妹のことは、妹に聞け(アクセル視点)
今朝、書斎の前にいたのは、九時の鐘の前に一人。
扉の外の廊下には、ほかに三人いた。足音で分かる。一番軽いのがヨンナで、扉に近い。少し離れて、ゆっくり歩いて止まったのがマーヤ。もう一人は、廊下の端の窓のあたりから動かない。ソフィだ。
エッバとカーリンは、今朝はそれぞれの家にいる。ノーラは伯爵家だ。今日この屋敷にいる妹は三人で、その三人が全員、書斎の外にいる。
九時の鐘の、一つ目が鳴った。
扉が叩かれた。ニクラスと同じだ。典礼局では、そう教えるのかもしれない。
「入れ」
オスカル・エクルンドは、扉を閉めてから深く礼をした。昨夜の上着と同じ紺で、胸のところが四角くふくらんでいる。帳面だろう。
「座れ」
六年前、ベルティルを四半時立たせたことを、私は今でも少し悪かったと思っている。だからニクラスのときから、名乗る前に座らせることにした。
オスカルは座った。背筋が、椅子の背もたれから離れていた。
「お時間をいただき、ありがとうございます。昨夜、二度目を申し込まずにお目通りを願いましたのは、前例のないことと存じております」
「用件は」
「二度目を申し込む前に、閣下に伺いたいことがございます」
オスカルは、膝の上で手を一度握り、開いた。
「ソフィ嬢は、私と踊るのを、お嫌ではないでしょうか」
扉の外で、何かが床に当たる小さな音がした。ヨンナの靴の踵だろう。
「私は春から、ソフィ嬢と十四回踊りました。一晩に一度ずつです。ソフィ嬢は、十三回、広間をご覧になっていました。私ではなく、私の肩の向こうを」
オスカルの声は小さいが、数は正確だった。
ソフィが人の立つ場所を見るようになったのは、両親の葬儀の日からだ。あの日、あの子は、弔問の客の誰が誰の隣に立っていたかを、一人残らず覚えていた。誰の顔も見ないままで。私がそれに気づいたのは、葬儀が済んで、ずいぶん経ってからだった。
「昨夜、初めて目が合いました。十四回目で、初めてです。……それで、分からなくなりました。二度目を申し込んで、ソフィ嬢がお困りになるなら、私は申し込みません。ですから、ソフィ嬢を一番よくご存じの閣下に、先に伺いに参りました」
オスカルは、少し間を置いた。
「典礼局の帳面で、前例も調べました。二度目のあとに当主へ訪問のお許しを願う前例は、いくつもございます。二度目の前に兄君にお伺いする前例は、一つもございませんでした」
答えを出すまでに、少しかかった。
六年前の四半時を思い出していた。あのとき私は、ベルティルに何を聞けばいいのか分からなかった。妹に申し込みに来た人は、ベルティルが初めてだったからだ。
両親を亡くしてから、九年。妹たちの名と年と、今日それぞれがどこにいるかは、いつも頭に置いてきた。エッバの子の熱が下がった日も、カーリンの夫の論文が通った日も、マーヤの婚礼衣装の仮縫いの日取りも知っている。妹のことを聞かれれば、たいていは答えられると思っていた。
だが、ソフィが誰と二度踊りたいかを、私は知らない。
知らなくていい、と思う。
兄が妹の全部を先に決めてやると、妹は兄しか頼れなくなる。両親が亡くなった年に、叔母のシャスティンにそう言われた。だから私は、髪は侍女頭に、勉強は家庭教師に、社交界のことは叔母に任せてきた。妹が誰と踊るかまで兄が答えるなら、兄の答えで妹が踊ることになる。
夏の初めに、妹の手を取って自分の婚約披露に入った男がいた。あの男は、妹の欲しがるものを、妹より先に全部決めてやっていた。
「エクルンド」
「はい」
「妹のことは、妹に聞け」
オスカルが、瞬きをした。
「私は、ソフィが誰と二度踊りたいかを知らない。兄に聞いても、答えは出ない」
扉の外が、しんとした。
「二度目を申し込まれた翌朝なら、この書斎は九時に開いている。それは、約束する」
オスカルは、しばらく私の顔を見ていた。それから、上着の内側から小さな帳面を出した。
「……書き留めても、よろしいでしょうか」
「何をだ」
「前例のない、お答えですので」
「前例にしろ」
オスカルは、帳面に何か書いた。字は小さく、まっすぐだった。書き終えて帳面をしまうと、立ち上がって礼をした。
「閣下。次の夜会は、秋まで、ございません」
「知っている」
社交の季節は、昨夜で閉じた。今日から多くの家が領地へ戻る。王都に残る家が宴を開くのは、秋だ。
オスカルが扉を開けると、廊下で、三つの足音がいっせいに散った。ヨンナの足音が一番速く、角を曲がっていった。マーヤは途中で止まり、引き返して、ヨンナの落とした髪留めを拾っていった。
ソフィの足音だけは、しなかった。窓のところに、まだ立っているのだろう。オスカルの足音が、そちらの前を通り過ぎるところで、一度だけ止まった。止まって、また歩き出した。
何を言ったのかは、聞こえなかった。聞くつもりもない。
* * *
扉が閉まってから、私は机の引き出しを開けた。
秋の宴の客の名簿が入っている。シャスティン叔母と典礼局が、夏のうちから書き始めているものだ。婚約を表に出せば、ひと月のうちに宴を開くことになる。大勢の名が、家ごとに並んでいる。
昨夜、ノーラは私の顔を見て言った。二度目は、秋まで取っておいてくださいませ、と。
秋まで取っておくものが、この家にはもう一つあってもいい。
私は、名簿の最後の行に、一つ名を書き足した。エクルンド伯爵家、オスカル。




