第38話 帰られたら困るので、もう少しだけ煽ることにしました
「撤退を進言いたします」
ハイゼンの言葉に、グレゴールはすぐには答えなかった。
セイルが消えた。
ラウゼンも落ちた。
そして、ドーガンまで戻ってこない。
四十七人いたはずの集団は、まだダンジョンの奥へほとんど進めていなかった。それなのに隊列は崩れ、何人もの武器が奪われ、金を積んで雇った三人の切り札が全員戦線から消えている。
「……ふざけるな」
ようやく漏れたグレゴールの声に、ハイゼンは何も返さなかった。
敵はただ罠を仕掛けて待っているわけではない。こちらの対応を見てから、その強みが使えない状況へ戦いそのものを移している。
罠を見抜けば、罠のない場所で分断する。
魔法を防げば、防いでいる間に別の場所を崩す。
力ずくで突破する者には、その力を支えているものだけを奪う。
真正面から勝とうとしていないからこそ、こちらが用意した切り札は、一人ずつ確実に潰されていた。
「旦那様。この場所では勝てません」
「黙れ」
「ドーガンまで失った以上、これ以上は――」
「黙れ!」
怒声が地下へ響き、周囲にいた傭兵や冒険者たちが一斉に口を閉ざした。
金で雇われた者たちも、もう前へ出たがっていない。金をもらったからといって、死ぬために来たわけではないのだから当然だった。
今ならまだ戻れる。
グレゴールさえ命じれば、この場で引き返せる。
ハイゼンがもう一度説得しようとした、その瞬間だった。
『あー、聞こえてる?』
どこからともなく響いた若い男の声に、全員が顔を上げた。
『ドーガンだっけ? あの盾の人』
グレゴールの顔が歪む。
『強かったよ。いや、あれは普通に引いた』
少しだけ間が空いた。
『盾はもらったけど』
「貴様……!」
『あ、聞こえてるじゃん』
グレゴールの拳が震える。
『で、どうする? 帰る?』
ハイゼンが僅かに目を細めた。
『まあ、帰るよな。俺なら帰るし』
「……何?」
『だって怖いじゃん。三人ともいなくなったんだぞ? 俺ならもう走って帰る』
グレゴールの顔から表情が消えていく。
ハイゼンには、相手の狙いが分かった。
止めなければならない。
そう思った時には、もう遅かった。
『だから別にいいよ。帰っても』
一拍。
『レイドルのことも、もう気にしなくていいんじゃない?』
「――貴様!」
グレゴールの怒声が地下へ響いた。
『あ、やっぱ来る?』
急に声が明るくなる。
『いいよ。来いよ』
「旦那様、いけません!」
『こっちまだ残ってるから』
「何がだ!」
『とっておき』
わずかな間を置いて、声が続いた。
『四十七人も連れてきたんだからさ』
笑っている。
『もうちょい頑張れよ。こっち昨日から準備してんだから』
「進め!」
「旦那様!」
「進めと言った!」
「これは明らかな挑発です!」
「分かっている!」
グレゴールの怒鳴り声が地下へ響いた。
「分かっていて、引けるか……!」
ハイゼンは何も言えなくなった。
普段のグレゴールなら、こんな安い挑発に乗る男ではない。だが、レイドルを殺した本人から、その死まで軽く扱われて冷静でいられるほど、今のグレゴールは商人ではいられなかった。
「……隊列を組み直せ」
せめて残った者をまとめるため、ハイゼンは周囲へ指示を飛ばした。
◇ ◇ ◇
拡声具から口を離す。
「……完璧」
「最低ですよ」
「何で!?」
ケインが、信じられないものを見る目で俺を見ていた。
「自分で何言ったか覚えてます?」
「帰ってもいいよって」
「その前後も思い出してください!」
「……四十七人?」
「人数の話じゃない!」
注文が多いな。
ちゃんと選択肢は与えたじゃないか。
帰るか、来るか。
二択だ。
「レイドル様の名前まで出したでしょう!」
「効いたじゃん」
「効果の話してないですよ!」
「でも来るだろ?」
「来るでしょうね!」
「ほら」
「その『ほら』が腹立つんですよ!」
何だよ。
成功したのに。
監視画面を見ると、止まりかけていた集団が再び動き始めている。
「よし、来た」
「……本当に来た」
ケインの顔が引きつった。
「何その顔」
「いや、分かってはいたんですけど……本当に来るんだなって」
「お前が来るって言ったんだろ」
「言いましたけど、だからって嬉しそうにされると怖いんですよ!」
失礼な。
俺だって別に、敵が来て嬉しいわけじゃない。
「昨日作った部屋が無駄にならなくて嬉しいだけだよ」
「もっと怖いですよ!」
何でだよ。
昨日かなり時間かかったんだぞ。
使わずに終わったら普通にもったいないだろ。
「罠って、使わずに済んだ方がいいものじゃないんですか?」
「それは作ってない奴の意見だ」
「罠職人みたいなこと言わないでください!」
違う。
俺はダンジョンマスターだ。
似たようなものかもしれない。
再び進み始めた一団を確認してから、まだ開いていない区画へ視線を移した。
昨日作ったものの中で、一番手間をかけた場所。
四十七人なんて大人数が来るとは思っていなかったけど、むしろ人数が多い方が都合はいい。
「リュネリア」
「はい」
「約束、覚えてる?」
「もちろんです」
返事と同時に、リュネリアがこちらを向く。
「次の部屋に、でかい柱がある」
「はい」
「壊していい」
「いつですか?」
早い。
「……まだ」
「分かりました」
素直に頷いた。
よし。
分かってる。
「では、何人入ったらですか?」
「具体的に詰めてくるな!」
「合図を待てばいいのですか?」
「そう! それ! 俺が合図するまで絶対撃つな!」
「分かりました」
今度こそ話は終わった。
……はずだ。
念のため隣を見る。
「ケイン」
「嫌ですよ」
「まだ何も言ってないだろ!」
「リュネリアさん見張ってろって言うつもりでしょう!」
「何で分かった!?」
「今の流れで他に何があります!?」
「分かったなら頼む」
「嫌です!」
「何でだよ!」
「俺が止められると思います!?」
「思ってない!」
「じゃあ何で頼むんですか!?」
「一人で不安だからだよ!」
「理由が情けない!」
うるさいな!
俺だってリュネリアを止められるとは思ってないよ!
だから人数を増やそうとしてるんだろ!
「二人になって何が変わるんです?」
「安心感」
「結果は!?」
「変わらない」
「意味ないでしょう!」
言われてみればそうだった。
「マスター」
リュネリアが俺たちの間へ声を挟む。
「壊していいですか?」
「まだ!」
「まだです!」
俺とケインの声が綺麗に重なった。
一瞬、二人で顔を見合わせる。
「……ほら、役に立った」
「今ので!?」
やっぱり二人いた方がいいじゃないか。
「ネイラ」
「うん」
「逃げ道を頼む。抜けてきた奴がいたら止めて」
「分かった」
終わり。
俺は思わずネイラを見る。
「……楽」
「何が?」
「何でもない。そのままでいてくれ」
「うん」
素晴らしい。
どうして全員こうじゃないんだろう。
「俺もさっきまでは普通に返事してましたよね?」
「聞こえてたの!?」
「隣にいますからね!」
余計なところだけ耳がいいな、こいつ。
俺は管理画面へ視線を戻した。
残っているのは三十人以上。
まだ多い。
まともにぶつかれば、人数差だけでも十分厄介だ。
だから、まともにぶつかる気はない。
罠を見抜く奴には、罠のない場所を使った。
魔法を防ぐ奴には、そいつへ撃たなかった。
力ずくで進む奴からは、その力を支えていた盾を奪った。
そして最後は――人数そのものを役に立たなくする。
「せっかくここまで来たんだ」
管理画面へ指を伸ばす。
閉じていた通路が、ゆっくりと開き始めた。
その先にあるのは、大人数を迎えるために作った広い区画。
昨日から準備していた、とっておきの部屋。
俺は画面の向こうで進んでくるグレゴールたちを見ながら、口元を上げた。
「最後まで遊んでいけよ」




