第十話 ブラック企業の請求書
『こちら帝国補給局所属、セリア・ヴァルトライン。医療物資コンテナ二基、冷却材一基、酸素カートリッジ二基を搬入する。港湾誘導を求めます』
女の声だった。
冷静。
速い。
余計な情緒がない。
現場を見ている声だ。
「セリアさん、聞こえるか」
『聞こえています』
「白タグ、医療船」
『了解』
「青タグ、種子」
『了解』
「酸素、船尾」
『了解。搬送ドローンを出します』
「緑タグの種子、四分以内」
『三分四十秒で入れます』
「助かる」
『助かるかどうかは搬入後に判断してください』
「真面目か」
『補給ですので』
補給キャリアーの背中でラックが開いた。
白タグ。
青タグ。
酸素マーク。
コンテナが射出され、港湾床へ滑り込む。
小型搬送ドローンが底部に噛みつき、低い唸りを上げて走り出した。
その動きに無駄がない。
カイが港の生きている配管を探すより先に、セリアは届かせる順番を決めていた。
白タグは医療船。
酸素は船尾側。
青タグは種子コンテナ。
冷却材は最後ではなく、二番目。
命の順番ではない。
間に合う順番だった。
『医療コンテナは先に置きます。開封は医療船側で。こちらで開けると滅菌保証が切れます』
「細かい」
『細かくない補給は、あとで人を殺します』
カイは補給表から目を離せなかった。
直すだけでは駄目だった。
届いて、開けて、使える状態でなければ意味がない。
カイは少しだけ感心した。
少しだけである。
感心しすぎると仕事が増える。
《医療船:生命維持停止まで一分五十秒》
《種子コンテナ:冷却限界まで三分二十秒》
《船籍不明船:船尾破断まで一分五秒》
『医療船、下段へ流入』
白い医療船が、港湾下段に近づいた。
姿勢が悪い。
右舷の裂け目から白い蒸気。
このままでは接続口に斜めから刺さる。
「白灯だけ」
『了解』
下段の誘導灯が一列だけ白く伸びる。
「二、四、六。受けろ」
『受動保持』
巨大な係留アームが開く。
医療船が、がくん、と沈む。
係留アームが受けた。
掴まない。
引かない。
押さない。
船体が割れるからだ。
「水循環三番、酸素」
『浴場温度が低下します』
「風呂は後」
『農業区散水が停止します』
「トマトには謝る」
『待ってください』
セリアが割り込んだ。
「何」
『水循環三番を全開にすると、医療船へ酸素は届きます。ただし農業区の散水ラインが空になります。種子コンテナを入れても、明日の散水ができません』
「代案は」
『浴場予備タンクを三分だけ吸います。湯はぬるくなりますが、散水ラインは残ります』
「風呂が怒るぞ」
『風呂にはあとで謝ってください』
「トマトには?」
『謝らなくて済みます』
「採用」
水循環ポンプ三番が唸った。
港湾下段の医療船接続口に、白い酸素供給表示が点く。
セリアの白タグ医療コンテナが、接続口横へ滑り込む。
『医療コンテナ、配置完了』
「医療船、接続」
『接続完了。既存重症患者七名、搬送可能』
「新規負傷は」
『なし』
《医療船:接続完了》
「一つ」
まず一つ。
だが息をつく暇はない。
《種子コンテナ:冷却限界まで二分三十秒》
《船籍不明船:船尾破断まで五十八秒》
中段外側で、グリーン・ボックス二七がコンテナを切り離した。
灰色の箱が三つ外れる。
中央の一つ。
緑タグ。
あれが駄目になると、農業区の未来が減る。
「十番アーム」
『基部に亀裂』
「九番」
『先端センサー故障』
「九番の目で十番を動かす」
『異機種間連携は未設定です』
「今やる」
パッチワーカーの背中でケーブルドラムが回った。
青白い線が、床から壁へ、壁から係留アームへ走る。
九番アームの壊れかけたセンサーが、十番アームへ無理やり信号を渡す。
精度は悪い。
ゼロより強い。
十番アームが伸びる。
ぎぎぎぎ、と、老人の膝みたいな音がした。
種子コンテナを掴む。
掴みそこねる。
角が滑る。
「あ」
元海賊の誰かが声を出した。
「黙れ。まだ落ちてない」
カイは貨物リフトを起動した。
床の下から、巨大な灰色の台座がせり上がる。
種子コンテナが落ちる。
落ちた。
貨物リフトの上だった。
どん、と鈍い音。
外装がへこむ。
緑タグはまだ点いている。
『種子コンテナ、外装破損軽微。内部温度上昇継続』
「セリア、青タグ!」
『投下済みです』
青タグ冷却材コンテナが、搬送ドローンに押されて種子コンテナ横へ滑り込んだ。
セリアの補給キャリアーが片膝をつく。
前面ハッチが開く。
そこから、長身の女性が降りた。
金髪。
深い青の目。
帝国補給士官服。
肩に補給局章。
左腰に補給端末。
黒い箱型補給鞄を、左肩から右腰へ斜め掛けしている。
彼女が急いで補給鞄を掛け直す。
斜めベルトに端末ストラップが絡まり、セリアは無表情でそれを外した。
元海賊の一人が、一歩だけ前に出た。
「重そうだな。手伝いましょうか」
セリアは相手を見なかった。
補給端末を指で叩く。
『作業員識別:元海賊二番。補給鞄への接触、不要。夕食配給、粥・薄味へ変更』
「すみませんでした!」
元海賊二番が即座に頭を下げた。
ガンツが叫ぶ。
『バカ野郎! 補給士官を怒らせるな! 飯を握ってる奴が一番強えんだぞ!』
正しい。
飯を握る者は強い。
カイは補給鞄の固定部を見ていた。
「そのベルト、荷重分散が悪い。肩を痛める」
セリアが一瞬だけ沈黙した。
「……そこを見ますか」
「他に直せるところは、今見えない」
「では、後で調整をお願いします。今は作業を」
カイは頷いた。
パッチワーカーの左腕を伸ばし、冷却材コンテナの接続口に緊急パッチ材を噛ませた。
ボルト径が違う。
嫌になる。
規格違いは、人類の敵である。
「耐熱ボルト、M八相当。短いやつ三本」
「あります」
「なんであるんだ」
「補給ですので」
強い。
補給は強い。
カイはボルトを受け取った。
接続。
冷却材注入。
種子コンテナの温度表示が赤から黄へ、黄から緑へ落ちる。
『種子コンテナ、冷却成功』
《種子コンテナ:冷却成功》
「二つ」
二つ目。
残りは、一番嫌なやつ。
《船籍不明船:船尾破断まで四十二秒》
港湾中段へ、船籍不明船が流れてくる。
船尾が下がっている。
姿勢制御が効いていない。
港湾壁へ斜めに突っ込む軌道。
ぶつかれば、船尾が割れる。
そこに子どもがいる。
『船内名簿の照合が取れました』
「窓のライトの子か」
『はい。氏名、リナ。船尾区画で避難誘導中です』
リナのライトが、窓の中で激しく振られていた。
『船尾区画、子ども十一名。うち二名、移動不能』
「リナ、聞こえるか」
外部スピーカーを開く。
『……聞こえます!』
細い声。
はっきりしていた。
「ライトを船尾の裂け目に当てろ」
『はい!』
「弟から手を離すな」
『離しません!』
窓の内側で、リナが男の子を片腕で抱き寄せたまま、ライトを振る。
光が船尾の裂け目に当たる。
そこだ。
あそこを引くと割れる。
あそこを避ける。
「ガンツ!」
『聞こえてる!』
港湾下段と中段の境目で、ラスト・フックが立っていた。
くすんだ橙色の大型作業キャリアー。
背中にワイヤードラム二基。
三本指の太い手。
足裏のロックピンが床に刺さっている。
「ライト位置を避けろ。補強桁だけ取れ」
『見えてる! リナとかいう嬢ちゃん、いい目印だ!』
ラスト・フックのワイヤードラムが回った。
一本目が船腹の補強桁へ。
二本目が船首下の太いフレームへ。
命中。
ワイヤーが張る。
引けば割れる。
「引くな!」
『分かってる! 逃げる向きだけ塞ぐ!』
ラスト・フックの足裏ロックピンが床を削った。
火花。
船籍不明船の船尾は、まだ壁へ向かっている。
足りない。
カイはノアリンクの青い地図を見た。
三番レール、生きている。
五番レール、反応が鈍い。
七番レール、停止。
隔壁十二、半分だけ動く。
貨物リフト二、動く。
「三番、逆相」
『港湾床負荷上昇』
「五番、低出力」
『パッチワーカー右腕温度上昇』
「船尾下だけ噛ませろ」
『右手首接続爪、焼損予測』
「後で泣く」
『今抜けば防げます』
「今抜いたら人が死ぬ」
ノアは、それ以上言わなかった。
青白い光が強くなる。
港湾床の磁力レールが鳴った。
船籍不明船の船尾下に、見えない力がかかる。
一メートル。
三メートル。
八メートル。
足りない。
《船籍不明船:衝突まで十秒》
セリアの声が割り込む。
『酸素カートリッジを船尾へ滑り込ませます』
「ぶつかる」
『ぶつけません』
セリアの搬送ドローン二機が、酸素カートリッジを抱えて走った。
船籍不明船の影が上から落ちる。
無茶だ。
必要な無茶だった。
「ガンツ、左を半巻き!」
『やりすぎるぞ!』
「半分の半分!」
『細けえな!』
ラスト・フックが左ワイヤーをほんの少し巻いた。
船体が傾く。
リナのライトが揺れる。
弟が泣く。
船尾が港湾壁をかすめた。
黄色と黒の警戒ラインが削れる。
火花。
金属音。
割れない。
「隔壁十二、半分」
『半閉鎖』
巨大な隔壁が降りる。
止めるのではない。
押すのでもない。
逃げ道を細くして、速度だけを落とす。
船籍不明船が、ぎし、と鳴った。
港湾区全体が震える。
パッチワーカーの右腕から白い煙が出た。
『右手首接続爪、熱損傷』
「まだ抜くな」
『損傷拡大』
「まだだ」
リナのライトが、船尾の裂け目から外れた。
別の窓に移る。
そこに子どもたちがいた。
小さな手。
顔。
白い息。
『子ども区画、位置確定』
「セリア!」
『接続します』
搬送ドローンが酸素カートリッジを船籍不明船の緊急ポートへ叩き込んだ。
接続。
白い表示。
船尾区画の圧力低下が止まる。
同時に、ラスト・フックのワイヤーが船体を固定した。
磁力レールが船尾の流れを押さえる。
隔壁十二が揺れを受ける。
貨物リフト二が船底を支える。
船籍不明船が止まった。
『船籍不明船、係留完了』
《船籍不明船:係留完了》
『船尾区画、圧力維持』
『子ども十一名、生体反応維持』
《新規死者ゼロ》
《新規重傷者ゼロ》
《既存重症患者七名、医療区へ搬送中》
《種子コンテナ一基、外装破損軽微》
《三隻同時接触事故、回避》
港湾区に、変な沈黙が落ちた。
誰もすぐには歓声を上げなかった。
身体が追いついていなかった。
カイはようやく息を吐いた。
パッチワーカーの右手首を抜く。
がちん。
端子爪の一本が焦げて曲がっていた。
「あー」
『修理が必要です』
「見れば分かる」
『整備時間、推定四時間』
「一時間でやる」
『不可能です』
「二時間」
『危険です』
「三時間」
『現実的です』
「交渉か」
『安全管理です』
カイはコックピットで肩を落とした。
船籍不明船のハッチが、ゆっくり開いた。
最初に出てきたのは、リナだった。
黒い髪。
不揃いの前髪。
袖の長い古着。
右手に旧式ライト。
左腕で小さな弟を抱えている。
弟は港湾区の灯りを数えていた。
「いち、に、さん……」
声が小さい。
生きている声だった。
リナはパッチワーカーを見た。
つぎはぎだらけの旧式作業機。
煙を上げる右腕。
胸の手書き文字。
《PATCH》
リナは何か言おうとして、うまく言えなかった。
カイも、何か言うべきだった。
大丈夫だ。
もう安心だ。
ここは安全だ。
そういう言葉は、言った瞬間に嘘になることがある。
カイはそれを知っている。
だから、代わりに言った。
「飯は出る。風呂は、今ちょっとぬるい」
そのころ、銀河外縁造船株式会社の監査窓口に、モルガ商会名義の照会が一件だけ滑り込んでいた。




