第二話 廃棄宙域で白い家を拾う
カイは艇をその隙間へ滑り込ませた。
◇
格納庫の中は、暗かった。
ライトが床を舐める。
固定台座。
作業レール。
天井から垂れた補給ホース。
壁に並ぶ巨大な整備アーム。
その奥に、全高二十メートルほどの人型重機が数機、膝をついて眠っている。
キャリアー。
宇宙港や鉱山で使う人型作業機だ。
ただし、ここにあるものは古い。装甲は剥がれ、腕も脚も欠けている。動くとは思えなかった。
作業艇が着地した。
がこん、と床が鳴る。
音が奥へ転がっていった。
カイは整備服のまま外へ出た。
空気はない。
気密は抜けている。
壁面の制御盤を見つけ、工具箱を開ける。
古い規格だった。
配線はきれいだった。
ちゃんとラベルが残っている。予備線の経路も書いてある。端子の交換スペースもある。前の整備士が、次に直す人間のことを考えている。
カイは少しだけ感心した。
「こういう仕事は好きなんだよな」
壊れたものを直すのは嫌いではない。
嫌いなのは、壊した奴が偉そうにして、直す奴に責任を押しつけることである。
カイは制御盤を開けた。
空調系の線が焼けていた。
主電源ではない。
推進でもない。
武装でもない。
空調。
「まず息できんとな」
焼けた線を切る。
予備線を引く。
古い端子を削る。
手持ちの汎用コネクタを噛ませる。
絶縁を巻く。
通電。
ぱち、と小さな火花が散った。
赤い非常灯がひとつ点いた。
次に、天井の奥でファンが動いた。
ごうん。
ごうん。
ごうん。
長く止まっていた肺が、ゆっくり空気を吸い込むような音だった。
《空調系、一部復旧》
女の声がした。
カイは飛び上がった。
「うわっ」
割れた制御盤の画面に、白い線で女の顔が浮かんだ。
目が二つ。
口が一つ。
表情はない。
こちらを見ている感じはあった。
《外部整備士を確認》
「勝手に確認するな」
《居住可能区画の一部復旧を確認》
「空調がちょっと戻っただけだろ」
《はい。本艦は移民艦です。居住可能区画が復旧した場合、管理AIは住民保護プロトコルを再開します》
「住民?」
《現在の登録生体、カイ・ミナト。一名》
「俺か」
《はい》
「勝手に住民にするな」
《住民保護を開始します》
「話を聞け」
《私はノア。アーク・ノア艦載管理AIです》
「AIなら、さっきまで沈黙してたんじゃないのか」
《基幹管理層は休眠状態でした。居住可能区画の復旧により、対人応答権限が再開されました》
「空調を直したら、寝てた管理人が起きたってことか」
《近似表現としては正しいです》
「嫌な目覚ましだな」
《旧移民船法、緊急避難条項を確認》
「今度はなんだ」
《生命維持系を手動復旧した外部作業者を、一時管理者として登録できます》
「できるな」
《できます》
「やめろ」
《登録します》
「会話しろ!」
《カイ・ミナトを本艦暫定艦長として登録します》
「するな!」
《登録しました》
「早い!」
「艦長じゃない。俺は管理人。いや、まだ管理人でもない。ただの無職」
《無職の艦長として登録します》
「最悪の肩書きを作るな」
《では、管理人艦長》
「混ぜるな」
ノアの声は冷静だった。
事務的だった。
会社の端末よりはましだった。
会社の端末は、人間を勤怠番号で見ていた。ノアは少なくとも、カイを名前で呼んでいる。
《健康状態、悪いです》
「知ってる」
《睡眠不足。栄養不良。軽度脱水。胃粘膜荒れ。怒り》
「最後は健康状態か?」
《運用に影響します》
「人を機械みたいに言うな」
《本艦は移民艦です。管理AIの職務は、航行、防衛、居住、医療、農業、法務記録の維持を含みます》
「何でも屋か」
《家です》
制御盤に置いた指が止まった。
家。
その言葉は、妙に重かった。
《機械にも休息は必要です》
「会社よりいいこと言うな」
カイは制御盤に寄りかかった。
「この艦、何が残ってる」
《居住区、一部。水循環区、一部。農業区、一部。浴場区、一部》
「浴場?」
《はい》
「風呂、あるんか」
《あります》
「湯は」
《修理すれば出ます》
胸ポケットの種袋に、指が当たった。
風呂。
それは大きい。
三日まともに洗っていない体から、冷却液と金属粉と会社の臭いを落とせる。
「農業区は」
《あります》
「土は」
《あります》
「水は」
《あります》
「トマトは」
《ありません》
「種ならある」
カイは胸ポケットを叩いた。
密封袋がそこにある。
桃太郎。
小さな、弱い、けれど本物の種。
《栽培可能性を計算。農業区の気密、水循環、照明、温度制御、土壌微生物を復旧すれば可能です》
「全部壊れてるってことか」
《はい》
「はい、じゃない」
《直せます》
「簡単に言うな」
《あなたは直せます》
カイは鼻で笑った。
悪い気はしなかった。
会社では、直せ、と言われた。
ノアは、直せます、と言った。
似ているようで、まったく違った。
そのとき、格納庫の床が揺れた。
ごん。
外からの衝撃。
続けて、金属を削る高い音がした。
きいいいいいん。
ノアの顔が少し乱れた。
《外部接近体を確認》
「会社の回収班か」
《違います》
格納庫の壁に、外部映像が投影された。
廃棄宙域の闇から、船が五隻近づいていた。
細長い船体。
継ぎ足しの装甲。
違法改造された推進器。
船腹に描かれた笑う髑髏。
海賊だった。
その前に、人型重機が三機飛んでいる。
全高二十メートル前後。
キャリアーだ。
肩にワイヤー射出機。腕に切断トーチ。左手に艦体をこじ開けるクロー。港湾作業機を武装化したやつだった。
《接近船団は、本艦の空調再起動信号を検知したものと推定》
「俺が直したから来たのか」
《はい》
「最悪だな」
《本艦の生命維持復旧は、外部から見れば高価値残骸の再起動信号です》
「直したら敵が来るって、どんな欠陥仕様だ」
《廃棄宙域です》
「知ってる!」
海賊の通信が入る。
《でけえスクラップだ。中に誰かいるなら出てこい。出てきたら酸素は残してやる》
「酸素だけかい」
《居住区が残ってるなら高く売れる。酸素循環、医療ポッド、農業棚。全部剥がせ》
カイは顔を上げた。
農業棚。
今、こいつらは農業棚と言った。
まだ見ていない。
まだ触っていない。
まだ種も植えていない。
そこはもうカイの中では畑だった。
キャリアー三機がアーク・ノアの外殻に取りついた。
クローを装甲の隙間に差し込む。
切断トーチが青白く光る。
火花が、暗い宇宙に散った。
外部映像の火花が、カイの目に青く映った。
ここには風呂がある。
土がある。
水がある。
直せばトマトが育つ。
まだ入っていない風呂。
まだ触っていない土。
まだ植えていない畑。
それを、海賊がスクラップとして剥がそうとしている。
カイは作業艇の固定ベルトを締め直した。
「ノア。作業アームは動くか」
《港湾作業アーム一基、低出力で稼働可能》
「キャリアーを引っぺがせるか」
《可能です》
「やれ」
《艦長命令を確認》
「管理人だ」
《管理人命令を確認》
外部映像の端で、アーク・ノアの港湾区が開いた。
装甲の隙間から、巨大な作業アームがせり出す。
関節に凍りついた白い霜が割れた。
古い軸受けが火花を吐いた。
アームはぎこちなく伸び、いちばん近い海賊キャリアーの胴体を、横から掴んだ。
ばきん。
キャリアーの装甲がへこんだ。
《うわっ、なんだ、離せ!》
通信の向こうで海賊が叫ぶ。
アームは離さなかった。
そのまま、キャリアーを外殻から引き剥がす。
ワイヤーが切れた。
切断トーチが回転しながら飛んだ。
クローの爪が装甲に残った。
アームはキャリアーを港湾区の外側へ持ち上げ、近くに漂っていた廃棄コンテナへ押しつけた。
ごしゃ。
潰しすぎない。
胴体を折らない。
手足だけを固定する。
《違法接近機体、一機係留》
「それ、係留って言うんか」
《安全確保です》
「言い方が怖い」
残り二機が離れようとした。
ノアが港湾レールを動かす。
外殻の上を走っていた古い荷役レールが、がこん、と横へずれた。
一機の足裏マグネットが外れる。
体勢を崩したところへ、作業アームがコンテナを投げた。
直撃ではない。
逃げ道を塞ぐ投げ方だった。
キャリアーが止まる。
その隙にアームが掴む。
二機目も係留。
三機目はワイヤーを切って逃げようとしたが、切った瞬間に姿勢を崩して、アーク・ノアの外壁へ腹からぶつかった。
《三機目、係留》
「勝手にぶつかっただけだろ」
《係留です》
「強情やな」
海賊船五隻の砲塔が、こちらを向いた。
五隻とも、解体用キャリアーを送り出すために近づきすぎていた。
アーク・ノアの外殻から数百メートル。
二十キロの巨体にとっては、手を伸ばせば届く距離だった。
砲身は海賊の自作ではなかった。
ノアが画面の一部を拡大する。
砲塔の根元に、古い帝国規格の刻印があった。
《敵船主砲、帝国軍旧式規格の横流し品と推定》
「横流し?」
《退役艦から取り外された制式主砲です。整備状態は劣悪》
「劣悪でも撃てるんだろ」
《はい》
砲口に光が集まる。
海賊の声が割り込んだ。
《スクラップのくせに抵抗するな。船ごと刻んでやる》
次の瞬間、海賊船の一隻が撃った。
白い光が、アーク・ノアの外壁をかすめる。
直撃ではない。
外殻を削った。
衝撃が格納庫まで来た。
床が跳ねる。
工具箱が横へ滑り、倒れたキャリアーの足元にぶつかった。
天井から霜と金属粉が降った。
壁面の外部映像に、赤い警告が走る。
《農業区画外殻、被弾》
カイは動きを止めた。
「……どこ」
《第七農業区画外周。被害軽微。気密維持》
「農業区」
《はい》
「そこ、何がある」
《土壌保存庫。水耕棚。種子保管ラック。照明制御塔。現在、休眠状態》
「そこ、俺の畑になる予定なんですけど」
声は静かだった。
自分でも驚くほど、静かだった。
海賊の通信が笑った。
《はあ? 畑? 命乞いならもっと面白く――》
「ノア」
《はい》
「あいつら、うちの敷地で、俺の畑予定地を撃った」
《農業区画外殻への攻撃を確認》
「主砲、全部折れ」
《武装解除ですか》
「折れ」
《了解。緊急防衛形態へ移行します》
「立て」
《全艦主動力は停止中。緊急防衛用蓄電槽のみ使用可能です》
「足りるのか」
《起立、短時間防衛、主砲破断までなら可能です》
「十分だ」
《アーク・ノア、起立します》
◇
最初に、音が来た。
がん。
がん。
がん。
がん。
艦内の奥で、巨大な固定ボルトが外れる音だった。




