第1話 固有能力を貰ったんですが、俺の黒炎は出ないようです
「…………狭っ」
目を覚まして最初に出た感想が、それだった。
見知らぬ場所だとか、どうしてこんなところにいるんだとか、考えるべきことはいくらでもあったはずなのに、それらを全部押し退けるくらいに狭い。
俺が寝転がっていたのは、薄暗い石造りの小部屋だった。天井はそこそこ高いものの、壁から壁まで歩いてみれば七歩ほどしかなく、隣には細い通路を挟んでもう少し広い部屋、その奥にも似たような部屋が一つある。
合計三部屋。
窓はないし、家具もない。食料や水はもちろん、ベッドどころか椅子の一脚すら見当たらなかった。
「……ワンルーム以下じゃねえか」
いや、ワンルームには風呂がある。トイレも電気もあるし、物件によってはエアコンまでついてくる。
ここにあるのは石だけだ。
そう考えるとワンルームに失礼だった。
「いや……どこだよ、ここ」
壁へ触れてみれば、ひんやりとした石の感触が掌に伝わってくる。夢にしては妙に生々しく、試しに頬をつねるまでもなく現実らしいことは分かった。
問題は、俺がどうしてここにいるのかだ。
酒を飲みすぎて知らない場所で寝ていた――という可能性はない。そもそも昨日は酒なんて飲んでいないし、誰かに運ばれたにしても、わざわざこんな地下牢みたいな場所へ放り込む意味が分からない。
何より。
最後の記憶を辿れば、そんな可能性は全部吹き飛ぶ。
俺は確か――死んだ。
◆
大隅詩、二十一歳。
彼女なし。貯金は自慢できるほどない。
趣味はゲーム、漫画、アニメその他諸々。
部屋中をグッズで埋め尽くすほどではないし、毎期すべてのアニメを追いかけるほどでもない。でも新作ゲームの発売日は気になるし、面白い漫画を見つければ夜更かしして読む。友達から「これ面白いぞ」と勧められた作品を、そのうち見ると言っておきながら三日後には全部見終わっていたこともある。
そのくらいにはオタクだった。
そして、これはできれば墓まで持っていきたかったんだけど――俺には厨二病を盛大に拗らせていた時期がある。
小学生から中学生くらい。
特に小学生の頃が酷かった。
自分にはまだ発現していないだけで、何か特殊な力が眠っているんじゃないかと割と真面目に考えていた。
いや、本気じゃないぞ?
たぶん。
……たぶん。
校庭の端を睨みながら、
「千里眼!!」
とかやっていたけど。
違う。
あれは遠くを見ることで視力回復を狙っていた面もある。
本当だ。
誰に言い訳しているんだ、俺。
当然ながら千里眼には目覚めなかったし、右手へどれだけ力を込めても黒炎は出なかった。鏡の前で片目を押さえてみても魔眼は開かず、夜道で意味もなく月を見上げて『今宵は……騒がしいな』と呟いた日は、驚くほど無風だった。
思い出すな。
殺してくれ。
……いや、今は殺すな。一回死んでるんだから。
そんな黒歴史を順調に積み上げながらも、俺の人生そのものは驚くほど普通だった。
学校へ行って、友達と馬鹿なことをして、テスト前だけ慌てて勉強する。バイト代が入れば少しだけ気が大きくなって、欲しかったゲームを一本買い、飯を食って、数日後に口座残高を見て後悔する。
何かになりたいと思ったことはある。
ゲームを作る側って面白そうだと思ったこともあるし、動画投稿だけで食っていけたら最高じゃん、と考えた時期もあった。
でも、「これに人生を懸ける」と言えるほどの何かは結局見つからなかった。
高校を卒業する頃には、昔あれだけ妄想していた特別な人生なんてものも考えなくなっていた。現実は現実で、俺は俺。別に選ばれし者でもなければ、封印された力もない。
それで困ることもなかった。
朝になれば眠いし、休みの日は嬉しい。働きたくない日はあるけど金は欲しいし、新作ゲームの発売日は楽しみだった。
将来について考えると、少しだけ不安になる。
SNSを開けば、同い年なのに会社を作った奴や、海外で何か凄いことをやっている奴、意味が分からないくらい稼いでいる奴まで流れてくる。
そういうのを見るたびに、すげえな、と思う。
同時に、俺は何してんだろ、と少しだけ思う。
でも十分もすればゲームを起動している。
そんな人間だった。
「十年後、どうしてると思う?」
一度、友達に聞かれたことがある。
その時の俺はスマホを弄りながら、
「知らん。普通に生きてんじゃね?」
と答えた。
本当に、それくらいだった。
金持ちになっていたら嬉しい。結婚しているかもしれないし、していないかもしれない。何か面白い仕事を見つけている可能性もあれば、今と大して変わらない毎日を送っている可能性もある。
どれでもよかった。
というより、どれかにはなると思っていた。
十年後なんて、放っておいても勝手に来るものだと思っていたから。
まさか、来ないとは思わないだろ。
◆
その日は雨だった。
記録的豪雨でもなければ、ニュースになるような嵐でもない。傘を差すのが面倒だなと思う程度の、普通の雨だった。
バイト帰りで腹が減っていた俺は、家に何か食べるものが残っていたかを考えながら歩いていた。
冷凍チャーハンは昨日食べた。カップ麺ならあるけど、昼も麺だった。コンビニに寄りたいけど最近ちょっと金を使いすぎているし、さっさと帰って昨日途中で止めたゲームもやりたい。
そんな、死ぬほどどうでもいいことを考えていた。
スマホが震えた。
友達からだった。
『今度の日曜ひま?』
歩きながら画面を見て、
『たぶん』
と返す。
すぐに、
『たぶんって何だよ』
と返ってきた。
少し笑った。
確かに。
予定なんてないくせに、何だよ「たぶん」って。
『暇』
そう打ち直そうとした、その時だった。
クラクションが聞こえた。
かなり近い。
顔を上げた。
光。
そこから先は、ほとんど覚えていない。
◆
次に意識が戻った時、俺は雨に濡れた道路へ倒れていた。
誰かが叫んでいる。
身体を起こそうとしても、まるで自分の身体じゃなくなったみたいに動かない。痛みはあるはずなのに、どこが痛いのかすら分からず、全身がおかしいということだけが分かった。
視界の端には、画面の割れたスマホが転がっている。
『たぶんって何だよ』
さっきのメッセージが、まだ表示されていた。
日曜。
何するつもりだったんだろう。
聞けばよかった。
そう思った途端、頭の中へ浮かんできたのは、人生の重大な出来事なんかじゃなかった。
冷蔵庫にプリンを残していた。
昨日買うか迷ったゲームを、結局買わなかった。
積んでいる漫画もまだある。
最近、母親に連絡していない。
部屋もちょっと散らかっていた。
あと、スマホの検索履歴は――。
いや、それだけは本当にやめてくれ。
死んだあと家族にスマホを見られるとか、普通に死ぬより恥ずかしい。
……死んだあと?
そこで初めて、その言葉が現実味を持った。
「……いや」
嫌だ。
急に怖くなった。
待てよ。
まだ二十一だぞ。
別に世界一になりたかったわけじゃない。歴史に名前を残したかったわけでも、誰もが羨むような人生を送りたかったわけでもない。
ただ、日曜の予定くらい知りたかった。
来月発売のゲームもやりたかった。
旅行もしたい。
美味いものだって、まだいくらでも食べていない。
親より先に死ぬとか普通に最悪だし、友達に送った最後の言葉が『たぶん』なのも嫌だ。
何だよ、それ。
俺の人生の最後が『たぶん』って。
ふざけんな。
視界が少しずつ暗くなっていく。
怖い。
死にたくない。
まだ何も決めていない。
これから何をするのかも、どう生きていくのかも、何一つ決めていないのに。
「まだ……」
声になったのかは分からない。
ただ、その時初めて。
俺は心の底から思った。
――まだ、死にたくない。
そこで俺の人生は、一度終わった。
◆
「…………で」
現在。
俺は石の床に座り、自分の両手を眺めていた。
「何で生きてんの?」
手も足もある。
胸へ触れれば心臓も動いているし、轢かれたはずなのに身体には傷一つ残っていない。見た目も感覚も、二十一年間付き合ってきた自分の身体そのものだった。
となると。
「……異世界転生?」
口にしてから首を傾げる。
「いや、身体が同じなら転移か?」
そこ重要か?
でも、俺の中に残っていたオタク部分が勝手に分類を始める。
死後転移。異世界転生。魂だけ移動。神様案件。ゲーム世界。
それに、この石造りの地下空間。
「……ダンジョン?」
言った瞬間、少しだけ心臓が速くなった。
いや。
待て。
まだ何も決まっていない。
決まっていないけど――もし、本当にそういう世界だったら?
魔法。
スキル。
レベル。
特殊能力。
昔の俺が本気半分、遊び半分で夢見ていたものが、本当に存在する世界だったら。
俺はゆっくり右手を持ち上げた。
握る。
開く。
もう一度握って、意識を集中させる。
「……来い」
何も起きない。
「黒炎とか」
静かだ。
「雷でもいいぞ」
やっぱり何も起きない。
俺はそっと右手を下ろした。
「……まだ覚醒してないだけだから」
誰に言い訳しているんだ、俺。
――ピコン。
「うわっ!?」
突然目の前に光が浮かび、反射的に飛び退いた背中を石壁へぶつけた。
「いってぇ!」
淡い光は俺を襲うことなく、空中で半透明の長方形へ変わっていく。
そして中央に文字が浮かんだ。
《ダンジョンマスター候補者の覚醒を確認》
「…………」
ダンジョン。
マスター。
候補者。
その三つの単語を理解した瞬間、痛む背中なんてどうでもよくなった。
「……マジ?」
怖くないわけじゃない。
死んだ直後に知らない場所へ放り出され、何が起きているのかも分からない。
それでも胸の奥では、別の感情が確かに膨らみ始めていた。
期待だ。
とっくに捨てたはずの、昔の俺が夢見ていたものへの期待。
もしかしたら。
本当に俺にも、何かあるのかもしれない。
《個体名:大隅 詩》
「はい」
思わず返事をしてしまった。
《初期領域への定着を確認。ダンジョンコアとの接続を開始します》
「ちょ、説明から――」
《接続完了》
「早いな!」
《ようこそ、ダンジョン世界へ》
来た。
本当に来た。
思わず口元が緩む。
二十一歳にもなって厨二病は卒業している。
卒業しているけど。
男なら一回くらい考えるだろ。
異世界に行ったらどうするか。
自分だけの拠点。
魔法。
強力なスキル。
増えていく仲間。
強大な敵。
そして、最後には――。
《候補者総数――48,216名》
「…………多くない?」
一気に現実へ戻された。
四万八千二百十六人。
選ばれし者どころじゃない。
《生存し、領域を拡張してください》
《他候補者との交渉、同盟、従属、戦闘、領域奪取は制限されません》
「戦闘?」
嫌な単語が混じった。
続いて表示されたのは、さらに嫌な内容だった。
《敗北条件の一部》
《ダンジョンコアの完全破壊》
《ダンジョンマスターの死亡》
死亡。
その文字を見た瞬間、濡れたアスファルトと割れたスマホが頭に蘇った。
一回死んだ。
めちゃくちゃ怖かった。
奇跡か何かは知らないが、こうしてもう一度生きているのに、今度も負ければ死ぬらしい。
「……ふざけんなよ」
冗談じゃない。
二回目なんて絶対に御免だ。
だったら。
「強くなればいい」
こういうゲームなら知っている。
資源を集め、拠点を広げ、戦力を増やして強くなる。
ゲームと違ってコンティニューはできない。
なら、負けなければいい。
そして、こういう時には大抵ある。
俺だけの――特別な何かが。
《各候補者には、魂魄特性に応じた固有能力が一つ付与されます》
「来た!!」
これだよ。
これ。
全員が一つ持っているという部分はいったん無視する。
大事なのは内容だ。
頼む。
めちゃくちゃ強いやつ。
どうせなら直接戦える能力がいい。
魔眼。
時間停止。
無限魔力。
能力コピーもいい。
いや待て。
ここで昔の俺が夢見ていた黒炎が本当に来る可能性だって――。
《固有能力を確定しました》
俺は息を呑んだ。
表示が白く明滅し、暗い石室の中央へ、たった一つの名前が浮かび上がる。
《固有能力――勝者特権》
「…………」
勝者特権。
文字だけなら相当強そうだ。
勝った相手の能力を奪う?
勝利するたびに身体能力が上がる?
もしかして、一度勝った相手には絶対負けないとか?
期待が一気に膨らんでいく。
《効果:明確な勝利達成時、勝利内容に応じた三種の特別報酬候補を生成》
《三種の候補から一つを選択し、獲得可能》
「……報酬系か」
想像していたものとは違った。
でも、悪くない。
いや。
普通に強くないか?
勝つたびに追加報酬が発生する。それも一つを押しつけられるんじゃなく、三種類から選択できるなら、その時の状況に必要なものを選べる可能性も高い。
勝利して報酬を得る。
その報酬で強くなり、次の勝利へ繋げる。
それを繰り返せば――。
「……かなり当たりじゃね?」
口元が緩んだ。
少なくともハズレではない。
もしかすると、相当強い能力かもしれない。
俺は満足して頷き――ふと、自分の右手を見た。
「…………」
普通の手だ。
もう一度表示を見る。
《勝者特権》
右手を見る。
「…………俺自身は?」
《質問の意図を確認できません》
「いや、だからさ。身体能力が上がったりとか」
《該当効果は存在しません》
「魔法が使えたり」
《該当効果は存在しません》
「必殺技とか」
《該当効果は存在しません》
「目からビーム」
《該当効果は存在しません》
「最後のは別にいらない」
勢いで変なのまで混ぜてしまった。
俺はもう一度、自分の身体を見る。
腕に力を込めてみる。
何も変わらない。
拳を握ってみる。
やっぱり普通だ。
能力は強い。
たぶん当たり。
でも。
俺自身は――。
「俺が強いわけじゃないのかよ、くそー!!」
二十一歳にもなって、ちょっと期待したじゃん!!
一回死んで異世界まで来たんだから、少しくらい本人にも何か寄越せよ!
右手から黒炎くらい出させろよ!
昔あれだけ練習したんだぞ!
「…………」
自分で言ってから、昔の記憶が蘇った。
校庭。
右手。
無駄に真剣な顔。
「……今のなし」
《確認できません》
「そこだけ律儀に返事すんな!」
こうして。
一度死んだ俺が手に入れた二度目の人生は――。
世界最強の肉体でも。
無限の魔力でも。
封印されていた黒炎でもなく。
勝たなきゃ何も貰えない能力と、三つの石部屋から始まった。
……いや。
せめて最初の一勝くらい、簡単に取らせてくれるよな?




