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社畜整備士、廃棄宙域で全長二十キロの変形する家を拾う  作者:


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第四十二話 巨神アーク・アダム、立つ

 バベル第三射が来た。


 来た、という言い方は軽い。


 荷物が来た。

 苦情が来た。

 督促が来た。

 上司が来た。


 そういう「来た」と同じ言葉で、全長数十キロの旧時代殲滅要塞が吐いた航路焼却光線を語っていいのか。


 よくない。


 だが来たものは来た。


 赤白い光が、宇宙に線を引いた。


 線。


 違う。

 線ではない。

 あれは、役所が宇宙に巨大な取消線を引いているようなものだった。


 ここからここまで不要。

 この居住区、不要。

 この港、不要。

 この医療区、不要。

 この食堂、不要。

 この風呂、不要。

 この畑、不要。

 この人間たち、不要。


 そういう顔をした光だった。


 最悪だった。


 その光の前で、白いアーク・ノアと黒いアーク・イヴが噛み合い始めていた。


《ARK ADAM EMERGENCY FORMATION》

《形成進行》

《居住区慣性保護》

《医療区重力固定》

《農業区D-2棚固定》

《食堂鍋固定》

《食堂冷蔵庫固定》

《学校区私物棚固定》

《子ども用カップ保持》

《浴場水圧制御》

《港湾係留補助》

《未登録挙動、多数》


「多数って言うな。全部言え」


『全部言うと、カイの聴覚処理が詰まります』


「じゃあ言うな」


《未登録警告:九百四十二万件》


「言うなって言っただろ!」


 カイ・ミナトは、パッチワーカーの操縦席で叫んだ。


 パッチワーカーは英雄機ではない。


 つぎはぎの旧式作業キャリアーである。

 武装はない。

 装甲も薄い。

 あるのは保守端子と、三股接続爪と、焦げたケーブルと、まだ動くという最悪の信頼だけだった。


 まだ動く。


 この言葉ほど、整備士を苦しめる言葉はない。


 まだ動くなら、やるしかない。


 カイは右手で操縦桿を握った。


 痛い。


 冷却シートの下で、指先がじくじくしている。

 痛みは礼儀正しくなっただけで、帰宅したわけではなかった。

 まだいる。

 居座っている。

 家賃を払え。


『右手使用制限を再提案します』


「却下」


《カイ・ミナト損傷率上昇》


「俺の損傷率より鍋を見ろ」


『鍋は固定済みです』


「冷蔵庫は」


『固定率八十一パーセント』


「低い!」


《冷蔵庫保護は防衛優先度として低》


「お前、戦後に冷えた食材がなくなった時の人間を知らないだろ」


《未知》


「暴動だぞ」


《再評価》

《冷蔵庫:防衛対象》


「よし」


《学校区私物棚:防衛優先度低》


「低くない」


《兵装なし》


「帰ってきた子どもが、自分のカップを探す」


《カップ:戦闘継続に寄与しません》


「生活継続に寄与する」


《生活継続》

《再評価》

《学校区私物棚:防衛対象》

《子ども用カップ:保持》


「よし」


 宇宙では、全長二十キロの白い艦が折り畳まれていた。


《居住区格納》

《港湾区折畳》

《医療区固定》

《食堂照明維持》

《浴場水圧維持》

《農業区D-2、トマト棚固定》

《イヴ外骨格展開》

《黒翼展開》

《防衛リング背部移行》

《ノア中枢炉、同期許可》

《イヴ中枢炉、同期受諾》


「待て。最後の二つ、重いぞ」


『止まりません』


《止まりません》


 止まらなかった。


 アーク・ノアと黒い剣は、もう命令を待っていなかった。


 ノアの白い船体が、巨大な骨格を作る。

 居住区が胸部の奥へ沈む。

 港湾区が胸部下へ滑り込む。

 医療区の重力制御が硬く固定される。

 農業区の透明ドームが、白い装甲の内側へ引き込まれる。


 食堂。

 風呂。

 学校区。

 補給倉庫。

 難民船収容区。

 学校区の私物棚。

 名前の書かれたカップ。


 ただの区画ではなかった。

 それらはもう、ノアという居住艦の臓器だった。


 その臓器を、白い胸の奥へ抱え込む。


 一方、イヴの黒い船体は分解されていく。


 黒い外殻が、巨大な装甲片に分かれる。

 六枚の黒い翼が展開する。

 防衛リングが背中へ回り、巨大な光輪になる。

 黒い装甲が、ノアの白い外側へ重なる。

 両腕に、イヴの防衛火力が集中する。

 脚部に、ノアの可変艦フレームとイヴの推進装甲が噛み合う。


 白い巨艦に、黒い剣が重なっていく。


 黒い剣。


 言葉だけなら格好いい。


 だが実際には、その中に風呂が入っている。


 剣の中に風呂。

 剣の中に食堂。

 剣の中に畑。

 剣の中に、リナの弟が数えているトマト。


 おかしい。


 ものすごくおかしい。


 強いものはだいたいおかしい。

 正しいだけのものは、会議で負ける。

 おかしいものだけが、バベルみたいなもっとおかしいものに殴り返せる。


     ◇


 帝国旗艦〈グラン・ヴァルト〉の艦橋窓が、黒くなった。


 故障ではない。


 影だった。


 アーク・アダムの膝から下だけで、旗艦の視界が塞がっていた。


 副官が息を呑む。


「司令……」


 レオン・ヴァルトは答えなかった。


 答えられなかった。


 白い胸部装甲。

 黒い外骨格。

 背中に浮かぶ巨大な防衛リング。

 宇宙の星を隠す六枚の黒い翼。

 胸の奥には居住区。

 その奥には食堂。

 その中には、鍋。


 帝国の教本には載っていない。


 巨大兵器。

 移民艦。

 居住区。

 防衛艦。

 自治領。

 軍事拠点。


 どの分類も、目の前の巨人には小さかった。


 副官が、古い記録を検索する。


「該当記録、ありません」


「旧帝国機密記録は」


「該当なし」


「神話分類は」


「司令、神話分類は正式資料では」


「今は正式資料より現実の方がふざけている」


 副官は黙った。


 正しかった。


 現実がふざけている時、人は資料に逃げる。

 だが資料もなかった。


 バベルの赤い照準リングが、一瞬だけずれた。


 要塞の方が、巨人の出現を測り損ねた。


 航路灯が、アーク・アダムの影を受けて一斉に白く瞬いた。


 通信異常ではない。

 測距異常でもない。


 航路灯ネットワークが、白黒の巨人を一瞬、艦ではなく地形として誤認したのである。


《対象分類:構造物》

《対象分類:移動要塞》

《対象分類:不明》


 分類が揺れた。


 銀河の古い目が、目の前の巨体を測り損ねていた。


     ◇


 難民船三番の窓に、小さな子どもが額をつけていた。


 外が見えない。


 さっきまで星があった。

 赤い航路灯があった。

 バベルの照準線があった。


 いまは、白い壁と黒い翼しか見えない。


「空がない」


 子どもは言った。


 宇宙に空はない。

 その子にとって、窓の外にあったものは空だった。


 その空を、白黒の巨人が覆っていた。


 巨体が、空を隠していた。


     ◇


 ガンツは、ラスト・フックの操縦席で口を開けていた。


 ワイヤーを巻く手が止まっている。


「おい……なんだ、あれ」


 元海賊の一人が言った。


「巨大ロボだろ」


「見りゃ分かるわ」


「じゃあ聞くなよ」


「風呂つきか?」


「たぶん」


「畑も?」


「胸の中に入った」


「じゃあ家じゃねえか」


「家が立ったな」


 誰かがそう言った。


 家が立った。


 この言葉は、普通なら新築の話である。


 木材。

 基礎。

 屋根。

 玄関。

 近所への挨拶。


 そういう話である。


 いま立ったものは全長四十キロだった。

 背中に黒い翼があった。

 バベル第三射を受けようとしていた。


「家って、立つとこんな怖いんだな」


 ガンツは言った。


 誰も否定しなかった。


     ◇


 銀河ネットに映っているアーク・アダムは、肉眼で見た映像そのものではなかった。


 帝国艦隊の重力波観測。

 難民船の窓際カメラ。

 航路灯の監視記録。

 ノアが公開した防衛ログ。

 イヴの黒い防衛リングが残す熱痕。


 報道AIが、それらを無理やり一枚の映像にしている。


 だから、実際より派手に見える。


 そして、実際より分かりやすく誤解される。


 近傍宙域では数秒遅れ。

 遠方ではさらに遅れて、切り抜きと要約で届く。


 見ている者はいた。


 避難船の食堂モニター。

 帝国艦隊の副画面。

 港湾作業員の端末。

 監査局員の公開ログ画面。


 銀河ネットは、最初だけ沈黙した。


 一秒。


 二秒。


 三秒。


 それが限界だった。


《待て》

《白い方が畳まれて、黒い方が外骨格になってる》

《合体?》

《胸部に居住区反応。食堂も医療区も生きてる》

《風呂は?》

《浴場水圧ログ出てる》

《農業区D-2、胸部格納》

《畑を胸に抱いてる》

《それはもう兵器じゃないだろ》

《住めそう》

《居住艦が立った》

《中の全員が怒ってる》


 そこでコメント欄は追いきれなくなった。


 あとは、誰かが勝手に叫んでいた。


 カイは見ていない。


 見ている暇がない。


 彼の画面には、もっとひどい警告欄が出ていた。


《右脚部推進同期ズレ》

《左膝部慣性補正不足》

《胸部居住区揺動》

《食堂冷蔵庫追加固定要求》

《風呂区画湯面警告》

《農業区D-2トマト棚再固定》

《イヴ翼部戦闘姿勢移行》

《ノア居住区保護優先要求》

《アーク・アダム未登録挙動警告》


「お前ら全員、列に並べ!」


 ログは並ばない。


 社会性がないからである。


 白い胸に居住区を抱き、黒い翼で星を隠し、両腕に防衛火力を巻いた巨人が、バベルの赤い光の前に立った。


 それがアーク・アダムだった。


 兵器ではない。

 王でもない。


 家が、剣を着て立っていた。


 誰も撃たなかった。


 帝国艦隊も。

 元海賊も。

 難民船も。

 銀河ネットも。


 バベルでさえ、一瞬だけ照準を取り直した。


 その一瞬の沈黙が、アーク・アダムの大きさだった。



 バベル第三射が、アーク・アダムに当たった。


 当たった、というのも軽い。


 赤白い光が、黒い防衛リングにぶつかる。

 防衛リングが開く。

 黒い翼が宇宙を切る。

 白い巨腕が前に出る。


 光が割れた。


 割れた。


 バベルの光が割れた。


 観測画面の中で、一本の赤い線が二つに裂ける。


 コップでも、せんべいでもない。

 それでも、割れたように見えた。


 黒いリングが焼却軸を左右へ裂き、白い腕がその裂け目を押し広げる。


 その背後で、食堂の照明は消えなかった。

 風呂の湯はこぼれなかった。

 医療ベッドはずれなかった。

 トマト棚は折れなかった。

 鍋も落ちなかった。


 食堂で、誰かが鍋の蓋を押さえていた。


「落ちてない!」


 浴場では、老人が洗面器を両手で持っていた。


「湯、残ったぞ」


 医療区では、看護員がベッドの固定具を叩いた。


「ずれてない。次」


 農業区では、リナの弟が、トマト棚の下から顔を出した。


「一列、生きてる!」


 港湾区では、難民船三番から短い通信が来た。


『窓、割れていません』


 どれも小さい報告だった。


 カイはその三行を、バベルの出力表示より先に読んだ。


 いや、まだ勝っていない。

 バベルは健在である。

 主砲もある。

 炉心も赤い。

 冷却塔八基が白い蒸気を吐いている。

 航路接続ケーブル十六本が、赤く染まった航路灯を握っている。


 でも、鍋が落ちなかった。


 少なくともカイにとっては、その事実に丸をつけていい。

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