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社畜整備士、廃棄宙域で全長二十キロの変形する家を拾う  作者:


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第二十二話 王座ではなく家にしろ

 第零居住区は、音が消えていた。


 空調がない。


 人の足音がない。


 食器の音がない。


 子どもの声がない。


 配管の低い振動もない。


 通路の両側に、個室扉が並んでいる。


 古い部屋番号。


 床に落ちた荷物。


 小さな靴。


 折れた食器。


 乾いた水筒。


 期限切れの非常食袋。


 壁には、色あせた家族写真。


 その隣に、子どもの落書きがあった。


 丸い船。


 大きすぎる窓。


 赤い花。


 青い水。


 下手な字で、


《いえ》


 と書いてあった。


 カイは少しだけ足を止めた。


 ここにいた誰かも、この船を家と呼んでいた。


 たぶん。


 そうだったのだと思う。


『第零居住区中枢は、この先二百メートルです』


「二百メートルが長いな」


『通路幅不足のため、速度を落としてください』


「落としてる」


『さらに』


「これ以上落としたら止まる」


『止まるより壁を壊す方が悪いです』


「正論だが言い方」


 パッチワーカーは、さらに遅く進んだ。


 十九メートルの作業キャリアーには、通路が狭すぎる。


 肩が壁を擦る。


 膝が床の荷物を避ける。


 左腕を畳む。


 右手の接続爪を壁へ引っ掛けないようにする。


 巨大作業機で、廃屋の中を歩いている。


 慎重で。


 不謹慎で。


 間抜けで。


 怖い。


 奥に、古い艦長室があった。


 狭い部屋。


 固定式の机。


 椅子は一脚。


 壁に旧移民計画の航路図。


 窓はない。


 天井灯が一つだけ点いている。


 床に、記録端末が落ちていた。


 パッチワーカーでは入れない。


 カイは胸部ハッチを開け、生身で降りた。


『危険です』


「知ってる」


『環境汚染は低いですが、空調が不安定です』


「酸素は」


『あります』


「なら行く」


 カイは工具箱を持って、艦長室に入った。


 埃に足跡がつく。


 新しい足跡。


 三百年以上ぶりかもしれない足跡。


 勝手に入ってすみません、と言いそうになった。


 誰に謝るのか分からないので、やめた。


 記録端末を拾い、机の古い認証プレートに接続する。


 壁面モニターが点いた。


 青白いモノクロ。


 画面端にノイズ。


 時刻コードは古い規格。


 映ったのは、一人の人物だった。


 顔は乱れて見えない。


 濃灰色の旧時代制服。


 背後では赤い警告灯が回っている。


『……記録……初代艦長……ノア……』


 ノアが沈黙した。


『避難民、全員……第七船団へ移送……完了……』


 カイは、古い転送記録の最後の行に目を止めた。


 全員。


 なら、いない。


 第零居住区の人間は、逃げた。


 少なくとも、この記録では。


『アーク・ノアは……移民艦である……兵器ではない……』


 ノイズ。


 画面端に、設計図が割り込んだ。


 白灰色の巨大艦。


 居住区ブロックに赤い斜線。


 農業区に、切離予定。


 食堂ラインに、停止。


 児童区画に、兵員転用。


 船体後部には、黒い艦影が接続されようとしていた。


 表示名は、EVE。


『統合軍司令部は……ノアの転用を決定した』


 ノイズ。


『居住区を外し……防衛艦イヴと接続……』


 青白い画面に、別の文字が浮かぶ。


《銀河統一用可変制圧艦案》

《統一王座計画》


 カイは眉を寄せた。


「王座って名前をつけた奴、絶対に現場を知らないな」


 椅子は座るものだ。


 王座になると、人がその周りで倒れる。


『私は拒否する』


 画面が乱れる。


『ノアは家である』

『家は、勝つ者のためにあるのではない』

『帰る者のためにある』


 音声が乱れた。


『次の管理者を……勝利記録で選ぶな』


 画面が割れる。


『撃墜数で選ぶな』

『制圧範囲で選ぶな』

『艦隊指揮権で選ぶな』


 赤い警告灯の中で、初代艦長の手が端末を叩いていた。


《給湯系統:民間維持》

《食堂ライン:停止禁止》

《農業区散水:軍用冷却転用禁止》

《児童区画:兵員転用禁止》


 最後の音声だけが、かすかに残った。


『……直す者を』


 ノイズ。


『王座ではなく……』


 またノイズ。


『……家に』


 そこで映像は途切れた。


 記録文字だけが残る。


《初代艦長記録》

《避難民移送:完了》

《第零居住区名簿:保存》

《居住設備:民間優先》

《農業区散水:軍用転用禁止》

《児童区画:兵員転用禁止》

《最終命令:ノア、家を守れ》


 カイは表示を見た。


 給湯。

 食堂。

 農業区。

 児童区画。


 三百年前の艦長は、船の未来を主砲ではなく、配管で指定していた。


 なら、やることは決まっている。


「ノア」


『はい』


「この命令、使うぞ」


『代替承認条件として使用可能です』


「じゃあ、過去を消すな。今の生活に負けさせるな」


 カイは端末に戻った。


 旧避難プログラムの中身を開く。


 古い。


 読みにくい。


 注釈がない。


 変数名がひどい。


 誰だ、これを書いたのか。


 たぶん大変だったのだろう。


 大変だったのは分かる。


 しかし、大変でも変数名はちゃんとつけろ。


 後の人間が泣く。


 今、泣いている。


「旧避難民IDを、保護対象から記録対象へ退避」


『退避先を指定してください』


「食堂ロボの記録席。一席だけだ。食材消費は最小」


『了解』


「医療区は生命反応を最優先。生命反応なしIDは待機列から外せ」


『医療ポッド三基、解放』


 医療区の映像。


 空のポッドが三基、順に開いた。


 ぷしゅ、と白い蒸気が抜ける。


 セリアが、老人の寝台を押し込む。


 酸素バッグを押していた手を離し、すぐに酸素管をつなぐ。


 ポッドの蓋が閉まる。


《患者登録:現在住民》

《処置開始》


 セリアは一度だけ息を吐いた。


 それから、隣の子どもへ走った。


「学校区の赤ルートを切れ。子どもは医療区横の共用ホールへ誘導」


『避難誘導線、更新』


 学校区の映像。


 床の赤い誘導線が、端から青へ戻っていく。


 一つ。


 二つ。


 三つ。


 清掃ロボが止まった。


《第零居住区児童避難誘導:停止》

《現在避難先:共用ホール》


 リナが子どもたちを壁際から出した。


 弟が床を指さす。


『青い線、十六!』


「赤いのは」


『ゼロ!』


「いい数だ」


「食堂メニューは現在住民名簿で再計算。旧メニューは保存。今夜、食える形に直せ」


『食堂ロボ、更新中』


 食堂の映像。


 旧食堂ロボが、空席へ向かうのをやめた。


 車輪の向きが変わる。


 列に並ぶ住民の方へ戻る。


《現在住民名簿、照合》

《配膳対象、更新》


「第零居住区の空調は低出力で再開。埃を飛ばすな。いきなり全開にすると全員くしゃみで倒れる」


『倒れません』


「比喩だ」


『比喩を記録しました』


「記録するな」


 カイは削除キーを押さなかった。


 古い名簿データの横に、変換先の空欄を作る。


 使い直した。


 実際には、古い規格の名簿データを変換し、エラーを吐く食堂ロボの内部時計をだまし、医療ポッドの優先順位テーブルから空欄を退避させ、避難誘導線の色指定を上書きし、最後に古代語のコメントを読み間違えて一回全部落ちかける作業だった。


 汗。


 埃。


 エラー。


 再起動。


 舌打ち。


 もう一度。


 整備とは、だいたいそういうものである。


 ガンツの回線が入った。


『第三隔壁、止まった! 俺の腕もそろそろ止まりそうだ!』


「隔壁が止まったなら、止めていい」


『最初からそう言え!』


「すまん」


 端末に最後の表示が出た。


《第零居住区中枢》

《保護命令更新》

《旧避難民名簿:記録保存》

《現在住民:保護対象》

《食堂ロボ:更新》

《医療区:更新》

《学校区:更新》


 一行だけ、古い文字が残った。


《居住区を守れ》


 カイは、端末を閉じた。


「はいはい」


『返答が軽いです』


「重く返すと面倒になる」


『否定できません』


 その奥で、旧食堂ロボの未処理配膳ログが、ひとつだけ点滅していた。

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