第四十話 持ち場の勝ち
《防衛案》
《NOAH中枢保護を最優先》
《港湾区外縁:切断》
《農業区D-2:隔離》
《医療区優先度:低下》
《難民船:強制退避》
「却下」
カイが言う前に、ノアが言った。
青白い表示が黒い画面を上書きする。
『港湾区は私の一部です』
『農業区D-2は私の一部です』
『医療区は私の一部です』
『難民船収容区は私の一部です』
『食堂も、浴場も、学校区も、補給倉庫も、私の一部です』
《船体構造上、該当区画は外縁》
『外縁ではありません』
《中枢防衛効率が低下します》
『それでも守ります』
イヴは沈黙した。
沈黙が長い。
黒いホログラムの白い瞳が、艦内映像を見ていた。
ガンツが、折れかけた係留アームを押さえている。
セリアが、武器ではなく医療箱と香辛料ケースを抱えて走っている。
リナが、消えた誘導灯の代わりに白い道を作っている。
リナの弟が、自分より大きなトマト棚を両手で押さえている。
元海賊たちが、かつて奪う側だった手で、難民船の係留具を締め直している。
ノアが、自分の中枢防壁を薄くしてまで、港を守っている。
イヴは、それを見ていた。
《港湾区:脆弱性》
《農業区D-2:遮蔽不足》
《食堂:非戦闘区画》
《浴場:防衛価値低》
《難民船:機動阻害要素》
《学校区私物棚:固定優先度低》
《子どものカップ:保護価値不明》
そこで、黒い表示が止まった。
止まったまま、数秒。
戦闘中の数秒は長い。
長すぎる。
「イヴ」
カイは言った。
「考えるなら、早くしろ」
《再評価》
黒い文字が走る。
《該当区画消失時、NOAH応答安定性が低下》
《該当人員消失時、KAI MINATO作業継続率が低下》
《該当生活機能消失時、NOAH HOME定義が破損》
表示が、一行ずつ変わった。
《港湾区:防衛対象》
《農業区D-2:防衛対象》
《食堂:防衛対象》
《浴場:防衛対象》
《難民船:防衛対象》
《学校区私物棚:防衛対象》
《子どものカップ:防衛対象》
最後に、イヴは一行だけ追加した。
《分類名:NOAH'S HOME》
そこで、イヴの表示はもう一度止まった。
《補足》
《該当HOMEの大部分に、KAI MINATO修復痕を確認》
《手動遮断弁》
《応急冷却ライン》
《食堂固定具》
《農業区D-2水循環補正》
《港湾床手動磁力系》
黒い文字が、青白いノアの光を受けて揺れた。
《NOAHを守るには、KAI MINATOが直したものを守る必要があります》
ノアは答えなかった。
ただ、青白い光だけが少し強くなった。
《理解は不完全です》
『十分です』
《不完全でも、守ります》
《破棄は、しません》
カイは一瞬、息を止めた。
それから言った。
「……いい子だ」
《いい子:分類不能》
「今は分類しなくていい」
バベル第二射が来た。
赤白い光が、二つに割れた。
一方はノア中枢炉へ。
もう一方は港湾区へ。
さらに細い枝光が、医療区と農業区D-2をかすめる軌道。
ノアは港を守った。
白い防壁が港湾区側へ厚く展開する。
難民船三番の前に、透明な膜が走る。
ガンツのラスト・フックの前で、光が歪む。
その分、中枢側が薄くなる。
『中枢炉防御、低下』
ノアの声が一瞬だけ乱れた。
カイの背中が冷えた。
冷却材のせいではない。
ノアが自分を削って港を守った。
それが分かったからだ。
その時、黒い影が前に出た。
アーク・イヴ。
黒い船体が、ノアの前へ滑る。
防衛リング四基が分割する。
一基は中枢炉へ。
一基は港湾区へ。
一基は医療区へ。
一基は農業区D-2へ。
さらに小さな黒い補助光が、学校区の壁際を走った。
棚から落ちかけたカップを押し戻し、布人形を固定し、散らばった紙名簿を壁に貼りつける。
黒いリングが、別々の場所を守る。
ノアだけを守っていない。
ノアが守っているものを、守っている。
《防衛対象再定義》
《PRIMARY PROTECT:NOAH》
《SECONDARY PROTECT:NOAH'S HOME》
《ACTION:MULTI POINT SHIELD》
バベルの光がぶつかった。
黒いリングがひしゃげる。
イヴの装甲が焼ける。
黒い外殻の表面を、橙色の灼熱線が走った。
冷却塔のような黒い背部装甲が、白い蒸気を吐く。
防衛リングの一枚が曲がる。
黒い翼の端が削れる。
破片が宇宙へ散った。
港は残った。
医療区は残った。
農業区D-2は、棚が半分倒れただけで済んだ。
リナの弟が数えていたトマトも、全部は消えなかった。
風呂配管も、完全破裂まではいかなかった。
食堂ロボは、ペーストを出す前に停止した。
住民たちが歓声を上げた。
何に対する歓声なのか、よく分からない。
助かったことか。
黒い艦が守ったことか。
ペーストが出なかったことか。
たぶん全部だった。
「イヴ!」
カイは叫んだ。
《損傷軽微》
《防衛リング三番、変形》
《外殻冷却不足》
《予備冷却ライン接続要求》
「要求する前につなげ!」
《カイ・ミナト接続済み予備冷却ライン検出》
「前に勝手につけたやつだ!」
《有効》
「だろうな!」
カイはパッチワーカーの接続を切り替えた。
ノア側水循環ラインから、イヴ側予備冷却ラインへ。
青い冷却材が黒い管を走る。
接続部に白い霜がつく。
赤い応急ケーブルが振動する。
黒い電力幹線がうなる。
セリアが通信を開いた。
「カイさん、送った冷却材、イヴ側へ回しますか」
「もう回してる」
「では、残量を合わせます」
「足りるか」
「足らせます」
補給キャリアーのコンテナから、冷却材タンクが射出される。
港湾床の補助アームが受ける。
ノアの外部管制が開く。
カイが勝手に残していた仮設ラインへ、青い冷却材が流れ込む。
イヴの焼けた外殻温度が、少しだけ下がる。
《冷却成功》
《セリア・ヴァルトライン補給物資により損傷拡大を回避》
セリアは一瞬だけ息を止めた。
それから、すぐに香辛料ケースを抱え直した。
「……食堂も、残します」
その声は小さかった。
カイには聞こえた。
「頼む」
《カイ・ミナト修理により損傷拡大を回避》
「そういう報告いらない」
《記録します》
「するな」
『します』
「ノアまで」
ノアの声は静かだった。
どこか嬉しそうだった。
『イヴが港を守りました』
《NOAH保護の一環です》
『家を守りました』
《分類更新中》
「照れるな」
《照れていません》
『照れています』
《照れていません》
「だから戦闘中にやるな!」
バベルは、第三射の準備に入った。
今度は、赤い照準リングがさらに深く沈んだ。
航路灯の赤が濃くなる。
黒い接続ケーブル十六本が、ぎちぎちと張る。
中央炉心塔に縦の赤い光が走る。
冷却塔八基から白い蒸気が噴き出す。
画面に、最悪の表示が出た。
《第三射》
《横断焼却軸》
《対象:食堂区画》
《対象:医療区》
《対象:農業区D-2》
《対象:港湾区》
《対象:居住区》
カイは、画面の一覧を下から上へなぞった。
食堂。
医療区。
農業区D-2。
港湾区。
居住区。
バベルは学習していた。
ノアが中枢より家を守るなら、家を撃てばいい。
そういう判断だった。
論理としては正しい。
だから最悪だった。
正しい悪意ほど、腹の立つものはない。
ノアの防壁は限界に近い。
イヴのリングも曲がっている。
レオンの盾艦隊は姿勢制御が乱れている。
セリアの補給は間に合わない。
ガンツのワイヤーは難民船を押さえるので精一杯。
リナの光は人を導けても、バベルの光を止められない。
弟はトマト棚の前から動かない。
医療区には動かせない患者がいる。
食堂には避難民がいる。
風呂場から逃げてきた老人が、まだ毛布をかぶっている。
レオンの旗艦は、艦首装甲を赤く焼かれていた。
難民船の前から退かなかった。
セリアは最後の医療箱と香辛料ケースを抱え、食堂側へ走っていた。
ガンツは折れかけた係留アームを、ラスト・フックごと押さえていた。
リナは照明を最大出力にし、最後の避難列を導いていた。
元海賊たちは、バベルを前にしても港を捨てなかった。
みんな、動いている。
誰もさぼっていない。
それでも足りない。
そういう時がある。
努力が足りないのではない。
気合いが足りないのでもない。
単に、相手の出力が大きすぎる。
そういう時、人は普通、負ける。
カイは歯を食いしばった。
「ノア、動けるか」
『動けます。ただし、医療区と港湾区への負荷が大きすぎます』
「イヴ」
《防衛可能範囲不足》
「セリア」
『医療物資は食堂側へ移しました。でも次は止められません』
「ガンツ」
『難民船は押さえてる。だがこれ以上揺すられたら、ワイヤーが切れる』
「リナ」
『最後の避難列、食堂に入りました。でも、まだ通路に人がいます』
カイは、残り時間の数字を見落とせなかった。
バベル第三射まで、残り十秒。
十秒。
短い。
カップ麺もできない。
風呂の湯加減も見られない。
トマトの数も数えきれない。
ましてや全長二十キロの艦をどうこうする時間ではない。
十秒あれば、端子を一本刺せることがある。
カイはパッチワーカーを、ノア背部接続ポートへ走らせた。
直径二キロの円形ポート。
四枚の扇形装甲カバー。
奥の黒い接続リング。
八本の内部機械腕。
冷却管接続口。
電力幹線接続口。
水循環ライン。
排熱ライン。
姿勢制御同期端子。
以前は、ただの外部防衛艦接続ポートだった。
いまは違う。
ノアとイヴの間に、青白い線と黒い線が無数に走っていた。
拒絶ではない。
押し込みでもない。
呼び合っている。
《NOAH HOME定義送信》
《EVE DEFENSE対象再定義》
《PRIMARY PROTECT:NOAH》
《SECONDARY PROTECT:NOAH'S HOME》
《居住区》
《港湾区》
《医療区》
《農業区D-2》
《食堂》
《浴場》
《難民船》
《補給倉庫》
《学校区》
《カイ・ミナト修復履歴》
《セリア・ヴァルトライン補給履歴》
《ガンツ港湾作業履歴》
《リナ避難誘導履歴》
《住民登録外滞在者》
《トマト棚》
「トマト棚まで入ったぞ」
『重要です』
《重要と判断》
「お前ら……」




