一人っ子のことは、誰に聞けばいい
求婚から何日かたった夕方、私は初めて、リンドホルム公爵家の家族の夕食に招かれた。
週に一度の、ご両親の頃からの習わしなのだという。嫁いだ妹様は旦那様とお子を連れて、婚約中の妹様は婚約者を招いて来る。婚約はまだ家族の内だけの話で、人に知らせるのは秋だから、私はマリットを連れて、伯爵家の馬車で伺った。帰りは公爵家の馬車で送る、と閣下が父に約束していた。
食堂の長いテーブルには、十人が着いた。閣下と、五人の妹様と、ダールベリ伯爵のベルティル様と、サンデル先生と、マーヤ様の婚約者と、私。小さなオッレは、エッバ様の隣の背の高い椅子に座って、パンをちぎっている。下のお嬢さんは、もう眠る時刻なので、ダールベリ家で乳母と留守番だという。
スープが運ばれてきた途端、話が四方から飛んだ。
「エーミル、今日の蘭は」
「三つ目の蕾が」
「ソフィ、その話、昨日も聞いたわ」
「昨日のとは違う家の話よ」
「お義姉様、温室の次は何を見たい?」
「オッレ、パンは投げるものじゃない」
「投げてないもん、渡したんだもん」
ベルティル様の笑い声が、天井に当たって跳ね返ってきた。
誰も、順番を待っていなかった。一人が話し終える前に次の人が話し始め、その間に別の二人が別の話をしている。
私は、どこで口を開けばいいのか分からなかった。
ヴェスティン家の食卓は、父と母と私の三人で、話す順番があった。父が一つ話し、母が一つ答え、私は聞かれたら答える。間が空けば空いたままで、誰も困らなかった。
ここには、間というものが一度も来ない。
気がつくと、スープが冷めていた。
「私も、最初は分からなかった」
隣から、低い声がした。閣下が、前を向いたまま、私の耳にだけ届く声で言った。
「父と母の葬儀から帰った晩に、五人が一度に話しかけてきた。誰に何を返せばいいのか見当がつかなくて、全員に同じ返事をした」
「何と、お答えになったのですか」
「明日にしよう、と」
「……それで、皆様は」
「次の朝、五人が一度に話しかけてきた」
私は、冷めたスープを一口飲んだ。少しだけ、笑いそうになった。
「お義姉様ってば。温室の次は、何を見たいの?」
向かいから、ヨンナ様がもう一度聞いた。今度はまっすぐ私の顔を見て、ほかの誰の話にも重ならない大きな声で。
「……王立図書館の、蘭の図譜を」
サンデル先生の手が止まった。
「あれは、閲覧の許しが要ります。私が出しましょう」
それから先生は、蘭の図譜の話を私にだけ向けて、デザートまで続けた。
* * *
マーヤ様の隣の、紺の上着の青年には見覚えがあった。婚約披露の宴で、マーヤ様の隣に立っていた方だ。
ニクラス・オーベリ様。子爵家のただ一人の跡継ぎで、王宮の典礼局にお勤めだという。マーヤ様の婚約者で、婚礼は来年の春。髪をきちんと撫でつけて、ナイフとフォークを置く角度まで揃っている。聞かれたことにはきちんと答える。けれど、自分からはほとんど話さなかった。
退屈しているようには見えなかった。オッレがパンを「渡した」と言い張ったときには、ナプキンで口元を隠して、肩を揺らしていた。誰の話にも入らないのに、誰の話も聞いている顔だった。
デザートの皿が下げられると、ニクラス様が席を立った。
「ご家族のお時間を、これ以上お邪魔しては」
マーヤ様が、顔を上げた。
「まだ、いいのに」
そう言いかけた口が、途中で閉じた。
ニクラス様は閣下に一礼し、マーヤ様に一礼し、私にも一礼して、食堂をあとにした。扉が閉まると、ソフィ様が小さな声で言った。
「先週も。その前も」
* * *
食後、マーヤ様が私の袖を引いた。
連れていかれたのは、食堂の奥の、庭に面した小さな温室だった。お母君が好きだった花を、今も庭師が育てているのだという。硝子越しに、食堂の明かりと笑い声が届く。
「お義姉様。この前、聞いてもいいって言ったわよね」
「はい」
「ニクラスは、一人っ子なの。お義姉様と同じ」
マーヤ様は、鉢植えの葉を指先でつまんだ。
「……あの人、うちが嫌なのかしら。お兄様の縁談のお相手たちみたいに」
私が答える前に、温室の扉が開いて、ソフィ様とヨンナ様が顔を出した。聞いていたらしい。
「五人がうるさいからよ」と、ソフィ様。
「ベルティル兄様の声が大きいからよ」と、ヨンナ様。
「二人とも、出ていって」
マーヤ様が言うと、二人は顔を引っ込めた。扉は、少しだけ開いたままだった。
「お兄様にも聞いたの。そうしたら、分からないって。兄弟が五人いる人間には、一人っ子のことは分からないって」
茶会の帰りの、石段の声を思い出した。一人っ子のことは、誰に聞けばいい。私に、でしょうか、と私は答えたのだった。
そして今夜、私はスープを冷ました。どこで口を開けばいいのか、分からなくて。
「嫌なのではないと思います」
マーヤ様が、顔を上げた。
「でも、私に分かるのは、一人っ子のことまでです。ニクラス様のことは、ニクラス様にしか分かりません」
「……じゃあ、どうするの」
「分からないことは、分かる方に聞きます」
私は言った。
「ですから、ニクラス様に伺ってみましょう」
マーヤ様の目が、丸くなった。扉の隙間の向こうで、誰かが息を呑む音がして、別の誰かが「しっ」とそれを止めた。




