第十一話 パッチワーカー、港を直す
右舷港湾区の仮通路で、白タグの船から降りた子どもがリナの袖を引いた。
リナは瞬きをした。
弟が顔を上げる。
「トマトある?」
「まだない」
「ないの?」
「植えた。まだ食えない」
「いつ食べる?」
「赤くなったら」
「赤いの、見たことない」
カイは、手元の種袋を押さえた。
それから言った。
「じゃあ、見ろ」
弟は頷いた。
大きな仕事を任された顔だった。
子どもはすぐ、どうでもいいことを重要任務にする。
大人よりましである。
大人は重要任務を、すぐ責任押し付けにする。
セリアが補給端末を持って近づいてきた。
彼女は港湾区を見渡した。
医療船。
種子コンテナ。
船籍不明船。
焦げた磁力レール。
ワイヤーを張ったラスト・フック。
煙を上げるパッチワーカー。
「帝国軍港湾教本なら、この条件では医療船を優先します」
「そうか」
「種子コンテナは放棄」
「だろうな」
「船籍不明船は、隔壁外へ押し返す判断になります」
「押し返したら割れる」
「はい。ですが、正規手順では三つ全部を救う手順がありません」
セリアはカイを見た。
「あなたは、三つ全部を拾いました」
「拾ったのは俺だけじゃない。ガンツが止めた。リナが光を振った。あんたが酸素と冷却材を入れた」
「それでも、全体を見て港を動かしたのはあなたです」
「港がたまたま生きてただけだ」
「生きている設備を見つけて使える人間は少ないです」
セリアは補給端末を閉じた。
「帝国軍の正規港湾管制システムでも、同条件での再現は困難です」
「大げさだろ」
「大げさではありません」
ノアが壁面から割り込んだ。
『同意します』
「お前まで言うな」
『事実です』
カイは嫌な顔をした。
褒められるのは苦手である。
叱られる方が慣れている。
よくない人生である。
『港湾管制ログの解析が完了しました』
ノアの青白い文字が、壁に開いた。
《事故原因》
《一、港湾管制補助システムの安全系統不備》
《二、旧式手動系統の意図的停止》
《三、外部偽誘導信号》
《四、保守ログ改ざん》
「外部偽誘導信号?」
『はい。資金経路にモルガ商会系列の痕跡』
セリアの顔が少しだけ硬くなった。
『監査停止命令に、グラン侯家の代理署名』
セリアは短く息を吸った。
「その二つの名前が、同じ事故ログに出るのは普通ではありません」
「知ってる名前か」
「知っています」
セリアは補給端末を開いた。
指が速い。
「医療フィルタの保留、種子コンテナの検疫停止、酸素カートリッジの価格調整。別々の案件に見えていましたが、裏に同じ名前が何度も出ています」
モルガ商会。
グラン侯関連財団。
ハルゼン航路開発。
セリアの顔から、いつもの補給士官の無表情が少し消えた。
「この名前、何度も出ています」
その言い方で、カイにも分かった。
これは一回の事故ではない。
物が届かないようにする線が、前から引かれていた。
「モルガは金だけで動きます。グラン侯家は、金だけでは動きません」
ガンツがラスト・フックのスピーカー越しに言った。
『急に大物の名前が出るじゃねえか』
「面倒だな」
『面倒ですね』
ノアが同意した。
同意しないでほしい。
同意されると、現実になる。
「元職場のログは」
『取得済みです』
壁面に、別の表示が開く。
《銀河外縁造船株式会社》
《未払い賃金記録》
《危険業務単独派遣記録》
《救助義務違反の疑い》
《欠陥港湾管制システム納入記録》
《保守費継続請求記録》
《事故責任転嫁文書》
《違法回収業者への依頼ログ》
《カイ・ミナト作業実績の管理職名義転記》
最後の一行を見て、ガンツが笑った。
『やってんなあ』
「笑うな」
『ここまで汚いと笑うしかねえだろ』
カイは壁を見た。
自分の名前があった。
カイ・ミナト。
緊急炉冷却。
港湾配線復旧。
医療区空調立て直し。
外壁手動封鎖。
深夜対応。
無給待機。
事故対応補助。
補助。
実際にやった人間を小さくする時に使う、軽い札だった。
補助。
支援。
臨時。
確認します。
そこをなんとか。
『外部通信。銀河外縁造船株式会社、第三整備課主任トダより』
カイは顔をしかめた。
「出るな」
『通信内容は自動記録されています』
「表示だけ」
壁に通信文が出た。
《カイ、聞こえているな》
《今すぐそのログ表示を止めろ》
《会社の機密情報だ》
《お前は退職済みでも守秘義務がある》
《勝手に設備を触った責任を問われるぞ》
《大人なんだから分かるだろ》
《そこをなんとかしろ》
港湾区が静かになった。
そして、ガンツが腹を抱えて笑った。
『そこをなんとか!』
元海賊たちも笑った。
医療船の作業員まで笑った。
セリアは笑わなかった。
ただ、補給端末の録画ボタンを押した。
カイは壁を見た。
そこをなんとか。
この言葉で、何度も徹夜した。
何度も休みが消えた。
危険区画へ一人で入った。
失敗だけ押し付けられた。
便利な言葉だった。
頼む側だけが楽になる言葉だった。
『返信しますか』
「返信」
『内容を』
「確認します」
『送信します』
《返信:確認します》
それだけ。
本当にそれだけ。
港湾区の笑いが、さらに大きくなった。
ノアは止まらなかった。
『現在の脅迫通信も証拠として追加保存します』
《証拠追加》
《退職者への守秘義務名目による公開停止要求》
《事故責任転嫁予告》
《会社機密を理由とした救助ログ隠蔽要求》
通信の向こうで、トダ主任の声が割れた。
『おい、待て。違う。今のはそういう意味じゃない。カイ、分かるだろ。俺だって上から言われてただけなんだよ』
『だいたい、お前が勝手に辞めたせいで現場がこうなったんだろ! お前が残っていれば――』
《退職後もカイ・ミナト氏の作業手順を無断使用》
《後任未配置》
《欠員状態で保守費継続請求》
《退職者への責任転嫁発言:記録》
『おい、違う! 今のは違う! なあ、カイ、頼む。今だけ止めろ。俺の家族が――』
《証拠隠滅要求:記録》
ガンツが笑いすぎて、声が出なくなっていた。
カイは、港湾区に降りてきたリナの弟を見た。
弟は、まだ港の灯りを数えている。
このログを伏せれば、会社は助かるかもしれない。
同じ部品が別の港で使われる。
同じ手順書が別の現場で読まれる。
同じ「そこをなんとか」が別の整備士に飛ぶ。
その港に、また医療船が来る。
また種子コンテナが来る。
また子どもの乗った船が来る。
カイは、焦げたパッチワーカーの右手首を見た。
それから、言った。
「ノア、公開範囲」
『指定してください』
「個人医療情報は伏せろ。難民船内部映像も伏せろ。子どもの顔も消せ。会社の偉い奴の名前は」
『表示しますか』
「表示しろ」
『了解』
青白い文字が、港湾壁に大きく出た。
《証拠保全》
《公開先:公共監査局/被害船団/帝国安全監査窓口》
《改ざん防止署名:NOAH CORE》
《公開開始》
数秒。
たった数秒だった。
監査が動いた途端、会社の返信文から命令口調が消えた。
公共監査局から受領通知。
被害船団組合から照会。
港湾保守保険から契約停止予告。
どれも急に、人間の言葉に似ていた。
帝国安全監査窓口から、証拠保全命令。
銀河のどこかの誰かが騒ぐより先に、現場へ効く回線が鳴った。
銀河外縁造船の社長は、会見台へ出る前に逃げ場を一つ失った。
カイは、その通知を最後まで見なかった。
気持ちは少しだけ軽くなった。
少しだけである。
しかし、ざまぁで配管は直らない。
ざまぁで焼けた端子爪は戻らない。
ざまぁで風呂は沸かない。
ざまぁでトマトは赤くならない.
「ノア、会社側の通信は全部記録。返信は自動で『確認します』にしろ」
『了解しました』
「白タグの船は医療区へ回せ。食堂は粥の鍋を一つ増やす。風呂は二時間後でいい。散水弁は今戻す」
『了解』
セリアが補給端末をこちらへ向けた。
《冷却材:不足》
《酸素カートリッジ:不足》
《耐熱ボルト:規格混在》
《港湾レール補修材:不足》
《医療用白タグコンテナ:不足》
《食材:不足》
《支払能力:不明》
最後が嫌だった。
「高いだろ」
「高いです」
「少なめで」
「安く済ませた結果が、この港です」
カイは請求明細をもう一度見た。
強い。
補給は本当に強い。
「必要数で」
セリアの指が、一瞬だけ止まった。
それから、補給端末を打つ速度が少し上がった。
「はい」
「支払いは」
「後で考えます」
「怖いな」
「補給ですので」
「どこから持ってくるんだ」
「正規在庫、退役軍港、民間補給網、登録外市場」
「最後」
「聞かなかったことにしてください」
「聞かなかった」
「ありがとうございます」
セリアはすでに、どこかの相手へ通信を繋いでいた。
『冷却材を公開相場で買うつもりはありません。はい。こちらは帝国補給局の正規番号です』
少し間が空いた。
『その冷却材、帝国第七補給倉庫では廃棄扱いのはずです。なぜ新品価格で売っているのですか。監査局に在庫番号を照会してもよろしいですか』
さらに間。
『はい。半額で。輸送費込みです』
カイは少し引いた。
補給士官、恐ろしい職業である。
その夜。
港湾区の応急処置が一段落した頃、カイは一人で農業区へ戻った。
浴場区の湯は、まだ肩まで入るにはぬるい。
食堂からは薄い粥の匂いが流れてくる。
医療区の白い照明だけが、落ち着きなく点滅していた。
港湾区ではガンツたちが焦げたレールを削っている。
セリアは補給端末を見ながら、どこかの登録外市場らしき相手と冷静に値切っている。
外では銀河外縁造船への監査が始まっている。
農業区だけは静かだった。




