『敵陣を攻略するはずなんですが、味方が先に暴れそうです』
地平線なんてものはない。
空もない。
あるのは遥か頭上を覆う巨大な岩天井と、その下を埋め尽くす軍勢だけだった。
黒い鎧に身を固めた兵士、その隙間を埋める獣人や巨人、何に使うのか分からない巨大魔獣まで並び、さらに奥の方にはどう見てもドラゴンっぽい奴までいる。
列の端を探して右を見る。
見えない。
左を見る。
やっぱり見えない。
一度目を閉じてから、もう一度開いてみた。
当然ながら減っていない。
「……多くない?」
たぶん一万。
いや、二万くらいあるかもしれない。
知らん。
正確に数えたところで気分が悪くなるだけだし、数え終わる頃には向こうが先に攻めてきそうだ。
そんな俺の横で、
「おおおおおっ!!」
ガルディアが歓声を上げた。
嫌な予感しかしない。
長い赤髪を揺らしながら、目をきらきらさせて敵軍を眺めている。その顔だけ見れば祭りでも見つけたみたいなのに、視線の先にいるのは一万を超える敵兵だ。
「詩! 見ろよあれ!!」
「見てるよ!」
「すっげえいる!!」
「だから困ってんだよ!!」
「あたし、全部やっていいか!?」
「何でその結論になるんだよ!?」
ガルディアが本気で不思議そうな顔をした。
「駄目なのか?」
「駄目だよ!」
「じゃあ半分」
「値切るな!」
「三分の一」
「交渉に入るな!」
「四分の一」
「刻むな刻むな!!」
「細けえなあ、お前」
「一万人単位の話してんだぞ!? 俺が細かいんじゃなくてお前の感覚が雑なんだよ!!」
ガルディアは腕を組み、しばらく敵軍を眺めたあとで妙に真剣な顔になった。
「じゃあ何人までならいい?」
「人数制じゃねえよ!!」
「面倒くせえなあ」
「こっちの台詞だ!!」
何で開戦前から俺だけ疲れてるんだ。
その時。
「マスター!!」
今度は反対側から元気な声が飛んできた。
振り向けば、リュネリアが満面の笑みで両手を挙げている。その頭上には、すでに白い光が集まり始めていた。
待て。
本当に待て。
「私に任せてください!!」
「待て待て待て待て待て!!」
「はい!?」
「何をする気だ!?」
「吹き飛ばします!」
「知ってた!!」
何で自信満々なんだよ!
「止めろ! 今すぐそれ止めろ!!」
「ですがマスター! あれだけ密集していれば、とても効率よく――」
「敵の拠点も効率よく消えるだろうが!!」
「…………」
リュネリアが敵軍を見て、それから頭上の光を見て、もう一度敵軍へ視線を戻した。
「あっ」
「その『あっ』やめろ!!」
慌てて光が消える。
怖い。
この「あっ」のあとで、ろくなことが起きた記憶がない。
「今回は拠点ごと取るんだからな!? 更地にしたら意味ないの!」
「はい!」
「本当に分かってる!?」
「もちろんです!」
「前回の砦は!?」
「…………事故です!」
「半分なかったけど!?」
「半分は残りました!」
「成功寄りに数えるな!!」
「でもマスター、以前より制御は上手くなっています!」
「どこが!?」
「今は四割くらいなら、かなり正確に!」
「残り六割が怖すぎるだろ!!」
「そこはこれからもっと頑張ります!」
「今この戦場で未完成を宣言すんな!!」
「だ、大丈夫です! 今日は調子がいいので!」
「余計怖いわ!!」
その横でガルディアが吹き出した。
「ははっ! いいじゃねえか。半分残るなら!」
「お前は黙ってろ!!」
「主」
静かな声が割り込んだ。
助かった。
ネイラだ。
こういうのでいいんだよ。
静かで有能で、余計なことを言わない。少なくとも、この中では比較的まともな――
「敵のマスター、見つけた」
「マジで?」
「うん」
ネイラが遥か奥を指す。
「黒い塔。上から三つ目の窓」
俺もそちらを見る。
黒い塔は見える。
窓も見える。
いっぱいある。
以上。
「……どれ?」
「あそこ」
「いや見えない」
「見える」
「お前にはな!」
ネイラの狼耳がぴくっと動いた。
「主。目、悪い?」
「普通だよ!」
「遠くを見るといい」
「遠視とか言いながら小さい頃やったことあるよ!! 効果なかったから恥ずかしい思い出思い出させんな!!」
ネイラが少し首を傾げる。
「恥ずかしい?」
「そうだよ! もう忘れたいくらいにはな!」
「何してたの?」
「言わねえよ!!」
「主殿」
ヴァルグレンが杖を持ち上げた。
「何」
「では儂が少々」
「何を?」
杖の先が青白く光る。
嫌な予感。
「おい爺さん、待――」
ヴァルグレンの眼窩に光が走った。
数秒。
沈黙。
そして。
「えぇ……」
「勝手に覗いたな!?」
「主殿」
「言うなよ!?」
「校庭の端を睨みながら――」
「言うなって!!」
ヴァルグレンが妙に真剣な声で続ける。
「『千里眼!!』と」
「うわああああああ!! やめろぉぉぉ!!」
ガルディアが一瞬固まり、次の瞬間には腹を抱えていた。
「ぶっ……! せ、千里眼……!?」
「笑うな!!」
「詩、お前それ何歳だよ!?」
「小学生だよ!!」
「何年?」
「聞くな!!」
「高学年?」
「聞くなっつってんだろ!!」
ネイラがじっと俺を見る。
「主。かわいい」
「やめろ!!」
「昔の主、見たい」
「絶対見せねえよ!!」
リュネリアまで口元を押さえている。笑うのを我慢しているのか、気を遣っているのか分からない顔が余計に腹立つ。
「マスター、その……とても元気な掛け声ですね」
「フォローが一番刺さるんだよ!!」
ヴァルグレンが静かに頷いた。
「まあ、若気の至りというものは誰にでもございますからな」
「勝手に記憶覗いた奴が慰めんな!!」
「主。今度、一緒にやる?」
「やらねえよ!!」
「二人なら恥ずかしくない」
「そういう問題じゃねえ!」
「私もご一緒します!」
リュネリアが手を挙げる。
「増えるな!!」
「何を見ればいいですか?」
「何も見ねえよ!!」
ガルディアが敵陣を指差した。
「あれでいいだろ」
「一万人の敵軍を視力回復に使うな!!」
ヴァルグレンが少し考え込む。
「しかし、極度の緊張状態では感覚が研ぎ澄まされることも――」
「真面目に検討し始めんな爺さん!!」
駄目だ。
全員駄目だ。
知ってたけど。
俺は無理やり話を戻した。
「で! 敵マスターで間違いない?」
「たぶん」
「護衛は?」
「二十七」
「結構いるな」
「殺す?」
「聞き方!!」
ネイラが俺を見る。
「駄目?」
「まず捕縛とかあるだろ!」
「ある」
「あるんだ!?」
「主が欲しいなら」
「敵将を物みたいに扱うな!」
「生きてる方がいい?」
「その確認も怖い!」
ネイラは少し考えてから、真顔のまま答えた。
「じゃあ足だけ折る」
「中間案が怖すぎるんだよ!!」
「逃げなくなる」
「そうだけど!」
「腕も?」
「増やすな!!」
「主殿」
背後から穏やかな声がした。
ヴァルグレンだ。
今度こそまともな話だろう。
頼む。
「少々よろしいですかな」
「いいよ。何?」
「念のため遺言を書いていただけますかな」
「まともじゃなかった!!」
何で戦闘前に遺言なんだよ!
「まだ始まってもないけど!?」
「ですので今のうちに」
「嫌だよ!」
「では口頭で」
「形式の問題じゃねえ!!」
「財産の分配だけでも決めていただければ」
「俺が死ぬ前提で資産整理始めんな!!」
ヴァルグレンが困ったように首を傾げる。
「しかし主殿。敵は一万を超えますぞ」
「見れば分かるよ!」
「正面から戦えば、まあ死ぬでしょうな」
「もうちょっと希望持てない!?」
「では訂正を」
「お?」
「かなり高い確率で死ぬでしょうな」
「悪化してんじゃねえか!!」
「主が死ぬなら私も死ぬ」
ネイラが即答した。
「乗るな!!」
「マスターが死ぬなら私も!」
「リュネリアまで!?」
ガルディアが笑う。
「じゃあ全員で死ぬか!」
「勝つ話をしろよお前ら!!」
何で開戦前に集団で死ぬ相談してんだ!?
「……くだらない」
冷たい声が割り込んだ。
黒髪。
赤紫の瞳。
古代魔族の女が腕を組んでこちらを見ていた。
よし。
やっとまともな奴が来た。
「この程度の軍勢を前に死を語るとは。情けない」
そう!
それ!
もっと言ってやれ!
「貴様が死んでも、私は一人で殲滅できる」
「俺だけ死ぬ前提!?」
「事実だ」
「事実にすんな!!」
ヴァルグレンが静かに頷く。
「まあ、主殿だけが突出して脆いのは事実ですな」
「爺さんまで!?」
「儂は事実を申しただけで」
「今いらない事実ってあるだろ!!」
ガルディアが腹を抱えている。
「はははっ! 詩、安心しろ! あたしが守ってやる!」
「何で一番戦闘狂の奴に慰められてんだ俺!!」
「ほら、後ろにいろ」
「子供扱いすんな!」
「主殿。遺言は?」
「まだ言ってんの!?」
敵より味方の方が疲れる。
俺は額を押さえながら、一度大きく息を吐いた。
「……で、爺さん。遺言以外の話は?」
「ございますぞ」
「最初からそっち言え!」
ヴァルグレンが敵軍中央を指す。
黒い杭が何本も地面へ打ち込まれ、その間を薄紫色の光が脈打つように走っていた。見た目だけなら派手ではないが、爺さんがわざわざ指摘する時点でろくなものじゃない。
「魔法陣?」
「吸魔陣ですな」
「何それ」
「こちらの魔力を吸収し、敵側へ還元する術式にございます」
俺は黙った。
そして、ゆっくり横を見る。
リュネリアが目を逸らした。
「おい」
「…………はい」
「今の聞いた?」
「聞きました」
「さっき撃ってたら?」
「…………」
「撃ってたら?」
「敵の皆さんが、とても元気に……」
「敵に元気配るところだったの!?」
「そ、そういう意図では!」
「当たり前だ!!」
ヴァルグレンがしみじみ頷く。
「下手をすれば、主殿より敵軍の方がリュネリア殿に感謝したかもしれませんな」
「やめろ爺さん!!」
「えぇ……それは困ります」
「そこで普通に困るなリュネリア!!」
「マスターに一番感謝されたいので!」
「そういう話でもない!!」
「くだらない」
古代魔族の女が鼻で笑った。
「その程度の術式、支配権を奪えば済む」
俺は振り返る。
「できるの?」
「貴様」
「何?」
赤紫の瞳が細くなった。
「今、私に『できるの?』と聞いたか?」
「聞いたけど」
「この私に?」
「他に誰がいるんだよ」
「…………」
あ。
機嫌悪くなった。
面倒くせえ。
「当然できる!!」
「じゃあお願い」
「軽い!!」
「えっ!?」
何で怒られた!?
「できるって言ったじゃん!」
「だからといって、もう少しこう……あるだろう!」
「何が!?」
「敬意だ!!」
「戦争中だぞ!?」
「戦争中だからこそだ!」
「何その理屈!?」
「『さすがだ、貴殿にしか頼めない』程度は言え!」
「注文細かっ!!」
「言え!」
「さすがだ! お前にしか頼めない!」
「貴殿だ!!」
「そこ!?」
ガルディアが吹き出した。
「ぶはっ!」
「お前笑ってるだろ!」
「笑ってねえ!」
「顔見ろ! 嘘下手すぎるんだよ!」
「ぶふっ!」
「二回目!!」
古代魔族の女が眉間を押さえる。
「なぜ私はこのような者たちと……」
「お前も大概だからな!?」
「何だと!?」
「自覚なかったの!?」
「貴様、今の言葉を取り消せ!」
「嫌だよ!」
「取り消せ!」
「まず吸魔陣取ってからにしてくれ!!」
「順番の問題ではない!」
「今は順番が大事なんだよ!!」
――角笛が鳴った。
そこで空気が変わった。
一万を超える兵が動き出し、無数の足音が重なって巨大洞窟そのものを揺らす。盾が並び、槍が下がり、その隙間から巨大魔獣の咆哮が響いた。
さっきまで騒いでいた全員の顔から、同時に余計なものが消える。
俺も前を見る。
怖くないわけがない。
あそこへ俺一人で放り込まれたら、たぶん十秒も保たない。
ガルディアみたいに軍勢を拳で割れないし、ネイラみたいに一万人の中から一人を見つけることもできない。リュネリアみたいに岩山ごと消し飛ばせるわけでもなければ、爺さんみたいに術式を解くことも、あいつみたいに魔法そのものを奪うこともできない。
だから俺は、全部繋ぐ。
それだけでいい。
「爺さん」
ヴァルグレンの笑みが消えた。
「はい」
「第三水路」
「完全開放まで四十二秒」
「ネイラ」
「行ける」
「まだ行くな」
「分かった」
「ガルディア」
「あたしは?」
「中央を割れ。三百メートル。左右へ散らせ」
「殺していい数は?」
「何でそこだけ確認するんだよ」
「大事だろ」
「なるべく殺すな」
「了解」
返事は一言だった。
もう笑っていない。
「リュネリア」
「はい!」
「撃つな」
「…………はい」
「落ち込むな」
「皆さん役割があるのに……」
「あとである」
「本当ですか!?」
「本当だから光出すな!」
「あっ」
「もう出てる!!」
慌てて消す。
本当にこいつは。
最後に古代魔族を見る。
「吸魔陣」
「分かっている」
「敵魔法だけ止めて、こっちは通せる?」
眉が跳ね上がった。
「貴様、また私にできるか聞いたな!?」
「確認だよ!!」
「できるに決まっている!」
「じゃあ頼む!」
「言われずともやる!」
よし。
扱い方が分かってきた気がする。
「今、何か失礼なことを考えなかったか?」
「何で分かるんだよ!?」
「顔だ!」
「戦場見ろ!!」
ヴァルグレンが低く告げる。
「主殿。来ますぞ」
前を見る。
敵軍が一斉に走り出した。
無数の足音が一つの轟音になり、距離が一気に縮まっていく。
「爺さん、あと何秒」
「十」
ガルディアが腰を落とす。
「七」
ネイラの身体から気配が消える。
「五」
赤紫の光が古代魔族の指先に集まる。
「三」
敵先頭が射程へ入った。
「二」
俺は右手を上げる。
「一」
振り下ろす。
「ガルディア」
「おう」
「行け」
地面が爆ぜた。
ガルディアが一歩で岩床を砕き、その勢いのまま敵陣へ飛び込んでいく。正面には巨大盾が並び、その隙間から無数の槍が突き出されたが、あいつは速度を落とさない。
「邪魔だぁっ!!」
拳が盾列へ突き刺さった。
轟音とともに十人、二十人が盾ごと左右へ吹き飛び、開いた中央へさらに兵が殺到する。
巨大オーガが棍棒を振り下ろす。
ガルディアは紙一重でその下へ潜り込み、勢いを殺さないまま懐へ滑り込んだ。
「右腕が遅い」
肘を打ち、脇腹へ拳を入れる。
巨体が崩れるより先に、もう次の敵を見ていた。
「次は左」
戦ってる時だけは、本当に頼りになる。
「爺さん!」
「開放!」
地底で巨大な金属音が響いた。
敵軍中央の岩床が開き、一拍遅れて轟音とともに濁流が噴き出す。ガルディアを止めようと中央へ集まった兵が、そのまま盾も魔獣もまとめて水に呑まれ、軍勢全体が左右へ押し分けられていく。
「今」
ネイラが消えた。
速い。
乱れた軍勢の隙間を抜け、倒れた兵や魔獣の足元を縫いながら、一つの影が黒い塔へ一直線に走っていく。
「貴様ら」
古代魔族が右手を上げた。
敵軍中央。
薄紫の吸魔陣が輝く。
「私の前で魔法を使うとは、いい度胸だ」
指が閉じる。
薄紫だった光が赤紫へ染まり、敵側の魔導兵たちが一斉に慌て始める。
空中へ展開されていた魔法が一つ、また一つと崩れていった。
「術式の主は私だ」
冷たい声。
「許可なく動くな」
いや、元々敵のなんだけど。
今はいい。
「リュネリア!」
「はいっ!!」
待ってましたと言わんばかりに顔が輝いた。
「左翼! 岩壁手前まで!」
「任せてください!!」
「手前だからな!」
「はい!」
「岩壁残せよ!」
「はい!」
「絶対だぞ!」
「もちろんです!!」
白い光が集まる。
その光景を見た瞬間、俺の中で嫌な予感が一気に膨らんだ。
明るい。
……明るすぎる。
「おい」
「はい!」
「ちょっとデカくない?」
「大丈夫です!」
「その台詞聞くたびに何か壊れてるんだけど!?」
「今回は本当に大丈夫です!!」
光がさらに膨らんだ。
「リュネリア?」
「はい!」
「出力いくつ?」
「六割です!」
「六割!?」
「はい!」
「三割にしろ!!」
「えっ!?」
「今すぐ!!」
「で、でも三割だと倒しきれるか心配で!」
「倒しきらなくていいんだよ!!」
「そうなんですか!?」
「今更!?」
何の説明を聞いてたんだ!?
「三割! 今すぐ三割!」
「わ、分かりました!」
リュネリアが慌てて魔力を絞る。
光が小さく――ならない。
むしろ密度だけが上がった。
待て。
何でだ。
リュネリアの顔が固まる。
「あっ」
「待て待て待て待て!!」
「マスター。大変申し上げにくいのですが……」
「その丁寧語やめろ!! 絶対ヤバい時の奴だろ!!」
「少し、圧縮しすぎました」
「少しってどれくら――」
白。
視界が全部消えた。
「リュネリアァァァァァ!!」
轟音と爆風が一気に押し寄せ、身体ごと持っていかれそうになるのを踏ん張る。
しばらくして煙が晴れた。
敵軍左翼。
いない。
岩壁。
ある。
よし。
…………。
穴が開いてる。
でっかい穴が。
俺は無言でそれを見る。
リュネリアも見る。
ヴァルグレンも見る。
古代魔族まで見る。
ガルディアだけ笑ってる。
リュネリアが恐る恐るこちらを向いた。
「マスター」
「何」
「岩壁は……残っています」
「穴開いてるけど!?」
「壁そのものはあります!」
「そういう判定!?」
「完全には壊れてません!」
「お前の中の成功条件どうなってんだよ!!」
ガルディアが腹を抱える。
「あっはははは!! いいじゃねえか! 出口増えたぞ!」
「勝手に増設すんな!!」
「便利だろ?」
「敵拠点に予定外の玄関作る奴があるか!!」
「主」
真横から声。
「うわっ!?」
ネイラがいた。
「急に出てくんな!!」
「戻った」
「見れば分かるよ!」
黒い杖を差し出される。
「これ」
「何?」
「敵マスターの」
「杖?」
「うん」
「本人は?」
ネイラが黒い塔を見る。
最上部から白い布が垂れた。
「降伏した」
「早っ!?」
「主を悪く言ったから、少し脅した」
嫌な予感。
「何て?」
「次は首」
「少し!?」
「効いた」
「効くだろうな!!」
ヴァルグレンが頷く。
「合理的ですな」
「爺さんも肯定すんな!」
「殺しておりませんぞ?」
「そういう問題じゃない!」
「主は優しい」
「お前の基準で俺を褒めるな!!」
その時。
目の前に半透明の文字が浮かんだ。
《勝利条件の達成を確認》
俺の声が止まる。
《敵性ダンジョン中枢の機能停止を確認》
お。
《敵ダンジョンマスターの降伏を確認》
おお。
《勝利判定を確定します》
来た。
「……来た」
つい声が漏れた。
ヴァルグレンがこちらを見る。
「主殿」
「何」
「顔が変わりましたな」
「変わってない」
「変わった」
ネイラまで言う。
「変わってます!」
リュネリアまで!?
ガルディアがにやにやしている。
「詩、お前こういう時だけ分かりやすいよな」
「分かりやすくない!」
古代魔族が露骨に呆れた顔をした。
「浅ましい男だ」
「まだ何も選んでねえだろ!!」
《固有能力発動条件を満たしました》
空中の文字が切り替わる。
俺は咳払いした。
「いや、これは違うからな」
誰も何も言ってない。
「戦略的に確認するだけだから」
まだ誰も言ってない。
「別にレアだから選ぶわけじゃないぞ」
ガルディアの口元が吊り上がった。
「誰もレアなんて言ってねえぞ?」
「…………」
しまった。
ネイラが俺を見る。
リュネリアも見る。
爺さんは何故か優しく頷いている。
古代魔族は完全に馬鹿を見る目だ。
「……何だよ、その目」
そして。
三つの光が、俺の前に浮かんだ。
◆
この頃には、地下世界で大隅詩という名前を知らない者はかなり少なくなっていた。
希少種ばかりを集める男。
正面から戦わない卑怯者。
罠と地形ばかり使う臆病者。
勝てる戦しかしない悪党。
領地を食い荒らす略奪者。
好き勝手に呼ばれている。
納得いかない。
特に臆病者。
死にたくないだけだ。
普通だろ。
ただ、この頃の俺を知っている奴が最初の俺を見たら、たぶん信じない。
軍勢なんてなかったし、希少種もいなかった。資源もなければ、まともな寝床すらなかった。
本当に、笑えるくらい何もなかった。
◆
少しだけ昔。
俺は目を開けた。
知らない天井だった。
石造りの天井をぼんやり見上げたまま身体を起こし、まず右を見る。
石壁。
左を見る。
石壁。
前も後ろも、やっぱり石壁。
「…………」
立ち上がって歩いてみる。
七歩で壁。
戻って逆へ行けば、九歩でまた壁。
隣の部屋へ出れば少しだけ広かったが、その奥へ進んでももう一部屋あるだけで、その先は終わりだった。
俺は来た道を戻り、中央らしき場所に立って、もう一度ゆっくり周囲を見回す。
薄暗い。
何もない。
人もいない。
食料もない。
ベッドもない。
窓すらない。
しばらく黙ったあと、俺の口から出た感想は一つだった。
「…………狭っ」
この時の俺はまだ知らない。
ここが、俺の最初のダンジョンだった。




