口数の少ない父と、質問の多い妹
食堂の入口で、父が立ち止まった。
その日の夕方、リンドホルム家の家族の夕食だった。長いテーブルには、もう半分ほどの人が着いていて、話が四方から飛んでいた。
「オッレ、椅子の上に立たない」
「エーミル、その鉢、食堂に持ってきたの?」
「ソフィ、ハルステン家の話はもういいわ」
「まだ一回しかしてないわよ、今夜は」
ベルティル様の笑い声が、天井に当たって跳ね返った。
父は、入口に立ったまま、動かなかった。
私は、その顔を知っていた。夏の初めに、私が初めてこの食卓に着いた晩、私も同じ顔をしていたはずだ。どこで口を開けばいいのか分からない人の顔だ。
母のほうは、父の後ろから、するりと食堂へ入っていった。
「シャスティン様。この前の、薔薇の接ぎ木のお話の続きを」
「あら、伯爵夫人。お待ちしていたのよ。台木はね――」
母は、私が決めたとおり、夫人の隣に座った。座る前から、もう話し始めていた。
閣下が、入口まで父を迎えに来た。
「ようこそ。……騒がしい家ですが」
「……ああ」
父は、それだけ言って、閣下に案内されるまま、テーブルの中ほどの席へ歩いていった。侍女頭が書いた名札には、ヴェスティン伯爵、とあった。その隣の名札は、ヨンナ。
父が座ると、ヨンナ様が、待ちかねたように身を乗り出した。
「伯爵様!」
父の肩が、ほんの少しだけ跳ねた。
「わたし、ヨンナです。お義姉様の、妹になる者です。末の」
「……知っている」
「よかった。じゃあ、聞いてもいい?」
父は、私のほうを一度だけ見た。私は、閣下の右の席から、小さく頷いた。
「……ああ」
それから、ヨンナ様の質問が始まった。
スープが運ばれてくるまでに、もういくつも聞いていた。ヨンナ様は、一つ答えが返ってくるたびに、次の問いをもう口の中に用意していた。
「ヴェスティン家の領地には、川が何本あるの?」
「三本」
「お庭の薔薇は、何株?」
「十二株」
「一番古いのは?」
「門の横の、白いのだ。祖父が植えた」
「伯爵様は、馬に乗るの?」
「乗る」
「どれくらいの速さで?」
父は、少しだけ考えた。
「……門の前まで、半刻だ」
閣下が、グラスを口に運ぶ手を止めた。私も、スープの匙を止めた。母が、夫人の隣で、扇の陰からこちらを見た。
ヨンナ様だけが、何も知らずに頷いた。
「速い!」
父は、黙ってスープを飲んだ。
鴨の皿が来るころには、父の答えは、少しずつ長くなっていた。三本の川のうち、真ん中の川で、父は子どもの頃に溺れかけたこと。庭の薔薇のうち、何株かは母が嫁いできたときに実家から持ってきたものだということ。ヨンナ様が聞いたから、父は話した。
鴨の皿が下げられたところで、ヨンナ様が、また身を乗り出した。
「伯爵様。お義姉様は、小さいころ、何を聞いてきたの?」
父は、少しだけ考えた。
「……全部だ」
「全部?」
「庭のことは、庭師に聞いていた。馬のことは、厩番に」
父は、テーブルの向こうの私を見た。
「私の機嫌は、執事に」
食卓が、一瞬静かになって、それから揺れた。
ベルティル様が、テーブルを叩いて笑った。ソフィ様は、ナプキンで顔を覆った。マーヤ様が「お義姉様、それ、ほんと?」と私に聞いて、エッバ様が「本当でしょうね、あの顔は」と言った。オッレは、わけも分からずに手を叩いた。
返す言葉が、見つからなかった。
(知っていらしたのね)
父の機嫌は執事に聞く。私が小さいころからそうしていたことを、父は全部分かっていたのだ。分かったうえで、ずっと、何も言わなかった。
閣下が、隣で、喉の奥で笑った。
ベルティル様の笑い声がもう一度天井に跳ね返ったとき、父の肩が、また少しだけ跳ねた。いつの間にか父君の膝から降りていたオッレが、テーブルを回ってきて、父の皿にパンを一つ置いた。
「どうぞ」
父は、パンを見下ろした。それから、オッレを見た。
「……ありがとう」
父は、そのパンを食べた。オッレは、満足そうに頷いて、父君の膝の上へ戻っていった。
ニクラス様が、マーヤ様の隣で、テーブルの並びを眺めていた。
「前例と違う席次ですね。花嫁の父君は、本来、当主の右です」
「理由のある席次よ」
シャスティン夫人が、母の隣から言った。
「理由まで言える席次は、良い席次なの。決めたのは、ノーラ」
ニクラス様は、少し考えてから、上着の内側の帳面に手を伸ばしかけた。それから、手を止めて、笑った。
「……書き留めるまでもございませんね」
* * *
デザートが運ばれてきた。
ヨンナ様は、自分の皿のデザートを半分食べたところで、匙を置いた。それから、隣の父のほうへ、体ごと向き直った。
いつもの大きな声ではなかった。
「伯爵様」
「……何だ」
「伯爵様は、お義姉様が家を出るとき、泣く?」
食卓が、静かになった。
ヨンナ様は、春に家を出る。その人が、もうすぐ一人娘を送り出す人に、聞いていた。
父は、しばらく黙っていた。
それから、ヨンナ様の顔を見て、短く言った。
「……後にする」
ヨンナ様は、きょとんとして首をかしげた。ほかの人たちも、たぶん分からなかった。
その意味を知っているのは、この食卓で、閣下と私と、母だけだった。閣下は、テーブルの奥で、何も言わずに父のほうへ小さく頭を下げた。母は、扇を膝の上に置いて、目を伏せていた。
夜更けの鐘が、廊下の奥で鳴った。
父は、席を立たなかった。
テーブルの向こうで、ニクラス様が父のほうを見て、少しだけ笑った。夏の初めまで、デザートの後にはいつも先に帰っていた方の、笑い方だった。




