第九章 温度帯
断れば灯が揺れる。受ければ店が潰れる。
週に三千個。一日になおせば、四百三十個近く。三輪さんの工場の限界は、一日三百個だった。
その夜、私はバックルームの机に紙を広げて、数字を並べていた。
釜の数。炊く人の数。グラシアさんが一日に冷ませる米の量。荷馬車の台数。御者の人数。昼の四時間半。
どこを足しても、どこかが足りない。
「足りないのは、釜じゃない」
背後で、三輪さんが言った。いつのまにか、戸口に立っていた。
「釜は増やせる。人も、覚えさせりゃいい。足りねえのは、全部を一か所に集めて分けて、運び出す場所だ」
「物流センター」
「ああ」
三輪さんは、私の紙の端に指を置いた。
「工場で炊いた飯を、店まで運んで、店で村ごとに分けてる。今はそれで回ってる。だが三千個を王都に運ぶなら、店の前で荷を分けてる暇はねえ。店はレジを打つ場所だ。荷を捌く場所じゃねえ」
その通りだった。
日本のコンビニの店には、毎日何便もトラックが来る。でも、店で荷を仕分けたりはしない。仕分けは全部、物流センターで済んでいる。店に届くのは、その店の分だけ。店員は、届いた箱を開けて検品し、棚に並べるだけでいい。
「場所の当てはあるか」
「……ミルデに、古い穀物倉があると聞きました」
ミルデは、店から荷馬車で半日。王都へ向かう道の途中にある町だ。教会の出張所があって、毎週の灯税を納めに行っている。
「ミルデなら、北の村々にも王都にも、荷を出せます」
「なら決まりだ」
三輪さんは、あっさりと言った。
「店長が行け。ミルデで倉を見て、手を入れてこい」
「でも、店のレジが」
「俺が立つ」
三輪さんは、自分の胸を親指で指した。
「釜は女衆に任せた。グラシアの婆さんもいる。水の量り方は、もう全員が覚えた。俺がいなくても、飯は炊ける」
私は、三輪さんの顔を見た。
三十年、炊飯ラインの主任をしてきた人だった。それが、自分の釜を人に預けて、レジに立つと言っている。
「……三輪さん、レジ打てるんですか」
「三年、深夜で見てたんだぞ。打てるに決まってる」
三輪さんは、少しむっとした顔をした。
◇
ミルデの穀物倉は、町の外れの川沿いにあった。
石造りの、大きな四角い建物だった。屋根の半分が落ちていて、床には古い麦の殻が積もっている。昔は、北の村々から集めた麦をここに貯めて、王都へ送っていたそうだ。灯の数が減り村が減り、麦が減って倉は空になった。
持ち主は、教会の出張所だった。
窓口に座っていたのは、見覚えのある顔だった。最初に店に来て、三百年分の灯税を払えと言った徴税吏だ。
「……灯の家の主か」
彼は、私を見て眉をひそめた。
「穀物倉を借りたい? あんな廃屋を、何に使う」
「荷を集めて、分けて、運び出す場所にします」
ラディカが通訳した。彼女は、もう村の言葉で役人と渡り合えるほどになっていた。私も、この一か月で村の言葉を少しは覚えていた。ゆっくり話してもらえれば聞き取れるし、短い言葉なら返せる。込み入った話には、ラディカの助けが要った。
「家賃は、毎週の灯税と一緒にお納めします」
徴税吏は、しばらく黙っていた。
それから、帳面の別の頁を開いた。
「ホロ村の先月分の灯税。記録が出てきた」
私は、思わず身を乗り出した。
「集金人が懐に入れて、帳面に書いていなかった。その集金人は、先週、職を解かれた」
徴税吏は、帳面を閉じた。私の目を見なかった。
「倍額の話は、なかったことにする。……あの赤い半円の紙、出張所でも真似をすることにした」
それだけ言って、彼は倉の鍵を窓口の上に置いた。
◇
倉を四つに仕切った。
物流センターでは、商品を温度ごとに分けて扱う。温度帯という。
一つ目は、常温。普通の温度でいいもの。飲み物や菓子。干し肉に灯油に日用品。
二つ目は、定温。二十度前後に保つもの。おにぎりやパン。冷やすと固くなり、温かいと傷むものだ。
三つ目は、チルド。五度前後。冷蔵庫の温度だ。乳や、腐りやすい惣菜。
四つ目は、冷凍。氷点下二十度。凍らせて運ぶもの。
日本の物流センターでは、この四つの部屋が分かれていて、トラックも温度帯ごとに違う。定温の荷を冷凍の部屋に入れれば、おにぎりは石のようになる。冷凍の荷を常温に置けば、溶けて捨てるしかなくなる。
「温度を間違えるのは、数を間違えるのと同じくらい怖いことです」
私はラディカに言った。
「数は数え直せば分かる。でも温度は、一度間違えたら取り返せない」
定温とチルドと冷凍の部屋は、グラシアさんが引き受けてくれた。
正確には、グラシアさんの弟子たちだ。
「あたしの術を習いたいって娘っ子が、村に三人いてね」
グラシアさんは、新しい部屋の石の壁に手を当てながら言った。
「一人は温めるのしか得意じゃない。一人は冷やすのしか得意じゃない。一人は、ぬるくするのしかできない。役立たずだと思ってたけどね」
「ぬるくするのが、定温です」
私が言うと、グラシアさんは鼻を鳴らした。
「あんたの国は、変なものに名前をつけるね」
でも、その口元は少しだけ笑っていた。
冷やすのが得意な娘はチルドの部屋に。ぬるくするのが得意な娘は定温の部屋に。冷凍は、グラシアさんが自分で引き受けた。
「凍らせるのは、年寄りの仕事だよ。若いのがやると、自分まで凍える」
◇
一番の難題は、仕分けだった。
工場から届いた荷を、行き先ごとに分ける。北回りの六つの村と南回りの六つの村。それに来月から始まる王都の分。おにぎり何個、パン何個、灯油何樽。行き先は増える一方だった。
日本の物流センターには、それを助ける仕組みがあった。
デジタルピッキングという。
棚の一つ一つに、小さな表示器がついている。作業する人の前に店ごとの箱が並んでいる。商品を一つ手に取ると、それを入れるべき箱の上の表示器に数字が光る。三、と光れば、三個入れる。入れたらボタンを押して、光を消す。
光った場所に、光った数だけ入れる。
それだけだから、誰でも間違えにくい。
「でも、ここには表示器がない」
私が言うと、ティルが少しためらってから手を挙げた。
ティルは、私について一緒にミルデまで来ていた。灯簿の数え方を、荷の数にも使えるかもしれないと言って。
「リツさん。それ、わたしの灯でできませんか」
ティルは、右手の人差し指を立てた。
指先に、小さな火がともる。
いつか森の中で、夜喰いから逃げていたときの火だ。風が吹けば消えそうな、豆粒ほどの灯。
「わたしの灯、ほかの人の灯より小さいんです。灯守りの家の子なのに、こんな小さい灯しか出せないって、村でずっと言われてきました」
ティルは、指先の火を見つめた。
「でもおばあちゃんが、一つだけ教えてくれたことがあって」
彼女は、指を宙で動かした。
火が、指の軌跡に沿って伸びた。
空中に、細い光の線が残る。それが、形になった。
三。
光の数字が、宙に浮かんでいた。
「灯守りは、数を灯で書き残すんだって。夜の丘の上で、隣の丘の灯守りに、数を知らせるために」
私は、声が出なかった。
「これを、棚の上に出せたら」
ティルは、指を軽く振った。
光の三が、すうっと滑るように飛んで、倉の奥の棚の上で止まった。そこで、ゆらゆらと浮かんでいる。
ティルはもう一度、指を振った。
五。
二。
七。
光の数字が、次々に棚の上へ飛んでいく。
十。二十。五十。
倉の中の暗がりに、光の数字が並んでいく。一つ一つは豆粒ほどの小さな灯だ。でもそれが、百の棚の上に、同時に浮かんでいた。
ラディカが、口元を両手で押さえていた。
雇ったばかりの町の若者たちが、ぽかんと口を開けて、天井を見上げていた。
「指灯仕分け」
私は、思わずそう呼んでいた。
ティルが、振り返った。指先の火が、少し揺れた。
「……役に、立ちますか」
「立つよ」
私は言った。
「ティルの灯じゃなきゃ、これはできない。大きな灯だったら、隣の棚の数字と重なって読めなくなる。小さいから、百の棚に同時に出せるんだよ」
ティルは、しばらく黙っていた。
それから、自分の指先をもう一度見た。豆粒ほどの火が、そこにともっていた。
「小さいから」
ティルは、そう繰り返した。
その声が、少しだけ震えていた。
◇
ラディカは、雇った人たちの教育を引き受けた。
ミルデの町で集めた十二人。麦の倉で働いていた年寄りもいれば、仕事のない若者もいた。
ラディカが最初に教えたのは、挨拶だった。
「荷馬車が着いたら、まず、おはようございます。それから、お疲れさまです。荷を下ろしてくれた人に、ありがとうございます」
「なんで御者に頭を下げる。金を払ってるのはこっちだ」
年寄りの一人が言った。
ラディカは、少し考えてから答えた。
「わたしが日本で働いていた店では、夜中にトラックの人が荷物を持ってきてくれました。わたしが挨拶をすると、トラックの人も挨拶を返してくれました。そうすると次の日に困ったことがあったとき、トラックの人が教えてくれるんです。この箱、ちょっと潰れてるよ、とか。この便、明日は遅れるかもしれないよ、とか」
ラディカは、笑った。
「挨拶は、情報が届く道を作ることです。お金を払ってるかどうかは、関係ありません」
年寄りは、何も言い返さなかった。
次に教えたのは、検品だった。
荷を二人一組で数える。一人が数を声に出して読み上げ、もう一人が伝票と見比べる。合っていたら、二人で伝票に印を押す。合わなかったら、その場で数え直す。
「一人で数えると、間違えても気づきません。二人で数えると、どちらかが気づきます」
ラディカの声は、店でレジに立っていたときと同じだった。正確で、丁寧で、少しも急がない。
私は、それを倉の隅で聞いていた。
二人で数えると、どちらかが気づく。
私は、それを知っていた。知っていて、自分ではやっていなかった。
◇
倉が動きはじめたのは、十日後だった。
昼のうちに、工場から荷馬車が着く。ラディカの号令で、二人一組が荷を下ろし、数える。温度帯ごとの部屋に運び込む。
日が暮れると、倉の扉を閉め、中に灯をともす。ティルが指を振ると、百の棚に光の数字が浮かぶ。町の若者たちが、その数字のとおりに荷を箱に入れていく。
夜の仕分けは、外に出ないから安全だった。倉の中は、灯で満ちていた。
夜明けに、荷馬車が箱を積んで出ていく。北の村へ、南の村へ。
一日目の仕分けで、間違いは二つだった。
二日目は、一つ。
三日目は、ゼロ。
それでも私は、毎晩、全部の棚を自分で数え直した。
若者たちが仕分けを終えて眠ったあと、私は灯を一つ持って、百の棚を一つずつ回った。箱を開け、中のおにぎりを数え、伝票と見比べる。合っている。次の箱。合っている。次の箱。
合っていると分かっていても、数えずにはいられなかった。
一つでも間違っていたら、誰かが疑われる。
それが仕分けをした若者なのか、検品をした年寄りなのか、指で数字を出したティルなのか。誰であっても、その人のせいになる。その前に、私が見つけて、私が直さなければいけない。
五日目の夜、箱の留め金に指をかけたとき、手が震えているのに気づいた。
指先が、うまく留め金をつかめない。何度やっても、金具が滑る。
私は、灯を床に置いて、両手を握りしめた。
「店長」
背後で声がした。
ラディカが、毛布を肩にかけて立っていた。
「少し、寝てください」
「もうすぐ終わるから」
「昨日もそう言いました。一昨日も」
ラディカは、私の横にしゃがんだ。私が開けかけた箱をのぞき込む。
「この箱、わたしとセルカさんで検品しました。セルカさんが読み上げて、わたしが伝票を見ました。合ってます」
「分かってる」
「じゃあ、なんで数えるんですか」
私は、答えようとした。
答えは、一つしかなかった。
「私が数えれば、間違いはないから」
ラディカは、黙った。
倉の中に、遠くの川の音だけが聞こえていた。
やがて、彼女は私の手元に目を落とした。
私の膝の上に、財布が載っていた。箱を数えるときに邪魔になって、腰のポケットから出しておいたのだ。
日本から持ってきた、革の長財布。中身の日本円は、この世界では紙切れだ。それとは別に、この世界の銅貨と銀貨を入れる小さな布袋を、財布の中に挟んでいた。
店長としての私の取り分を、そこに入れていた。
その布袋が、ぺしゃんこだった。
ラディカは、それを見ていた。
先週、ミルデの出張所に灯税を納めたとき、銀貨が一枚足りなかった。村の誰かが数え間違えたのか、どこかで落としたのか、分からなかった。私は、その場で自分の袋から一枚出した。
その前の週にも、一枚。
おにぎりの代金が合わなかった日にも、何枚か。
ラディカは、何も言わなかった。
ただ、肩にかけていた毛布を外して、私の肩にかけた。
「おやすみなさい、店長」
彼女はそう言って、倉の奥の寝床へ戻っていった。
私は、毛布の端を握りしめたまま、次の箱を開けた。
寝床へ戻る足音が、途中で一度だけ止まった気がした。私は顔を上げなかったから、確かめてはいない。




