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「妹が先だ。一人っ子の君には分からない」と婚約者が言うので、妹が五人いる公爵閣下に聞いてみました【連載版】  作者: みれいぬ


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一人っ子の家に嫁ぐって、どういうこと?

 帰りの馬車で、父はずっと窓の外を見ていた。


 夜更けの王都の通りは、冬の霧で白くかすんでいた。公爵家の馬車の灯りが、霧の中に丸く滲んでいる。向かいに父と母が並び、私はマリットの隣に座っていた。


 馬車の中では、しばらく、車輪の音しかしなかった。


 母は、膝の上で手袋を畳んだり広げたりしていた。薔薇の接ぎ木の話は、結局、台木の選び方のところまでしか進まなかったらしい。続きは来週だと、シャスティン夫人と約束していた。


 マリットは、口の端を上げたまま、窓の霧を見ていた。


 父は、黙っていた。


 ヨンナ様の質問に、父は今夜、三十いくつ答えた。私は途中で数えるのをやめた。川のこと、薔薇のこと、馬のこと、子どもの頃に溺れかけた川のこと。私がこれまで聞いたことのない話が、ヨンナ様の隣で、一晩のうちに出てきた。


 聞かれれば、父は話す。


 聞かなかったのは、私のほうだったのかもしれない。庭のことは庭師に、馬のことは厩番に聞いてきた。父の機嫌は執事に聞いた。父本人に、父のことを聞いたことは、思い出せる限り、一度もなかった。


 伯爵家の門が、霧の向こうに見えてきた。


 門の横に、白い薔薇の株が、冬枯れの枝だけになって立っている。祖父が植えたのだと、父は今夜、ヨンナ様に言っていた。


 門が見えたところで、父が、窓のほうを向いたまま言った。


「……騒がしかった」


 母が、少しだけ笑った。


 ストランド家の宴の晩の帰りの馬車でも、父はこうして、窓のほうを向いたまま言った。知らなかった。すまない、と。あのときと同じ向きで、同じ低い声だった。


 馬車が門をくぐった。車輪が砂利を噛む音がした。


 玄関の灯りが見えたところで、父は、もう一つだけ言った。


「また行く」


 母が、父の膝と私の膝の上に、自分の手を一つずつ置いた。


 私は、母の手の上に、自分の手を重ねた。


* * *


 その晩、自分の部屋に戻ると、窓のカーテンは、夏のものが掛かったままだった。


 薄い麻の、淡い黄色のカーテンだ。冬の夜には少し寒い。いつもなら、もう厚い織物に替わっている頃だった。


 替えなくていい、と父が言ったのだという。夏の終わりに。いつ帰ってきてもいいように。


 公爵家では、ヨンナ様の部屋が、春から一年、今のまま置かれる。冬の布は、何種類か取っておいて、帰ってきた冬にヨンナ様が自分で選ぶ。


 この王都に、そのまま置かれる部屋が、二つできる。


 春に家を出るヨンナ様と、来年家を出る私と。出ていった後も、どちらの部屋も、誰かが窓を開けて風を通す。


 私は、夏のカーテンを少しだけ引いて、霧の中の門の白い薔薇を見た。


 冬枯れの枝の先に、秋の最後の花の跡が一つだけ残っていた。春になれば、またあそこに白い花が咲く。私がこの家を出る年にも、たぶん同じように咲くのだろう。誰かが、窓を開けて、それを見る。


* * *


 翌朝の朝食の席で、私は、パンを半分にちぎってから、父のほうを向いた。


「お父様。お聞きしてもいいですか」


 父の手が、茶碗の上で止まった。


 父は、私の顔を見た。娘に何かを聞かれるのが、珍しいという顔だった。そういう顔をさせてきたのは、私だ。


「……何だ」


「門の横の白い薔薇は、なぜ白なのですか。お祖父様は、なぜ白を植えたのでしょう」


 父は、少しのあいだ黙っていた。


「……祖母が、白が好きだった」


 それだけ言って、父はお茶を飲んだ。それから、茶碗を置いて、もう一言だけ足した。


「お前が生まれた年にも、よく咲いた」


 母が、パン籠の向こうで、そっと目を伏せた。


* * *


 あの夕食から何日かたった朝、マーヤ様から手紙が届いた。


 マーヤ様の手紙は珍しい。ソフィ様と違って、書くより先に言いに来る方だ。宛名の字は、大きくて、少し右に傾いていた。ヨンナ様の字に似ていた。


 お義姉様。春の婚礼の支度が、本格的に始まったの。


 昨日、ニクラスと一緒に、オーベリ家へ行ってきたわ。ニクラスのお父様とお母様に、婚礼の日の段取りのご挨拶。


 お二人とも、とても優しかった。お茶も、お菓子も、全部きちんとしてた。お父様は典礼局にいらした方で、ニクラスと同じに、紙の角を揃えながら話すの。お母様は、あたしの好きな矢車菊を、客間に飾っておいてくださったわ。


 でもね、お義姉様。


 とても、静かな家だったの。


 時計の音が聞こえるの。うちの食堂では、一度も聞こえたことのない音よ。あの家は三人きりだから、誰かが話すと、ほかの人が全部聞いてる。誰も話さないと、そのまま、時計の音だけになるの。


 夏の夕食の晩に、ニクラスが玄関で言ったこと、覚えてる? あなたに帰ってほしくないと言われたのは、生まれて初めてです、って。あの家に行って、あの言葉の意味が、少しだけ分かった。


 春から、あたし、あの家の娘になるのよ。


 五人姉妹の真ん中で、生まれてから一度も静かなところで暮らしたことがないあたしが。


 手紙は、そこで一度、段落が空いていた。


 それから、最後の一行だけ、字が少し小さくなっていた。


 お義姉様。一人っ子の家に嫁ぐって、どういうこと?

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