第六話 元海賊たちを拾う
食堂裏の補修区画では、焦げたフィルタと油受けが床に並んでいた。
それなら、少しだけましである。
「ガンツ、そのフィルタ持ってろ」
「これか」
「違う。そっちは油受けだ。触るな。悲惨になる」
「先に言え」
「見れば分かるだろ」
「分からねえから聞いてんだ」
ガンツは文句を言いながらも、手は動いた。
若い男たちも、床の埃を掃き、破損した配膳レールを端へ寄せ、落ちたパネルを壁際に積んでいく。
こいつらは本物の略奪者ではない。
カイはそう思った。
無罪ではない。
襲ってきたのは事実だ。
主砲を向けたのも事実だ。
手つきが現場の人間だった。
物を持ち上げる時、どこが曲がるか見る。
配管を踏まない。
割れたパネルの角を通路側へ向けない。
重いものを置く前に、床の沈みを確かめる。
それをする人間は、完全な悪党にはなりきれない。
完全な悪党は、あとで直す人間のことを考えない。
「起動する」
カイは五号機の電源を入れた。
調理機の奥で、低いモーター音がした。
表示が点く。
《MENU RESTORE MODE》
《保存食材確認中》
《長期航海用・精神安定メニュー》
《不足傾向:塩味/温感/咀嚼感》
《推奨メニュー:野菜スープ/焼き穀物パン/発酵豆ステーキ》
「咀嚼感」
カイは表示を見た。
『長期航海では、噛む行為の減少が精神疲労を増やします』
「噛むの、大事なんだな」
『はい』
「発酵豆ステーキは?」
『咀嚼感を優先した保存食材です』
「ステーキではないだろ」
『名称は心理的満足度に影響します』
「言い方で乗り切ろうとしてるな」
『否定はしません』
宇宙は広い。
『保存食材の品質は安全基準内です。ただし嗜好性は保証できません』
「ひどいことを言うな」
『事実です』
「出してくれ」
『調理開始します』
水が流れる。
熱が入る。
古いコンベアがぎこちなく回る。
金属の腕が保存食材のパックを切り、鍋へ落とす。
匂いが出た。
食べ物の匂いだった。
カイは固まった。
栄養ペーストの薄い甘さではない。
合成プロテインの紙みたいな匂いでもない。
温かいスープの匂い。
配膳窓が開いた。
白いトレーが出てくる。
スープ。
パン。
発酵豆ステーキ。
小さな塩の袋。
地味である。
湯気が出ていた。
湯気。
風呂に続いて飯まで湯気を出す。
文明とは湯気なのかもしれない。
「それ、俺らにも出るのか」
ガンツが言った。
「捕虜だぞ」
「捕虜にも腹はある」
「名言みたいに言うな」
「腹がなかったら捕虜じゃなくて死体だ」
「それはそうだけど」
『現在の保存食材で、二十一名分の簡易食を提供可能です』
ノアが言った。
「捕虜にも?」
『栄養状態は作業安全に影響します』
「だそうだ」
ガンツは笑った。
「いいAIだな」
『ありがとうございます』
「礼を言われた」
「言う」
「すげえな。うちの補助AIは警告しか言わなかった。しかもだいたい遅い」
「それはAIじゃなくて壊れたアラームだ」
トレーが次々と出てくる。
ガンツたちは、おそるおそる受け取った。
壁際のベンチに座り、スープを飲む。
最初に黙ったのはガンツだった。
カイもスープを飲んだ。
舌に塩が乗った。
次に、煮えた野菜の甘さが来た。
その奥に、乾燥豆の重さがあった。
最後に、熱が喉を降りて、胃の底で広がった。
うまい。
いや、たぶん高級料理ではない。
豆も多い。
パンも少し硬い。
発酵豆ステーキは、どう考えてもステーキではない。
かなり豆である。
これは粉ではなかった。
ペーストでもなかった。
噛むものがあり、飲み込むものがあり、腹の中から温まる飯だった。
カイは二口目を飲んだ。
その時点で、銀河外縁造船への忠誠心は完全に消えた。
もともと薄かったが、念入りに消えた。
ガンツの後ろでは、若い男がパンを噛んで泣いていた。
「兄貴……これ、人間の飯です」
「泣くな。まだ一口目だ」
「塩がします」
「そりゃ塩の袋ついてる」
「違うんです。ちゃんと塩です」
別の男がスープ皿を両手で持ったまま、天井を見上げていた。
「湯気って、こんな匂いでしたっけ」
「知らねえよ」
「俺、飯の湯気、久しぶりです」
「黙って食え。冷めるぞ」
ガンツも黙っていた。
スープを飲む。
パンを噛む。
豆ステーキを見て、少し迷う。
結局食う。
そして、低い声で言った。
「……これ、毎日出るのか」
「食材が尽きなければ」
「三食か」
「作業するなら三食」
ガンツの後ろで、若い男が膝をついた。
「兄貴」
「立て。飯の途中で膝をつくな」
「俺たち、ここを襲ったんですよね」
「黙れ」
「なのに飯が出るんですよね」
「黙れ」
「風呂も入れるんですよね」
「黙れ」
「俺、ここで働きたいです」
ガンツは少し黙った。
それから、低く言った。
「順番を間違えるな。まず謝れ」
若い男はスープ皿を持ったまま、カイの方へ向き直った。
「すみませんでした」
「皿を置いてから謝れ。こぼす」
「はい」
カイは匙を止めた。
「勘違いするな」
ガンツたちがカイを見る。
「汚いまま作業されると、床も工具も汚れる。腹が減っていると事故る。寝てない奴は判断を間違える。だから飯と風呂と寝床を出す。それだけだ」
ガンツは黙ってカイを見た。
「……それを、人間扱いって言うんだよ」
「違う。作業安全だ」
「いや、人間扱いだ」
「作業安全だ」
「本物のボスってのは、こういうこと言うのか」
「言ってない。俺はボスじゃない」
『暫定管理者です』
「ノアも余計なことを言うな」
『事実です』
食堂の照明が、一本だけ安定して点いた。
長いテーブルの上に、白い湯気がいくつも並ぶ。
誰かがスープをすする音がする。
誰かがパンを割る音がする。
誰かが小さく、うまい、と呟く。
それだけで、ここは少しだけ廃墟ではなくなった。
カイは空の皿を見た。
自分が食べた跡がある。
誰かが食べた跡がある。
人がいた跡がある。
それは、主砲よりもずっと生活に近かった。
◇
『カイ』
食堂の湯気がまだ残っている頃、ノアが声をかけてきた。
「ん」
『第一農業区、気密確認が完了しました。ドーム二本は破損。一本は限定運用可能です』
カイは匙を止めた。
「土は?」
『培地棚、二十七パーセント使用可能。水循環は要修理。照明は仮復帰可能です』
「行く」
カイは立った。
ガンツがパンをくわえたまま目を丸くした。
「今からか」
「今から」
「飯の途中だぞ」
「冷めても食える」
「お前、巨大艦拾って最初にやるのが風呂で、次が飯で、その次が畑か」
「悪いか」
「いや」
ガンツは食堂を見た。
湯気の出るスープ。
列に並ぶ元海賊。
青白く光るノアの表示。
まだ壊れている配膳窓。
「いいと思う」
第一農業区は、アーク・ノアの背中側にあった。
外から見れば、かまぼこ型の透明ドームが六本並んでいる区画である。
二本は割れていた。
一本は外殻ごと抉られ、黒い宇宙が見えている。
もう一本は透明装甲に長い亀裂が走り、内部の培地棚が崩れている。
使えるのは、いちばん内側の一本だけだった。
カイが気密扉を開けると、青白い非常灯が床を照らした。
長い棚が並んでいる。
棚の上には乾いた培地。
天井には照明レール。
散水管は何本も外れ、床に転がっていた。
壁際の水循環タンクには、斜めにひびが入っている。
植物はなかった。
植物が生えるための場所はあった。
それだけで、カイの胸が少しざわついた。
「水は」
『水循環タンクに亀裂。現在のままでは散水不能です』
「塞ぐ」
『補修材が不足しています』
「浴場で外した古いシール材を使う。飲料ラインじゃない。初期散水ならいける」
『衛生基準は低下します』
「種が駄目になるよりまし」
『了解しました。農業区 D-1、限定散水モードへ移行準備』
カイはタンクの前にしゃがんだ。
工具箱を開ける。
古いシール材を取り出す。
亀裂の周囲を削る。
油分を拭く。
補修材を押し込む。
ガンツたちも来ていた。
なぜ来たのかは分からない。
飯を食ったあと、ぞろぞろついてきた。
捕虜というより、腹を満たした野良犬である。
ただし、工具の扱いは悪くなかった。
「その棚、起こせるか」
「おう」
「支柱が曲がってる。根元を叩いてから上げろ」
「分かってる」
「分かってる叩き方じゃない」
「うるせえな。元下請け整備士だぞ」
「元下請け整備士なら、なおさら丁寧にやれ。雑な仕事は後で自分の首を絞める」
ガンツが変な顔をした。
「お前、会社で嫌われてただろ」
「なぜ分かる」
「言うことが正しくて腹立つ奴の言い方だ」
「悪かったな」
「褒めてる」
「褒め方が悪い」
カイは胸ポケットに手を入れた。
小さな袋がある。
トマトの種。
宇宙港の売店で買った、安い家庭菜園用の種だった。
カイが最後に生のトマトを食べたのは、二年前だった。
宇宙港の売店で、傷物の小さなトマトが三つ、透明パックに入っていた。
値引き品だった。
その日のカイは三十六時間勤務の帰りで、手は冷却液臭く、胃は合成プロテインで重かった。
ドックの端の休憩ベンチに座って、ひとつ噛んだ。
皮が破れて、ぬるい汁が舌に出た。
青臭くて、酸っぱくて、少し甘かった。
うまい、というより、生きている味がした。
その時だけ、カイは自分がまだ機械ではないと思えた。
端末は鳴った。
すぐ戻れ、と表示が出た。
カイは残り二つを食べる時間もなく、透明パックを工具箱に押し込んだ。
戻ってきた時、トマトは潰れていた。
赤い汁が工具箱の底に広がり、絶縁テープの端が濡れていた。
カイはそれを見て、少しだけ立ち尽くした。
怒るほどのことではなかった。
ただの安いトマトだった。
でも、その時に思った。
いつか、自分で育てた赤いやつを、誰にも呼ばれずに食べたい。
だからトマトだった。
高級食材ではない。
記念品でもない。
ただの野菜である。
カイにとっては、合成プロテインの反対側にあるものだった。
自分が機械ではないと確認するための、小さな赤い証拠だった。
カイは袋を開けた。
小さな種が、掌に落ちる。
こんな小さいものを植えるために、全長二十キロの艦を直している。
あほか。
と思った。
同時に、悪くない、とも思った。
カイは培地に指で穴を作った。
小さな種を置く。
土をかぶせる。
水を少しかける。
天井の照明レールが、一本だけ赤みを帯びて点いた。
同じころ、外縁係留線の監視画面で、小さな船影が速度を落とした。




