第22話 群れの外にはルールが必要らしいです
「私は人の物を勝手に取ったら駄目だと思います!」
リュネリアが、珍しくものすごくまともなことを言った。
ネイラは手に残った干し肉を見て、それからリュネリアを見る。
「どうして?」
「どうしてって……人の物だからです!」
「でも、リュネリアのじゃない」
「私のじゃなくてもです!」
「じゃあ関係ない」
「関係あります!」
何だろう。
今日のリュネリア、すごく頼もしく見える。
普段なら壁を消したとか、火力を出しすぎたとかで俺が止める側なのに、今だけは完全に社会常識を教える側に回っている。
……いや、比較対象がネイラだからか。
「ネイラ」
俺が呼ぶと、琥珀色の瞳がこっちへ向いた。
「ちょっと確認するぞ」
「何?」
「俺とかリュネリアの物は勝手に取る?」
「取らない」
「何で?」
「群れの物だから」
即答だった。
「じゃあ、何でボルドの干し肉は取ったんだ?」
ネイラは少しだけ考える。
「お腹が減ったから」
「理由が素直すぎるだろ」
しかも悪びれる様子が一切ない。
「腹が減ってたら、人の物でも取っていいの?」
「群れじゃないし、弱そうだったから」
「そこもセットなの!?」
ボルドの眉がぴくっと動いた。
「おい嬢ちゃん。さっきから聞いてりゃ、随分な言われようだな」
「弱くないの?」
「少なくとも、お前に干し肉盗られて黙ってるほど弱くはねえぞ」
ネイラがボルドを見る。
頭から足元まで一度眺める。
「でも、私より弱い」
「お前なあ!」
「まあまあボルド」
「何で盗られた俺が宥められてんだ!」
それはそう。
でもネイラに悪意がないのも分かってきた。
こいつはボルドを馬鹿にしたいわけでも、困らせたいわけでもない。ただ腹が減っていて、目の前に食べ物があって、その持ち主が自分より弱そうだった。
だから取った。
たぶん本当に、それだけだ。
「つまりお前の中では、群れじゃない相手の物なら、腹が減ってて相手が弱そうなら取っていいんだな?」
「うん」
迷いがない。
嫌になるくらい迷いがない。
「相手が強かったら?」
「取らないと思う」
「何で?」
「取り返しに来るかもしれないから」
完全に野生だ。
善悪じゃない。
できるか、できないか。
群れの中か、外か。
こいつの中では、それで話が完結している。
「ネイラ」
「何?」
「これから一個、ルール追加な」
黒い耳が俺へ向く。
「群れの外でも、人の物は勝手に取るな」
ネイラが少し考えた。
「お腹が減ってても?」
「減ってても」
「相手が弱くても?」
「弱くても!」
「絶対に勝てる相手でも?」
「強さは関係ない!」
「分かった」
早い。
本当にそこだけは話が早い。
「あと、欲しい物があったら先に俺に聞け。俺がいいって言ったらいい」
「マスターが決める?」
「そう」
「なら分かった」
ネイラは素直に頷いた。
納得したというより、俺が群れの長だから従っただけなのは顔を見れば分かる。
でも、それでいい。
今ここでネイラに人間社会の倫理を一から教え込もうとしたって、たぶん話がややこしくなるだけだ。
守るルールさえ決めておけば、とりあえずは事故を防げる。
「ネイラさん、ちゃんと分かったんですね!」
リュネリアが嬉しそうに笑う。
ネイラが彼女を見る。
「マスターが駄目って言ったから」
「そうじゃなくて、取ったら相手が困るからですよ!」
「でもボルドは干し肉一枚なくても困らないと思う」
「そういう問題じゃないです!」
「じゃあどういう問題?」
「えっと……」
止まった。
リュネリア、頑張れ。
今だけはお前がこっち側なんだ。
「その人の物だからです!」
「それは聞いた」
「だから勝手に取ったら駄目なんです!」
「同じこと言ってる」
「うっ……」
ネイラ強いな。
論破しているわけではない。
単純に前提が違いすぎて、リュネリアの説明が一切刺さってない。
俺は横から口を挟む。
「もういい。ネイラは俺に聞く。それで十分」
「分かった」
「リュネリアも無理して教えなくていい」
「でも私、ちゃんと説明できます!」
「今できてなかっただろ」
「あと少しでした!」
「何が?」
「何かが!」
それはもう駄目だろ。
ボルドが腹を抱えて笑っている。
「いやあ、大隅。面白え仲間が増えたな」
「俺は面白さ求めて召喚したわけじゃないんだけど」
「だが、強そうではある」
「それは間違いない」
「索敵もできるんだったか?」
「かなりできる。匂いと音で、こっちが気づけないところまで分かる」
ボルドが感心したようにネイラを見る。
「そりゃ商売でも役に立ちそうだな。危ない道を先に見つけられるだけでもでかい」
「でしょ」
思わず胸を張りたくなる。
俺がやったのは選んだだけだけど。
「それで、ボルド」
「ん?」
「今日は土産持ってきただけ?」
「ああ、そうだった」
完全に忘れていたらしい。
ボルドが袋の口を閉じながら、少しだけ表情を変えた。
さっきまでの笑いが消える。
「一つ、話しておこうと思ってな」
その声で、俺も自然と姿勢を正した。
「何?」
「最近、この辺りで見慣れない奴らの痕跡が増えてる」
「奴ら?」
「人間か、それに近い何かだ。少なくとも魔物の動きじゃない」
俺は眉を寄せる。
「候補者?」
「そこまでは分からん」
ボルドは首を横に振った。
「俺も直接見たわけじゃねえ。ただ、少し離れた通路で焚き火の跡があったり、道具を使った痕が残ってたりする。今まであまり人が通らなかった辺りにな」
模擬戦が終わったばかりだ。
そこで他の候補者の話を聞かされると、嫌でも意識する。
麻耶奈みたいな奴が、他にもいる。
当たり前のことではある。
俺たちだけがこの地下にいるわけじゃない。
「近い?」
「何とも言えん。ただ、少なくとも無関係ってほど遠くはない」
嫌な距離だな。
「こっちに向かってる可能性は?」
「それも分からん」
「分からないばっかだな」
「だから教えに来たんだよ。分かってからじゃ遅いかもしれんだろ」
それはそうだ。
俺は腕を組む。
もし本当に別の候補者が近くにいるなら、放っておくのも怖い。
向こうが敵対的かどうかも分からないし、こっちの位置を知られているかもしれない。
問題は情報が少なすぎることだ。
……今までなら。
「ネイラ」
「何?」
「こういうの、追える?」
ネイラがボルドを見る。
「匂いが残ってれば」
「足跡でも?」
「分かると思う。新しければもっと分かりやすい」
やっぱり強い。
ここで早速出番が来るとは思わなかった。
「じゃあ今度、その痕跡がある場所まで連れてってもらえる?」
俺がボルドに聞くと、彼は少し考えてから頷いた。
「いいぞ。ただし危険かもしれんから、俺は途中までな」
「十分」
「マスター」
ネイラが呼ぶ。
「何?」
「その前に」
「ん?」
ネイラはボルドへ少し近づくと、鼻先をわずかに動かした。
耳も動く。
さっきまでとは違う。
何かを探している時の顔だ。
ボルドが眉を上げる。
「何だ嬢ちゃん。今度は俺の匂いでも気になるのか?」
「違う」
「じゃあ何だ?」
ネイラは答えず、もう一度だけ空気を嗅いだ。
それからボルドの服、背負っていた袋、靴へと順番に視線を落としていく。
「ネイラ?」
俺が呼ぶと、黒い耳がぴくっと動いた。
「ボルド」
「何だ?」
「今日、知らない人の近く通った?」
ボルドの顔が止まった。
「……何でだ?」
「匂いがついてる」
俺も思わずボルドを見る。
「一人?」
ネイラは少し考える。
「違う」
「じゃあ何人?」
「たぶん、何人か」
さっきまで笑っていたボルドの表情が、完全に消えた。
「嬢ちゃん。それ、本当に分かるのか?」
「うん」
「どれくらい前の匂いだ?」
「まだ新しい」
ネイラは迷わず答える。
それから通路の奥へ顔を向けた。
「たぶん、そんなに遠くない」
さっきまで聞こえていたボルドの笑い声が嘘みたいに、通路が静かになった。
俺はその暗がりを見つめる。
召喚してまだ半日も経っていない。
なのにネイラはもう、俺たちが今まで拾えなかったものを見つけ始めている。
それがありがたいのか。
それとも、知らない方が幸せだったのか。
今の俺には、まだ分からなかった。




