第四十一話 白い家と黒い剣
カイは操縦桿を握った。
手が痛い。
痛いが、それどころではない。
ノアの声がした。
『イヴを、拒絶しません』
イヴの声がした。
《NOAH船体のみを防衛対象としません》
青白い光と、黒い光が、接続ポートの奥で重なった。
その瞬間、全艦の画面が切り替わった。
《ARK ADAM EMERGENCY FORMATION》
カイは、目を細めた。
「なんだ、それ」
『未登録機能です』
《緊急居住地防衛形態》
「聞いてない」
『私も知りませんでした』
《私も知りませんでした》
「お前らの機能だろ!」
バベル第三射まで、残り五秒。
白いアーク・ノアが動いた。
黒いアーク・イヴが動いた。
誰も命令していない。
カイは命じていない。
レオンも命じていない。
モルガも、グラン侯も、もちろん命じていない。
アーク・ノアと黒い防衛艦が、自分たちで動き始めた。
ノアの船体内部で、居住区の慣性ダンパーが唸る。
医療区の生命維持ラインが固定される。
食堂の鍋に追加ロックがかかる。
風呂区画の水圧制御が閉じる。
農業区D-2のトマト棚に自動固定バーが降りる。
港湾区の係留アームが緊急姿勢に入る。
同時に、イヴの黒い装甲が展開する。
防衛リングが背中へ回る。
黒い翼が開く。
接続部に赤い応急ケーブルが走る。
青い冷却材ラインに白い霜がつく。
黒い電力幹線が、ノアの白灰色装甲の裏へ噛み合う。
普通なら壊れる。
全長二十キロ同士が動いて、居住区の中身が無事で済むわけがない。
鍋は飛ぶ。
風呂の湯はこぼれる。
医療ベッドはずれる。
トマト棚は折れる。
冷蔵庫は転ぶ。
人は転ぶ。
食堂ロボはたぶん余計なことをする。
だからカイがいる。
「ノア、合体を止めるな」
『止めません』
「イヴ、勢いを落とすな」
《落としません》
「その代わり、中の居住区は俺が持たせる」
カイは保守端子へ接続爪を叩き込んだ。
火花。
警告。
《未登録形成ログ》
《慣性制御ズレ》
《医療区生命維持ライン負荷》
《風呂区画水圧異常》
《食堂冷蔵庫固定不足》
《農業区D-2棚ロック未完了》
《港湾係留負荷限界》
《ノア/イヴ同期率上昇》
《形成完了まで四秒》
「多いんだよ!」
カイは笑った。
笑ったというより、息が漏れた。
怒りすぎると、人は笑うことがある。
楽しいからではない。
頭が熱くなりすぎて、別の穴から出るのである。
「いいか、バベル」
通信はつながっていない。
カイは言った。
「お前、家を撃ったな」
ノアの白い船体が折り畳まれる。
イヴの黒い装甲が重なる。
港湾区の船がきしむ。
ガンツがワイヤーを押さえる。
リナの光が避難列を最後まで導く。
セリアが医療箱と香辛料ケースを抱えて膝をつく。
弟がトマト棚の前で目を見開く。
レオンの艦隊が、赤い光の前から退かない。
全員が、それぞれの持ち場で踏ん張っている。
それでも届かなかった。
だから、白い巨艦と黒い剣が動く。
《食堂鍋固定ロック:未完了》
「そこは落とすな!」
カイは最後のログを掴み、無理やり青に変えた。
食堂で、鍋が、がちん、と固定された。
湯はこぼれなかった。
医療ベッドはずれなかった。
トマト棚は折れなかった。
難民船は港から外れなかった。
その全部を抱えたまま、白いアーク・ノアの船体が折り畳まれる。
黒いアーク・イヴの装甲が、その外側へ重なる。
防衛リングが背中へ回り、黒い翼が開き、白い居住艦の胸の奥で食堂の照明が消えずに灯っていた。
《ARK ADAM EMERGENCY FORMATION》
《形成開始》
バベル第三射が放たれる。
赤白い光が、食堂と医療区と農業区D-2をまとめて呑み込もうとした。
その前で、白い巨艦と黒い剣が噛み合った。
防衛リングが背中へ回る。
黒い翼が開く。
白い居住艦の胸の奥で、食堂の照明が消えずに灯っている。
宇宙に、まだ誰も見たことのない巨人の影が立ち上がろうとしていた。




