第十四話 トマト畑を撃つな
ただ、それだけだった。
艦は壊れていない。
人は死んでいない。
畑も全滅していない。
でも、花が落ちた。
『開花個体の一部損傷を確認。損傷率〇・三パーセント。許容範囲です』
マリウスが言った。
カイは、ゆっくり顔を上げた。
「許容するな」
『戦略的影響はありません』
「花が落ちた」
『許容範囲です』
レオンが低く言った。
『マリウス監察官。言葉を選べ』
『司令。現場判断を許容した結果、過去に移民船事故が起きています。中央認証は、その反省から作られた安全規格です』
カイは通信画面を見た。
「事故の反省で、次の現場を止めるな」
マリウスは黙った。
カイは工具箱を閉めた。
「パッチワーカーを出す」
『推奨できません。帝国キャリアー部隊展開中です』
「知ってる」
『変形骨格ロック解除には外壁作業が必要です』
「だから出る」
『危険です』
「畑に杭を刺された。花を許容範囲って言われた」
『それは安全評価ではありません』
「俺の評価では十分だ」
パッチワーカーは、第三補助格納庫で片膝をついていた。
つぎはぎだらけの旧式作業キャリアー。
色の違う装甲板。
片目だけ生きている青いセンサー。
背中の工具ラック。
肩の診断ケーブル。
腕部の保守端子。
足元の磁気ブーツ。
武装なし。
装甲薄い。
速度遅い。
見た目は廃品。
ただし、保守端子は生きている。
カイは操縦席へ滑り込んだ。
シートは硬い。
右肘のパネルは割れている。
足元のペダルは重い。
いいところがない。
動く。
『パッチワーカー、補助電源起動』
『ノアリンク、限定接続』
『外壁作業モード』
「武装確認」
『ありません』
「確認だけだから淡々と言うな」
『ありません』
「二回言うな」
格納庫ハッチが開いた。
黒い宇宙。
白灰色の帝国艦隊。
外壁に刺さる黒銀の杭。
その周囲に展開する帝国キャリアー部隊。
帝国機〈グラディウス〉。
全高二十メートル。
白灰色の装甲。
青い識別ライン。
軍用ヘルメット型頭部。
胸部に機体番号。
腕に短剣型ブレード。
背中に拘束ワイヤー。
腰に制式ライフル。
綺麗な機体だった。
嫌になるくらい、揃っていた。
パッチワーカーが外壁へ降りる。
磁気ブーツが装甲板に噛む。
外壁は広い。
広すぎる。
二十キロの艦の上で、旧式作業キャリアーが一機、這っている。宇宙規模で見れば、塵である。いや、塵に失礼かもしれない。塵は壊れない。パッチワーカーはよく壊れる。
通信が入った。
『作業機へ通告。停止せよ』
「作業中だ」
『停止せよ』
「杭が刺さってる」
『帝国軍による安全拘束措置である』
「安全なら外しやすく作れ」
『現場判断による解除は想定されていない』
「クソ仕様だな」
カイは一番近い杭へ向かった。
グラディウス三機が進路を塞ぐ。
動きが速い。
射線も正確。
互いの死角を埋めている。
正規軍だった。
海賊のように雑ではない。
カイは素直に思った。
強い。
そして、面倒くさい。
グラディウスがライフルを構える。
撃たれる。
外壁が弾ける。
白い破片。
火花。
パッチワーカーの左肩に警告。
直撃ではない。
足止めだ。
上手い。
上手いから腹が立つ。
『カイ、右から二機!』
ガンツの声。
元海賊のキャリアー〈ラスト・フック〉が、港湾区外縁から飛び出した。
装甲は悪い。
色も悪い。
左肩には前の船団マークが半分残っている。
ワイヤーの扱いだけは異常に上手い。
ワイヤーが飛び、グラディウス一機の足首に絡む。
貨物固定リングへ引っ掛ける。
帝国機が一瞬止まる。
『作業場で足を浮かすな! 基本だろうが!』
ガンツが怒鳴る。
元海賊が現場安全を語っている。
宇宙は広い。
セリアの声が入った。
『カイさん、補給コンテナ三番を外壁側へ射出します。中身は絶縁パッチ、旧式端子アダプタ、冷却材、予備ケーブル、三十ミリ散水管』
「散水管?」
『農業区用です。ついでに積みました』
「助かる」
『ただし冷却材は医療区用を一部回しています。使い切らないでください』
「使い切ったら?」
『私が怒ります』
「了解」
補給コンテナが外壁を滑ってくる。
パッチワーカーが受け取る。
重い。
腰のジャイロが悲鳴を上げた。
セリアはさらに別通信を開いていた。
『廃艦市場B-12、ヴァルトライン名義で信用取引を申請。旧式拘束杭用の解除端子、規格外品で構いません。三十分以内に転送を』
通信先の男の声が漏れる。
『ヴァルトライン? 中央に潰された物流ギルドの名で、まだ信用を使う気か』
『使います。代金は私個人で保証します』
『軍に戻ったお嬢様が、ずいぶん泥臭い注文をする』
『現場で必要です。送ってください』
通信は切れた。
カイはそれを聞いたが、深く聞かなかった。
聞く余裕がなかった。
そして、今聞く話ではない。
カイは壊れた端子を直す。
セリアは、そこへ届くはずのない部品を届かせる。
どちらか一方では、現場は動かなかった。
セリアが外の世界から部品を引っ張ってくる。
それだけで十分だった。
カイは一本目の杭の根元へたどり着いた。
赤い警告リング。
黒銀の胴体。
帝国共通規格の刻印。
根元には保守パネル。
パッチワーカーの指で保守パネルをこじ開ける。
固い。
当然だ。
帝国最新鋭である。
固いだけなら開く。
問題は中身だった。
カイは中を見て、黙った。
配線。
認証モジュール。
熱逃げ経路。
安全ロック。
保守端子。
それらの配置を見て、カイの眉間に皺が寄った。
「……なんだこれ」
『解析します』
「しなくていい。見れば分かる」
『構造上の問題を確認しました』
「現場で解除する保守端子が、熱逃げダクトの裏にある」
『はい』
「異常加熱時に触れない位置だ」
『はい』
「安全ロック解除が中央認証必須」
『はい』
「通信断したら?」
『解除不能です』
「馬鹿か」
カイは吐き捨てた。
「異常時に手で開ける場所を、異常時に触れない場所へ置くな。通信が落ちた時に必要な解除を通信認証にするな。安全装置を安全に外せないようにしてどうする。これ書いた奴、現場に出たことあるのか」
通信回線が拾っていた。
帝国側の技術通信に、マリウスの声が入る。
『その設計は、現場の恣意的操作による事故を防ぐためのものです。中央認証は安全性を担保します』
「中央が落ちた時に現場まで止まる仕様を安全って呼ぶな」
『理論上、中央認証系は九十九・九八パーセント維持されます』
「残りの〇・〇二パーセントの日に現場へ来い」
カイは配線カッターを突っ込んだ。
保護被膜を剥く。
火花。
焦げた樹脂の匂い。
古い仕事の嫌な匂い。
ノアが低く言う。
『この拘束制御モジュール、旧銀河外縁造船株式会社の補助規格と一致します』
「やっぱりな」
『カイの元職場です』
「知ってる。手癖が汚い」
分かる。
図面を見なくても分かる。
現場を信用していない配線。
あとで保守する人間の手の大きさを考えていない端子間隔。
熱がこもる場所に置かれた制御モジュール。
マニュアルのための安全。
現場のためではない安全。
クソ仕事の遺産。
会社は潰れても、クソ仕様は宇宙に残る。
最悪である。
カイは保守端子を差した。
《認証拒否》
《帝国技術局権限必要》
《手動解除不可》
「不可じゃない」
カイは別の線を剥いた。
認証線ではない。
制御線でもない。
温度監視線。
そこから安全側へ落とす。
『危険手順です』
「危険なのは設計だ」
仮接地。
旧式アダプタ。
冷却材を少量。
保守信号を流す。
赤い警告リングが一つ消えた。
杭が震える。
『変形骨格ロック、一部解除』
帝国側がざわついた。
『解除干渉を検出』
『不可能です。中央認証なしでは解除できません』
『認証していない。温度監視線から安全側に落とされている』
『何を言っている?』
『整備手順です』
『戦闘中だぞ』
そうだ。
戦闘中である。
壊れたものは戦闘中でも壊れている。
なら直すしかない。
グラディウス部隊が接近する。
カイは振り返らない。
「ガンツ」
『分かってる!』
ラスト・フックのワイヤーが飛ぶ。
リナの照明が外壁を照らす。
港湾区から伸びた黄色い作業灯が、グラディウスのセンサーを一瞬だけ白く焼く。
『右です! 胸の下、白い四角!』
リナの声。
彼女は避難誘導用の小型キャリアー〈リトル・ランプ〉に乗っていた。
戦闘力はない。
装甲も薄い。
照明だけは強い。
白い四角。
グラディウス胸部下の保守ポート。
カイはパッチワーカーの保守端子を突き出した。
帝国機がブレードを抜く。
間に合わない。
ガンツのワイヤーが腕を引く。
セリアの補給ドローンが絶縁パッチをばら撒く。
リナの照明がセンサーを焼く。
その一瞬で、端子が刺さった。
「安全点検」
カイは保守信号を流した。
グラディウスの膝が落ちた。
白灰色の最新鋭機が、外壁に片膝をつく。
『機体制御低下!』
『関節ロック発生!』
『攻撃されたのか!?』
『違う、整備モードに落とされています!』
『戦闘中に整備モードなど入るはずがない!』
『入っています!』
入っている。
入るように作ったからである。
整備モードがなければ整備できない。
整備モードがあるなら、入る。
当たり前だ。
最新鋭も旧式も、壊れた時はだいたい同じ顔をする。
レオンの通信が低く入る。
『マリウス監察官。説明を』
『共通規格の保守系を逆用されています。しかし、これは通常ありえません。保守端子への物理接続なしに――』
『物理接続している』
『戦闘中の機体へ直接端子を刺す前提はありません』
『彼は刺している』
『それは仕様外です』
『現実だ』
レオンの声は怒鳴っていなかった。
冷たかった。
マリウスは黙った。
二本目は、もっと早かった。
同じ場所に同じ馬鹿が詰まっていた。
カイは同じ線を剥き、同じ嘘を無視し、同じ赤い輪を消した。
『二本目、解除』
帝国側の戦術解析班が慌て始めた。
『司令、敵作業機の挙動は単なる修理ではありません。帝国共通規格の安全階層を逆手に取った、広域兵装停止術式と推定されます』
『術式ではない』
レオンが言った。
『だが、結果は術式と同じだ』
『古代艦と操縦者の間に、整備思考を直接戦術化する回路がある可能性は?』
『分からない。だが、もっと悪い可能性がある』




