第三話 全長二十キロの家、起立する
格納庫の床がゆっくり傾いた。
カイは制御盤にしがみついた。
「待て待て待て、俺、まだ中にいる!」
《艦内重力を保持します》
「保持してこの揺れか!」
《初回起立です》
「初回って言うな!」
床だと思っていたものが、斜めになった。
壁だと思っていたものが、上へ逃げた。
天井の整備レールが横に滑り、そこに吊られていた古いキャリアーが鎖で揺れた。
カイの工具箱が床を滑り、非常灯の赤い光の下で止まる。
奥に並んでいた補給ホースが、蛇みたいに揺れた。
格納庫の外で、もっと大きな何かが動いていた。
全長二十キロの建物が、体の向きを変えようとしていた。
外部映像が複数に分割される。
正面には、横倒しのアーク・ノア全体。
そこから、変形が始まった。
まず、艦体側面の窓列が、いっせいに黒い装甲板で覆われた。
居住区の窓を守るためのシャッターだった。
何千枚もの板が、端から端へ、波のように閉じていく。
次に、割れた農業ドームの骨組みが、艦内へ引き込まれた。
透明な曲面材の残骸が折りたたまれ、土壌区画を囲む銀色の防護殻がせり上がる。
農業区が、腹部の内側へ沈む。
その周囲を太いリングが締めた。
まるで、巨大な腹巻きが畑を守るみたいだった。
「農業区、潰してないだろうな!」
《固定完了。土壌区画、保護状態》
「ならよし!」
《戦闘中です》
「畑の方が大事や!」
艦腹に折りたたまれていた長い構造物が、左右へ開いた。
腕だった。
ただの腕ではない。
片方だけで小さな宇宙港ほどある。
肩になる部分は、港湾区だった。
接岸ベイが回転し、肩の装甲に収まる。
艦隊ドックの長い通路が二つに割れ、上腕骨のように伸びる。
その先で、貨物クレーンが五本に分かれた。
指だった。
港でコンテナを掴んでいたクレーンが、そのまま巨人の指になっていく。
一本ずつ開く。
親指。
人差し指。
中指。
薬指。
小指。
全部が、ビルより太い。
艦尾の推進ブロックが左右に割れた。
中央の骨格レールが回転し、二本の脚が引き出される。
推進器群がふくらはぎの後ろへ回る。
着艦用の巨大アンカーが足裏へ展開する。
足の裏に、何十本もの杭が並んだ。
アーク・ノアは空中に立ったのではない。
廃棄宙域の中心に沈んでいた巨大な岩塊と、絡み合った廃棄ドック群に、足裏アンカーを打ち込んでいた。
横倒しだった都市が、艦内重力の上下に合わせて起き上がる。
足裏アンカーが、宇宙ゴミの山を踏み抜く。
周囲のコンテナが吹き飛んだ。
燃料タンクが押し流された。
古い太陽光パネルが、紙切れみたいに回転して逃げていく。
アーク・ノアの中央管制塔が、艦体の上を滑った。
折れていた塔が起き上がる。
基部が回転する。
塔の左右から装甲板が閉じ、頭部の形になった。
正面に、細い光が一本走る。
目だった。
白い光の一本線が、闇の中で開いた。
最後に、艦全体が片膝をついた。
片腕を廃棄ドックの残骸へ置く。
居住区の胸部が持ち上がる。
農業区を抱えた腹部が起きる。
港湾区の肩が回る。
航路灯の光が、頭部の後ろで輪のように点いた。
全長二十キロの移民艦が、人型要塞として立ち上がった。
海賊船五隻が、急停止した。
《なんだよ、これ》
《船じゃねえ》
《都市が立った》
《逃げろ、逃げろ!》
カイは制御盤にしがみついたまま、外部映像を見上げた。
あまりに大きすぎて、画面の中に全身が収まらない。
胸だけで都市。
腕だけで港。
脚だけで艦隊ドック。
腹の中に畑。
背中に航路灯。
宇宙に、家が立っていた。
《アーク・ノア、緊急防衛形態へ移行完了》
ノアが言った。
《違法接近船団へ警告します。本艦は居住艦です。農業区画への攻撃を停止してください》
海賊船の一隻が、慌てて主砲を再充填しようとした。
「折れ」
《了解》
アーク・ノアの右手が動いた。
遅い。
でかい。
それだけで十分だった。
巨人の指が、海賊船の船首へ伸びる。
船体は掴まない。
人のいる区画には触れない。
主砲だけを、親指と人差し指で挟む。
ピンセットみたいな動きだった。
対象がビルほど太い砲身でなければ、の話だが。
ノアが手首を少しだけひねった。
外部センサーが拾った振動を、艦内スピーカーが音に変換した。
ぽきり。
帝国旧式規格の主砲が、乾いた枝みたいに根元から折れた。
《一番艦、主砲、完全破断》
「次」
二隻目が横へ逃げる。
左手が伸びた。
港湾クレーンだった五本指が開き、船体を避けて、三連装砲の根元だけを鷲掴みにする。
そのまま、まとめてへし折った。
ぼき、ぼき、ぼき。
乾いた音が、格納庫に流れる。
《二番艦、主砲三門、破断》
「次」
三隻目はミサイルハッチを開こうとした。
アーク・ノアの足裏アンカーが射出される。
太い鎖のついた杭が、船の前方をかすめて伸び、砲塔基部を外側から押さえ込んだ。
右手の小指だけが動く。
小指と言っても、港湾クレーン一本分である。
それが砲身を横から叩いた。
砲身は根元から折れ、回転しながら宇宙へ飛んだ。
《三番艦、主砲、破断》
「次」
四隻目は逃げた。
ノアは船体を追わなかった。
代わりに、周囲を漂っていた廃棄コンテナを作業アームで押した。
逃走コースが塞がる。
四隻目が急停止する。
その鼻先へ、アーク・ノアの人差し指が降りた。
主砲だけを押さえ、根元で折る。
めき、と嫌な音がした。
《四番艦、主砲、破断》
「次」
五隻目は、自分で砲塔を下げた。
《降伏信号を確認》
「主砲は」
《充填停止中。ただし、主砲回路の遮断は未確認。再充填可能です》
「なら折れ。人は傷つけるな。砲だけでいい」
《管理人判断を採用。非致死武装解除を実行します》
アーク・ノアの指が伸びた。
降伏した五隻目の船体を傷つけず、砲身だけをつまむ。
ぽきり。
《五番艦、主砲、破断》
五隻の船の前方で、折れた砲身が何本も漂っていた。
帝国旧式規格の主砲が、宇宙のゴミになって、ゆっくり回っている。
《海賊船団、全主砲の破断を完了》
「よし」
《武装解除を認めます》
「人は」
《現時点で死者なし。海賊船内の酸素供給、維持》
「よし」
《農業区画外殻、被害軽微》
「そこが一番よし」
◇
そのとき、壁面に別の表示が走った。
銀河ネットの公開ログだった。
銀河ネットは、スマホ一個で見る場所ではない。
個人端末。
艦内の壁面端末。
港湾管制画面。
避難船の食堂モニター。
帝国艦隊の副画面。
報道AIの公開チャンネル。
そういうものが全部ぶら下がっている、銀河規模の公共情報網である。
いま流れている映像も、誰かが手持ちカメラで撮っているわけではなかった。
ノアの外部カメラ。
海賊船の照準ログ。
航路灯の監視映像。
周辺船のセンサー情報。
それらを公共監査回線がつなぎ合わせた、数秒遅れの合成映像だった。
現場にいない者が、現場の断片だけを見て騒ぐための場所。
そして時々、その騒ぎが証拠保全にもなる場所。
それが銀河ネットだった。
ノアが防衛の正当性を証明するため、戦闘記録を公共監査回線へ開いた。
暫定管理人登録と保守ログも、危険資産の責任者情報として自動添付されている。
カイの許可はなかった。
許可はなかったが、もう流れていた。
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【緊急】廃棄宙域で二十キロ級の居住艦が立った件
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1:銀河の現場猫
は? なにこれ。特撮?
2:名無しの操縦士
映像見た。船じゃない。都市が立った。
3:通りすがりの港湾作業員
待て、肩が港湾区だぞ。
コンテナクレーンが指になってる。
作った奴、頭おかしい。
4:帝国装備に詳しい名無し
海賊船の主砲、帝国軍旧式規格の横流し品じゃねえか。
それを指でポキポキ折ってる。
なにこの怪物。
5:名無しの難民
艦体識別信号、出てる。
ARK-NOAH。
旧銀河時代の移民艦って資料にあるぞ。
6:銀河の現場猫
移民艦?
じゃああれ、兵器じゃなくて家なの?
7:有能な整備兵
ログ見ろ。
暫定管理人登録名:カイ・ミナト。
昨日ブラック造船会社を辞めた整備士だって出てる。
8:名無しの中央民
ブラック企業、主砲を指でへし折る管理人を野に放ってて草。
9:農業区画推し
戦闘ログの優先保護対象が「第七農業区画」なんだけど。
なんで畑を守るために二十キロの艦が立ってんだよ。
10:風呂好きの名無しさん
横に流れてる保守ログ、見ろ。
「第七共同浴場、温水循環ポンプ固着」
こいつ、主砲折ったあと風呂直す気だぞ。
11:銀河の現場猫
帝国規格主砲を全部折った直後に風呂の心配してる管理人、何者だよ。
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カイは公開ログのコメント欄を閉じなかった。
「ノア」
《はい》
「なんか俺の名前が流れてる」
《防衛行動の透明性確保のため、戦闘ログを公開しました》
「やめろ!」
《居住艦の正当防衛証明には公開性が必要です》
「俺はまだ住んでない!」
《暫定管理人です》
「艦長じゃなくなったのは進歩だけど、公開するな!」
《既に拡散済みです》
「最悪や」
カイは床に座り込んだ。
昨日までブラック会社の整備士だった。
今日、無職になった。
廃棄宙域で風呂と畑つきの住処を探した。
空調の線を一本繋いだ。
気づいたら、全長二十キロの移民艦が立ち上がり、海賊船の主砲を全部へし折り、銀河ネットに自分の名前が流れている。
人生が雑すぎる。
◇
海賊たちは、ノアがまとめて係留した。
船体は壊さず、武装だけ外す。
逃げられない程度に港湾アンカーで固定し、酸素供給だけは残す。
《尋問しますか》
ノアが言った。
「あと」
《優先事項は》
「風呂」
《浴場区へ案内します》
「畑はその次」
《農業区の復旧予定を作成します》
「食堂も」
《食堂区画、損傷率六十一パーセント》
「直す」
《予定に追加しました》
カイは工具箱を持って、格納庫を出た。
廊下はひどかった。
壁は焦げている。
床は傾いている。
天井から配管が垂れている。
自動ドアは半分しか開かない。
歩ける。
赤い非常灯が、一本の線になって奥へ続いていた。
ノアが床に青い誘導光を出す。
《この先、居住環第七共同浴場です》
「共同浴場」
《はい》
「でかい?」
《収容人数、二千四百名》
「風呂だけで?」
《はい》
「風呂だけで俺の前の会社より人を大事にしてる」
《比較対象が低いです》
「正しい」
浴場の扉は半分歪んでいた。
カイは手動ハンドルを回し、肩で押した。
ぎぎぎ、と音を立てて扉が開く。
中は広かった。
広すぎた。
中央に大きな浴槽がある。
浴槽というより、温水プールだった。
壁には洗い場が何十列も並び、天井には壊れた照明が星みたいにぶら下がっている。タイルは割れている。配管は錆びている。湯はない。
形は残っていた。
風呂が、そこにあった。
カイは工具箱を置いた。
「湯を出す」
《必要作業を表示します》
ノアが壁に配管図を投影した。
分かりやすい。
会社のマニュアルより百倍ましだった。
カイは作業を始めた。




