第42話 勝った先で、何かが目を覚ましました
《特殊勝利条件を確認》
新しい文字が浮かび始めるのを見て、俺は思わず管理画面から顔を離した。
《迷宮心臓片》を選び、その直後には追加の《勝者特権》まで発生して《簒奪》を手に入れた。これだけでも今日一日の収穫としては十分すぎるのに、画面はまだ終わるつもりがないらしい。
「……まだあるの?」
《大規模敵対勢力の撃破》
《自ダンジョン内における完全勝利》
《敵対勢力指揮官の死亡、および残存戦力の降伏を確認》
《特殊報酬を付与します》
「本当にあるんだ……」
「今回、どれだけ貰えるんですか?」
「俺に聞くなよ!」
さすがに三回目ともなると、嬉しさより先に不安が来る。
今度は三択ではなく、金色の文字が一つだけ浮かんだ。
《特殊権限:迷宮戦権》
聞いたことのない名前に触れた瞬間、いつもの管理画面が大きく形を変え、俺は反射的に息を呑んだ。
目の前に広がったのは、これまで何度も見てきた自分のダンジョンだった。ただし壁や通路だけではなく、入口から各区画、施設、《星泪泉》へ続く水路までが細い光で結ばれ、全体が一つの大きな塊として浮かんでいる。
その周囲には、今まで見たことのない暗闇が広がっていた。
そして、その奥。
小さな光が浮かんでいる。
一つだけじゃない。
さらに遠くにもう一つ。その向こうにも、目を凝らしてようやく分かる程度の光があった。
「……これ、まさか」
意識を向けると、視界の端へ《迷宮戦》という文字が浮かび、その下に支配区画、攻略状況、勝敗条件、敵中枢といった見慣れない項目が続いていく。
全部を読まなくても、大体分かった。
これは今までみたいに、自分のダンジョンへ入ってきた相手を迎え撃つためのものじゃない。
俺と同じように、自分のダンジョンを持つ相手と戦うための機能だ。
これまでは、ここを守ることしか考えてこなかった。
牙狼が来れば罠へ落とし、冒険者が来れば地形を使い、ガルガン商会が大勢で押し寄せてくれば、使えるものを全部使って迎え撃った。
でも、今見えている光の向こうには、俺と同じことをする奴がいる。
自分の場所を作り、施設を増やし、何度も戦いながら生き残ってきたダンジョンマスターが。
そこへ今度は、こっちから入ることになる。
「……嫌だなあ」
思わず漏らすと、隣のケインが意外そうにこちらを見た。
「嫌なんですか?」
「嫌に決まってるだろ。俺ですら自分の家ならこれだけやるんだぞ? もっと長くやってる奴の家とか絶対入りたくない」
言いながら、視線が《簒奪》へ向く。
敵対ダンジョンマスターが持つ特殊なものを、《勝者特権》の候補へ混ぜる権能。
そして今度は、他のダンジョンマスターとの戦いそのものを成立させる《迷宮戦権》。
別々に見えていた二つが、ここで一気に繋がった。
長く生き残っている相手ほど、攻略は難しい。
その代わり、勝てた時に奪えるものも期待できる。
怖い。
面倒。
できれば戦いたくない。
それでも、遠くに浮かぶ光を見ていると、胸の奥に別の感情まで混ざってくる。
「……詩さん」
「何?」
「ちょっと笑ってますよ」
「気のせい」
俺はすぐに管理画面を閉じた。
今から探し回るつもりはない。
そもそも、こっちは床の修理すら終わっていない。
ただ。
もし向こうから来るなら、その時は話が別だ。
《特殊権限:迷宮戦権を獲得しました》
金色の文字が消え、今度こそ管理画面が静かになる。
念のため少し待ってみたが、もう何も出てこない。
ようやく終わったらしい。
そこで俺は、手の中に残った黒い結晶へ目を落とした。
中心では青緑色の光が、今も心臓みたいにゆっくりと脈打っている。
報酬は全部受け取った。
でも、こっちはまだ使っていない。
「……行くか」
「種のところですか?」
「ああ」
ケインは少しだけ嫌そうな顔をした。
「今日はもう十分色々あったと思いますけど」
「俺もそう思う」
大勢に攻め込まれ、広間が半壊し、《星泪泉》まで繋がり、グレゴールが死んだ。その後に報酬まで三つ受け取ったのだから、普通なら今日はもう休む。
ただ、手の中にはずっと分からなかった《謎の種》の答えかもしれないものがある。
ここまで来て明日まで待てるほど、俺は我慢強くない。
「でも、これ持ったまま寝られると思う?」
ケインは《迷宮心臓片》を見る。
「……無理でしょうね」
「だろ?」
結局、リュネリアとネイラまで興味を持ってついてきた。
◇
《謎の種》を植えた区画には、以前とほとんど変わらない小さな植物が生えていた。
発芽こそしているものの、細い茎に数枚の葉がついているだけで、初めて見つけた時に感じた期待も今ではかなり薄れている。
名前だけはずっと《謎の種》。
何になるのかも、どう育てるのかも分からない。
「これに使うんですよね?」
「ああ。ただ……どうやって使うんだ?」
土に埋めるのか。
根元へ置くのか。
それとも砕くのか。
最後だけは絶対に嫌だ。極希少素材を粉々にして、何も起きませんでしたでは立ち直れない。
俺が結晶と植物を見比べていると、それまで黙っていたネイラが植物の前へしゃがみ、鼻を僅かに動かした。
「匂いが変わった」
「え? まだ何もしてないぞ」
ネイラは返事をせず、植物をじっと見つめる。
その視線を追って、俺もようやく気付いた。
葉が揺れている。
風はない。
試しに《迷宮心臓片》を右へ動かすと、葉がゆっくりそちらへ傾いた。
左へ動かす。
また追ってくる。
「……これ、反応してるよな?」
「してますね」
リュネリアも横から覗き込む。
相性が悪いようには見えない。
むしろ、さっきまで何をしても大して変化しなかった植物が、初めて自分から反応している。
俺は少し迷ってから、《迷宮心臓片》を根元へ近付けた。
十センチ。
五センチ。
あと少し。
その瞬間、土から飛び出した細い根が結晶へ巻き付き、俺の手から一気に奪い取った。
「うわっ! お前!」
結晶がそのまま土の中へ引きずり込まれる。
「俺の極希少素材ぉぉぉぉ!!」
「渡すつもりだったでしょう!」
「心の準備くらいさせろよ!」
叫んだ直後、足元から青緑色の光が溢れた。
最初は植物の周囲だけだった光が細い筋となって床を走り、壁へ入り込み、そのまま通路の奥へ消えていく。
一本ではない。
二本、三本と増えながら、まるで地下へ巨大な血管が伸びていくように広がっていった。
どくん、と床が震える。
《迷宮心臓片》が脈打った時と同じ感覚だった。
「……待て。これ、大丈夫なやつ?」
誰も答えない。
次の瞬間、植物が一気に伸びた。
細かった茎が俺の背丈を越え、枝と葉を広げながら天井へ向かう。根は床を割るのではなく石の中へ沈み込み、壁へ伸びたものも境目を失うように溶けていった。
俺は慌てて管理画面を開いた。
そこに映っていたものを見て、言葉を失う。
植物の根が、この区画だけに留まっていない。
居住区画から入口へ伸び、罠を作った通路を通り、《星泪泉》へ繋がった水路へ絡み、さっきまで戦っていた広間にまで届いている。
青緑色の光が、俺のダンジョン全体へ張り巡らされていた。
「……何だ、これ」
妙な感覚だった。
見えていないはずの遠くの通路が、急に近くなったような気がする。
水の流れも、閉じた扉も、崩れた広間も、全部が一本の線で繋がっている。
管理画面で位置を把握しているのとは違う。
もっと直接的で、上手く言葉にできない感覚。
今まで石と土の塊だったダンジョンに、初めて血が通ったみたいだった。
その感覚に気を取られていると、リュネリアが小さく声を上げた。
「マスター、あれ」
見上げる。
伸びた植物の先端に、大きな蕾ができていた。
俺の身体より大きい。
「……何で花?」
青緑色の光が隙間から漏れ、蕾はゆっくり膨らんでいく。
嫌な予感がした俺とケインはほぼ同時に一歩下がったが、リュネリアは興味深そうに見上げ、ネイラは何かを探るように鼻を動かしていた。
「中にいる」
「何が!?」
答えを聞くより早く、蕾が開いた。
眩しい光に目を細めた直後、花の中心から何かが転がり落ちる。
「痛っ!」
人の声だった。
恐る恐る視線を戻すと、花の下で小さな女の子が尻餅をついている。
腰まで伸びた髪は深い青緑色で、暗い場所では黒にも見えるのに、光を受けた毛先だけが鮮やかに輝いていた。白い服に裸足という格好も十分変だが、それ以上に気になるのは、頭から生えている二枚の小さな葉だ。
少女は腰をさすりながら立ち上がると、琥珀色の瞳をこちらへ向けた。
「まったく……もっと丁寧に起こせんのか」
何で俺が怒られてるんだ。
「ぬし」
少女が真っ直ぐ俺を見る。
「俺?」
「他に誰がおる」
初対面なのに態度がでかい。
少女は俺の顔をしばらく眺めたあと、今度は壁や天井、通路へ順番に視線を向けていった。
何かを確認しているらしい。
やがて腕を組み、納得したように頷く。
「ここは、ぬしの迷宮か?」
「……そうだけど」
「ふむ」
もう一度周囲を見回した少女は、少し考えてから口を開いた。
「狭いのう」
「起きて最初に人ん家ディスるな!」
「事実じゃろ」
「誰だよお前!」
「誰……?」
勢いよく返してきた少女が、そこで固まった。
眉を寄せ、何かを探すように視線を彷徨わせる。
「わしは――」
言葉が続かない。
さっきまでの偉そうな態度が消え、少女は自分の胸元を見下ろしたまま黙り込んだ。
「……おい?」
「待て。今思い出しておる」
少女は目を閉じ、しばらくそのまま動かなかった。
ふざけているようには見えない。
本当に何かを探しているらしい。
やがて目を開くと、困ったように眉を寄せた。
「おかしいのう。わしの迷宮は、もっと……」
また言葉が途切れる。
さっきとは違って、俺も黙って待った。
少女の表情から、強がりが少しずつ消えていく。
「……思い出せぬ」
その声は、初めて少しだけ弱かった。
何者なのか。
どこから来たのか。
自分でも分かっていないらしい。
どうしたものかと考え始めたところで。
ぐぅぅぅ。
静かになった区画へ、妙に可愛らしい音が響いた。
全員の視線が少女の腹へ集まる。
少女の顔が一気に赤くなり、頭の葉がぺたりと倒れた。
ネイラがそこを指差す。
「動いた」
「見るでない!」
少女は慌てて頭の葉を両手で隠した。
少なくとも、腹は減るらしい。
「何か食べる?」
「……あるのか?」
さっきまで落ち込んでいた顔が持ち上がる。
「普通の飯ならあるけど」
「飯……」
少女は少し考えたものの、すぐに首を振った。
「違うのう。腹は減っておるが、それより……何じゃ、この感じは」
「何?」
「分からぬ。何か、足りぬ」
少女は自分の胸元を押さえながら周囲を見回した。
鼻で探しているわけでもない。
何かを感じ取っているように、壁や床へ視線を動かしていく。
やがて、ぴたりと止まった。
「……あっちじゃ」
勝手に歩き出す。
「どこ行くんだよ!」
「分からぬ!」
「分からないのに進むな!」
止まらない。
仕方なく全員で追いかけると、少女は迷う様子もなく通路を曲がり、ある場所へ向かっていた。
俺が素材や魔石を置いている保管区画。
「何で場所知ってるんだ?」
「知らぬ。こっちにある気がするのじゃ」
少女はそのまま保管区画へ入り、並べてあった物を順番に見ていく。
魔石。
魔物素材。
使い道の分からない鉱石。
いくつかには反応せず、ある小さな魔力結晶の前で足を止めた。
「……これ」
少女の目が明らかに変わった。
頭の葉までぴんと立つ。
「これ、何じゃ?」
「魔力が入ってる結晶だけど」
「食えるか?」
「何で!?」
俺が止めるより早く、少女は結晶を一つ摘まみ上げた。
「待て待て! 本当に食う気!?」
「食える気がする」
「気がするで口に入れるな!」
だが少女は少し眺めたあと、躊躇なく口へ放り込んだ。
かりっ。
「食ったぁ!?」
飲み込む。
数秒。
少女の身体から青緑色の光がふわりと漏れ、それと同時に、俺の足元を走る根にも同じ光が流れた。
「……うまい」
「味あるの!?」
「もっとないか?」
「あるけど待て! 一回止まれ!」
少女が棚へ手を伸ばす。
俺は慌ててその前へ入った。
さっきまで何者かも分からなかった少女が、今度は俺の素材庫を食料庫みたいな目で見ている。
そこで管理画面が勝手に開いた。
《特殊個体の覚醒を確認》
「……やっと来た」
これで少しは分かる。
《迷宮接続を開始します》
青緑色の光が少女の足元から床へ広がり、すでにダンジョン中へ伸びている根と重なった。
《接続完了》
《個体名:ノア》
「ノア……」
少女自身がその名前を口にする。
初めて聞いたはずなのに、その響きを確かめるように小さく繰り返した。
「それがお前の名前?」
「……そうらしいの」
自分の名前すら、今初めて取り戻したような反応だった。
俺が何か聞くより先に、表示が続く。
《旧権限情報を検出》
それまで素材棚を気にしていたノアが、不意に黙った。
琥珀色の瞳が画面へ向き、その奥に浮かんでいた幾何学模様が僅かに動く。
《照合中》
《照合失敗》
《警告》
《当該個体から旧ダンジョンマスター権限の残滓を検出しました》
意味を理解するまで、少し時間がかかった。
旧ダンジョンマスター。
俺は画面からノアへ視線を戻す。
見た目だけなら、小さな女の子だ。
頭には葉まで生えている。
さっきまで自分の名前も分からず、今度は魔力結晶を食べて「もっと」と言っていた。
それなのに。
こいつが。
「……お前、ダンジョンマスターだったの?」
ノアは目を閉じた。
今度はさっきより長く、自分の記憶を探るように黙り込む。
やがて目を開いた時には、困惑が消えていた。
代わりに、妙な自信だけが戻っている。
「分からぬ!」
「何で自信だけ戻ったんだよ!」
俺の声が、根の張り巡らされたダンジョンの奥まで響いていった。
その日。
ずっと正体の分からなかった《謎の種》から、さらに正体の分からない住人が一人増えた。




