表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
1/4

第一話 労働はクソである

 労働はクソである。


 いきなり何を言うのか、と思うかもしれない。


 ほんとうのことなので仕方がない。


 尊い労働。社会を支える労働。自己実現としての労働。人間を成長させる労働。


 やかましい。


 そういう言葉は、たいてい安全な部屋で椅子に座っている人間が言う。現場で冷却液を浴び、焦げた配線を剥がし、三日寝ていない手でボルトを締めている人間は、そんなことを言わない。


 労働はクソである。


 少なくとも、カイ・ミナトにとってはそうだった。


 銀河外縁造船株式会社、第三整備課、事故対応補助係。


 名前だけは硬い。


 実態は、壊れた艦の穴を塞ぎ、燃えた機械を直し、上が決めた無茶な納期を現場でなんとかする係だった。


 なんとかする。


 これがよくない。


 部品がない。

 人員がいない。

 時間がない。

 設計図が古い。

 マニュアルが間違っている。

 発注部品の型番が違う。

 そもそも前工程が失敗している。


 そういう全部を、最後に現場へ持ってきて、


「そこをなんとか」


 と言う。


 言った奴の舌を抜いて、冷却配管に詰めたい。


 その日も、カイは帝国向け補助輸送艦の推進ノズルの前にいた。


 真空整備服を着て、磁気ブーツで艦体に貼りつき、左手で焼けた外装板を押さえ、右手で亀裂に補修材を流し込んでいた。


 ノズルの内側には、穴が空いていた。


 穴というか、裂け目だった。


 裂け目というか、向こうの星が見えていた。


 推進ノズルの内側から星が見えるのは、ロマンではない。故障である。かなりまずい故障である。


『ミナト君、そこ、今日中に頼むよ』


 ヘルメット内に上司の声が響いた。


 トダ主任だった。


 管制室からの通信である。


 管制室は暖かい。酸素もある。椅子もある。


 こちらは真空である。


 同じ会社の同じ時間に存在しているとは思えない格差だった。


「無理です」


 カイは言った。


『また無理って言う』


「外殻フレームが歪んでます。ノズルだけ塞いでも、推力を上げたら根元から裂けます」


『そこをなんとか』


「なんとかした結果がこれです」


『言い方』


「現象の説明です」


『社会人なんだからさ』


 出た。


 社会人。


 便利な言葉である。


 会社が人を雑に扱うときは業務命令。人が嫌だと言うと社会人。だいたい棒である。殴るための棒。


 カイは黙って、補修材の圧を下げた。


 画面に警告が出る。


《補修材残量、十二パーセント》


 足りない。


 そもそも足りない。


 昨日の時点で申請した。補修材が足りません、フレーム交換が必要です、推進試験を延期してください、と三回送った。


 返ってきた答えは、


《確認します》


 だった。


 確認します。


 あれは何もしていない人間が、何かしているように見せるための呪文である。


『あとさ、例の事故処理だけど』


 トダの声が、少し低くなった。


『君の確認漏れでまとめるから』


「俺は止めました」


『うん。でも止め方が弱かった』


「止め方が弱い?」


『現場として、もっと強く言えたよね』


「強く言ったら、昨日、主任が“現場判断で遅延させるな”って言いました」


『記録には残ってないよ』


 カイは、工具を握る手に力を入れた。


 記録には残っていない。


 そうだ。


 会社では、都合の悪いものは記録に残らない。


 残業時間。

 口頭指示。

 欠陥部品の再利用。

 安全確認の省略。

 主任の命令。

 人間の疲労。


 全部、消える。


 消えたものは、最初からなかったことになる。


『ミナト君さ』


 トダが言った。


『替えの利く整備士が、あまり難しいこと言わない方がいいよ』


 替えの利く整備士。


 その言葉は、真空より冷たかった。


 カイは笑った。


 笑うしかなかった。


 ヘルメットの中で、笑いが自分の耳に戻ってきた。乾いた音だった。


「分かりました」


『分かってくれると思ってたよ』


「今日で辞めます」


『は?』


「辞めます」


『いや、今それ言う?』


「今です」


『現場が困るよ』


「俺もずっと困ってました」


『感情的になってるだけでしょ』


「感情がなかったら、とっくに動けなくなってます」


 カイは補修材のホースを外した。


 磁気ブーツの固定を切る。


 ばこん、と足が艦体から離れた。


 いい音だった。


 会社との接続が切れた音だった。


     ◇


 退職処理は早かった。


 人を助ける判断は遅いくせに、人を切る判断だけは異様に速い。


 カイがドックへ戻ると、ロッカーはすでに開けられていた。端末には契約解除画面が出ていた。


《解除理由:現場指示違反》


《備考:協調性に難あり》


 協調性。


 協調性とは、雑な命令に黙って従う能力のことである。


 カイはサインした。


 退職金はなかった。


 未払い残業代もなかった。


 代わりに、社内食堂の未精算分が差し引かれていた。


《合成プロテインバー:三十二本》


《栄養ペースト:十四袋》


《カフェインゼリー:九個》


 最後まで取る。


 すごい。


 人間から肉を削って、骨まで来たら、骨を粉にして請求する。その精神力だけは立派だった。見習いたくはない。


 カイはロッカーから私物を出した。


 工具箱。

 予備手袋。

 折れたスパナ。

 密封された小さな種袋。


 地球産トマトの種。


 母親が昔くれたものだった。


 袋には古い字で、品種名が書かれている。


《桃太郎》


 強そうな名前である。


 ただ、中身は小さな種だった。風が吹けば飛ぶ。水がなければ死ぬ。土がなければ始まらない。


 カイはそれを胸ポケットに入れた。


 ブラック会社時代の食事は、ほとんど合成プロテインと栄養ペーストだった。


 トマト味。

 ビーフ味。

 海老チリ味。

 母の味。


 母の味だけは許せなかった。


 銀色の袋から出る茶色い泥を、母の味と呼ぶな。


 カイはずっと思っていた。


 生のトマトを食いたい。


 自分で土を触って、苗を植えて、水をやって、赤くなった実をもいで、そのままかじりたい。


 皮が歯で破れて、汁が飛んで、種が舌に残るやつ。


 それだけでよかった。


 銀河を救いたいわけではない。

 英雄になりたいわけでもない。

 巨大艦を手に入れたいわけでもない。


 トマト。


 ただ、それだけだった。


     ◇


 退職した翌日、カイは廃棄宙域行きの安い作業艇に乗っていた。


 理由は簡単だった。


 金がなかった。


 家もなかった。


 まともな再就職先もなかった。


 廃棄宙域には安い居住区画があった。


 区画というか、残骸だった。


 残骸というか、早い者勝ちだった。


 契約書にはこう書いてあった。


《廃棄構造物帯における任意占有権》


 分かりにくい。


 要するに、宇宙のゴミ捨て場で、使えそうな場所を見つけたら住んでいい、ということだった。


 危険である。


 安い。


 人間は疲れていると、危険より安さを見る。


 だから駄目になる。


 カイはその駄目になる道を、まっすぐ進んでいた。


《指定宙域に到着》


 作業艇の古いAIが言った。


 前方スクリーンに、廃棄宙域が映る。


 壊れた輸送コンテナ。

 折れた太陽光パネル。

 穴の空いた燃料タンク。

 誰のものか分からない居住リング。

 焼けた船首。

 半分だけ残ったドック。


 それらが、星明かりの中でゆっくり回っていた。


 宇宙のゴミは、地上のゴミより偉そうに見える。


 落ちないからである。


 カイは小さな窓から外を見ていた。


 その奥に、黒い影があった。


 最初は小惑星だと思った。


 次に、違うと思った。


 小惑星にしては、直線が多い。


 平らな面がある。

 装甲板の継ぎ目がある。

 塔のような突起がある。

 長い谷のような溝がある。

 巨大な円筒が横倒しになっている。


 近づいても、全体が見えない。


 さらに近づく。


 まだ端が見えない。


「でか」


 思わず声が出た。


 ライトを最大にする。


 闇の中から、装甲の山脈が現れた。


 船だった。


 いや、船というには大きすぎる。


 都市だった。


 だが都市にしては、折りたたまれた腕のような構造物が艦腹に埋まっている。


 側面に、かすれた文字が残っていた。


《ARK-NOAH》


 アーク・ノア。


 作業艇の測定画面が表示を出す。


《推定全長:二十・二キロメートル》


「二十キロ?」


《二十・二キロメートル》


「細かい訂正いらん」


 カイは操縦桿を握ったまま、しばらく動けなかった。


 全長二十キロの廃棄艦。


 ただの船ではない。


 外殻には、港のような開口部がある。居住区らしき窓列がある。農業ドームの骨組みらしい透明材が、割れた肋骨みたいに並んでいる。中央には管制塔らしき高い構造物が、折れて斜めに沈んでいた。


 止まった都市。


 完全には止まっていない。


 外壁の奥で、青白い光が一度だけ瞬いた。


 作業艇の画面に、古い公的登録情報が割り込んできた。


《照合完了》


《構造物名:アーク・ノア》


《指定:危険廃棄物》


《回収禁止期間:百二十七年》


「回収禁止?」


《本艦は回収・解体・売買を禁止されています》


《ただし、旧移民船法により、生命維持復旧を目的とした緊急立入は例外扱いです》


「例外って、俺みたいな無職も入るのか」


《外部作業者として登録可能です》


「便利な法律だな」


《外部解体申請、三千四百十二件。すべて拒否》


「なんで誰も拾ってないのかと思ったら、拾えなかったのか」


《理由:生命維持区画内に民間登録あり》


 カイは窓の外を見た。


 黒い艦体の奥に、割れた居住区の窓列が見える。


「まだ誰かいるのか」


《最後の生体反応は百十年前に消失》


「じゃあ、もういない」


《民間登録の解除には、本艦管理AIの承認が必要です》


《管理AI沈黙により、行政処理は停止したままです》


「止まってるかもしれない船の、沈黙したままのAIが返事しないから、百年以上放置か」


《はい》


「役所って宇宙でもクソなんだな」


《否定材料なし》


 カイは操縦桿を握り直した。


 危険廃棄物。


 百年以上、誰も合法的には手を出せなかった二十キロの船。


 普通なら帰る。


 普通なら、ここで管制局へ通報して終わりである。


 ただ、作業艇の残燃料は少なく、カイの預金はもっと少なく、胸ポケットにはトマトの種があった。


 そして、この船には農業ドームらしきものが見える。


「……空調、生きてる場所あるか?」


《不明》


「じゃあ見る」


《危険です》


「危険じゃない仕事をくれ」


《ありません》


「知ってた」


 カイは作業艇を近づけた。


 第三補助格納庫、と読める場所があった。


 扉は半分開いている。氷と金属片が噛み込んで、閉じることも開くこともできなくなっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ