第28話 消えた跡取りを探したら、行商人に辿り着いたらしいです
ガルガン商会の朝は早い。
荷が入り、人が動き、金が動く。
倉庫では荷車が次々と出入りし、帳場では昨日の売上と今日の仕入れが確認される。商人、護衛、使用人を合わせれば、朝だけでもかなりの人数が本館を行き交っていた。
そんな商会で。
跡取りを含む五人が、一晩経っても戻らない。
それは、さすがに見過ごせる話ではなかった。
「まだ連絡はないのか?」
ガルガン商会本館。
二階の執務室で、低い声が響く。
机の向こうに座る男の名は、グレゴール・ガルガン。
ガルガン商会の現当主であり、レイドルの父親だった。
五十を越えた大柄な男で、息子と同じく身なりには金をかけている。ただし、指に宝石を並べていたレイドルと違い、装飾品は右手の指輪一つだけだった。
「ありません」
答えたのは、机の前に立つ痩せた男だった。
商会の番頭、ハイゼン。
長年ガルガン商会の帳簿と人員を管理してきた男で、今朝からレイドルの足取りを調べている。
「護衛四人もか?」
「全員です」
グレゴールの眉間に皺が寄る。
レイドル一人なら、帰らない理由はいくらでも考えられる。
だが護衛四人まで同時となれば話が違う。
「最後に確認されたのは?」
「昨日の昼過ぎです。西側の市場で目撃されています。その後、部下を連れて地下方面へ向かったようです」
「目的は?」
「調べています」
グレゴールは指先で机を二度叩いた。
「急げ」
「はい」
怒鳴らない。
机も殴らない。
ただ、その一言で部屋の空気が重くなる。
ガルガン商会にとって、レイドルは単なる一人息子ではない。
次の当主だ。
その男が護衛ごと消えた。
事故なら探し出す。
誰かに捕らえられたなら取り戻す。
そして、もし殺されているのなら。
相手を知らなければならない。
「旦那様」
扉が開いた。
若い商会員が一人、息を切らして入ってくる。
「何だ?」
「若旦那の昨日の動きが分かりました」
ハイゼンが振り返る。
「話せ」
「はい。昨日、若旦那は市場近くで行商人と話しています。その後、その男を追うように西へ向かったとの証言がありました」
「行商人?」
「ボルドというドワーフです」
ハイゼンの表情が僅かに変わった。
「ボルド?」
「知っているのか」
グレゴールが聞く。
「名前だけは。小規模ですが、この辺りを定期的に回っている行商人です。珍しい品を扱うこともありますが、商会へ直接敵対するような男ではありません」
「レイドルとの関係は?」
「確認します」
若い商会員が続ける。
「もう一つあります。市場の露店商が、若旦那とそのボルドが揉めているところを見たそうです」
「内容は?」
「そこまでは。ただ、若旦那がかなり強引に何かを聞き出そうとしていたようで……」
グレゴールが目を閉じる。
数秒。
「……レイドルめ」
初めて、その声に苛立ちが混じった。
息子の性格を知らないわけではない。
欲しいものを見つければ手を伸ばす。
相手が断れば、金を積む。
それでも駄目なら、ガルガンの名を使う。
商売では強引さが武器になることもある。
だが、使う相手を間違えれば敵を作る。
「ボルドが若旦那を?」
若い商会員が恐る恐る口にする。
「それはない」
ハイゼンが即座に否定した。
「護衛四人だ。ボルド一人でどうにかできる連中ではない」
「では、仲間が?」
「それを調べる」
ハイゼンは机の上へ地下周辺の簡単な地図を広げた。
「重要なのは、ボルド本人ではありません。若旦那が何を求めて、ボルドの先に何があると考えたのかです」
グレゴールが地図を見る。
「最近、あの男が扱い始めた品を洗え」
「すでに調べさせています」
「出入りしている場所もだ」
「そちらも」
グレゴールが顔を上げる。
「早いな」
「五人消えていますから」
ハイゼンは淡々と答えた。
「偶然で片付けるには、一人多すぎます」
その時だった。
廊下から慌ただしい足音が近づいてきた。
別の商会員が入ってくる。
「失礼します!」
「今度は何だ」
「ボルドが戻っています!」
部屋の空気が変わった。
「どこにいる?」
「東市場です。今朝、いつも使っている宿へ戻ったのを確認しました」
ハイゼンがすぐに尋ねる。
「様子は?」
「普段と変わりません。荷を下ろして、宿の主人と話しています」
「怪我は?」
「見た限りありません」
「一人か?」
「はい」
ハイゼンは少し考えた。
「尾行は?」
「二人つけています」
「気づかれるな。接触もするな」
「ですが、捕らえて聞けば――」
「駄目だ」
今度はグレゴールが止めた。
若い商会員が口を閉じる。
「レイドルが五人で追って消えた。その直後にボルドだけが何事もなく戻ってきたんだぞ」
グレゴールの視線が細くなる。
「何も知らないなら、それでいい。だが何か知っているなら、今捕まえるより泳がせた方がいい」
ハイゼンが頷く。
「同感です」
ボルドが直接五人を倒した可能性は低い。
ならば、その先に誰かがいる。
ボルドを捕らえれば、そこへの道が消えるかもしれない。
「行き先を見ろ。誰と会うかも全部だ。ただし手は出すな」
「承知しました」
商会員が退室する。
扉が閉じたあと、グレゴールは地図へ視線を戻した。
「……ハイゼン」
「はい」
「レイドルが追っていたものに心当たりは?」
「一つだけ」
ハイゼンの返事に、グレゴールが顔を上げる。
「何だ」
「最近、ボルドが妙な場所へ出入りしているという話がありました」
「妙な場所?」
「地下です。それも、既存の集落や採掘場から外れた区域へ何度か入っている」
グレゴールの指が止まる。
「その先は?」
「不明です」
ハイゼンはそこで一度言葉を切った。
「ですが、若旦那は以前からボルドの仕入れ先を気にしていたようです。市場で見慣れない品を扱っていた、と」
「見慣れない品……」
「それを独占しようとした可能性があります」
十分あり得る。
むしろ、レイドルならやる。
グレゴールは椅子へ深く座り直した。
だが、それでも一つ分からない。
仮にボルドの取引相手と揉めたとして。
護衛四人までまとめて消えるか?
レイドルにつけていた護衛は、飾りではない。
少なくとも、そこらの盗賊や魔物に五人まとめてやられるような連中ではなかった。
「地下で、新しい勢力が動いている可能性は?」
グレゴールが聞く。
「考えています」
「なら――」
「まだ早いでしょう」
ハイゼンが静かに遮った。
グレゴールの目が向く。
「何がだ?」
「上へ報告するのは、です」
部屋が静かになった。
さっきまで廊下から聞こえていた商会員たちの声が、妙に遠く感じられる。
グレゴールはしばらくハイゼンを見ていた。
「……理由は?」
「若旦那が勝手に動いて消息を絶っただけなら、我々で処理すべき問題です」
「だが、相手が普通ではなかったら?」
「その確認をするためにボルドを泳がせます」
ハイゼンは地図上の東市場へ指を置いた。
「ここで上を動かして、何もありませんでしたでは済みません」
「…………」
グレゴールは答えなかった。
やがて、短く息を吐く。
「分かった。まずはボルドを追え」
「はい」
「それと別に、地下へ人を出せ。レイドルの痕跡を探させろ」
「何人ほど?」
グレゴールは少し考える。
「八人」
「承知しました」
「腕の立つ奴を選べ。ただし戦いに行かせるな。見つけるのが先だ」
「では、何か見つけた場合は?」
「戻って報告させろ。勝手に踏み込ませるな」
ハイゼンが頷いた。
「その方がよろしいかと」
今度こそ話は決まった。
ボルドには監視。
地下には八人。
まず情報を集める。
相手が何者なのかも分からない状態で、商会の戦力を突っ込ませるほどグレゴールは馬鹿ではない。
ただし。
もし息子が殺されているのなら、話はそこで終わらない。
「ハイゼン」
「はい」
「相手が何者であろうと、必ず見つけろ」
「承知しました」
ハイゼンが部屋を出る。
グレゴールだけが残った。
机の上には、地下周辺の地図。
その端に書き込まれた、一人の名前。
ボルド。
グレゴールはそれをしばらく見つめてから、視線を別の場所へ移した。
机の一番下。
普段は滅多に開けない引き出し。
そこには一通の封書が入っている。
差出人の名はない。
ただ、封蝋に刻まれているのは、ガルガン商会の印ではなかった。
グレゴールは引き出しへ手を伸ばし――途中で止めた。
「……まだだ」
今は、まだ使わない。
まずは確かめる。
レイドルが何を見つけたのか。
その先に、何がいるのか。
そして同じ頃。
そんなことを何も知らないボルドは、東市場の宿で荷物を整理していた。
宿の外。
通りを挟んだ向かい側では、一人の男が露店の商品を眺めている。
少し離れた酒場の軒先には、もう一人。
二人とも、ボルドを見てはいない。
少なくとも。
そう見えるようにはしていた。
ボルドは荷物を一つ持ち上げる。
その手が、一瞬だけ止まった。
「…………」
窓の外へ目を向けることはしない。
そのまま何事もなかったように、荷物を奥へ運んでいく。
ガルガン商会は、ボルドを見つけた。
そして。
ボルドもまた。
自分が見られていることに、気づいていた。




