝らんでええ。あとは私に任せとき」
ふみはそう言って、浩二を車に乗せた。
浩二は、母ちゃんも一緒に来てくれると思っていた。
けれど、春江はその場に残った。
「母ちゃんは?」
そう聞きかけたが、言葉にならなかった。
春江は、車が出るまで浩二を見送った。
車が見えなくなると、すぐに野菜の準備に戻った。
手は動かしていたが、気持ちは落ち着かなかった。
進のことが頭から離れない。
大丈夫じゃろうか。
何度もそう思った。
病院に着くと、診察と検査が行われた。
そして、医師から告げられた病名は自然気胸だった。
そのまま入院するように言われ、入院期間は一か月ほどになるという。
ふみも驚いた。
「一か月もですか?」
医師の説明を聞きながら、ふみは浩二の顔を見た。
「浩二、びっくりしたな。でも、ちゃんと治してもらおうな」
その後、ふみは春江に電話をかけた。
「春江ちゃん、自然気胸だって。先生がすぐ入院した方がいいって言うとる。一か月くらいかかるかもしれんって」
「ええっ、一か月も?」
春江は、電話を握ったまま言葉を失った。
進のときの記憶が、また頭をよぎった。
今度は浩二まで。
そんなことを考えてはいけないと思いながらも、胸の奥がざわついた。
「分かった。悪いけど、もう少し頼むね」
「ええよ。こっちは心配せんでええから。浩二は私がついとるけえ」
ふみはそう答えた。
電話を切ると、入院の手続きに必要なことを確認し、浩二のそばに戻った。
「お母ちゃんには連絡したからね」
「うん」
「必要なもんは、あとで持ってきてもらおう。今は先生の言うことを聞いとき」
ふみは、浩二の身の回りを整えてくれた。
浩二は、何も言わなかった。
母ちゃんが心配していないわけではない。それは分かっている。でも、母ちゃんが一緒に来なかったことは、やっぱり寂しかった。
春江は、野菜売りの準備を済ませたあと、病院へ向かった。
病室で浩二の顔を見ると、ようやく少し落ち着いた。
「痛みはどうなん?」
「だいぶええ」
「そう。よかった」
春江は、浩二の顔を見ながら、何度も進のことを思い出していた。
あのときのようにはならないでほしい。
その思いを、口に出すことはなかった。
浩二は、母ちゃんが自分のことを心配してくれているのが分かった。最初に痛いと言ったとき、すぐに病院へ連れて行くと言ってくれた。それが嬉しかった。
でも、もう中学生だ。母ちゃんに甘えるのは、少し恥ずかしい。
それでも、本当はもっと自分のことを気にかけてほしかった。忙しいのは分かっている。兄ちゃんや和也のこともある。それでも、たまには自分のことを一番に見てほしかった。
あの日、母ちゃんが一緒に病院へ来てくれたら。
そんなことを思ったけれど、口には出せなかった。
一か月の入院生活が始まった。
春江は何度も病院に足を運んだ。浩二も少しずつ回復し、やがて退院の日を迎えた。
家に戻ると、春江はいつもの調子で言った。
「もう無理したらいけんよ」
「分かった」
浩二は短く答えた。
母ちゃんが自分を心配してくれたことは、ちゃんと分かっている。
それでも、もう少し構ってほしい。
そんな気持ちは、退院してからも、浩二の胸の中に残っていた。




