第2話 最初の一勝くらい簡単だと思ってたんですが
――ゴンッ!!
「…………」
壁が揺れた。
ほんの少し前。
俺は確かに思った。
せめて最初の一勝くらい、簡単に取らせてくれるよな?
と。
訂正したい。
今すぐ訂正したい。
できれば発言そのものをなかったことにしたい。
――ガリッ。
石の向こうから、何かが壁を引っ掻く音が響いた。
一度ではない。
間を置いて、二度、三度。
どう考えてもネズミとかそういう可愛いサイズじゃない。
「……絶対デカいやつじゃん」
《警告》
突然、目の前に赤い文字が浮かんだ。
《ダンジョン外縁部に敵性反応》
《敵性個体数:3》
「三!?」
一体でも嫌なのに!?
しかも俺は今、ダンジョンマスターになったばかりである。
武器なし。
防具なし。
仲間なし。
魔法なし。
右手から黒炎も出ない。
俺は念のため拳を握ってみた。
「…………」
普通。
見慣れた二十一歳男性の拳だった。
こいつで未知の怪物を三体殴れと言われても困る。
《推奨:迎撃》
「簡単に言うなよ!」
迎撃できるものがあれば苦労しない。
――ゴンッ!!
今度は石の欠片が床へ落ちた。
「うおっ!?」
俺は反射的に数歩下がる。
壁に細い亀裂が走っていた。
さっきまではなかった。
つまり。
「あれ、本当に入ってくるつもり?」
《肯定》
「聞いてない!」
《初期説明には含まれていません》
「そこじゃねえよ!」
こんな状態から始まるなら、せめて剣一本くらいサービスしてくれてもいいだろ。
いや、剣なんてもらったところで扱えないけど。
だったら槍。
長いし。
何となく距離取れるし。
……いや、それも素人が持ったところで無理か。
ゲームなら初期武器を装備して敵を殴ればいい。
でも現実で自分より大きな何かと戦えと言われれば、話はまるで違う。
俺は表示へ目を向けた。
「そうだ。ダンジョンマスターなんだよな、俺」
《肯定》
だったら何かあるはずだ。
ダンジョンを作る機能とか。
罠とか。
モンスターを呼んだりとか。
「使えるもの見せて」
言ってから、一瞬間があった。
目の前に新しい画面が開く。
《ダンジョン管理》
《所持DP:1000》
「DP?」
《Dungeon Point》
「そのまんまかよ」
説明を見る限り、このポイントを使えば部屋を増やしたり、通路を伸ばしたり、扉や罠を設置したりできるらしい。
要するに。
金みたいなものだ。
今の俺が持っている全財産、一千。
一覧を流していく。
《小部屋追加:300DP~》
《通路延長:50DP~》
《簡易扉:50DP》
《落とし穴:100DP》
《槍罠:150DP》
《警報器:50DP》
《下級魔物召喚:200DP~》
「おお……!」
ある。
ちゃんとあるじゃん!
これだよ。
ダンジョンマスターっていうなら、こういうのを待ってたんだよ!
壁を自由に動かしたり。
大量の罠を敷いたり。
魔物軍団を呼び出したり。
いつか侵入者が絶望するような巨大迷宮を――。
――ゴンッ!!
「今は妄想してる場合じゃねえ!」
壁の亀裂が広がった。
俺は慌てて一覧へ戻る。
魔物を呼ぶ。
一番分かりやすい。
二百からなら、五体くらい出せるんじゃないか?
《下級魔物召喚》
選択。
さらに候補が表示される。
《ゴブリン:200DP》
《洞窟ネズミ:200DP》
《スライム:250DP》
「…………」
弱そう。
いや。
実物を知らないから決めつけるのはよくない。
ゴブリンだって筋骨隆々かもしれない。
でも初手で俺の全財産の五分の一を使って、戦えるか分からない奴を呼ぶのは怖すぎる。
しかも敵は三体。
三体に対して一体呼ぶなら足りない可能性が高いし、三体呼べば六百。
残り四百。
「高いな……」
考えている間にも、壁の向こうから低い唸り声が聞こえてくる。
時間がない。
俺は一度、画面から視線を外した。
部屋を見る。
三つしかない。
最初に目を覚ました小部屋。
そこから短い通路を挟んで、中央の部屋。
さらに通路の先に、ダンジョンコアが置かれている一番奥の部屋。
「…………」
狭い。
散々文句を言った。
でも。
待てよ。
三部屋しかないなら――逆に、使いやすくないか?
敵は三体。
俺は一人。
真正面から三対一なんて絶対無理だ。
だったら三対一にしなければいい。
俺は入口側の壁を見る。
敵が壊そうとしているのは、一番手前の部屋だ。
そこから奥へ来るには、細い通路を抜けなきゃいけない。
俺は実際に通路へ入り、両腕を少し広げた。
狭い。
大人二人が並んで走るのは厳しいくらいだ。
「……これなら」
考えが形になっていく。
俺自身が戦えるわけじゃない。
だったら、相手がまともに戦えない形を作ればいい。
三体まとめて襲われるから無理なのであって、一体ずつならまだ何とかできるかもしれない。
いや。
一体でも素手は嫌だ。
そこは罠にやってもらう。
「簡易扉」
《設置位置を指定してください》
薄い光が床へ広がった。
俺は中央の部屋へ続く通路の入口を選ぶ。
《50DPを消費します》
「設置」
一瞬だった。
何もなかった石の壁から線が伸びたかと思うと、通路を塞ぐ形で厚い木製の扉が現れた。
「おおっ!」
すごい。
ちょっと感動した。
本当にダンジョン作ってる。
さっきまでただの地下室だった場所に、自分の意思で扉が増えた。
これならいつか隠し部屋とか作れるんじゃ――。
――ゴンッ!!
「だから後にしろ俺!」
次。
罠。
俺は一覧から《槍罠》を開いた。
説明を読む。
壁面や床面へ設置可能。
侵入者を感知すると起動。
一回使い切り。
「一回だけか……」
百五十。
高い。
でも命よりは安い。
一番奥の部屋に置く?
いや。
コアがある。
壊されたら終わりなんだから、わざわざそこまで通すのは怖い。
中央の部屋。
ここなら入口から通路を一本挟んでいる。
俺は壁際を指定した。
《槍罠:150DP》
《設置しますか?》
「する」
石壁の一部が変形し、細い穴がいくつも開く。
中に何か光った。
「……結構ガチじゃん」
刺さったら普通に死ぬぞ、これ。
少し怖くなった。
でも。
向こうも俺を殺しに来ている。
ゲームじゃない。
負けたら俺が死ぬ。
だったら遠慮している場合じゃない。
残り八百DP。
もう一つ槍罠を置けば六百五十。
落とし穴なら七百。
魔物も呼べる。
どうする。
全部使えばたぶん安全になる。
でも、始まって五分で全財産を使い切るのは嫌だ。
この先もっと危険なことがあるかもしれないし、部屋を広げたり、水や寝る場所だって必要になる。
「……節約して死んだら馬鹿だけど、使い切って詰むのも馬鹿だよな」
難しい。
ゲームならやり直せる。
これはできない。
俺は中央の部屋を見回した。
槍罠一つ。
扉一枚。
これだけで何とかする。
いや。
何とかするしかない。
――バキッ!!
大きな音が響いた。
入口側の壁の一部が崩れた。
穴の向こう。
暗闇の中で、黄色い目が光った。
「…………」
向こうも俺を見た。
俺も向こうを見る。
黒い毛。
大きな頭。
狼みたいな顔。
ただしサイズがおかしい。
穴から覗いている頭だけでも大型犬より明らかに大きい。
「いやデカすぎるだろ……」
低い唸り声。
牙が見える。
俺の拳より長そうだった。
「待って。これ一体でも無理じゃない?」
《敵性個体情報》
《洞窟牙狼》
《危険度:低》
「どこが!?」
これで低!?
危険度普通とか高とか何出てくるんだよ!
洞窟牙狼とやらが壁へ身体をぶつける。
亀裂が一気に広がった。
俺は中央の部屋へ走った。
心臓がうるさい。
作戦はある。
一応ある。
入口の部屋へ三体が入ったら、こちらから姿を見せる。俺を追って細い通路へ入ってきたところで先頭だけ中央の部屋へ誘い込み、すぐ扉を閉じれば、後ろの二体とは一旦切り離せる。
その一体を槍罠で倒す。
あとは――。
「…………」
二体残る。
「そこ何も考えてねえ!」
いや、まず一体だ。
最初から完璧な作戦なんて無理。
生き残りながら考えろ。
――ドガンッ!!
壁が崩れた。
石埃の向こうから、一体目の洞窟牙狼が姿を現す。
全身を見て、俺はさらに後悔した。
デカい。
四足で立っているのに、頭の位置が俺の胸辺りまである。
しかも一体目の後ろから、二つ目、三つ目の黄色い目も見えていた。
三体とも入ってくる。
俺は通路の奥から顔だけを出した。
「……こっちだ」
声が震えた。
牙狼の耳が動く。
黄色い目が俺を捉えた。
次の瞬間。
走った。
「速っ!?」
俺も走る。
中央の部屋へ飛び込み、振り返る。
一体目が通路へ突っ込んでくる。
後ろにも二体。
でも通路が狭いせいで、横には並べない。
よし。
思った通り。
「来い……来い……!」
一体目が中央の部屋へ飛び込んだ。
俺は扉の横に設置された操作部分へ手を叩きつける。
「閉めろ!」
扉が勢いよく閉まった。
――ガンッ!!
二体目が向こう側からぶつかった。
扉全体が大きく震える。
「うわっ!?」
壊れる。
これ、長くは持たない。
でも今は一対一。
いや。
違う。
俺対こいつじゃない。
こいつ対、俺のダンジョンだ。
洞窟牙狼がこちらへ向き直る。
低く身体を沈めた。
俺は壁際へ少しずつ移動する。
槍罠の正面。
来い。
こっちに来い。
「ほら……!」
牙狼が床を蹴った。
速い。
想像していたよりずっと速い。
俺は横へ飛んだ。
その瞬間。
《侵入者を検知》
石壁が鳴った。
次いで、何本もの槍が凄まじい勢いで飛び出した。
牙狼の身体へ突き刺さる。
「――っ!」
鈍い音。
巨体が横へ弾かれ、そのまま石床を滑った。
俺は尻餅をつく。
息ができない。
怖い。
手が震えている。
牙狼を見る。
動かない。
「……やった?」
言った瞬間。
耳が動いた。
「嘘だろ!?」
牙狼が立とうとする。
槍は腹と肩に刺さっている。
血も出ている。
それでも死んでいない。
危険度低って何だよ!
俺は後ずさる。
武器。
何か。
石。
いや無理。
槍!
壁から出てる!
俺は刺さったままの槍へ駆け寄り、一本を両手で掴んだ。
「抜けろ……!」
動かない。
「抜けろって!」
固定されてる!
使えねえ!
牙狼が立ち上がる。
片脚を引きずっている。
それでも俺を見る目から殺意は消えていない。
扉の向こうでは、残り二体が何度も身体をぶつけている。
――ガン!
――ガン!!
「待て待て待て……!」
前に一体。
後ろに二体。
罠は使い切った。
もう一個置く?
できる。
DPはある。
でも設置に少し時間がかかる。
目の前のこいつが待ってくれるとは思えない。
牙狼が一歩前へ出た。
その時。
俺は気づいた。
後ろ脚。
槍に貫かれて、まともに踏ん張れていない。
さっきまでの速度は出ない。
なら。
戦う必要はない。
俺は部屋の反対側へ走った。
牙狼が追う。
遅い。
それでも俺よりは怖い。
「来んなって!」
走りながら管理画面を開く。
《簡易扉:50DP》
設置場所。
今いる中央の部屋と、一番奥の部屋を繋ぐ通路。
「設置!」
目の前に木製の扉が形を作る。
俺は完成する直前に奥へ滑り込み、そのまま振り返った。
牙狼が迫っている。
「閉めろ!!」
扉が閉じる。
――ドンッ!!
向こう側から衝撃。
俺は扉へ背中をつけ、その場へ座り込んだ。
「はぁ……はぁ……!」
これで。
中央の部屋に一体。
入口の部屋に二体。
俺は一番奥。
分けた。
戦える状態にした、というより。
ただ閉じ込めただけだけど。
それでいい。
「……俺、別に戦わなくていいじゃん」
ようやく気づいた。
俺自身が強くないなら。
強いふりをする必要もない。
真正面から殴り合う必要なんて、もっとない。
俺が持っているのは、三つしかないとはいえダンジョンだ。
壁もある。
通路もある。
扉も作れる。
罠も置ける。
なら。
全部使えばいい。
正々堂々?
知るか。
こっちは一回死んでるんだよ。
もう一度、あんな思いをしてたまるか。
「……よし」
震えていた手を握る。
怖い。
今も普通に怖い。
でも、さっきまでとは違う。
一体目は傷だらけ。
二体は入口側。
こっちにはまだ七百以上DPが残っている。
戦い方も少し分かった。
だったら。
「最初の一勝くらい……」
俺は管理画面を開きながら、扉の向こうで唸る牙狼へ目を向けた。
口元が少しだけ引きつる。
「簡単じゃなくても、取ればいいだろ」
《ダンジョン管理》
残りのDPを確認する。
そして俺は、二つ目の罠を選んだ。




