花嫁のブローチ
温室の翌日、リンドホルム公爵家から、茶会の招待状が届いた。
白い厚手の紙に、エッバ様の流れるような字で、日にちと時刻と、「妹たちの会ですので、どうぞお気軽に」と書いてあった。
裏を返すと、別の字で追伸があった。大きくて、右へ傾いていて、ところどころインクが跳ねている。
名前は、上からエッバ、カーリン、マーヤ、ソフィ、ヨンナです。兄の縁談のお相手は、皆さん覚えられませんでした。ヨンナ
私は追伸を三度読んで、五つの名前を、年の順に口の中で繰り返した。
(覚えられなかった方たちは、きっと、一度に五人に挨拶されたのだわ)
私は、紙で先に教わった。少しずるいかもしれないけれど、教えてくれたのはヨンナ様なのだから、かまわないだろう。
マリットが、髪を梳く手を止めて、鏡の中の私を見た。
「お嬢様。試験でもお受けになるのですか」
「お茶会よ。でも、覚えていったほうがいいと思うの」
招待状は、鏡台の一番上の引き出しに入れた。
* * *
温室から数日後は、決まった訪問の日だった。
婚約の契約に書かれた、婚約者の務めの一つだ。エリアス様は、この日だけは欠かさずに来る。そして、たいていミルテ様を連れて来る。
今日も客間の長椅子に、兄妹が並んで座った。私は向かいの一人掛けの椅子に座る。最初の訪問の日に、ミルテ様が「お兄様の隣がいい」と言って長椅子に座り、それから一年、この客間の並びは変わっていない。
訪問の時間は決まっている。その半分は、ミルテ様の乗馬の話で過ぎた。先生に褒められたこと、新しい鞍の革の色、兄君が稽古場の柵の外から、最後までずっと見ていてくれたこと。
温室で公爵閣下にお会いしました、と話すつもりでいた。ミルテ様の話が鞍から手綱へ移るところで、一度だけ口を開きかけた。けれどエリアス様が「それで、先生は何て言ったんだい」とミルテ様に聞いたので、私は口を閉じて、紅茶を一口飲んだ。話す間がないまま、暖炉の上の時計の針が進んでいった。温室のことは、エリアス様の口からも一度も出なかった。行けなかった婚約者が、一人で行ったのかどうかも、聞かれなかった。
ミルテ様の胸元で、初めて見るブローチが光っていた。楕円の青い石の周りを、粒の小さな真珠が一周している。
「きれいでしょう? お兄様にいただいたの。お母様のブローチよ」
持ち上げかけたカップが、受け皿の上で止まった。
見たことはなかったけれど、聞いたことはあった。
婚約が決まったとき、隣国の侯爵閣下から父宛てに手紙が届いた。几帳面な細い字で、婚約を喜ぶ言葉と、赴任先の冬が長いことが書いてあって、最後に一行だけ、こうあった。我が家には、嫡男の花嫁が婚約披露の宴で胸に着ける、青い石のブローチがある。宴の前に、エリアスから手渡させる。
父はその手紙を、珍しく私にも読ませてくれた。だから、その一行を覚えている。
「エリアス様。それは、婚約披露の宴で花嫁が着けるものだと、侯爵閣下のお手紙で伺いました」
「ああ、そうだったね」
エリアス様は、何でもないことのように頷いた。
「でも、ミルテが欲しがったんだ。母上の物だし、妹が先だよ。一人っ子の君には、母の形見を分け合う気持ちは分からないだろう」
(それは、たしかに分からないわ)
私の母は元気で、温室の朝も、私の帽子の角度を直してくれた。分け合う形見も、分け合う相手もいない。
けれど、形見の話は、私の伺いたいことと少し違った。
「宴では、どうなさるのですか」
「宴は、父上が戻られてからだ。そのとき考えればいいさ」
ミルテ様が、ブローチを指先で撫でながら私を見た。
「ノーラ様は、宝石ならたくさんお持ちでしょう? 一人っ子なんですもの」
エリアス様は、それを聞いて笑った。妹の冗談に笑う兄の顔だった。私の誕生日の晩餐で、デザートの前に席を立ったときも、同じ顔をしていた。
時計が決まりの時刻を打つと、二人は立ち上がった。玄関まで見送ると、ミルテ様が兄君の腕に掴まって、甘えた声を出した。
「お兄様、宴の日もこれを着けていい?」
エリアス様は、笑ったまま答えなかった。
答えないのは、だめだと言わないのと同じだった。
二人を乗せた馬車が門を出ていくのを見送りながら、私は考えた。
(妹は、兄の花嫁の品を欲しがるものなのかしら。兄は、それを渡すものなのかしら)
分からない。
* * *
その晩、父の書斎の前まで行った。
扉を叩くつもりで上げた手を、そのまま下ろした。
父に話せば、父はすぐに侯爵閣下へ手紙を書くだろう。父と侯爵閣下は、若い頃からの友人だ。手紙は隣国まで届き、侯爵閣下はエリアス様を叱るだろう。
けれど、私が知りたいのは、兄というものが本当にそういうものなのか、それだけだった。誰が悪いのかを決めたいわけではない。
それに、父に聞いても答えは出ないだろう。父には弟が一人いるきりで、妹はいない。
扉の向こうで、父が書類をめくる音がしていた。私は叩かずに、自分の部屋へ戻った。
寝台に入ってから、聞くことを決めた。妹は、兄の花嫁に贈られるはずの品を、欲しがるものか。兄は、それを渡すものか。
もうすぐ、分かる方が五人揃うお茶会がある。




