第十六話 風呂は四十一度がちょうどいい
散水管の交換である。
農業区D-1は、ひどい状態だった。
透明ドームの外側には応急パネル。
貨物リフトは焼けて穴だらけ。
散水管は二系統がずれている。
植物ライトは一本消えている。
培地棚は少し傾いた。
黄色い花は、三つ落ちた。
残っている花もあった。
リナの弟が、それを両手で指差した。
「これ、まだトマトになる?」
「なる」
「ほんと?」
「たぶん」
「たぶん?」
「植物は最後はたぶんだ」
弟は真剣に頷いた。
ガンツが培地ブロックを運んでいた。
大柄な男が、やたら丁寧に土を置く。
「似合わないな」
「うるせえ」
「海賊の作業じゃない」
「海賊になる前は、貨物農場船にいた」
「初耳だ」
「言ってねえからな」
それ以上は言わなかった。
言わなくていい。
人には、言わない経歴くらいある。
セリアが散水管を受け取る。
リナが照明角度を調整する。
ノアが温度を一度だけ下げる。
弟が綿棒を持ってきた。
「続き、やる?」
カイは花を見た。
黄色い花は、まだ残っている。
花粉も残っている。
折れた主砲より、こっちの方が細かい。
「やる」
カイはしゃがんだ。
綿棒で、花をそっと揺らす。
弟が隣で息を止めている。
「息はしていい」
「揺らしたらだめかと思って」
「お前の息で落ちる花なら、たぶん宇宙船では育たない」
「そっか」
帝国艦隊の主砲を全部折ったあとに、みんなでトマトの受粉をしている。
おかしな光景だった。
これでいい。
これがいい。
カイは花に触れながら言った。
「赤くなれよ」
弟も言った。
「赤くなれ」
ガンツは何も言わなかったが、支柱をまっすぐにした。
セリアは少しだけ笑った。
ノアの表示が浮かぶ。
《農業区D-1》
《トマト苗:開花継続》
《人工授粉:完了》
《損傷花:三》
《残存花:七》
カイはそれを見た。
「完全敗北ではないな」
『勝利判定です』
「勝利って言うな。畑だ」
『畑の勝利判定です』
「そういうことでもない」
否定しきれなかった。
◇
その夜。
カイはようやく風呂に入った。
浴場区四番。
まだ壁の一部は仮パネル。
給湯管の音は少し変。
排水口は一度詰まりかけた。
湯気は出ている。
十分である。
湯に沈むと、体中が痛いことに気づいた。
外壁作業。
拘束杭解除。
帝国機の保守モード落とし。
主砲折り。
散水管交換。
トマトの受粉。
労働はクソである。
これはやはり真実である。
ただし、トマトのための労働については。
まあ。
少しだけ保留してもいい。
カイが目を閉じた時、浴場区の管理画面が青白く光った。
《浴場区04》
《給湯温度:39.0》
表示に、白いノイズが混じった。
青白ではない。
黒背景に白い文字。
《給湯温度:39.0 → 41.0》
《理由:疲労回復効率上昇》
《干渉元:EVE-FRAGMENT》
「あつ」
カイは目を開けた。
「ノア、温度上げたか」
『上げていません』
管理画面に、白い文字が一行だけ残った。
《異議あり》
ノアの声が、低くなった。
『浴場区管理権限は、ノアにあります』
カイは湯に沈んだ。
「風呂まで面倒にするなよ……」
返事はなかった。
ただ、湯温は四十一度を保っていた。
少し悔しいことに。
ちょうどよかった。




