↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
コンビニごと異世界転生した深夜店長ですが、夜が明けないのは世界の帳簿が合わないせいらしいので、まずレジを締めます  作者: もしものべりすと


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
23/24

第二十三章 閉店

プラスの違算は、足りない違算より厄介だ。


足りないときは、探せばいい。トレーの隙間。床の上。打ち間違えたレシート。どこかに、なくなったものがある。


多いときは、違う。


レジの中に、あるはずのないお金がある。誰かが、受け取るはずだったお釣りを受け取らずに帰ったのだ。その誰かを見つけて、返さなければならない。見つからなければ、店はそのお金を預かったまま、ずっと合わない帳簿を抱えることになる。


帳簿外の灯。プラス一。


私は、レシートを見つめたまま、朝の店に立っていた。


◇


答えは、店の中にあった。


この店は、暁帳に載っていない。御用達の儀の夜に、オルドがそう言っていた。帳簿の外の灯だ、と。


三十一年前に日本で開いて、百十一日前にこの世界へ落ちてきた店。誰もこの世界の帳簿に書き込んでいない灯。


一万一千四百八十六の灯は、全部数えられた。全部が誰かの手で数えられた。割印を押され、暁帳に記された。


その外側に、一つだけ。


この店だけが、数えられていなかった。


「店長」


ラディカが、バックルームから出てきた。目の下に、薄い隈ができていた。誰も、まだ眠っていなかった。


「そのレシート、ずっと見てますね」


私は、レシートを彼女に渡した。


ラディカは、しばらくそれを読んでいた。それから、顔を上げた。


「……この店ですか」


「たぶん」


「返すんですか」


返す。


プラスの違算を消す方法は、一つしかない。持ち主に返すことだ。


この店の灯の持ち主は、誰だろう。


「店の灯は、商品が運んでる」


私は、棚を見ながら言った。


「営業中の灯は、レジに人がいて棚に商品があって、扉が開いてるとき。それで店が光る。でも、その光は棚の上で止まってるわけじゃない。お客さんが買った灯油は、村のランプになる。おにぎりは、誰かの夜食になる。灯は、商品と一緒に店の外へ出ていく」


ラディカが、うなずいた。


「出ていった灯は、もう店のものじゃない。村の灯だよ。灯守りが数えて、暁帳に載る」


「じゃあ」


「全部、売ればいい」


私は言った。


「棚の商品を、全部。店の灯を、全部村に渡す。そうしたら、帳簿の外には何も残らない」


ラディカは、しばらく黙っていた。


それから、小さな声で聞いた。


「売り切ったら、店はどうなるんですか」


私は、答えなかった。


答えは、二人とも分かっていた。


◇


閉店には、手順がある。


日本の店を閉めたとき、私は本部の担当者と一緒に何枚もの書類を書いた。


閉店日を決める。お客様に告知する。在庫を売り切るか、ほかの店に移す。最終日の売上を締める。レジの中の現金を数えて、本部に送る。釣銭の準備金を返す。鍵を返す。


店が消えても、帳簿は残る。


最後の一日まで、きちんと締める。それが、閉店だ。


「今日を、最終営業日にします」


私は、店の前に集まっていた人たちに言った。ラディカが、村の言葉にした。


ざわめきが、波のように広がった。


「閉店時刻は、今夜の二十四時。それまでに、棚の商品を全部お売りします」


ドルムさんが、前に出てきた。


「店がなくなるのか」


「はい」


「灯は、どうなる」


「皆さんが買った商品と一緒に、村へ行きます。灯守りの皆さんが数えて、暁帳に載せてくれます」


ドルムさんは、しばらく私を見ていた。


それから、太い腕を組んだ。


「なら、全部買う」


彼は、後ろを振り返って怒鳴った。


「聞いたか。全部だ。ホロの分は、ホロが買う」


◇


その日、店は人で埋まった。


ホロ村の人たち。谷の女衆。ミルデの荷運びたち。北回りと南回りの御者たち。噂を聞いた近くの村の人たちが、夜明けから次々にやってきた。


列は、駐車場をはみ出して森の小道まで続いた。


私はレジに立った。ラディカが隣で袋詰めをした。ティルが、列の整理をした。


「いらっしゃいませ」


銅貨二枚。灯油の小瓶。


「ありがとうございました」


銅貨二枚。干し肉。


「いらっしゃいませ」


レジを打つたびに、棚が一つずつ空いていった。


不思議なことが起きた。


商品が棚から消えるたびに、店の明かりが少しずつ弱くなった。そして、商品を抱えて店を出た人の手もとで、小さな灯がともった。


灯油の小瓶が、ほんのりと光っていた。おにぎりの包みが、手のひらの中で温かく光っていた。


店の灯が、村へ運ばれていく。


丘の上で、灯守りたちが数えていた。ティルの祖母と同じ、誰にも読まれなかった灯簿を抱えて。今日からは、読まれる灯簿を抱えて。


◇


昼を過ぎたころ、列の中に見覚えのある背中があった。


日に焼けた首。太い腕。泥のはねた古いシャツ。


鷺沼さんは、黙って列に並んでいた。


前の人が会計を済ませて、鷺沼さんの番になった。


彼は、レジ台に缶コーヒーを一本置いた。


日本から持ってきた、最後の一本だった。百日目に買い占められ、大締めの夜に鷺沼さんが伝票をつけて戻してきた三つの品の一つ。微糖の缶コーヒー。賞味期限は、まだ三か月残っていた。


「百三十円です」


私は、言いかけてから直した。


「銅貨三枚です」


鷺沼さんは、ポケットから硬貨を出した。


銀貨が一枚。


レジ台に、置いた。


私は、レジを打った。ドロアが開いた。銅貨を七枚取り出して、鷺沼さんの手のひらに載せた。


「お釣りです」


鷺沼さんは、手のひらの上の銅貨を見下ろした。


それから、ゆっくりと数えた。


一枚。


二枚。


三枚。


指先で、一枚ずつ。手のひらの上で、一枚ずつ脇へ寄せながら。


四枚。五枚。六枚。


七枚。


長い時間がかかった。


レジの列の誰も、急かさなかった。


鷺沼さんは、顔を上げた。


「……合ってる」


それだけ言って、七枚の銅貨を握りしめた。


缶コーヒーをつかんで、店を出ていった。


自動ドアの外で、彼は一度だけ立ち止まった。プルタブを開ける音がした。


私は、次のお客様に頭を下げた。


「いらっしゃいませ」


◇


夕方近く、戸板が列の横に運ばれてきた。


三輪さんだった。弟子の女衆が四人がかりで担いでいた。


「店長。日用品の棚に、まだあるか」


「何をですか」


「計量カップだ。プラスチックの、目盛りのついたやつ」


大締めの夜の便で戻ってきた日本の品の中に、一つだけあった。五百ミリリットルの、どこにでもある計量カップ。


三輪さんは、銅貨を二枚払った。それから、計量カップを若い女衆の手に押しつけた。昨日の昼に、水を量り忘れた女衆だった。


「お前にやる」


女衆は、目を丸くした。


「水は毎回量れ。俺がいなくなっても、量れ」


彼女は、計量カップを胸に抱えてうなずいた。カップの縁が、ほんのりと光っていた。


◇


日が沈んだ。


十四時。


昨日までなら、ここから十九時間を超える夜が始まった。今夜は、十四時間と少し。それでも、外はすぐに暗くなった。


店の明かりは、もう夕暮れの色になっていた。


棚は、ほとんど空だった。冷蔵ケースのガラスの向こうに、ぽつりぽつりと残った商品が見えるだけ。


二十時。


二十二時。


最後の灯油の小瓶が売れた。最後の干し肉が売れた。最後の電池が売れた。


二十三時十分。


鷺沼さんの荷馬車が、駐車場に入ってきた。今夜は、荷は積んでいなかった。空の荷台で、ただ店の前に止まった。


二十三時半。


定温の棚の一番前に、おにぎりが一つだけ残っていた。


谷米の、塩むすび。


列の最後に、ティルが並んでいた。


◇


ティルは、レジ台におにぎりを置いた。


それから、銅貨を三枚置いた。


どれも角の欠けた、古い銅貨だった。灯守りの家の、引き出しの奥にしまってあったものだという。


私は、おにぎりのバーコードを読み取った。


ぴっ、と音がした。


この店で、何万回と聞いてきた音だった。


「銅貨三枚、お預かりします」


ドロアが開いた。お釣りはなかった。


「ちょうど、いただきます」


私は、おにぎりを袋に入れようとした。


ティルが、首を横に振った。


「そのままで、いいです」


彼女は、おにぎりを両手で受け取った。


手のひらの中で、おにぎりがほんのりと光った。


この店の、最後の灯だった。


「店長」


ティルが、私を見た。


「わたし、最後のお客さんですか」


「うん」


「じゃあ」


ティルは、少し考えてから言った。


「ありがとうございました、って言ってください。いつもみたいに」


私は、背筋を伸ばした。


三年間毎晩、お客様に下げてきた角度で頭を下げた。


「ありがとうございました」


ティルは、笑った。


泣きながら、笑った。


◇


二十三時五十分。


棚は、空になった。


私とラディカは、レジの前に並んで立った。


最終精算。


ドロアを抜いて、カウンターの上に置いた。中身を、一枚ずつ数えた。


私が数える。ラディカが数え直す。


銅貨。銀貨。金貨。


ほかの日本の紙幣にまじって、一万円札が一枚まっすぐに伸ばして入っていた。閉店の夜の、本当の売上。


「一万円」


「一万円」


レジの精算キーを、押した。


プリンターが鳴った。


『最終精算』


『違算 なし』


私は、それを見つめた。


閉店の夜から、百十一日。


あの夜から抱えてきた違算を、ようやく締めることができた。


ラディカが、私の手の上に、自分の手を重ねた。


何も言わなかった。


◇


二十三時五十九分。


私は、レジ横のマイクを取った。


店内放送のスイッチを入れた。


空っぽの棚。夕暮れ色の明かり。開いたままの自動ドア。その外で、何百人もの人が光の四角を囲んでいた。


ホロ村の人たち。谷の女衆。御者たち。荷運びたち。グラシアさん。戸板の上の三輪さん。荷馬車にもたれた鷺沼さん。光の四角の縁に立つオルド。


おにぎりを抱えたティル。


隣に立つラディカ。


私は、息を吸った。


「ご来店中のお客様に、お知らせいたします」


ラディカが、村の言葉で同じことを言った。


「本日をもちまして、ヨアケマート東雲三丁目店は閉店いたします」


声が、少しだけ震えた。


「長いあいだのご利用、ありがとうございました」


時計の針が、重なった。


零時。


入店チャイムが、一度だけ鳴った。


ぴんぽーん。


三十一年間、何百万回と鳴ってきた音だった。


◇


最初に消えたのは、天井の明かりだった。


ふっと、ろうそくを吹き消すように。


それから、冷蔵ケースが。棚が。レジが。床のタイルが。


消えたのではなかった。


光の粒になって、ほどけていった。


細かな光の粒が、ゆっくりと夜空へ昇っていった。何百、何千、何万。蛍の群れのように森の上へ、丘の上へ、村々のほうへ散っていった。


私の手の中で、マイクが軽くなった。光になって、指のあいだからこぼれていった。


足もとの床が、なくなった。


気がつくと、私は土の上に立っていた。


草の匂いがした。


森のはずれの、ただの空き地だった。


駐車場も自動ドアも看板も、何もなかった。この世界で白い四角を落としてきた店は、どこにもなかった。


人々が、言葉もなく空を見上げていた。


光の粒は、もう見えなかった。


村々の窓に、灯がともっていた。


◇


私の右手に、何かが残っていた。


開いてみた。


検印だった。


日本から持ってきた、本物の検印。ヨアケマート東雲三丁目店と彫られた、使い込んだ朱肉の染みた印。ドルムさんが真似て彫った木の印ではなく、この世界に来る前から私のエプロンに入っていたほうだった。


それだけが、光にならずに残っていた。


私は、足もとを見た。


レジがあった場所の、土の上。


小さな四角いくぼみがあった。


ドロアの形をしていた。


三十一年間、毎晩、誰かがお金を数えてきた場所。


私は、膝をついた。


そのくぼみに、手のひらを当てた。


土は、まだ少しだけ温かかった。毎晩数えられてきた硬貨の重みが、そこに残っているようだった。


涙が、出た。


止まらなかった。


二十年間、レジの前で一度も泣かなかった。違算が出ても、怒鳴られても、自分の財布を開けるときも。


その全部の分が、いっぺんに出てきたみたいだった。


誰かが、隣にしゃがんだ。


ラディカだった。


彼女は、何も言わずに私の背中に手を置いていた。


長いあいだ、そうしていた。


やがて、私の涙が少し落ち着いたころ。


ラディカが、いつもの声で言った。


三年間、深夜のバックルームで何百回と聞いてきた、いつもの声で。


「店長、明日のシフト、どうしますか」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。