第四十八話 責任とは、見られることも含む
監査がまったくないと、今度はもっと面倒な連中が来る。
帝国保護領にする。
軍事接収する。
商業凍結する。
危険資産として封鎖する。
未登録居住体として処理する。
処理。
またその言葉である。
バベルの赤い表示にも、同じ文字が出ていた。
処理。
その後に砲門が開いたことを、カイは覚えていた。
学びたくなかった。
◇
レオン・ヴァルトは、焼けた艦首で来た。
いや、本人の艦首が焼けたわけではない。
帝国旗艦〈グラン・ヴァルト〉の艦首装甲が、バベルの余波で焼けていたのである。
白灰色の装甲が黒く焦げている。
青い帝国軍ラインが途中で溶けている。
艦首下の制式主砲は沈黙している。
艦橋周辺の新しい白装甲にも、細い亀裂が走っている。
それでも艦は難民船の前から退かなかった。
その焼けた艦から、レオンの通信が入った。
『カイ・ミナト』
「今、飯食ってる」
『知っている』
「知ってるなら後にしろ」
『後にすると、君は配管を見に行く』
「お前ら、なんで俺の行動を読むんだよ」
『読みやすい』
「腹立つな」
レオンは画面の向こうで、いつものように背筋を伸ばしていた。
白灰色の司令官服。
金色階級線。
白手袋。
灰青の目。
焼けた艦首の中にいても、姿勢だけは乱れない。
嫌なほど軍人だった。
『銀河登録網から、外部監査設定の照会が来ている』
「来てるな」
『帝国は、アーク・ノアの軍事接収を当面主張しない』
食堂がざわついた。
当面。
この言葉がまた嫌である。
書類の期限欄には、細い空白が残っていた。
後で揉める余地がある。
今は重要だった。
『ただし、バベル停止、航路灯ネットワークへの影響、アーク・イヴの存在、アーク・アダム形成機能。これらを完全な無監査にすることはできない』
「だろうな」
『外部監査官を置く必要がある』
「誰がやる」
カイは聞いた。
答えはだいたい分かっていた。
分かっていたので嫌だった。
レオンは少し沈黙した。
『私がやる』
「嫌だ」
『即答か』
「お前、見逃さないって言う時の顔が怖い」
『見逃さないためにやる』
レオンは端末を開いた。
画面の向こうで、薄い監査書類が何枚も重なっている。
航路灯。
アーク・イヴの防衛判断。
アーク・アダムの形成条件。
港湾受け入れ基準。
医療区の優先順位。
農業区の登録。
元海賊労働班の監視記録。
最後の紙だけ、食堂と浴場が軍事評価対象外として赤線で囲まれていた。
「最後の二つ、いるか」
『いる。君が言った条件だ』
「言ったけど、文字になると嫌だな」
『責任は文字になる』
「最悪だ」
『そうだ』
そこだけは、また意見が合った。
「お前、硬い」
『監査官は硬い方がいい』
「風呂の湯加減にも口出ししそうだ」
『それは管轄外だ』
《浴場防衛設定に関する外部監査は拒否します》
イヴの黒い表示が割り込んだ。
「お前は黙れ」
『私は、アーク・ノアを帝国の持ち物にはしない』
レオンは言った。
食堂がまた静かになった。
『同時に、アーク・ノアが銀河全体に対して無責任な力であることも放置しない。私は帝国軍人として、外から見る。命令するためではない。見逃さないためだ』
「監視じゃねえか」
『そうだ』
「言い切るな」
『ごまかしても仕方がない』
カイは椀を置いた。
少し考えた。
考えるのは嫌いではない。
こういう政治っぽいことを考えるのは嫌いだった。
配線なら目で見える。
焦げていれば焦げている。
切れていれば切れている。
接触が悪ければ揺らせば分かる。
だが政治は違う。
見た目はきれいな線でも、中で腐っている。
承認印が押されていても、人が死ぬ。
規約に従っていても、風呂と食堂と畑を焼く。
だから嫌いだ。
「条件がある」
カイは言った。
『聞こう』
「風呂と食堂と畑を、軍事価値で評価するな」
『承知した』
「難民船を障害物扱いするな」
『承知した』
「ガンツたちを、元海賊だからって即排除するな。監視と補償労働は残す。だが働いてるやつには飯を出す」
『承知した』
「セリアの補給ルートに余計な上司を噛ませるな」
セリアが一瞬、カイを見た。
レオンも、その意味を理解した。
『可能な限り守る』
「可能な限り、は嫌いだ」
『軍人として、それ以上は言えない』
「だろうな」
カイは椅子の背に沈みかけて、すぐ戻った。
「あと、俺を王とか代表とか艦長とかにするな」
『登録上、責任者は必要だ』
「整備主任でいい」
『全長二十キロ級居住地の最高責任者を、整備主任と表記するのか』
「だめか」
『前例がない』
「アーク・アダムにも前例ないだろ」
『……そうだな』
レオンは、少しだけ目を伏せた。
『では、暫定整備責任者』
「長い」
『アーク・ノア居住地暫定整備責任者』
「もっと長くなった」
『公的登録とはそういうものだ』
「最悪だな」
『そうだ』
そこだけは、妙に意見が合った。
そこで終わらなかった。
『カイ・ミナト』
「まだ何かあるのか」
『君はいま、居住地を運用する責任を引き受けると言った』
「言ったな」
『ならば、外部監査を嫌いだから拒否する、という選択はできない』
「嫌なところを突くな」
『責任とは、見られることも含む』
食堂が少し静かになった。
レオンの声は冷たかった。
勝ち誇ってはいなかった。
『私は君を王として認めない。アーク・ノアを無監査の独立軍事拠点としても認めない。だが、居住地として運用するというなら、私はその運用を外から見る』
「命令するためじゃないって言ったな」
『命令するためではない。見逃さないためだ』
「同じくらい嫌だな」
『そうだろう』
カイは、机の端に置いた工具箱を見た。
考えるのは嫌いではない。
こういう話は、やはり配管より面倒だった。
「なら、条件追加」
『聞こう』
「監査するなら、風呂と食堂と畑も見ろ。武装と炉心だけ見るな。ここの安全は、主砲の向きだけじゃ決まらない」
『承知した』
「港湾区で働いてるやつの名前も見ろ。元海賊って分類だけで終わらせるな」
『承知した』
「子どもがどこで飯を食ってるかも見ろ。書類の人数だけ見るな」
『承知した』
レオンは、一つずつ答えた。
どれも簡単な承諾ではなかった。
逃げなかった。
焼けた艦首の通信映像の中で、レオンは一度も視線を外さなかった。
『その代わり、君も記録を残せ。現場で直したものを、君の頭と工具箱の中だけにしまうな』
「最悪だ」
『責任を引き受けるとは、そういうことだ』
「最悪だな」
『そうだ』
また、そこだけは意見が合った。
レオンは通信を切る前に、一度だけ食堂を見た。
焦げトマトのスープ。
欠けた椀。
子どもの湯飲み。
ガンツの大きすぎる手。
セリアの補給端末。
ノアの青白い予定表。
イヴの黒い防衛経路。
どれも軍事教本には載らない。
監査対象だった。
レオンはそれを認めた。
認めた上で、なお外に立つ。
中に入って同じ椀を持てば、見えなくなるものがある。
彼の役目は、そこではなかった。
◇
話が終わった。
終わったはずだった。
終わらなかった。
ノアの青白い予定表が、カイの前に広がった。
『カイ、食後二十分後に入浴。入浴後、医療区。医療区後、睡眠です』
イヴの黒い表示が、その横に重なった。
食堂の奥で、第一通路の隔壁が半分閉じた。
続いて第二通路の床に、黒い防衛リングの薄い影が走る。
浴場入口の上にも、小さな黒い輪が投影された。
「風呂に行くだけで作戦名をつけるな」
『睡眠時間は八時間必要です』
《睡眠中の死亡率を下げます》
「だから寝室を要塞にするな」
そこへ、セリアが鍋を持って割り込んだ。
「その計画では、食後の温かい余韻が消えます」
『余韻』
黒い輪が、湯気の上で一度だけ小さく揺れた。
「防衛対象ではありません。食事の一部です」
セリアは、焦げトマトのスープに香辛料を一振りした。
湯気の匂いが変わった。
焦げた皮の苦味が少し丸くなり、トマトの酸味が前へ出る。
食堂にいた何人かが、鼻を動かした。
ノアの予定表が一秒止まった。
イヴの防衛経路も一秒止まった。
「……うまい」
カイが言った。
セリアは小さく勝った顔をした。
「数字だけでは、飯はおいしくなりません」
『食事満足度、上昇』
《香辛料:防衛備蓄候補》
「備蓄にしないでください」
《精神維持物資として登録》
「それは私が言う言葉です」
ノアは浴場の湯温を戻している。
イヴは寝台の固定リングを強化している。
セリアは鍋に香辛料を足している。
三つとも、ありがたい。
非常にありがたい。
ただ、全部いっぺんに来ると、人間は少し疲れる。
冷却材も香辛料も持ってきてくれる。
ありがたい。
ありがたいが、多い。
カイは椀を持ったまま停止した。
ノアの予定表が右に出る。
イヴの防衛経路が左に出る。
セリアの補給表が正面に出る。
「俺は荷物か」
『重要管理対象です』
《重要防衛対象です》
「患者です」
「悪化してる」
カイは椀を置いた。
右手は痛い。
食堂は騒がしい。
外ではまだラブラブビームと言っている。
食堂ロボは記念メニュー名を出し続けている。
ノアは寝ろと言い、イヴは守ると言い、セリアは食べろと言う。
全部ありがたい。
ありがたいが、多い。
「カイ」
リナが、湯飲みを置いた。
リナは、カイの右手ではなく、顔を見ていた。
ただのお茶だった。
栄養効率表示もない。
防衛対象表示もない。
香辛料も入っていない。
メニュー名もない。
精神維持物資とも書かれていない。
補給表にも載っていない。
銀河ネットのタグもついていない。
少し薄い。
少し熱い。
でも、湯気が立っている。
「飲む?」
「……飲む」
カイは左手で受け取った。
ノアが何かを表示しかけた。
イヴも何かを分類しかけた。
セリアも何かを言いかけた。
誰も言わなかった。
カイはお茶を飲んだ。
うまい、というほどではない。
特別でもない。
ただ温かい。
それが、今は一番よかった。
「薄いな」
カイは言った。
リナがむっとした。
「じゃあ濃くする」
「濃くすると苦い」
「じゃあ練習する」
「なら検討」
「やった」
弟が横でトマトの種を数えている。
一粒。
二粒。
三粒。
四粒。
リナは、その横に紙を置いていた。
子どもの名前。
食堂の席。
怖がる警報音。
好きな具。
畑で数えたトマトの数。
正式な書類ではない。
次に警報が鳴った時、誰をどこへ呼べばいいか分かる紙だった。
「それ、何ですか」
カイが聞いた。




