第十章 単品管理
収穫祭の発注書は、三日前まで白紙のままだった。
「祭りの夜は、店の前に人が集まります」
ティルがそう言ったのは、ミルデから店に戻って三日目の夕方だった。
「この辺りの村は、毎年、刈り入れが終わると一晩だけ火を焚いて祝うんです。いつもは、それぞれの村で。でも今年は、みんな、ここに来たいって」
「ここ?」
「灯の家の前で、祭りをしたいって。一番明るい場所だから」
私はレジの中で、手を止めた。
一番明るい場所。
この店の前の、白い光の四角。その外側に、村の人たちが火を焚いて集まる。想像すると、少しだけ胸が熱くなった。
それから、背中が冷たくなった。
何人来るのか。何を買うのか。どれだけ用意すればいいのか。
足りなければ、せっかく来てくれた人が手ぶらで帰る。多すぎれば、売れ残りを捨てることになる。
◇
コンビニの店長の仕事の中で、一番大事で、一番難しいのが発注だ。
明日、何がいくつ売れるか。それを今日のうちに決めて、注文する。
昔の店は、ざっくり決めていたそうだ。おにぎりは三十個、パンは二十個、というふうに。でもそれでは、売れる日には足りず、売れない日には余る。
だから今のコンビニは、一つ一つの商品ごとに、売れる数を読む。
単品管理という。
鮭のおにぎりは何個。梅は何個。ツナマヨは何個。一品ずつ明日の天気と近所の行事、曜日と去年の同じ日の売れ方を見て決める。
ただし、数字を眺めるだけでは足りない。
明日は雨だから、傘が売れる。雨だから、お客さんは遠くまで歩かない。だから近所の人の朝ごはんが売れる。気温が下がるから、温かい飲み物が売れる。
そうやって、仮説を立てる。
発注して、翌日、本当に売れたかを確かめる。当たれば、その仮説を次も使う。外れたら、なぜ外れたかを考えて、仮説を直す。
仮説と検証。それを毎日、一品ずつ、何百品も繰り返す。
「仮説を外したら、どうなるんですか」
ラディカが聞いた。彼女はミルデの倉を町の人たちに任せて、ひと足先に店へ戻っていた。
「足りなければ、チャンスロス」
私は言った。
「お客さんが欲しかったのに、棚になくて売れなかった分。売り損ないのこと。帳簿には何も残らない。でも、お客さんの中には残る」
「多すぎたら?」
「廃棄ロス。売れ残って、捨てたもの。こっちは帳簿に残る。お金の損」
「どっちが悪いんですか」
「どっちも悪い。だから、真ん中を狙う」
私は、白紙の発注書を見下ろした。
◇
仮説の材料を集めた。
一つ目は、客層表だった。
この世界に来た最初の朝、私がメモ用紙に書いた表だ。縦に「人」「ひげの人」「耳の長い人」「その他」。横に「子ども」「若い」「大人」「お年寄り」。
あの日から四十日、一度も欠かさず、正の字を書き続けてきた。
ラディカに笑われた。三輪さんに呆れられた。ティルには、何のためにやるのか分からないと言われた。
その表を、全部机に並べた。
「店長、これ……」
ラディカが、目を丸くした。
四十枚の紙。正の字が、びっしり並んでいる。
「休みの日の昼は、子どもが多い」
私は、紙の一枚を指さした。
「村の休みの日。六日に一度。その日だけ、子どもの欄の正の字が三倍になる。買っていくのは、ほとんどが小さいおにぎりと、甘いもの」
「休みの日なんて、どうして分かるんですか」
「最初は分からなかった。でも、正の字が増える日が、六日ごとに来てた。ティルに聞いたら、その日が村の休みの日だった」
ティルが、私の後ろから表をのぞき込んでいた。
「……正の字って、そんなことまで分かるんですね」
「分かる。毎日書けば」
客層キーを押す指は、世界が変わっても止まらなかった。あの癖が、四十日分の記録になっていた。
二つ目は、伝票の灯数だった。
定時便が毎日持ち帰ってくる、村ごとの昨夜の灯の数。それを表に写したものを、ティルが自分の灯簿と並べてくれた。
「この十日で、灯が増えてる村があります」
ティルが、指でなぞった。
「北の三つの村。南の二つの村。灯油が届いたからだけじゃないです。人が増えてるんです。刈り入れの手伝いに、ほかの村から親戚が来てるから」
「親戚は、祭りにも来る」
「来ます。全員」
灯の数で、人の数を読む。
私は、数字を書き出した。北の三村で、灯が二十一増えている。一つの灯のまわりに、平均で四人。八十人以上が、よそから来ている。
三つ目は、グラシアさんの膝だった。
「寒波が来るよ」
グラシアさんは、店のカウンターの横で、自分の膝をさすりながら言った。
「三日後。祭りの夜にちょうどぶつかる。あたしの膝は、五十年外れたことがない」
「天気予報です」
ラディカが小声で言った。私は噴き出しそうになるのをこらえた。
でも、笑い事ではなかった。
寒い夜は、温かいものが売れる。冷たいおにぎりより、温かい汁物。冷えた体には、塩気と脂。
そして、祭りの夜は長い。
この世界の夜は、十九時間以上ある。祭りの火を焚いて、その周りで夜を過ごす。途中で腹が減る。一度ではなく、何度も。
◇
仮説を、紙に書いた。
『収穫祭の夜。寒波。来客、普段の四倍。うち子ども、普段の五倍。夜が長く、来店は一晩に二度か三度』
それを、一品ずつに落とした。
谷米のおにぎり。普段の大きさのものは、二倍。
子ども向けに、小さいおにぎりを新しく作る。普段の半分の大きさ。一つ銅貨二枚。数は、普段の大きいほうと同じだけ。
汁物を新しく作る。三輪さんに相談すると、谷米の粉でとろみをつけた根菜の汁を考えてくれた。木の椀で出し、椀は返してもらう。数は、来客の半分。
温めた羊の乳。フィナさんの羊から。
それから、灯油。祭りの夜は、皆が家に灯を残してくる。小分けの瓶を、普段の三倍。
「普段の四倍の人が来るのに、おにぎりは二倍なんですか」
ラディカが首をかしげた。
「寒いから。冷たいものより、汁物に流れる。その分を、汁物に回す」
「当たらなかったら?」
「当たらなかったら、なぜ外れたかを考える。次に生かす」
三輪さんが、腕を組んで発注書を見ていた。
「店長。汁物を、来客の半分か」
「はい」
「釜が足りねえ。女衆を倍にする。グラシアの婆さんの弟子も呼ぶ」
三輪さんは、それ以上何も言わなかった。
ただ、手ぬぐいを頭に巻き直して、粉挽き小屋のほうへ歩いていった。
◇
祭りの日の朝、店の前の空き地に、薪が山のように積まれた。
日が落ちる前から、人が集まりはじめた。ホロ村から、北の村々から、南の谷から。荷馬車で、徒歩で、子どもを肩に乗せて。
定時便の荷馬車も、この日は人を乗せて走った。ケトくんが、手綱を握りながら照れくさそうに笑っていた。
十四時二十六分。
日が沈んだ瞬間、グラシアさんの膝の言うとおり、冷たい風が森から吹き下ろしてきた。
吐く息が、白くなった。
ドルムさんが、薪の山に火を入れた。
ぱちぱちと、木のはぜる音。橙色の炎が、夜空に向かって伸びる。店の白い光と、焚き火の橙色の光が、空き地の上で混ざり合った。
森の縁で、夜喰いがうごめいていた。
でも、二つの光の中には、一歩も入ってこなかった。
◇
最初の波は、日没から一時間後に来た。
自動ドアが、ひっきりなしに開いた。
寒さに肩をすくめた人たちが、まっすぐ汁物の鍋に向かった。三輪さんが、木の椀に根菜の汁をよそう。湯気が、白く立ちのぼる。
「温かい」
最初の朝、缶コーヒーを握りしめた男と、同じ言葉だった。今度は、何十人もが口々に言っていた。
子どもたちは、小さいおにぎりの棚に群がった。一つ銅貨二枚。小さな手に、ちょうど収まる大きさだった。
「おねえさん、二つください!」
「わたしも!」
ティルがレジの横で、子どもたちの銅貨を受け取る手伝いをしていた。お金には触らせない約束だった。だから彼女は、子どもたちの前にしゃがんで、銅貨を数えるのを手伝っていた。一枚、二枚。数えて、子どもの手のひらに戻す。子どもが、それを私に渡す。
私は、客層表に正の字を書いた。
子どもの欄が、見る見る埋まっていく。
二度目の波は、真夜中の少し前に来た。
焚き火のまわりで踊って歌い、酒を飲んだ人たちがまた腹を減らして戻ってくる。今度は、大きいおにぎりが売れた。それから、灯油の小瓶。家に残してきた灯が、尽きかけているのだ。
三度目の波は、明け方近くだった。
眠い目をこすりながら、温めた羊の乳を買っていく人たち。
最後の一椀の汁物を買ったのは、フィナさんだった。
「最後ですよ」
三輪さんが言うと、フィナさんは目を丸くした。
「じゃあ、半分ずつにしましょう」
彼女は、汁物の椀を三輪さんに差し出した。
三輪さんは、一瞬きょとんとした顔をした。それから、照れくさそうに椀を受け取って、一口だけすすった。
◇
夜明けの九時三十四分。
祭りの火は、熾火になっていた。人々は、焚き火のまわりで毛布にくるまって眠っていた。
私は、店のストアコンピュータの前に座った。
祭りの夜の売上と、残った在庫を突き合わせる。
おにぎり、残り四個。
小さいおにぎり、残り二個。
汁物、残りゼロ。最後の一椀は、フィナさんと三輪さんで分けた。
羊の乳、残り一杯分。
灯油の小瓶、残り三本。
欠品した商品は、ない。品切れで帰ったお客さんも、いない。汁物は最後の一椀まで売れたが、最後のお客さんの前で売り切れたのではない。最後のお客さんが、最後の一椀を買った。
廃棄は、おにぎり六個と、乳一杯分。
それだけだった。
「……当たった」
私は、小さくつぶやいた。
ラディカが、後ろから画面をのぞき込んだ。しばらく黙って数字を見ていた。
それから、私の肩に額をつけた。
「店長。すごいです」
「私じゃない」
私は言った。
「グラシアさんの膝とティルの灯簿。御者さんたちが持ち帰ってくれた伝票と、四十日分の正の字」
言いながら、少しだけ、自分の声が揺れていた。
「全部、誰かが数えてくれた数だよ」
◇
祭りから三日のうちに、共同配送に加わりたいという村が一気に増えた。
噂を聞いた遠くの村から、村長が自ら歩いてきた。バルドさんのギルドに、新しい御者が集まった。ミルデの倉は、二つ目の仕分け場を作った。
北回り、南回りに、東回りと西回りが加わった。
十二の村が、二十四になり、四十になった。
そして、ある朝、バルドさんが店のカウンターに伝票の束を置いた。
「七十二だ」
彼は言った。
「今日から、七十二の村に便が通る」
七十二の村に、毎日荷が届く。灯油が届く。
闇に落ちかけていた村に、灯が戻りはじめた。
その夜、零時の精算を終えたとき、プリンターが鳴った。
【本夜の長さ 十九時間八分】
ティルが、レシートを両手で持った。
「最初の夜は、十九時間二十二分でした」
彼女の声が、震えていた。
「十四分。十四分も、短くなりました」
三輪さんが、バックルームから出てきた。手に、小さな湯呑みを持っていた。
祭りの夜に、ドルムさんからもらった果実の酒だった。三輪さんは、それを一口だけ飲んだ。
「十四分か」
「はい」
「工場で、ラインを一分縮めるのに、半年かかったことがある」
三輪さんは、湯呑みをカウンターに置いた。
「たいしたもんだ」
誰に言ったのか、分からなかった。
たぶん、全員にだった。
◇
その翌日だった。
定時便のオスカさんが、伝票の束と一緒に、一通の手紙を持ってきた。
「ミルデの出張所で、預かりました。店長宛てです」
厚い羊皮紙だった。真ん中を、赤い封蝋が留めている。
昇る太陽を、半分に切った形の紋章。
ティルが、息をのんだ。
「大司教様の、封蝋です」
私は、封を切った。
中の字は読めなかった。ティルが、指でなぞりながら、ゆっくりと読み上げた。
「灯の家の主、リツ・オノデラ。そなたの店の働きにより、北の村々の灯が戻りしこと、暁教会はこれを認む」
ティルの声が、一度止まった。
それから、続けた。
「よって、来たる満月の夜。王都の暁の祭壇にて、御用達の儀を執り行う」




