第二十二章 割印
最後の十三の村は、店の駐車場で受け取った。
ティルは、光の四角の端に立っていた。北の空を見上げて、遠い丘から届く光を一つずつ読んだ。
「ハルナ村。四十。四十」
ラディカが、灯簿に書きつける。
「コモリ村。八。八」
二十三時四十七分。
二十三時五十一分。
「イスカ村。ゼロ。ゼロ」
最後の光が、北の山の向こうから届いた。
ティルの指先が、受け取りの印を返した。それから、彼女は振り返った。
「百六十一。全部です」
ティルの指先の灯は、さっきより少しだけ大きくなっていた。
◇
レジの前に、三人で立った。
ラディカが、灯簿を開いて持った。ティルが、その横に立った。私は、レジのキーに指を置いた。
棚卸の入力は、日本の店でも二人でやる。一人が読み、一人が打つ。打ち終わったら、読んだ人が画面を見て確かめる。一人でやると、指が数字を一つ飛ばしても気づかない。
「ホロ村。九」
ラディカが読んだ。
私は打った。
「九。合ってます」
ティルが、画面をのぞいて言った。
「ナルカ村。三十一」
「三十一。合ってます」
「シルベ村。二百四」
私は打った。
「違います」
ティルが、すぐに言った。
画面には、二百十四と出ていた。私の指が、一を余計に押していた。
「……ごめん」
私は打ち直した。二百四。
「合ってます」
ラディカが、小さく笑った。
「店長でも、間違えるんですね」
「間違えるよ」
私は言った。
「だから、二人でやるの」
百六十一の村。百六十一の数。
店の外では、ホロ村の人たちが息を詰めていた。駐車場の端で、オルドと兵たちが松明を掲げていた。鷺沼さんは、空の荷馬車にもたれていた。
最後の数を、打った。
「イスカ村。ゼロ」
「ゼロ。合ってます」
私は、合計のキーを押した。
時計の針が、重なった。
零時。
◇
レジのプリンターが、鳴った。
いつもの精算レポートとは、紙の色が違った。薄い金色の紙が、ゆっくりと吐き出されてきた。
私は、それを手に取った。
『暁帳 大締め』
『理論値 三万百十二灯』
『実数 一万一千四百八十六灯』
『違算 マイナス一万八千六百二十六灯』
店の外が、どよめいた。
ラディカが、レシートの数字を村の言葉で読み上げたのだ。
一万八千六百二十六。
三百年分の、穴だった。
そのとき、オルドの後ろから一人の男が進み出た。黒い長衣の侍祭だった。
「でたらめだ」
侍祭は、声を張り上げた。
「村人が数えた数など、誰が信じる。灯守りなど、三百年前にいなくなった。闇の中で、好きな数を書いただけだ」
駐車場が、静まり返った。
私は、レジを出た。
レシートを手に持ったまま、自動ドアをくぐった。光の四角の中に立った。
「ドルムさん」
ドルムさんが、人垣から出てきた。手に、紙の半分を持っていた。ホロ村の数を書いた、二枚つづりの片方だった。坂を駆け下りて、持ってきてくれたのだ。
「フィナさん」
フィナさんが、もう片方を持って出てきた。村に残した半分だった。
私は、二枚の紙を侍祭の前で並べた。
紙の境目に押された、ドルムさんの彫った印。半円と半円が、ぴたりと合わさった。
一つの円になった。
「村の数は、二つに分けて持っています」
私は言った。
「数えた人と、受け取った人。片方ずつ。だから、どちらか一人が嘘をつけば、印は合いません」
私は、侍祭の胸の紋章を見た。
昇る太陽を、半分に切った形。
「暁帳の数には、片方しかありません。数えた人がいない。受け取った人もいない。教会が書いて、教会が持っているだけです」
侍祭が、口を開きかけた。
「片方だけの印は、ただの模様です」
◇
侍祭は、何も言わなかった。
かわりに、オルドが前に出た。
彼は、私の手の中の二枚の紙を見ていた。それから、ティルが胸に抱えている灯簿を見た。
焦げた角の、古い表紙を。
「……その表紙を、見せてもらえるか」
ティルは、ためらった。それから、灯簿をオルドに差し出した。
オルドは、松明の明かりに表紙をかざした。
おばあさんの字で書かれた、灯簿という文字。その下に、すり切れた模様があった。私も、何度も見ていた。ただの汚れか、飾りだと思っていた。
半円だった。
太陽の下半分。沈んでいく側の、半分。
オルドの指が、震えた。
「灯守りの印だ」
彼は、かすれた声で言った。
「古い記録で見たことがある。三百年前まで、暁帳は二つでひと組だった。教会が帳面を持ち、灯守りが数を持つ。教会の印は昇る陽の半分。灯守りの印は、沈む陽の半分。二つが合わなければ、帳主は締めを受け取らなかった」
彼は、自分の胸の紋章に手を当てた。
「私たちは、もう半分を捨てたのだ」
◇
レジの画面が、明滅していた。
金色のレシートの最後の行に、新しい文字が浮かび上がっていた。
【締め、保留。違算の原因を示せ】
私は、店の中に戻った。
レジの前に立って、オルドを振り返った。
「原因を、報告してください」
オルドは、動かなかった。
私は、エプロンのポケットからノートを出した。
表紙の角が丸くすり切れた、厚い大学ノート。
「先に、私の分を報告します」
私は、ノートを開いた。
声に出した。
「二十年間。違算を、自分の財布で埋めてきました。合計、四十一万三千二百円。原因は、私が数えなかったことです」
店の外で、ラディカがそれを村の言葉にした。
「閉店の夜の違算、五千円。原因は、一万円札の受け取り間違い。ドロアのトレーの隙間に落ちていました。お客様には、お返ししました」
鷺沼さんが、荷馬車のそばで顔を上げた。
私はノートを閉じた。
「これで、私の分は全部です」
オルドを見た。
「あなたの分を、お願いします」
◇
オルドは、長いあいだ立ち尽くしていた。
六十一歳の大司教の、白い長衣の裾が、夜風に揺れていた。
やがて、彼は兵の一人に手を伸ばした。兵が、革の鞄を差し出した。
中から出てきたのは、分厚い帳面だった。
黒い革の表紙。金の留め金。暁帳の、村ごとの台帳だった。
オルドは、光の四角の中に入ってきた。レジの前の台に、暁帳を置いた。留め金を外した。
最初の頁を開いた。
「ナギ村」
彼は、読んだ。
「暁帳の数、百二十。二百十年前、夜喰いに呑まれる。以後、記載を改めず」
声が、震えていた。
「廃棄として、記す」
廃棄登録。
売れなくなった商品を、帳簿から正式に外すことだ。期限が切れた。傷んだ。壊れた。そういう商品を、なかったことにはしない。廃棄として、数と理由を記録する。損は損として残る。でも、帳簿と棚の数は合う。
隠すのではない。失ったと、認めるのだ。
オルドは、次の頁をめくった。
「トウマ村。暁帳の数、八十。百六十年前、夜に呑まれる。廃棄として、記す」
「ホロ村。暁帳の数、六十。実数、九。差の五十一を、訂正として記す」
ホロ村の人たちが、ざわめいた。
オルドは、読み続けた。
呑まれた村。数を偽った村。告示だけが残って、誰も住んでいない村。一つずつ、名前と数と年を読み上げた。読み上げるたびに、レジの画面の理論値の数字が、一つずつ減っていった。
二万九千。
二万六千。
二万一千。
店の外で、誰かがすすり泣いていた。自分の祖父の村の名前を、聞いたのかもしれなかった。
一万五千。
侍祭が、いつのまにか膝をついていた。オルドの背中を見上げたまま、両手を握り合わせていた。
三輪さんの声が、戸板の上から聞こえた。
「量ってやがる」
誰に言うともなく、三輪さんはつぶやいた。
「三百年ぶりに、量ってやがる」
一万二千。
オルドの指が、最後の頁で止まった。
彼は、ティルを見た。
「シラ村」
ティルの肩が、跳ねた。
「暁帳の数、四十。六十二年前、夜喰いに呑まれる」
オルドは、そこで一度、言葉を切った。
「……灯守りの家の娘が一人、生き延びて、ホロ村に移ったと記録にある」
ティルが、灯簿を胸に抱きしめた。
「おばあちゃんの、村です」
小さな声だった。
「おばあちゃんが七つのとき、夜に呑まれたって。おばあちゃん、一度も帰れなかったって」
オルドは、ティルに向かって深く頭を下げた。
「廃棄として、記す」
それから、顔を上げた。
「この村から逃れた娘が、ホロ村の灯を三十年、数え続けたことも。記す」
◇
レジの画面の数字が、止まった。
理論値、一万一千四百八十六。
実数、一万一千四百八十六。
違算、ゼロ。
プリンターが、もう一度鳴った。
今度の紙は、白かった。夜明けの空のような、まっすぐな白だった。
【締め、承認。繰越、消去。本夜 十四時間五分】
私は、その紙を両手で持った。
ラディカが、私の肩越しにそれを読んだ。それから、村の言葉で叫んだ。
駐車場が、爆発したような声に包まれた。
十四時間五分。
日が沈んだのは、十四時だった。
夜明けは、四時五分。
あと四時間で、朝が来る。
ホロ村の人たちが、抱き合っていた。谷の女衆が、泣きながら笑っていた。グラシアさんが、膝をさすりながら空を見上げていた。三輪さんの戸板のまわりに、弟子の女衆が集まっていた。
ティルは、灯簿を抱いたまま、レジの横に座り込んでいた。
私は、その隣にしゃがんだ。
「店長」
ティルが言った。
「おばあちゃんの数、読まれました」
「うん」
「ちゃんと、誰かに読まれました」
私は、ティルの頭に手を置いた。
それしか、できなかった。
オルドが、暁帳を閉じた。
金の留め金をかけ、両手で持ち上げた。それから、ティルの前に立った。
「灯守りの職を、戻す」
オルドは言った。
「百六十一の村に、一人ずつ。数えた数を、教会が受け取る。受け取ったら、割印を押して半分を返す。灯守りには、教会が手当を払う」
ティルは、首を横に振った。
「お金は、要りません。読んでもらえれば、それで」
「払ってください」
私は、口をはさんだ。
ティルが、驚いた顔で私を見た。
「数えるのは、仕事だよ。夜通し丘に立って、寒いなかで数える。それはただの親切じゃない。仕事には、お代を払うの」
三輪さんの言葉を、思い出していた。俺がいなくても回るようにしたのが、俺の仕事だ。
仕事は、誰かの財布で黙って埋めるものではない。帳簿に載せて、払うものだ。
オルドは、ゆっくりとうなずいた。
「払おう。暁帳に記して」
◇
誰も、帰らなかった。
駐車場の光の四角のまわりに、人々は座り込んで東の空を見ていた。グラシアさんが温めた羊の乳が、椀から椀へ回された。谷米のおにぎりが、一つずつ配られた。
レジは、ラディカが打った。銅貨一枚。銅貨二枚。精算はきちんと、あとで二人でする。
四時五分。
東の森の上が、白くなりはじめた。
灰色ではなかった。
白だった。それから、薄い桃色。それから、金色。
木々の梢の向こうから、細い光の線が一本、まっすぐに伸びてきた。
駐車場の石の上に、私の影が落ちた。
長い、長い影だった。
この世界に来てから、初めて見る朝焼けだった。
◇
朝の光の中で、鷺沼さんが店の入口に立っていた。
光の四角の縁で、オルドと向かい合っていた。
「大司教様よ」
鷺沼さんが言った。
「俺の屋敷に、木箱が積んである。この店から買い占めた荷だ。米は腐った。だが灯油と干し肉は、まだ使える」
オルドは、黙って聞いていた。
「王都の屋敷から運び出して、消された三十の村に配る。次の便でだ」
鷺沼さんは、ポケットから伝票の控えを出して振ってみせた。
「伝票を書いて、検品して、割印をもらってな。俺は運送屋だ。運ぶだけだ」
オルドは、ゆっくりとうなずいた。
「布告は、取り下げよう」
鷺沼さんは、ふんと鼻を鳴らした。それから、私のほうを見た。
「店長。明日の便の伝票、書いとけ」
「はい」
私は、立ち上がった。
レジの前に戻ると、プリンターがまた小さく鳴っていた。
白いレシートの、さらに下。
今まで見たことのない一行が、刷り出されていた。
【帳簿外の灯 プラス一】
私は、その文字を見つめた。
違算は、ゼロのはずだった。
でも、それとは別に。
帳簿の外に、灯が一つ。
多い。
違算は、足りないときだけに出るものではない。多すぎるときにも出る。レジの中のお金が、売上より多い夜。それも違算だ。
多い分は、誰かのものだ。
誰かに、返さなければいけないお釣りだった。




