第七話 飯を食うための作業機
乾いた棚が、そこだけ薄く明るくなる。
まだ芽はない。
葉もない。
赤い実もない。
それでもカイには、一瞬だけ見えた。
透明ドームの下に、緑の棚が並ぶ。
赤いトマトが揺れる。
誰かが食堂から塩を持ってきて、勝手に一つもぐ。
「……盗むなよ」
『まだ発芽していません』
「分かってる」
ガンツたちは黙って見ていた。
天井のカメラアイも、静かに動いた。
『農業区 D-1、試験栽培を記録します』
「記録しなくていい」
『生活維持記録です』
「トマトだぞ」
『トマトも食料です』
「まあ、そうだけど」
カイは掌に残った土を見た。
土。
宇宙船の中に土がある。
そのことが、少し変だった。
会社の床に土はなかった。
整備ドックにも土はなかった。
あったのは油、冷却液、焦げた配線、誰かの怒鳴り声。
土は黙っている。
黙って、何かを待っている。
カイは土のついた指を、作業服で拭かなかった。
その時、農業区の非常灯が赤く変わった。
『警告』
ノアの声が、天井スピーカーから響いた。
『外部作業ドローン三機、農業区破損ドームへ接近』
壁の表示板に、外殻の映像が出た。
割れた農業ドームの外側。
黒い宇宙。
そこへ、小型の無人作業ドローンが三機、ゆっくり近づいている。
腕の先に切断工具。
腹部に回収コンテナ。
船体表面へ張りつき、装甲や透明ドーム材を剥がすタイプだ。
ガンツが舌打ちした。
「回収屋の自動ドローンだ。主船が逃げる前に置いていったんだろ」
「何をする気だ」
「あの割れたドームの透明装甲を剥がす。高く売れる」
「困る」
カイは表示を見た。
ドローンは、さっき種を植えたドームの隣へ向かっている。
近い。
切断工具を使えば、振動が来る。
ドームの亀裂が伸びる。
水循環の仮復旧も、照明レールも、今植えた種も、全部危ない。
『防衛砲の起動が可能です』
ノアが言った。
「撃つな」
『理由を確認します』
「破片が飛ぶ。ドームに当たる」
『了解しました』
ガンツが腕を組んだ。
「じゃあ、作業艇で追い払うしかねえな。ただ、間に合わねえ。小型艇ドックはまだ動かねえ」
「港湾クレーンは?」
「動かねえよ。港湾管制が落ちてる」
「手動端子は」
「右舷上段の奥に補助格納庫がある。そこに古い保守端子が残ってるかもしれねえ。ただ、起動できる機体がいる」
「案内しろ」
「今からか」
「今から」
「ドローン、あと十分で張りつくぞ」
「なら急ぐ」
◇
第三補助格納庫は、右舷港湾区上段の奥にあった。
入口幅は百二十メートル。
高さ六十メートル。
外部ハッチは半開き。
気密シャッターの右下に、作業艇一隻分の隙間がある。
入口表示はかすれていた。
《AUXILIARY HANGAR 03》
《第三補助格納庫》
中は暗い。
カイが手動灯を点けると、灰色の金属床が見えた。
中央に白い着艦ライン。
二本の磁気固定レール。
古い油染み。
凍った冷却液の白い膜。
天井には三本のクレーンレール。
床から二十メートル上に、巨大なフックが止まっている。
奥に、それはいた。
全高二十メートル弱。
片膝をついた作業キャリアーだった。
右肩は別機体の装甲。
左腕は長すぎる作業腕。
胸の外装は剥がれ、古い整備番号だけが残っている。
頭部センサーは片側が割れていた。
腰の後ろには、太い保守ケーブルの束。
武器はない。
砲もない。
剣もない。
装甲も薄い。
背中の保守端子ユニットだけは残っていた。
カイの目が少しだけ速く動いた。
「ノア、こいつの記録」
『港湾整備用旧式キャリアー。正式名称、AUX-MAINTENANCE CARRIER TYPE 47-B LONG ARM SUPPORT VARIANT』
「長い」
『略称登録はありません』
「じゃあ、パッチワーカー」
『理由を確認します』
「つぎはぎだらけだから」
『登録しました。個体名、パッチワーカー』
「本当に登録するなよ」
『登録済みです』
名前がついた。
もう遅い。
名前がつくと、機械は少しだけ捨てにくくなる。
カイは奥壁右側の制御盤へ走った。
幅三メートル。
高さ二メートル。
割れた黒い表示板。
手動ブレーカー十二本。
赤い保護カバー付きスイッチ六個。
ケーブル差込口八個。
旧式診断ポート。
横に手動ハンドル。
物理スイッチがある。
素晴らしい。
物理スイッチは偉い。
画面上の承認ボタンは、サーバーが落ちていたら終わりだが、物理スイッチは押せば動く。
壊れていなければ。
壊れている場合も多い。
しかし、目に見えるだけましである。
「ドローン、あと何分」
『農業ドーム接触まで、六分四十秒』
「間に合う」
カイは診断ケーブルを制御盤へ差し込んだ。
割れた表示板の右半分に、青白い文字が走る。
《PATCHWORKER LINK CHECK》
《主電源:停止》
《補助電源:残存》
《右膝関節:固着》
《左肩駆動:出力低下》
《保守端子ユニット:応答あり》
「よし」
『機体状態は不良です』
「保守端子が返事した」
『その他の不良項目が多すぎます』
「返事したなら使える」
『推奨しません』
「俺も推奨はしない」
ガンツが制御盤を覗き込んだ。
「おい、こいつは歩けねえぞ。右膝が噛んでる」
「歩かせない」
「じゃあどうする」
「巨大なリモコンにする」
カイはパッチワーカーの背部ケーブルを引き出した。
太い。
重い。
表面は硬化している。
内部線は生きている。
ガンツが息を飲んだ。
「それ、港湾の旧式保守端子か」
「そう」
「今どき誰も使わねえぞ。認証が面倒だし、反応が遅い」
「遅いだけなら使える」
「普通は使えねえ」
「普通じゃなくていい」
カイはケーブルを制御盤の旧式ポートへ押し込んだ。
入らない。
端子の角が歪んでいる。
「くそ」
カイは配線カッターを取り出し、外装の歪んだ部分を削った。
ガンツが目を剥いた。
「おい、端子を削るな!」
「刺さらない」
「規格が崩れるだろ!」
「もう崩れてる」
削る。
押し込む。
固定リングを無理やり回す。
手首に力を入れる。
がちん、と音がした。
刺さった。
《NOAH AUX-LINK》
《港湾保守系、部分接続》
《接続機体:パッチワーカー》
その下に、見慣れない黒い行が一瞬だけ混じった。
《外部防衛補助系:応答なし》
《背部接続ポート:封鎖中》
「今、黒いの出たぞ」
『港湾保守系、部分接続』
「話を戻すな」
『港湾保守系、部分接続』
「また隠したな」
ノアは答えなかった。
パッチワーカーの背中で、古いケーブル束が一本ずつ光った。
首のない機械が息を吸うように、胸の奥で補助電源が唸る。
右膝は動かない。
左肩も限界に近い。
格納庫の床が反応した。
港湾クレーンが反応した。
コンテナレールが反応した。
機体が動いたのではない。
艦の手足が、パッチワーカーを通して動いた。
『接続を確認しました。ただし安定性は低いです』
「三分もてばいい」
『農業ドーム接触まで、三分十秒』
カイは制御盤の前に立った。
表示される港湾区の図は欠けている。
右舷港湾区。
上段ドック。
磁力レール。
貨物コンテナ。
外壁作業クレーン。
隔壁。
ロックアーム。
生きている設備は少ない。
ゼロではない。
「ノア、ドローンの進路を出して」
『表示します』
青白い線が走る。
三機のドローンは、破損ドームの外側へ一直線に向かっていた。
カイは港湾区上段の貨物レールを見た。
コンテナが一つ、外壁作業口の近くに残っている。
古い空コンテナ。
磁力固定が半分しか効いていない。
扉は開いたまま。
「ガンツ、あのコンテナ、使えるか」
ガンツは表示を見た。
「磁力レールが生きてればな。けど、ドローンの進路からズレてる」
「動かす」
「港湾レールは曲がってる。まっすぐ滑らねえぞ」
「途中で止まる?」
「止まる。たぶん右へ流れる」
「じゃあ右へ流れる前提で押す」
カイはパッチワーカー経由で、貨物レールに電力を流した。
格納庫の奥で、片膝をついた旧式キャリアーの片目が青く点いた。
背中の保守ケーブルが震える。
遠く、港湾区の外壁側で、巨大な貨物レールが鳴った。
ぎ、ぎぎ、ぎぎぎ。
空コンテナが動き出す。
十メートル。
二十メートル。
三十メートル。
途中で右へ流れた。
「ほらな!」
ガンツが叫ぶ。
「知ってる」
カイは別のレールに通電した。
コンテナの右側だけが持ち上がる。
斜めに滑る。
外壁作業口の前へ出る。
ドローン三機が、農業ドームへ近づく。
『接触まで、五十秒』
「クレーン」
『外壁作業クレーン、応答不安定』
「構わない」
『破損リスクがあります』
「壊れたら後で直す」
外壁の巨大クレーンが、ゆっくり首を振った。
長さ百メートル以上の作業腕が、黒い宇宙の中で動く。
ドローン三機のセンサーが反応し、散開しようとする。
その進路上へ、空コンテナが滑り込んだ。
カイは隔壁ロックを解除した。
「閉じろ」
『コンテナ扉、半自動閉鎖』
空コンテナの扉が動いた。
一機目が入る。
二機目が入る。
三機目が逃げようとした。
ガンツが叫んだ。
「右! 右に逃げる!」
「ノア、磁力床」
『局所磁力、三十パーセント』
「五十」
『五十パーセント』
三機目の姿勢が崩れた。
小さな機体が、外壁に腹を擦る。
そのまま、コンテナの中へ滑り込んだ。
扉が閉じる。
がん、と音がした。
『外部作業ドローン三機、捕獲』
カイはトリガーから指を離した。
「撃つと直す場所が増える」
格納庫が静かになった。
ガンツも、若い男たちも、誰も喋らなかった。
青白く光るパッチワーカーの片目だけが、薄暗い格納庫の奥で点いている。
ガンツが、ようやく口を開いた。
「……お前、今、二十メートルの作業機をリモコンにして、百メートル級クレーンと貨物レールを手動で噛ませて、ドローン三機を箱に入れたのか」
「そう」
「図面は」
「見てない」
「シミュレーションは」
「してない」
「なんでできる」
「レールが右に流れるって言っただろ」
「俺が言っただけだぞ」
「じゃあ、お前も役に立った」
ガンツは顔をしかめた。
「そこじゃねえ」
若い男がぽつりと言った。
「兄貴、俺ら、あれに主砲向けたんですか」
「黙れ」




