第23話 群れの長に手を出したんですが、相手が悪かったみたいです
「たぶん、そんなに遠くない」
ネイラの言葉に、俺はボルドが来た通路へ目を向けた。
服や荷物、それに靴にも残っているという複数人の知らない匂い。それもかなり新しく、ネイラによれば今も近くにいる可能性が高いらしい。
「ボルド。今日ここに来るまで、誰かと会った?」
「いや。少なくとも話した奴はいねえな」
「途中で休んだりは?」
「二回ほどな。ただ、人の姿なんざ――」
そこまで言ったところで、ボルドが黙った。
何か思い当たったらしい。
「……心当たりある?」
「一人だけ、面倒なのがいる」
「何その嫌な言い方」
「実際、面倒なんだよ」
ボルドが苦虫を噛み潰したような顔をする。
詳しく聞こうとした、その時だった。
ネイラの黒い耳がぴくりと動く。
「来る」
「え?」
ネイラの視線は、俺たちが見ていた通路のさらに奥へ向いていた。
「どっち?」
ネイラが無言で指差す。
やっぱりボルドが来た方向だ。
「何人?」
「五人」
「近い?」
「もう近い」
俺にはまだ何も聞こえない。
リュネリアも同じらしく、ネイラが見ている方向へ目を凝らしている。それでもネイラだけは確信しているようで、耳の向きを細かく変えながら通路の奥を見続けていた。
やがて、俺にも聞こえ始める。
複数の足音と、金属同士が擦れるような音。それが少しずつ大きくなり、通路の向こうから明かりが見えてきた。
「やっぱりここか」
最初に姿を現したのは、二十歳を少し過ぎたくらいの男だった。
地下を歩くには妙に上等な服を着ていて、腰には装飾の多い剣。指にもいくつかの指輪をつけている。その後ろから現れた四人の男は全員武装しており、どう見ても護衛だった。
先頭の男がこちらを見つけると、満足そうに口元を吊り上げる。
「随分奥まで来ると思ったら、こんなところに隠れてやがったのか」
ボルドの顔が露骨に歪んだ。
「……お前か」
「久しぶりだな、ボルド」
「俺をつけてきやがったのか?」
「人聞き悪いな。商売の調査だよ」
「それを尾行って言うんだろ」
思わず口を挟むと、男の視線が初めて俺へ向いた。
「誰だ、お前」
「こっちの台詞なんだけど」
ここ、俺のダンジョンなんだけど。
何で勝手に入ってきた奴から、俺が誰なのか聞かれなきゃならないんだ。
男は俺を上から下まで値踏みするように眺めたものの、特に興味を引かなかったらしい。すぐにボルドへ視線を戻した。
「それで、考え直したか?」
「何をだ」
「うちとの契約に決まってるだろ。お前の扱う品は全部うちに卸せ。他には流すな。値段もこっちで決める」
「断る」
即答だった。
男の眉が動く。
「またそれか。悪い話じゃねえだろ。親父の商会と専属になれば、お前みたいな個人商人じゃ扱えねえ量まで売ってやれる」
「その代わり、俺の仕入れ先も客も全部お前らが握るんだろうが」
「商売ってのはそういうもんだ」
「少なくとも俺の商売は違う」
どうやらボルドが言っていた『面倒なの』とは、こいつのことらしい。
何度言ってもボルドが首を縦に振らないからか、男の表情から次第に余裕が消えていく。
「頑固な爺だな……」
小さく舌打ちしてから、男が周囲を見回した。
通路を見て、俺を見て、リュネリアを見る。
そして、ネイラのところで視線が止まった。
「……へえ」
嫌な声だった。
男がネイラを上から下まで眺める。
肩甲骨辺りまで伸びた黒髪に、同じ色の狼耳と尻尾。琥珀色の瞳で相手を見返しているネイラは、確かに見慣れない人間からすればかなり目立つ。
「そっちの黒いの、見たことねえな。何の獣人だ?」
ネイラは答えない。
自分に向けられた質問なのに、完全に無視している。
……群れの外だからか。
「月狼族」
仕方なく俺が答えると、男の目がわずかに見開かれた。
「月狼族? 聞いたことねえぞ」
「珍しいらしいからな」
「へえ……」
男がもう一度ネイラを見る。
今度はさっきより露骨だった。
「珍しいだけじゃなく、見た目もいいな」
……何となく。
本当に何となくだけど、こいつとは仲良くできない気がしてきた。
「おい」
「何?」
「それ、お前のか?」
「仲間だよ」
「仲間?」
男が鼻で笑う。
「魔物使いみてえなもんか?」
「違う」
「まあ何でもいい。売れよ」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「……何を?」
「そいつ」
男がネイラを指差す。
「珍しい種族なら欲しがる奴はいくらでもいる。見た目もいいしな。俺が買ってやるよ」
頭の中で、何かが切れかけた。
「……商品じゃない」
「金なら払う」
「そういう意味じゃねえよ」
自分でも分かるくらい声が低くなった。
ネイラと会ってから、まだ大して時間は経っていない。勝手に狩りへ行くし、腹が減ったからという理由でボルドの干し肉を食うし、すでに問題児の片鱗は嫌というほど見せてもらった。
それでも俺の仲間だ。
指差されて値段をつけられて、笑って流せるほど俺はできた人間じゃない。
「やめとけ」
ボルドが低い声で割って入る。
「そいつらは俺の取引相手だ。嬢ちゃんも商品じゃねえ」
「お前には聞いてねえよ」
男は面倒そうに手を振ると、そのままネイラへ近づいていった。
「近くで見りゃ、もっと――」
伸ばされた手がネイラの耳へ向かう。
その指先が触れる直前、ネイラの身体がわずかに横へずれた。
男の手が空を切る。
「……あ?」
もう一度伸ばす。
ネイラはまた避けた。
殴りもしないし、手を払いもしない。ただ触らせないだけで、相手の動きに合わせて最小限の距離を取っている。
「ちょこまかすんなよ」
男の顔に苛立ちが浮かび、ネイラの耳も少しずつ立ち始めた。
……まずい。
俺とネイラの目が合う。
小さく首を横に振る。
まだ。
ネイラは数秒こちらを見つめていたが、やがて姿勢を戻した。
ちゃんと伝わったらしい。
「何だよ。躾はされてんじゃねえか」
……ぶん殴りてえ。
かなり。
それでも、まだ我慢する。
こいつがどこの誰なのかも分からないし、ボルドとの関係もある。ここで俺たちから手を出して、あとから面倒なことになるのは避けたかった。
「用があるならボルドと話せ。俺たちには関係ないし、話が終わったなら帰ってくれ」
「……さっきから何なんだ、お前」
「ここ俺の場所なんだけど」
男の表情が変わった。
「お前の?」
「ああ」
その一言を聞いた途端、男の視線が俺から周囲へ移り、次にボルドを捉えた。
何かが繋がったらしい。
「なるほどな。最近こいつが妙な品を扱い始めたと思ったら、お前か」
「勝手に決めんな」
「ここが新しい仕入れ先ってわけだ」
俺がボルドを見ると、本人も眉を寄せている。
何の話か知らないけど、こいつの中ではもう答えが出ているらしい。
「だったら話は早い」
男が俺を見る。
「お前、今後ボルドとの取引やめろ」
「嫌だけど」
「……あ?」
「何で知らない奴に取引相手決められなきゃならないんだよ」
男の顔から笑みが消えた。
後ろにいる護衛たちも、明らかに空気を変える。
「ガキ。俺が誰だか分かって言ってんのか?」
「知らないから聞いてんだけど」
「…………」
横でボルドが額を押さえた。
「大隅、お前も煽るな」
「煽ってないって」
本当に知らないだけだ。
男はしばらく俺を睨んでいたが、やがて鼻で笑った。
「まあいい。知らねえなら教えてやるよ」
「別にいい」
「お前な――!」
怒るくらいなら最初から聞くなよ。
男の顔が赤くなる。
「……少し痛い目見せねえと分からねえらしいな」
後ろにいた護衛が一人、前へ出た。
俺の背中に冷たいものが走る。
さっきまでのくだらない言い合いとは違う。
こいつら、本気だ。
横目でネイラを見ると、すでにこちらへ動こうとしていた。
俺はもう一度、視線だけで止める。
まだだ。
ネイラの足が止まった。
「最後に言うぞ」
男が俺を指差す。
「ボルドから手を引け。そいつらも置いていけ。それで今回は見逃してやる」
「断る」
「なら――」
男が片手を上げた。
「少しくらい痛い目見せろ。二度と俺の商売に口出せないようにな」
その言葉に従い、護衛が俺へ向かってくる。
さっきまでは、できるだけ揉めない方がいいと思っていた。相手がどこの商会の人間なのかも分からないし、ここで敵を増やせば、あとからもっと面倒なことになるかもしれない。
だからネイラも止めたし、腹が立っても我慢した。
けれど、向こうはその気遣いを全部踏み越えてきた。
護衛の手が俺へ伸びる。
避けようとした、その瞬間だった。
横から黒い影が割り込んだ。
バァンッ!!
鈍い衝撃音とともに、護衛の身体が真横へ吹き飛ぶ。そのまま数歩先の壁へ背中から叩きつけられ、持っていた武器が床を滑っていった。
「…………は?」
何が起きたのか理解するより先に、俺と護衛の間へネイラが立つ。
さっきまでの静かな雰囲気は完全に消えていた。黒い耳は真っ直ぐ立ち、重心も低い。琥珀色の瞳だけが、残った護衛たちを冷たく見据えている。
「ネイラ?」
「マスターに危害を加えようとした」
その声に、怒鳴るような強さはなかった。
ただ、ネイラにとってはそれだけで十分だったらしい。
「なら敵」
護衛たちが一斉に武器を抜く。
その瞬間、俺の目の前に半透明の文字が浮かび上がった。
《警告》
《ダンジョン内部における敵対行動を確認》
《侵入者五名を敵性個体として認定しました》
「……本当に敵判定まで入ったのか」
さすがに笑えない。
それでも男は状況を理解していないらしく、壁際に倒れた護衛を見て顔を真っ赤にした。
「何してやがる! そのガキども、全員ぶっ殺せ!」
そこで、俺の中に残っていた最後の迷いも消えた。
こいつがどこの商会の息子なのか。倒したあとに何が起きるのか。面倒な連中に目をつけられないか。
さっきまでは、そんな先のことまで考えていた。
でも、もういい。
勝手に俺のダンジョンへ踏み込んできて、ボルドを脅し、ネイラを商品扱いした。挙句の果てには俺を痛めつけようとして、今度は全員殺せとまで言った。
そこまでされて、まだ我慢する理由もない。
ネイラが俺を見る。
「マスター」
「何?」
「もう、いい?」
俺は一度だけ息を吐いた。
「……先のこと考えてたけど、やめだ」
どうせ向こうから全部ぶち壊してきた。
だったら。
「やっちまえ」
ネイラが動いた。
一番近くにいた護衛が慌てて剣を振るうが、その刃が届く頃には、ネイラはもう軌道の内側へ潜り込んでいた。低く沈んだ身体が男の懐へ滑り込み、剣を握る腕を取ると、踏み込んだ勢いまで利用して体勢を崩す。
そのまま床へ叩きつけた。
「ぐっ……!」
護衛が起き上がろうとした時には、ネイラの膝がすでに首元を押さえていた。
「一人」
「……強っ」
思わず声が漏れた。
速いだけじゃない。
相手が武器を振るうより先に懐へ入り、反撃できない形に崩してから仕留める。大きな動きも派手な攻撃もないのに、護衛の方だけが一方的に床へ転がされていた。
リュネリアとは、強さの方向がまるで違う。
あいつが広い範囲を圧倒的な火力で吹き飛ばすなら、ネイラは狙った一人へ潜り込み、反撃する暇すら与えずに落とす。
なるほど。
こいつ、索敵だけじゃない。
むしろ敵の位置を見つけて、気づかれる前に近づいて、一体ずつ消していくところまで含めて得意なんだ。
「囲め!」
残った護衛の一人が叫ぶ。
二人がすぐに左右へ分かれた。一人目を見て、正面から一人ずつ行けば勝てないと判断したらしい。片方がネイラの正面を塞ぎ、もう片方が斜めから回り込んで、互いの死角を補おうとしている。
ネイラが踏み込もうとした瞬間、正面の男が剣を構え、同時に横の男も動いた。
さすがに一対二では入りづらい。
ネイラは無理に突っ込まず、すぐに距離を取った。
単体なら圧倒できる。
でも複数で囲まれれば、さっきみたいにはいかない。
だったら、囲ませなければいい。
「ネイラ、一回戻れ!」
「分かった」
呼んだ瞬間にはもう俺の近くまで下がってくる。
俺は左右へ視線を走らせた。
右にはネイラ。
左には回り込もうとしている護衛。
さらにその先には誰もいない。
壁と通路だけ。
なら、いい。
「リュネリア、左!」
「はい!」
すぐに返事が飛んだ。
「左の通路ごと潰していい!」
「分かりました!」
リュネリアが片手を向ける。
その掌へ銀色の光が集まり始めた瞬間、左から回り込もうとしていた護衛の顔色が変わった。
「な、何だそれ――」
次の瞬間。
銀色の光が通路を呑み込んだ。
轟音が響き、床が爆ぜる。
護衛は咄嗟に後ろへ飛び退いて直撃を避けたものの、そのさらに奥で壁まで大きく抉れ、砕けた石材が進路へ雪崩れ込んだ。
一瞬で、左から回り込む道そのものがなくなる。
「…………」
うん。
狙った場所にはちゃんと当たってる。
そこは本当に完璧なんだよ。
威力がおかしいだけで。
「ネイラ、右!」
「うん」
その声と同時に、ネイラが走った。
左側の護衛はリュネリアの一撃で分断され、援護に入れない。結果として、右側に残った一人だけが完全に孤立する。
そこまで作れば、あとは早かった。
護衛が振り下ろした剣の軌道をネイラは身体一つ分だけ外し、そのまま懐へ潜り込む。腕を取って体勢を崩し、足を払う動きまでがほとんど途切れずに繋がった。
男の身体が床へ叩きつけられる。
「二人」
左側にいた護衛が、崩れた通路の端から無理やりこちらへ戻ろうとする。
遅い。
あいつが回り込むための道は、もうリュネリアが半分消している。
「ネイラ、そのまま!」
「分かった」
黒い影が向きを変えた。
護衛が崩れた石材を乗り越え、ようやく開けた場所へ出た時には、ネイラはすでに目の前まで迫っている。
慌てて振るわれた剣を身体を沈めてかわし、そのまま足を払う。男の身体が傾いたところで武器を持つ腕を捻り上げると、剣が金属音を立てて床へ落ちた。
「三人」
「……すげえ」
今度は素直に感心した。
リュネリアが場所を潰して、相手の動ける範囲を減らす。
そこで一人になった奴をネイラが落とす。
二人とも強いけど、強さの方向がまるで違うからこそ、噛み合った時がとんでもなく速い。
そして、どこを壊して誰を孤立させるか決めるのは俺だ。
俺が道を選ぶ。
リュネリアが逃げ道ごと吹き飛ばす。
ネイラが残った一人を仕留める。
……これ。
「かなり相性いいな」
「そうですか?」
リュネリアが嬉しそうに振り返る。
その背後では、さっきまで通路だった場所から砂埃がもうもうと立ち上っていた。
「うん。めちゃくちゃいい」
「良かったです!」
「ただし、また通路なくなったけど」
「ちゃんと狙った場所には当てました!」
「そこは疑ってないんだよ」
問題はずっと、その先なんだ。
でも今回は壊していい場所を俺が指定した。
だったら事故じゃない。
これはちゃんと戦術だ。
……たぶん。
「ひっ……」
情けない声が聞こえた。
見ると、商人の男が少しずつ後退している。
さっきまでの威勢は完全に消えていた。連れてきた護衛たちは床へ転がり、自分だけが残っている。
男の視線が俺からリュネリアへ移り、最後にネイラを見る。
それから逃げ道を確認した。
その瞬間。
ネイラの耳が立った。
琥珀色の瞳が細くなる。
あ。
これ知ってる。
「ネイラ」
「何?」
「遊ぶなよ」
「遊ばない」
黒い尻尾が揺れた。
「尻尾」
ぴたりと止まる。
「動いてない」
「今止めただろ」
「最初から」
「嘘つけ」
その間にも男はじりじりと後ろへ下がっていたが、とうとう耐えられなくなったらしい。
「く、来るな!」
背中を向けて走り出す。
同時にネイラも動いた。
今度は数秒すらかからなかった。
「うわあああっ!?」
悲鳴が響く。
振り返った時には、男は床へうつ伏せに倒されていた。ネイラがその背中に片膝を乗せ、逃げられないよう片腕を押さえている。
「捕まえた」
「よし。そいつはそのまま」
「分かった」
男が必死に身体を捩る。
「離せ! 俺が誰だか分かってんのか!?」
「知らない」
ネイラが答えた。
「お前には聞いてねえ!」
「暴れるなよ。余計痛くなるぞ」
「こんなことしてタダで済むと思ってんのか! 俺の親父が知ったら、お前ら全員――」
まだ元気だな。
さっきまで逃げてたくせに。
その時だった。
俺の目の前に、再び文字が浮かび上がる。
《ダンジョン内の敵性個体を制圧しました》
《防衛行動の成功を確認》
《報酬を算出します》
「……お」
来た。
《DP+1,800》
《基本罠設置枠+2》
まず通常報酬。
思っていたより悪くない。
そして文字が消え、一瞬だけ何もない時間が流れた。
次の瞬間。
俺の目の前に三つの光が浮かび上がる。
赤。
青。
金。
それを見た瞬間、心臓が跳ねた。
《勝者特権》
来た。
「マスター?」
リュネリアが首を傾げる。
ネイラも男を押さえたまま俺を見ている。
当然、二人には見えていない。
俺だけに見える、勝った時だけの三択。
さっきまでの苛立ちが一瞬だけ吹き飛んだ。
いや、別にこいつらが来てくれて嬉しいわけじゃない。
ボルドを尾行して、勝手にダンジョンへ入ってきて、仲間を商品扱いした挙句、俺たちに危害まで加えようとした。
最悪だ。
本当に最悪なんだけど。
俺は床に転がっている護衛たちを見て、次にネイラに押さえつけられている男へ視線を移した。
それから、目の前で輝く三つの光を見る。
「……こいつら」
「大隅?」
ボルドが怪訝そうに俺を見る。
口元が緩みそうになるのを、俺はどうにか堪えた。
「報酬まで持ってきてくれた」




