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社畜整備士、廃棄宙域で全長二十キロの変形する家を拾う  作者:


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第四十九話 アーク・ノア居住地、運用開始

「迷子を減らすやつ」


「端末でやれば」


「端末、警報の時に赤くなるから嫌がる子がいる」


「……なるほど」


 リナは少しだけ得意そうにした。


「紙なら、赤くならない」


 リナの弟が、その紙の端を指で押さえた。


 警報灯の赤は、そこには映らない。


 ノアも、イヴも、セリアも、黙っていた。


 湯気だけが、机の上で細く揺れている。

 紙の申請書は白いまま、端末も赤くならない。


 カイにはありがたかった。


 何も押しつけてこない湯気。


 赤くならない紙。


 そういうものも、居住地にはいる。



 食堂に、また人が集まった。


 窓の外は暗く、椅子を引く音だけが遅れて響いていた。


 普通なら寝る時間だった。


 誰も完全には寝られなかった。


 バベルが止まり、巨大な白黒のアーク・アダムが立ち、ハート型の光が旧時代殲滅要塞の心臓を抜いた後だった。

 公開チャンネルがラブラブビームの切り抜きで燃えた後である。


 寝ろと言われて寝られるほど、人間は単純ではない。


 単純な人間もいる。


 ガンツは少し寝ていた。


 椅子で。


 首を後ろに倒して。


 いびきをかいて。


 だが登録確認と聞いて起きた。


「俺は起きてた」


「いびきかいてたぞ」


「港を守った疲れだ」


「七回目」


「七回目じゃねえ。寝言だ」


 もうどうでもいい。


 食堂端末の前に、カイが立った。


 セリアは補給端末を持っている。

 リナは弟の肩に手を置いている。

 リナの紙から写した席順と避難導線が、食堂端末の横に挟まれていた。

 弟は眠そうだが、目だけ開けている。

 元海賊たちは壁際にいる。

 難民代表もいる。

 医療船の看護員もいる。

 港湾作業員もいる。

 レオンは通信画面越しにいる。

 外部監査官として接続された、最低帯域の臨時通信枠だった。

 ノアの青白いホログラムが配膳口横に立っている。

 イヴの黒いホログラムが、その隣に立っている。


 白い管理人。

 黒い防衛者。


 その間に、焦げトマトのスープ鍋がある。


 絵面がおかしい。


 しかし、この食堂ではだいたいおかしい。


《住民自治登録画面》

《対象:ARK-NOAH》

《旧分類:未登録超大型艦》

《暫定分類:危険資産》

《申請分類:居住地》


《住民自治:承認》

《外部監査:設定》

《軍事接収:否認》

《商業凍結:解除》

《農業区:生活基盤》

《食堂:共用施設》

《医療区:必要施設》

《学校区:必要施設》

《港湾区:公共接続口》

《防衛対象:NOAH'S HOME》

《緊急形成体:ARK-ADAM/防衛時限定》

《暫定整備責任者:KAI MINATO》

《外部監査官:LEON VALT》

《補給統括:CERIA VALTLINE》

《港湾作業代表:GANZ》

《避難誘導代表:RINA》

《AI共同管理:NOAH/EVE》


《分類:居住地》


《最終承認しますか》


 カイは、承認文の長さに目を細めた。


 長い。


 とにかく長い。


 名前が多い。

 責任が多い。

 区画が多い。

 承認が多い。

 人生において承認ボタンはだいたい嫌なものである。


 押すと仕事が増える。

 押さなくても仕事が増える。


 どうせ増える。


 なら、増える仕事の名前くらい、自分たちで決めた方がいい。


「なあ」


 カイは食堂を振り返った。


「これでいいのか」


 誰に聞いたのか、自分でも分からなかった。


 全員に聞いた。


 誰でもない誰かに聞いた。


 リナの弟が言った。


「畑、残る?」


「残る」


「風呂は?」


「共同浴場として開ける」


「食堂は?」


「飯が出る」


「学校は?」


「開ける」


「じゃあいい」


 早い。


 子どもは早い。


 大人が千行の規約で迷うことを、四つの質問で片づける。


 畑。

 風呂。

 食堂。

 学校。


 四つの答えで、食堂の何人かがうなずいた。


 大人の規約より先に、子どもの確認が通った。


 難民代表が言った。


「医療区の利用枠は」


 セリアが答えた。


「重症度と搬送順、物資残量を公開した上で割り当てます。優先順位は隠しません」


 医療船の看護員がうなずいた。


 港湾作業員が言った。


「係留費は?」


 ガンツが答えた。


「金がある船から取る。難民船からは取らねえ。代わりに作業できるやつは手を貸せ」


「雑だな」


「港は雑じゃないと回らねえんだよ」


 レオンが通信越しに言った。


『外部監査官として、港湾規約の文書化を求める』


「お前が書け」


 ガンツが即答した。


 レオンは一瞬黙った。


『……補助はする』


「補助じゃねえ。書け。俺はワイヤー巻く」


 カイは少し笑った。


 レオンが書類を書く。

 ガンツがワイヤーを巻く。

 セリアが補給表を作る。

 リナが避難路を見る。

 ノアが食堂と風呂と居住区を見る。

 イヴが外を見る。

 カイが壊れたところを見る。


 悪くない。


 分業である。


 分業は大事だ。


 一人に全部乗せると、ブラック企業になる。


 カイはそれを知っている。


 知りすぎている。


 だから、一人で王になる気はなかった。


「ノア」


『はい』


「お前はどうだ」


『私は、居住地を守ります』


「イヴ」


《はい》


「お前は」


《NOAH'S HOMEを守ります》


「閉じ込めずに」


《閉じ込めずに》


「難民船を盾にせずに」


《盾にせずに》


「寝間着を装甲にせずに」


《再検討》


「そこは承認しろ」


《……承認》


 ノアの青白い光が少し揺れた。


 笑ったようにも見えた。


 イヴの白い瞳は相変わらず無表情だったが、黒い翼の表示が一瞬だけ小さく畳まれた。


 照れているのかもしれない。


 分類不能である。


 セリアが言った。


「カイさん」


「なんだ」


「押してください」


「俺が?」


「暫定整備責任者です」


「嫌な肩書きだな」


「でも、王より似合っています」


「褒めてるのか」


「はい」


「なら、もっといい言い方をしろ」


「無理です」


 カイは端末を見た。


 承認ボタン。


 青い枠。

 白背景。

 公的登録画面。

 派手ではない。


 こういう画面は、たいてい何かを奪うためにある。


 責任を押しつける。

 権限を奪う。

 資産を凍結する。

 人を未登録扱いにする。


 今回は違う。


 少なくとも、違うように使う。


 道具は使い方である。


 レンチで人は殴れる。

 レンチで配管も直せる。

 承認画面で人を縛れる。

 承認画面で居場所を作ることも、たぶんできる。


 できなかったら直す。


 それだけである。


 カイは右手を出そうとした。


「痛い」


 出した瞬間、痛かった。


 忘れていた。


 いや、忘れてはいない。

 痛みが黙っていただけである。


 痛みはこういう時、急に発言する。


 空気を読まない。


『左手での承認を推奨します』


「左で押すと、なんか負けた気がする」


《右手保護を優先》


「お前ら、こういう時だけ正論を言うな」


 セリアが、カイの左手側に端末を少し動かした。


 何も言わない。


 ただ、動かした。


 カイはため息をついた。


 左手で押した。


《最終承認》


 画面が、一度だけ白く光った。


《登録完了》

《分類:居住地》

《ARK-NOAH HABITAT》

《アーク・ノア居住地》

《運用開始》


 食堂が静かになった。


 ほんの一秒。


 二秒。


 三秒。


 銀河ネットなら、ここで爆発する。


 食堂は、爆発しなかった。


 誰かが、椀を置いた。


 かん、と鳴った。


 誰かが拍手した。


 ぱち、という小さい音。


 それが増えた。


 ぱちぱち。


 ぱちぱちぱち。


 拍手は小さかった。


 皿を持ったままの手があり、眠そうに遅れて叩く手があり、包帯の巻かれた手もあった。


 疲れている。

 眠い。

 腹は少し満ちている。


 それでも、何かしないと落ち着かない。


 だから拍手だった。


 ガンツは照れくさそうに鼻を鳴らした。


「居住地か」


 元海賊が言った。


「俺ら、居住者?」


「監視付き港湾労働者だ」


 カイが言った。


「言い方!」


「事実だろ」


「もうちょっと温かく言え」


「飯付き監視付き港湾労働者」


「飯が付いただけじゃねえか」


「風呂も付く」


「ならいいか」


 いいのか。


 いいらしい。


 リナの弟が、登録画面を見上げた。


「ここ、家?」


 カイは少し迷った。


 居住地。

 公的登録。

 外部監査。

 住民自治。

 防衛条件。

 公共接続口。


 いろいろ言葉はある。


 子どもに返す言葉は一つでよかった。


「そうだな」


 カイは言った。


「家だ」


 ノアの青白い光が、食堂の天井灯に細く走った。


 イヴの黒い表示が、食堂入口の警戒枠を少しだけ下げた。


 セリアが、焦げトマトのスープをもう一杯よそった。


 ガンツが、自分の椀を出した。


「俺も」


「自慢七回目の罰で後ろ」


「だから七回目じゃねえ!」


 食堂が笑った。


 笑い声は大きくない。


 壁に当たって、天井に当たって、白い照明の下で少しだけ残った。


 それはアーク・ノアの中で鳴った。


 全長二十キロの居住地の、へこんだテーブルの並ぶ食堂で鳴った。


     ◇


 食堂の掲示板に、新しい紙が貼られた。


 手書きだった。


《アーク・ノア居住地 運用開始》


 その下に、さらに手書きの予定表が貼られている。


 食堂照明の本修理。

 風呂配管の交換。

 農業区D-2の棚修復。

 焦げトマト畑の植え直し。

 港湾係留アームの補強。

 アーク・アダム使用後の外装点検。

 食堂ロボの記念メニュー審査。

 ラブラブビーム命名問題の処理。

 カイの生活最適化計画の一時凍結。

 イヴによる寝室防衛レベル上げすぎ問題。

 ノアとイヴの共同管理規約。

 セリアの香辛料保管庫、要ロック強化。

 リナのお茶、食堂正式メニュー化検討。


 国家登録より、修理予定の方が多い。


 カイは、その予定表を見た。


 ため息をついた。


 スープを飲んだ。


 リナのお茶も飲んだ。


 少し薄い。


 温かい。


 壁面テレビでは、まだ専門家が胸部照射の解析をしていた。


《専門家:この制御を再現するには、通常なら惑星規模の研究施設が必要です》

《コメント欄:でも本人は旧規格が悪いって言ってた》

《コメント欄:覇王の責任転嫁》

《コメント欄:ラブラブビーム公式化まだ?》


「閉じろ」


『閉じます』


 ノアがテレビを消した。


 食堂が少し静かになった。


 皿を重ねる音が残った。

 椅子を引く音も残った。

 弟が種を数えている。

 ガンツがまだ何か言いかけて、元海賊に口を塞がれている。

 セリアが補給表を修正している。

 レオンから港湾規約の草案が届いて、ガンツが嫌な顔をしている。

 イヴは食堂入口の防衛レベルを下げたり上げたりしている。

 ノアはそれを静かに戻している。


 うるさい。


 面倒だ。


 でも、悪くない。


 夜が過ぎる。


 アーク・ノア居住地の最初の夜が過ぎる。


     ◇


 次の朝。


 食堂の白い天井灯は、まだ少しちらついていた。


風呂配管は、まだ交換されていなかった。

 農業区D-2の棚も、まだ曲がっていた。

 港湾係留アームの補強も、これからだった。

 食堂ロボの記念メニュー審査は、すでに嫌な予感しかしなかった。

 ラブラブビーム命名問題は、銀河ネット上で勝手に悪化していた。


 それでも朝は来た。


 カイは掲示板を見た。


 掲示板の一番下には、誰かが小さく書き足していた。


《明日、焦げトマト畑を植え直す》


 明日。


 よい言葉である。


 昨日まで死ぬかもしれなかった場所に、明日がある。


 カイは工具箱の持ち手に指をかけて、一度だけ止めた。


 白い天井灯の下で、掲示板の紙が少し揺れていた。


 それから、工具箱を持った。


『食堂照明が先です』


 ノアが言った。


《寝室防衛レベル調整が先です》


 イヴが言った。


「畑だ」


 カイは言った。


「トマトがないと、次のスープが作れない」


 セリアが補給端末を操作した。


「では、補給表も畑優先で組みます」


 ガンツが手を上げた。


「土運ぶぞ」


 リナが言った。


「子どもたちも手伝う」


 弟が種を握った。


「俺、数える」


「頼む」


 カイは言った。


 それから、食堂の白い天井灯を見上げた。


 ちらついている。


 明日直す。


 たぶん。


 いや、直す。


 ここはもう、ただの廃棄艦ではない。


 国家登録でもない。

 軍事拠点でもない。

 王の城でもない。


 風呂があり、食堂があり、畑があり、港があり、医療区があり、学校区があり、面倒な住民がいて、もっと面倒なAIが二隻いて、補給士官が香辛料を守り、元海賊が港を守り、子どもがトマトを数える場所。


 アーク・ノア居住地。


 運用開始。


 銀河を止めても、風呂は詰まる。

 旧時代殲滅要塞を黙らせても、食堂の冷蔵庫は鳴る。

 ラブラブビームでバベルの心臓を抜いても、トマトの苗は勝手には育たない。


 カイは工具箱を肩にかけた。


 ため息をついた。


 リナのお茶を飲み干した。


 銀河より畑の方が終わらない。


 それが、アーク・ノア居住地の最初の朝だった。

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