第24話 俺たちが最初のダンジョンマスターじゃなかったらしいです
「報酬まで持ってきてくれた」
そう口にした直後、ネイラに床へ押さえつけられていた男が顔を真っ赤にして暴れ始めた。
「ふざけんな! 俺を誰だと思ってやがる! 親父が知ったら、お前らなんか――」
「まだそんな元気あるんだな」
「離せ! この獣女もただじゃ――ぐえっ!」
ネイラが背中へかけている体重を少し増やしたらしい。さっきまで通路中に響いていた怒鳴り声が、情けない呻き声へ変わる。
「ネイラ、そいつはまだ殺すなよ」
「分かった」
返事はいつも通りだった。
俺は《勝者特権》の表示から目を離し、改めて周囲を見る。
報酬は気になる。
ものすごく気になる。
でも、さすがに今はそれどころじゃない。
床には四人の護衛が倒れている。
誰も動かない。
さっきまで剣を持って俺たちへ向かってきていた人間が、今はもう物みたいに静かになっている。
そして、その少し先にはレイドルが生きたまま押さえつけられていた。
「ボルド。結局こいつ、誰なの?」
俺が尋ねると、それまで険しい顔をしていたボルドが重たく息を吐いた。
「レイドル・ガルガン。ガルガン商会の跡取りだ」
「ガルガン商会?」
「この辺じゃそこそこ名の通った商会でな。食料から武器、鉱石、薬、魔物素材まで、金になるなら大体何でも扱ってる。大商会ってほどじゃねえが、簡単に無視できる規模でもねえ」
一番面倒そうなところだな。
潰して終わりになるほど小さくもなく、誰も逆らえないほど巨大でもない。地域では十分に影響力を持っている、そんな位置らしい。
「前から絡まれてたの?」
「半年くらい前からな。俺の仕入れ先を教えろ、商会の専属になれって何度も言われてた」
「半年も断ってたのに、今日まで諦めなかったんだ」
「そのうち飽きると思ってたんだが、どうやら逆だったらしい」
ボルドがレイドルを見る。
こいつは最近のボルドの品に目をつけ、仕入れ先を探るために尾行した。そしてたどり着いた先が、よりにもよって俺のダンジョンだった。
「……大隅」
「何?」
ボルドの声が、いつもより低かった。
「今回の件は俺にも責任がある」
「いや、勝手についてきたのはこいつだろ」
「それでもだ。俺がもっと早く気づいてりゃ、お前らのところまで連れてくることはなかった」
言われて、少しだけ現実に引き戻された。
そうだ。
戦闘に勝って《勝者特権》まで出たせいで、一瞬忘れかけていた。
こいつらは俺のダンジョンまで来ている。
リュネリアもネイラも見られたし、ボルドと俺たちが取引していることまで知られた。何より、ここへ来る道そのものを知られてしまった。
「これ、結構まずい?」
「かなりな」
「ですよね」
「だから俺も、中途半端な立場でいるのはやめる」
「え?」
ボルドは少しだけ間を置いてから、まっすぐ俺を見た。
「これからは、お前ら専属の行商人として動かせてくれ」
予想していなかった言葉に、俺は思わず瞬きをする。
「専属?」
「ああ。外で必要な物を仕入れる。売れる物があれば売る。ついでに人や商会の動きも調べる。今までみたいに、気が向いた時だけ顔を出して商売するんじゃなく、お前らと外を繋ぐ役を俺が引き受ける」
「急じゃない?」
「今日ここまで連中を引っ張ってきた俺が言うのも何だが、もう半端な付き合いの方が危ねえ。それに――」
そこでボルドは、少しだけいつもの商人らしい笑い方をした。
「お前らと組んだ方が面白そうだ」
「最後それ?」
「責任だけで残るほど、俺もお人好しじゃねえよ。商人なんだから、ちゃんと得も見る」
それならいい。
責任を感じて無理に俺たちへ付き合うという話なら、正直断ろうと思っていた。でも本人にも残る理由があるなら、俺たちにとってはありがたい。
何しろ、外のことを知らなさすぎる。
この世界で何が売れて、どこに人がいて、どんな勢力が存在するのか。ダンジョンの中にいるだけでは分からないことを、ボルドは持って帰ってきてくれる。
今後ここを広げるなら、現地との窓口は絶対に必要になる。
「分かった。じゃあ、頼む」
「おう」
「ただし、ダンジョンの情報を勝手に売るのは禁止。俺たちのことも必要以上に話さないで」
「そこは商人の信用に関わる。言われなくても守る」
「ならいい」
俺が頷くと、横でネイラの耳が動いた。
「マスター」
「何?」
「ボルドは群れ?」
またそれか。
でも、ネイラにとってはたぶん俺が考えている以上に重要な区分なんだろう。
「……今日から群れでいいよ」
「分かった」
返事は淡々としていた。
ところが次の瞬間、ネイラは腰につけていた小さな袋を開け、中から干し肉を一つ取り出すとボルドへ差し出した。
「食べる?」
「……俺に?」
「うん」
ボルドが目を丸くする。
昨日までこいつの干し肉を勝手に食っていた少女が、今日は自分から食料を分けようとしている。
「お前、切り替え早すぎるだろ」
「群れだから」
「昨日は弱そうだから取ったのに?」
「昨日は群れじゃなかった」
理屈だけは一貫してるんだよな。
ボルドはしばらく呆然としていたが、やがて大声で笑いながら干し肉を受け取った。
「ははっ、随分扱いが変わったじゃねえか」
「かなり昇格したぞ」
「悪い気はしねえな」
少しだけ空気が緩んだ。
けれど、俺の視線は自然と床へ戻る。
四人の護衛。
そして、まだ生きているレイドル。
結局、こいつをどうするかは何も決まっていない。
「大隅」
今度はボルドも笑わなかった。
「こいつの扱いは、ちゃんと考えろ」
「……逃がしたらどうなる?」
「間違いなく報復に来る。今日のことを笑って忘れられるような性格なら、そもそも半年も俺を追い回してねえ」
「だよな」
レイドルが顔を上げた。
「当たり前だ! 今すぐ俺を解放すりゃ、まだ話は――」
「お前は黙ってろ」
「何だと!?」
「ネイラ」
俺が名前を呼ぶと、ネイラが少し体重をかける。
レイドルが呻き、ようやく静かになった。
俺はその姿を見下ろしながら考えた。
逃がした場合、こいつは俺たちの場所を知ったまま帰る。
リュネリアの火力も見た。
ネイラの戦い方も見た。
ボルドが俺たちと繋がっていることも知ったし、ダンジョン内部の通路も一部とはいえ見られている。
何より、自分の護衛を四人殺されている。
帰ったあと何をするかなんて、考えるまでもない。
「ボルド」
「何だ」
「殺した場合は?」
「ガルガン商会との関係は、まず戻せなくなる」
「でも護衛はもう死んでる」
「ああ。だから今さら無傷で収まるとは思うな。ただ、跡取り本人を殺すのは重さが違う」
それは分かる。
戦っている最中に死んだ護衛と、もう武器も持たず床に押さえつけられているレイドルでは意味が違う。
こいつは今、俺たちを攻撃できない。
逃げることすらできない。
ここで殺すなら、それは戦闘じゃない。
俺が必要だと判断して、処分することになる。
そこだけは曖昧にしたくなかった。
「…………」
自分の中で、逃がす理由を探してみる。
人間だから。
もう戦えないから。
殺さなくてもいいかもしれないから。
どれも理由にはなる。
でも、それでこいつを帰した結果、次は何十人も連れて攻め込まれたら?
リュネリアが狙われる。
ネイラも狙われる。
ボルドだって無事では済まない。
俺一人が危険になるだけなら、まだ迷ったかもしれない。
でも今は違う。
俺が甘い判断をした結果、その危険を被るのは俺だけじゃない。
「……駄目だな」
口から出た声は、自分で思っていたより静かだった。
リュネリアがこちらを見る。
「マスター?」
「逃がせない」
レイドルの顔が強張った。
俺はそれを見ながら、もう一度だけ考えた。
殺せば後戻りできない。
それは分かっている。
でも、逃がしたって元には戻れない。
護衛はもう四人死んでいる。
レイドル自身も俺たちを殺せと命令した。
とっくに何もなかった頃へ戻る道なんて消えている。
だったら、残っている選択肢の中で一番危険が少ないものを選ぶしかない。
「お、おい……待て」
レイドルが初めて俺を名前も罵声もなしに呼び止めた。
「金なら払う。今日のことだって黙ってる。親父にも何も――」
「無理だろ」
「できる!」
「護衛四人殺されて、自分もこんな目に遭って、それでも何もしない?」
「する! 約束する!」
必死な顔だった。
嘘かもしれない。
本気かもしれない。
恐怖で、今だけ本当にそう思っている可能性だってある。
でも。
俺はその言葉に、自分たちの命を賭ける気にはなれなかった。
「……悪い」
自然とそんな言葉が出た。
謝るくらいなら殺すな、と自分でも思う。
それでも、他に言葉が見つからなかった。
「俺、お前を信用できない」
「待て……!」
俺はネイラを見る。
「やっちまえ」
「分かった」
レイドルが暴れようとする。
ネイラに押さえ込まれた身体はほとんど動かなかった。
「待て! 頼む! 何でもする! だから――」
俺は目を逸らさなかった。
逸らしたら、命令だけして見ないふりをしている気がしたからだ。
ネイラの腕が動く。
鈍い音が一度だけ響いて、それまで必死に続いていた声が途切れた。
通路が静かになった。
「…………」
終わった。
さっきまで喋っていた人間が、もう喋らない。
俺が決めたから。
戦闘中の護衛たちは、まだ考える暇がなかった。
向こうが武器を抜き、殺すと言って襲ってきたから、こっちも戦った。その結果として四人が死んだ。
でも今のは違う。
レイドルは無力化されていた。
俺が逃がすか殺すかを選べた。
そのうえで、殺した。
だからこれは、間違いなく俺の判断だ。
そこまで考えて。
俺はようやく、自分の中にある別の違和感へ気づいた。
「……何でだ?」
手を見る。
震えていない。
喉が詰まるわけでも、吐き気がするわけでもない。胸の奥に多少の重さはあるし、目の前の死体を見て楽しいなんて当然思わない。
でも、それだけだった。
もっと拒絶すると思っていた。
日本にいた頃の俺なら、人が死ぬところを見るだけでも相当きつかったはずだ。まして、自分の一言で殺すなんて想像したことすらない。
なのに今は、後悔より先に、
これでこいつから情報は漏れない。
そう考えている。
そのことの方が、レイドルを殺した事実より少し怖かった。
「マスター?」
リュネリアの声で顔を上げる。
心配そうに俺を見ていた。
「……いや。ちょっと自分が気持ち悪くて」
「気持ち悪い?」
「人間を五人殺したんだぞ。俺たち」
口にして、数字になった途端に妙な現実味が出た。
五人。
今日だけで。
俺が直接手を下したわけではない。でも戦わせたのも、最後の一人を殺せと命じたのも俺だ。
それなのに、俺は普通に立っている。
「この世界に来てから、魔物を殺しすぎたせいかな」
答えを求めたわけじゃない。
魔物だって生きている。
牙狼も、大亀も、俺たちが殺した時には生きていた。それを敵だから、必要だからと倒し続けているうちに、生き物を殺すことそのものへの抵抗が薄れたのかもしれない。
それとも。
人間も魔物も、自分たちを殺しに来た時点で同じ『敵』として見るようになったのか。
「……分かんねえな」
ただ、一つだけ分かる。
俺はもう、日本にいた頃と同じ感覚ではない。
いつから変わったのかも分からないし、それが良いことなのか悪いことなのかも分からない。
でも今の俺は、必要なら人間を殺すという選択肢を取れる。
しかも、思っていたよりずっと簡単に。
その事実だけが、胸の奥に小さな棘みたいに残った。
「大隅」
ボルドの声が聞こえた。
見ると、さっきまでとは違う種類の険しい顔をしている。
「今の判断が正しかったかどうかは、俺にも分からん」
「……うん」
「だが、決めた以上は次を考えろ。こいつを殺したことで終わりにはならねえ」
「分かってる」
むしろ、始まったんだろう。
俺は倒れているレイドルから視線を外した。
「ガルガン商会について教えてくれ」
「ああ。それと、もう一つ知っておいた方がいい」
「何?」
ボルドは少し迷ってから、声を落とした。
「ガルガン商会には、後ろ盾がいるって噂がある」
「別の商会?」
「いや」
ボルドが首を横に振る。
「数年前からこの辺りにいる、ダンジョンの主だ」
一瞬、言葉の意味が分からなかった。
「……今、何て?」
「ダンジョンの主と繋がってるって噂だ。確証まではねえが、その話があるから周りの商人もガルガンには強く出ねえ」
「いや、そっちじゃない」
俺は思わず身を乗り出した。
「数年前って言った?」
「ああ」
「ダンジョンマスターが、数年前からいるの?」
ボルドが逆に不思議そうな顔をした。
「いるぞ。少なくとも俺が知ってる話じゃ、今回突然現れたものばかりじゃねえ」
待て。
俺たちがこの世界へ来た時、ダンジョンマスター候補は四万数千人いた。
当然、その全員が同じ時期に始めたものだと思っていた。
全員新人。
同じスタート地点から始まって、そこから競争する。
でも。
「……俺たちより前からいる?」
「ああ。数年前に突然現れた主の話もあるし、もっと古い噂もある。十年以上前って話まで聞いたことはあるが、そこまでいくと俺も真偽は知らん」
十年以上。
頭の中で、それまで当然だと思っていた前提が崩れていく。
「そのダンジョンの主って、この世界の人間なの?」
「知らん。突然現れたとか、遠い場所から来たとか、話はいくつもあるからな」
突然現れた。
遠い場所から来た。
それが、もし俺と同じ意味だったら。
「……じゃあ、今回の四万数千人って」
今回が最初じゃない。
俺たちは最初のダンジョンマスターじゃない。
何年か前にも、同じようにこの世界へ送られた奴がいるのかもしれない。
しかもそいつらは、俺たちより何年も早くダンジョンを育てている。
外の商人と取引し、現地の勢力と関係を作り、すでに自分たちの領域を持っている可能性だってある。
さっきまで、この世界には俺たち四万数千人が放り込まれ、それぞれがダンジョンを育てながら競っているのだと思っていた。
それだけでも十分広いと思っていたのに。
違った。
俺たちは、この世界で始まったばかりの競争に参加したんじゃない。
とっくの昔から何かが続いている場所へ、四万数千人まとめて後から放り込まれたのかもしれない。
「……新規勢、ってことか」
口にした瞬間、その意味が妙に重く感じられた。
そして、もう一つ。
もっと嫌な事実に気づく。
俺はゆっくりと足元へ視線を落とした。
ガルガン商会の跡取り。
その後ろには、数年前から存在するダンジョンマスターがいるかもしれない。
そして俺は。
ついさっき、その跡取りを自分の判断で殺した。
「…………」
後戻りできない決断をした。
それ自体は分かっていた。
ただ。
どうやら俺が思っていたよりずっと大きな場所へ向かって、後戻りできなくなったらしい。




