↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「妹が先だ。一人っ子の君には分からない」と婚約者が言うので、妹が五人いる公爵閣下に聞いてみました【連載版】  作者: みれいぬ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
15/16

閣下の書斎は、怖いものでしょうか

 その週の家族の夕食は、テーブルの三か所に、白いナプキンだけが畳んで置かれていた。


 マーヤ様と、ニクラス様と、エッバ様の席だ。皆、今ごろは夏の演奏会の客席にいる。


「今ごろ二曲目よ」


 ヨンナ様が、窓の外の暮れかけた空を見て言った。


「演奏会の二曲目って、どれくらい長いの?」


「知らないわ。演奏会の客席には、座ったことがないもの」


 ソフィ様が答えて、スープの皿を引き寄せた。


 閣下の隣の席には、私の名の札が立っていた。料理番が手紙のとおりに整えてくれたのだと、閣下がそれだけ言った。向かいにはカーリン様とサンデル先生、その隣にベルティル様。オッレはエッバ様の代わりに、父君の膝の上に座っている。


 先週より三人少ないだけで、食堂はずいぶん広く見えた。それでも、話は相変わらず四方から飛んだ。オッレがパンを父君の皿に一つずつ並べ、ベルティル様が「ありがとう」と言って一つずつ食べている。


 スープの皿が下げられたところで、私はナプキンを膝の上で整えた。


 ソフィ様が、こちらを見た。ヨンナ様も見た。二人とも、先に肩をすくめた。


「ベルティル様。一つ、教えていただきたいことがあります」


「おう、何でも」


「エッバ様に、二度目の踊りを申し込まれた晩のことを、伺ってもよろしいでしょうか」


 ベルティル様の手が、オッレのパンを持ったまま止まった。


 閣下が、グラスを置いた。カーリン様が、口元を押さえた。サンデル先生は、なぜか少しだけ椅子を引いた。


「……六年前の、王宮の舞踏会だな」


 ベルティル様は、パンを口に入れて、ゆっくり噛んでから話し始めた。


「エッバとは、その晩、一曲目に踊った。で、五曲目にもう一度申し込んだ。断られたらどうしようかと思ったが、エッバは笑って受けてくれた。そこまでは良かった」


「そこまでは」


「次の朝、九時だ。二度目を申し込んだら、翌朝、相手の家の当主のところへ訪問のお許しを願いに行く。リンドホルム家の当主は、もう閣下だった」


 ベルティル様は、閣下のほうを、ちらりと見た。


「閣下はまだ若くて、俺より年下だった。俺は書斎の扉を叩いて、名乗って、お許しを願った。閣下は机の向こうに座って、何も言わずに俺を見ていた」


 ベルティル様は、大きな手で、自分の首の後ろをさすった。


「どれくらい黙っていたと思う」


「……分かりません」


「四半時だ。時計の針が進むのを、ずっと見ていた。あれほど長い四半時は、後にも先にもない」


 ヨンナ様が、テーブルに突っ伏して肩を震わせた。ソフィ様は、扇がないので、手の甲で口を隠している。


「黙っていたのではない」


 閣下が、低い声で言った。


「何を聞けばいいのか、分からなかった。妹に申し込みに来た人は、君が初めてだった」


「それで、四半時」


「考えていた」


「俺は、その四半時で、一生分の汗をかいた」


 カーリン様が、隣の夫の腕に手を置いた。


「エーミルのときは、もっとひどかったのよ。エーミルは踊れないから、書斎に来るきっかけもなかったの。だからお兄様のほうが先に、自分から植物園まで行って、エーミルの温室の前に長いこと立ってたの。何も言わずに」


 サンデル先生が、パンを置いた。


「……あれは、怖かった」


 話すのが得意ではない方の、心からの一言だった。


「怖くない」


 閣下が言った。


「怖い」


 カーリン様と、ソフィ様と、ヨンナ様と、ベルティル様の声が重なった。サンデル先生も、少し遅れて頷いた。オッレだけが、皆の顔を見回して、それから父君の真似をして、大きな声で言った。


「こわい!」


 ベルティル様の笑い声が、今夜も天井に当たって跳ね返った。


 閣下は、何か言いかけて、やめた。それから私のほうを見た。


「ノーラ。君も、そう思うか」


「私は、書斎の前に立ったことがありませんので」


(分からないことには、答えられないわ)


 閣下は、少しほっとした顔をした。それを見て、ヨンナ様が椅子の上で足をばたばたさせた。


 笑い声が落ち着いたところで、私は頭の中で、ソフィ様の十二の夜会と、今のお話を並べてみた。


 二度目を申し込んだ殿方は、次の朝、当主の書斎の前に立つ。リンドホルム家の当主は閣下で、閣下は、黙って四半時考える方だ。


(殿方は、閣下の書斎が怖い)


 それなら、一つの答えになるのかもしれない。


「では、ソフィ様に二度目を申し込まれた方も、次の朝、この家の書斎の前に立つことになるのですね」


 食卓が、すっと静かになった。


 ソフィ様が、スープの皿のあった場所を見つめた。カーリン様が、妹の顔を見た。ベルティル様は、口を開けかけて、閉じた。


 閣下は、ナプキンの端を指でつまんだまま、答えを探しているようだった。四半時ではなかったけれど、短くもなかった。


「……そうなる」


 閣下は、それだけ言った。


 鴨の皿が運ばれてきて、話は四方へ散っていった。ソフィ様も、いつものように笑って、ヨンナ様のパンを一つ取り上げたりしていた。それでも、そのあとソフィ様が兄君のほうを見ることは、デザートが出るまで一度もなかった。


* * *


 帰り際、玄関でソフィ様が、私を柱の陰へ引っぱった。


 手に、一通の招待状を持っていた。


「今度、ハルステン伯爵家の夜会があるの。ヴェスティン家にも、たぶん届いてるわ。あそこは、王都に残ってる家に全部出すから」


「はい」


「お義姉様も来るでしょう。だから、先にお願いしておくわ」


 ソフィ様は、私の手を両手で握った。


「お願い。殿方に、聞いて回ったりしないでね」


 私は、少し考えた。


 嘘は言いたくなかった。けれど、まだ何もしていないことを、しないと約束することもできなかった。


「……努めます」


 ソフィ様は、私の顔を長いあいだ見ていた。それから、諦めたように手を離した。


 帰りの馬車で、マリットは窓の外を見ていた。窓硝子の中のマリットは、笑っていなかった。心配している顔だった。


 伯爵家に帰ると、居間の灯りがまだついていた。母が、ソフィ様のと同じ封筒を手にして、私を待っていた。


「ハルステン家から届いたわ。行くでしょう?」


 母は、少し楽しそうに言った。


「久しぶりに、私が付き添うわ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。