第35話 約束を破ったみたいなので、こっちも遠慮するのをやめます
「レイドル様は――死んでいます」
バルドの言葉が落ちた瞬間、執務室から音が消えた。
グレゴールは動かず、隣に立つハイゼンも口を挟まない。ただ、その先を促すように二人の視線だけがバルドへ向けられている。
「……死体を見たのか」
「いいえ。ですが、地下で俺たちを捕らえた男が認めました。レイドル様と護衛四人は、そこで殺されたと」
グレゴールの指先が机の上で僅かに動いた。
「男?」
「若い男です。見たところ二十そこそこでした」
「一人か」
「いえ」
バルドが一瞬だけ言葉を詰まらせる。
約束はした。
あそこで見たものは話さない。戻らない。ボルドにも手を出さない。
それでも、ここまで話してしまった以上、途中で止める意味はほとんど残っていなかった。
「女が二人。片方は獣人です。黒い耳と尾があって、動きが異常に速い。もう一人は……魔法使いだと思います」
「思う?」
「使った魔法の規模が、俺の知っている魔法使いとは違いすぎました」
ハイゼンの眉が僅かに寄る。
「どの程度だ」
「地下の通路を、一撃で消しました」
「……消した?」
「はい」
バルドの横にいた男が堪えきれず口を挟んだ。
「壁ごとです。俺たちを狙ったわけじゃありません。それでも、あと少しずれていたら何人死んでいたか分かりません」
そこから報告は続いた。
地下に広がる不可解な空間、途中で形を変える通路、見たことのない拘束具、こちらの動きを先回りしていた黒髪の獣人。そして、レイドルを殺したと認めた若い男。
ハイゼンは黙ったまま必要な情報だけを拾い、ところどころ短く確認を挟んでいく。
対してグレゴールは、途中から一度も質問しなかった。
「旦那様」
やがてハイゼンが静かに呼ぶ。
返事はない。
「まだ、彼らの話だけです。レイドル様の遺体も確認できておりません。まずは――」
「場所は」
ハイゼンの言葉を遮り、グレゴールが聞いた。
バルドが顔を上げる。
「分かります」
その一言で、グレゴールの目が鋭くなった。
「案内できるか」
バルドは迷った。
だが、その時間は長くなかった。
「……できます」
◇ ◇ ◇
「はい、アウト」
管理画面を見ながら呟くと、向かいに座っていたケインが顔を上げた。
「何がですか?」
「何でもない」
「またですか」
「まただよ」
残念ながら、追跡標に盗聴機能なんて便利なものは付いていないから、向こうで何を話しているのかまでは分からない。
それでも三つの反応は商会と思われる場所へ入ってからずっと留まり、しばらくすると、そのうち一つだけが建物の中を何度も移動し始めた。
残りの二つはその場に留まったまま。
さらに少し経ってから、今度は二つが揃って別の場所へ動く。
七人全員で戻って、何も話さず、そのまま解散しました。
……という動きにはさすがに見えない。
「まあ、そうなるよな」
別に傷ついてはいない。
最初から裏切る可能性込みで帰したんだから、予想していた分岐の一つに入っただけだ。
むしろここまで真っ直ぐ商会へ戻ってくれたなら、追跡標を付けた意味は十分あった。
「ネイラ」
壁際にいたネイラが視線を向ける。
「うん」
「たぶん、裏切った」
「殺す?」
「早い早い。何でそこに直結するんだよ」
ネイラは不思議そうに首を傾げた。
「まだ殺さない。というか、あいつらを殺すために帰したんじゃないって」
一応納得したのか、ネイラが小さく頷く。
本当に分かってるんだろうな。
俺は管理画面へ視線を戻した。
《遠隔炸裂符:起動可能》
バルドの荷物に仕込んだ札。
ここまで持っていってくれたなら、最後まで仕事をしてもらおう。
「マスター?」
リュネリアがこちらを覗き込んでくる。画面は共有していないので、当然何も見えていない。
「何をするんですか?」
「ちょっと挨拶」
「挨拶?」
「派手なやつ」
その瞬間、リュネリアの顔がぱっと明るくなった。
「私ですか!?」
「何でそうなる!?」
「派手な挨拶なら得意です!」
「知ってるよ! 得意すぎるから頼んでないんだよ!」
危ない。
こいつにとって「派手」は自分の担当らしい。
俺は慌てて手で制する。
「今回は俺がやるから座ってろ」
「分かりました……」
露骨に残念そうな顔をされた。
何で爆発担当を取られたみたいになってるんだよ。
「……何の話ですか?」
ケインだけが完全に置いていかれている。
当然だ。
こいつには仕込みを見せていない。
俺は一瞬だけ迷ってから、ケインを見る。
「ちょっと離れてて」
「また!?」
「悪いけど、今回も」
「さっきから俺だけ何も教えてもらえてないんですけど!」
「だから教えてないんだよ」
ケインが黙った。
俺は少しだけ声を落とす。
「お前が知らない方がいいことだから」
七人はケインの仲間だ。
裏切った可能性が高いからといって、ここで一緒に仕掛けの結果を見せる必要はないし、まだ完全にこちら側へ来ると決めてもいない。
「……分かりました」
今度はそれ以上追及せず、ケインは立ち上がって通路の奥へ向かった。
その背中が見えなくなってから、俺は表示へ指を伸ばす。
約束はした。
守るなら何もしないとも決めていた。
でも、向こうが破ったなら話は別だ。
「俺だけ律儀に守る必要ないよな」
《遠隔炸裂符を起動しますか?》
《YES/NO》
迷わず押す。
《YES》
◇ ◇ ◇
「人数を増やせ」
グレゴールの声に、ハイゼンが眉を寄せた。
「旦那様。まずは情報を整理すべきです」
「整理ならした」
「彼らは八人で入り、七人が戻りました。しかも全員捕らえられた上で、意図的に解放されています。敵は、こちらへ情報が戻ることまで承知していた可能性があります」
「だから何だ」
グレゴールが立ち上がる。
「レイドルは殺された」
「まだ確定では――」
「本人が認めたのだろう」
低い声だった。
怒鳴ってはいない。
それでも、バルドたちは誰一人として口を開けなかった。
「地下にいる男を連れてこい。女二人もだ。生かして連れてくる必要はない」
「旦那様」
「金なら出す。冒険者でも傭兵でも雇え。必要なら――」
その瞬間、爆音が商会の奥まで響いた。
床が大きく揺れ、窓ガラスが一斉に震える。バルドたちは反射的に姿勢を落とし、グレゴールも鋭く振り返った。
「何だ!?」
「外です!」
叫び声が上がる。
直後、執務室の扉が勢いよく開いた。
「旦那様!」
商会の男がほとんど転がり込むように入ってくる。
「裏の荷置き場で爆発が! 荷物が――!」
バルドの顔色が変わった。
「荷物……?」
嫌な予感がした。
走って裏手へ向かうと、そこには吹き飛ばされた木箱と荷車の残骸が散らばり、壁の一部が黒く焦げていた。近くにいた男たちが慌てて水を運び、火を消そうとしている。
そして、その中心。
バルドが地下から持ち帰った荷物だけが、跡形もなく吹き飛んでいた。
「……嘘だろ」
いつ。
どこで。
そこまで考えて、すぐに答えへ辿り着く。
地下だ。
解放される前に仕込まれた。
自分たちが帰ることも、ここへ戻ることも、報告する可能性すら。
最初から考えた上で。
「あの野郎……」
遅れてグレゴールとハイゼンも外へ出てくる。
燃える荷置き場を見た瞬間、グレゴールの表情が止まった。
「何があった」
「分かりません。突然、荷物が爆発したと……」
ハイゼンだけが、バルドの様子を見ていた。
「その荷物は?」
バルドは答えられない。
だが、その沈黙だけで十分だった。
「……地下から持ち帰ったものですね」
「違う! 向こうで渡されたものじゃない! 俺の荷物だ!」
「ならば、知らない間に仕込まれた」
ハイゼンの顔から血の気が引く。
敵は彼らを捕らえ、条件を出して解放した。その上で帰した人間の荷物へ気づかれないまま何かを仕込み、商会へ戻ったあとで起動した。
そこまで考えれば、出てくる結論は一つしかない。
「こちらの位置を把握している可能性があります」
グレゴールがゆっくりと燃える荷物へ視線を向けた。
「……宣戦布告か」
誰も答えなかった。
◇ ◇ ◇
「おお」
表示の一つが消えた。
正確には炸裂符の反応だけが消失している。
ちゃんと起動したらしい。
「成功?」
ネイラが聞く。
「たぶん」
爆発そのものは見えないから、どれくらい派手だったかまでは分からない。
小規模と書いてあったし、商会そのものを吹き飛ばすほどではないだろう。
でも、荷物一つがいきなり爆発すれば十分だ。
地下で捕まった奴らが帰ってきた直後、自分たちの拠点で原因不明の爆発が起きた。
これで何も感じない奴はいない。
「よし」
俺は立ち上がる。
「マスター、戦うんですか?」
リュネリアが聞く。
さっきまでとは違い、今度は少し真面目な声だった。
「向こう次第……って言いたいところだけど、たぶんもう無理だな」
レイドルの死まで話したなら、グレゴールは動く。
息子を溺愛していたらしいし、その相手から商会に爆発まで送り込まれた。
俺が親ならキレる。
いや、普通に考えてキレる。
「来るだろ」
「ここに?」
「ああ」
問題は、どれだけ連れてくるか。
二十人か、三十人か。冒険者や傭兵まで雇えば、それ以上になるかもしれない。
普通なら絶対に嫌だ。
一対一ですらネイラに任せたい俺が、大人数相手に正面から戦うわけがない。
でも、ここは俺のダンジョンだ。
俺たちに悪意を持って踏み込んでくる奴が《勝者特権》の対象になるには、今までの感じだとここで決着をつけるのが一番確実。
だったら、向こうから来てもらった方が都合がいい。
「ここでやる」
俺は足元を軽く叩いた。
リュネリアとネイラがこちらを見る。
「グレゴールが慎重なら、警戒したまま来ればいい。人数を集めるなら集めればいいし、装備を整えるなら整えればいい」
そこまで言って、俺は管理画面を開く。
施設、部屋、通路、罠。
いくつもの項目が並ぶ画面を眺めながら、自然と口元が上がった。
全部を今から説明する必要はない。
というか、言葉にしてしまうと何となく面白くない。
「とっておきの部屋も用意してやるよ」
ネイラが耳を僅かに動かす。
「何する?」
「まだ秘密」
「私にも?」
「お前には後で手伝ってもらう」
「分かった」
素直で助かる。
「リュネリアも」
「はい!」
「お前は撃つ場所、俺が言うまで絶対撃つなよ」
「分かりました!」
返事だけは完璧なんだよなあ。
そこが一番怖い。
「それと――」
俺は通路の奥へ目を向ける。
ケインには、まだ話しておかないといけない。
◇ ◇ ◇
「もういいですか?」
呼び戻すと、ケインは露骨に不満そうな顔で戻ってきた。
「何したか聞いても?」
「駄目」
「ですよね」
諦めるの早くなったな。
いい傾向なのかは知らない。
俺は冗談を切り上げ、ケインを見る。
「たぶん、七人は商会に戻った」
ケインの顔から少しだけ表情が消えた。
「……そうですか」
「俺たちのことを話した可能性も高い」
今度は答えなかった。
仲間を信じていなかったわけじゃないだろう。
それでも本人が「裏切る可能性はある」と言っていたんだから、頭では分かっていたはずだ。
「で、俺はガルガン商会と戦う」
ケインが顔を上げる。
「戦うって……」
「向こうが来るなら倒す。グレゴールも止める。俺たちを狙うのをやめる気がないなら、商会ごと潰す」
そこだけは隠さない。
「だから、ここから先はお前が決めろ」
ケインは黙って俺を見る。
「七人を追えとは言わない。グレゴールを殺せとも言わないし、仲間の情報を全部吐けとも言わない」
無理やりこっち側に立たせた奴なんて、いざ戦いが始まったら一番信用できない。
「帰りたいなら今帰っていい」
「……帰してくれるんですか?」
「帰すよ」
「俺、ガルガン商会の人間ですよ」
「知ってるよ」
「あなたたちのことも知ってる」
「知ってるな」
「なら、俺が戻って報告するかもしれないでしょう」
「する?」
ケインが口を閉じる。
しばらく沈黙したあと、小さく息を吐いた。
「……しません」
「ならいいじゃん」
「軽っ」
「じゃあ重く言えばいいのか?」
「そういう話じゃないですよ」
面倒だな。
帰るか残るか聞いてるだけなのに。
ケインは少し視線を落とした。
「俺、あいつらが悪いとは思ってないです」
「ああ」
「バルドさんたちは商会に長くいます。旦那様にも恩がある。レイドル様だって……俺は好きじゃなかったですけど、それでも若旦那です」
「うん」
「だから、戻って報告するのも分かります」
それはそうだろう。
むしろ俺だって、七人が約束だけを理由に長年の仲間や雇い主を全部捨てるとは思っていなかった。
「でも」
ケインが顔を上げる。
「俺は残ります」
さっきまでの「もう少し」ではなかった。
「いいの?」
「はい」
「今なら帰れるぞ?」
「残ります」
「リュネリアいるけど」
「それは怖いです」
「ケインさん?」
「すみません!」
反射が速い。
リュネリアが少しだけ頬を膨らませた。
ケインは一度咳払いしてから、今度は俺をまっすぐ見る。
「あなたは俺に、仲間を騙せとは言わなかった。七人を帰す時も、俺を無理やり巻き込まなかった」
俺は何も答えない。
「何をしたのかは知りませんけど」
「そこは知らなくていい」
「やっぱり何かしたんですね……」
しまった。
まあいいか。
ケインは苦笑して、それから続ける。
「それでも、俺が自分で選べるようにしてくれた。それなら俺も、自分で決めます」
そして、はっきりと言った。
「俺はここに残ります」
今度こそ決めたらしい。
「そっか」
「……それだけですか?」
「いや、何て言えばいいんだよ」
こういう時、感動して抱き合ったりするの?
絶対嫌なんだけど。
「じゃあ、よろしく?」
「疑問形やめてもらえます?」
「注文多いな!」
ケインが笑った。
それで十分だろ。
俺は手を差し出す。
一瞬だけ驚いたあと、ケインもその手を握った。
これで一人増えた。
戦力としてどこまで使えるかは知らないが、人間の街やガルガン商会について知っている奴がこっちにいるのは大きい。
何より、俺が一番欲しかったのは戦える奴じゃない。
自分で残ると決めた奴だ。
「じゃあ早速仕事」
「もうですか!?」
「当たり前だろ。こっちはこれから商会一個潰すんだぞ」
「決断した直後に言われると、とんでもないところに残った気がしてきました」
「今さら?」
「今さらです」
俺は管理画面を開き直す。
ガルガン商会がどれだけ集めてくるかは分からない。
でも、来るなら歓迎する。
ただし今度は、八人を相手にした時みたいな即席じゃない。
時間もある。
相手が誰かも分かっている。
それなら、こっちも遠慮する理由はない。
俺は表示された項目を眺めながら、ゆっくり口元を上げた。
「さて――とっておきの部屋、作るか」
せっかく大人数で来てくれるかもしれないんだ。
なら、簡単には帰れないくらいの歓迎をしてやろう。




