第20話 頼れる仲間を召喚したんですが、今度こそまともそうです?
光の中央で、何かの輪郭がゆっくりと形を取り始めた。
最初に目へ入ったのは、黒だった。
星明かりのような銀色を纏って現れたリュネリアとは、まるで正反対だ。白銀の召喚光の中へ一滴だけ墨を落としたような髪は、周囲の明るさを吸い込むほど深い黒で、それでも揺れるたび濡れ羽のような艶だけが薄く浮かんでいる。
「……おお」
思わず声が漏れた。
現れたのは、まだ十四歳ほどに見える少女だった。
俺よりずっと小柄で、身体つきにも年相応の幼さが残っている。ただ、華奢ではあっても弱々しさはなく、細い身体のどこにも無駄な力が入っていないせいか、立っているだけなのに妙な隙のなさがあった。
肩甲骨を越えるほどの黒髪。その間から、髪と同じ色をした獣耳が二つ伸びている。
狼の耳だ。
耳の内側だけはわずかに灰色がかっていて、召喚光が揺れるたび、片方だけが周囲の音を拾うように動いている。
そして何より目を引いたのは、その瞳だった。
ゆっくりと開かれた瞼の奥から現れたのは、夜の中へ火を灯したような琥珀色。金にも近い色なのに派手さはなく、静かで冷たく、それでも妙に視線を引きつける。
整った顔立ちにはまだ幼さが残っているのに、その目のせいなのか、可愛いより先に綺麗という印象が来た。
腰の後ろからは、毛量のある黒い尻尾が伸びている。先端だけわずかに灰色が混じっていて、今は床へ向けて静かに垂れていた。
「マスター」
隣からリュネリアの声が飛んでくる。
「何だ?」
「すごく見てますね」
「初めて見る種族なんだから仕方ないだろ」
「私の時もそうでした?」
「覚えてない」
「今、少し間がありました」
鋭くなったな。
余計なところだけ。
やがて召喚光が完全に薄れ、少女の足が床へ触れた。
身に着けているのは黒を基調にした軽装だった。身体へ沿う黒い服の上から焦茶色の革を必要な場所だけ重ね、腰には細身の刃物が二本。肩に掛かった短い外套の裏地だけが暗い赤で、それ以外には飾りらしい飾りもほとんどない。
見た目だけなら、完全に夜を歩く狩人だ。
……格好いい。
かなり格好いい。
だからといって、《希少個体召喚権・月狼族》という名前の響きに負けて選んだわけではないことは、改めて言っておきたい。
少女は俺たちへすぐ視線を向けなかった。
まず右を見て、次に左。出入口から天井、さらに背後へと視線を流しながら、鼻先をわずかに動かす。左右の耳もそれぞれ違う方向へ角度を変え、召喚されたばかりとは思えないほど自然に周囲の状況を確かめていた。
最後にようやく、その琥珀色の瞳が俺へ向く。
「ネイラ」
少女は短く名乗った。
「月狼族」
「俺は大隅詩。ここのダンジョンマスターだ」
ネイラは俺をしばらく見つめ、それから鼻をわずかに動かした。
「知ってる」
「分かるの?」
「契約で分かる。あなたが、この群れの長」
群れ。
なるほど。
こいつにとっては、ダンジョンマスターという制度的な肩書きより、そちらの方が分かりやすいらしい。
「じゃあ、俺がマスターなのは理解してるんだな」
「うん」
「俺の指示は?」
「聞く」
「危ないと思ったら?」
「言う」
「俺が間違ってても?」
「それなら、もっと言う」
いい。
かなりいい。
俺が欲しかったやつ、そのままじゃないか。
「マスター?」
「いや、ちょっと感動してる」
「何にですか?」
横を見ると、リュネリアが首を傾げていた。
「何でもない」
「今、私を見てから言いましたよね?」
「気のせいだ」
「気のせいじゃないと思います」
最近こいつも、勘だけは妙に良くなってきた。
「私はリュネリアです!」
話へ入る機会を待っていたらしいリュネリアが、ぱっと一歩前へ出る。
「私もマスターの仲間です。よろしくお願いします、ネイラさん!」
ネイラの耳がリュネリアへ向いた。
琥珀色の瞳が彼女を上から下まで一度だけ見て、それから俺へ戻る。
「同じ群れ?」
「そう」
「分かった」
そう言うと、ネイラは今度こそリュネリアへ向き直った。
「ネイラ。よろしく」
「あ、はい! よろしくお願いします!」
さっきよりほんの少しだけ声が柔らかい。
リュネリアが嬉しそうに手を差し出す。
「握手しましょう!」
ネイラがその手を見る。
「これ?」
「はい!」
一瞬だけ確認するように眺めたあと、ネイラは素直にその手を握った。
普通だ。
妙に普通。
俺は胸の奥で何かがほどけていくのを感じた。
もしかして、本当に今度こそまともな仲間が来たんじゃないか?
「マスター、どうしたんですか?」
「いや、ちょっと嬉しくて」
「私も嬉しいです!」
「お前が来た時とは違う種類の嬉しさ」
「どういう意味ですか!?」
説明すると長い。
俺はリュネリアの抗議を流して、ネイラへ向き直る。
「早速なんだけど、何ができる?」
「索敵、追跡、隠密。近づいて仕留めるのも得意」
「戦闘は近接?」
「それが一番やりやすい」
完璧だ。
今の俺たちに足りない部分を、そのまま埋めてくれる。
「じゃあ試しに、この周辺を見てもらってもいいか? 危険なものがいないかとか」
「いいよ」
ネイラはすぐに目を閉じた。
片方の耳が俺たちのいる部屋へ向き、もう片方が通路へ向く。鼻先も少し上がり、空気に混じる匂いまで拾っているようだった。
さっきまで十四歳ほどの少女にしか見えなかったのに、こういう瞬間だけ雰囲気が変わる。
静かな捕食者。
そんな言葉がよく似合う。
十数秒ほどして、ネイラが目を開けた。
「近くに敵はいない。三つ先の通路に小さい生き物が一匹いるけど、危険じゃない」
「そこまで分かるのか?」
「うん。それと、水の匂いがあっちからする」
指差した方向には《星泪泉》がある。
合っている。
「足音は?」
「今はない」
「外から誰か入ってきたら気づける?」
「近ければ分かる。匂いも音も、普通の人よりずっと拾えるから」
……強い。
いや、リュネリアみたいな意味で強いんじゃない。
便利だ。
俺が欲しかったのは、まさにこういう力だった。
敵がいるか分からないなら先に探し、危険な道があるなら避ける。必要な時だけ戦えばいいんだから、俺の戦い方と相性が良すぎる。
「ネイラ」
「何?」
「めちゃくちゃ助かる」
黒い耳が、ぴくっと動いた。
「……普通」
「いや普通じゃない。今まで俺が自分で見に行くしかなかったからな」
「そう」
返事は淡々としている。
ただ、その尻尾が一度だけ床の上をゆっくり払った。
「ネイラさん!」
リュネリアがぱっと顔を輝かせる。
「すごいですね!」
「そう?」
「はい! 私には全然分かりませんでした!」
「リュネリアは音を出しすぎ」
「え?」
「歩く時も結構聞こえる」
「そんなにですか?」
「うん」
「マスター!」
「俺に助けを求めるな」
ネイラが今度はリュネリアの全身を眺める。
「あと、魔力も目立つ」
「魔力までですか!?」
「光ってるみたいに分かる」
「私は光ってませんよ?」
「そういう意味じゃない」
「?」
ネイラが俺を見る。
「説明して」
「俺に振るなよ」
でも分かる。
こいつ、リュネリア相手だと完全にツッコミ側だ。
それだけでも召喚した価値がある気がしてきた。
「とりあえず案内するか。まだ狭いけど」
「分かった」
「リュネリアも来る?」
「もちろんです!」
「じゃあ行こう」
三人で歩き出した瞬間、少しだけ変な感覚がした。
昨日まで、この通路を歩くのは俺とリュネリアの二人だけだったのに、今日からは三人になる。それだけのことなのに、いつもより通路が少し狭く感じる。
もちろん、悪い意味じゃない。
人が増えた。
仲間が増えた。
その事実が、今になってようやく実感として追いついてきた。
◇
寝床や倉庫を見せたあと、俺たちは《星泪泉》へ向かった。
「ここが《星泪泉》」
中へ入った瞬間、ネイラの耳が動く。
「魔力が濃い」
「やっぱ分かる?」
「うん。ここだけ空気が違う」
「ここで《星浴》をすると、魔力がすっごく回復するんですよ!」
リュネリアが胸を張る。
ネイラは泉を見て、それからリュネリアを見る。
「だからあんなに魔力が濃いんだ」
「はい!」
「でも、この広さであれだけ魔力を使うのは危ないと思う」
「え?」
「壁も天井も近いから」
俺は思わずネイラを見た。
「お前、分かる?」
「何が?」
「こいつの魔法が危ないって」
「見れば分かる」
「そうだよな!」
初めて理解者を得た気分だ。
「マスター!?」
「いや、だってなあ」
「私はちゃんと加減してます!」
「この前、壁消えたよな」
「あれは少しだけです!」
ネイラがほんの少し眉を寄せる。
「壁が少しだけ消えるって、どういうこと?」
「……事故です」
「じゃあ危ない」
「ネイラさんまで!」
いいぞ。
非常にいい。
もう一人俺がいるみたいだし、下手すると俺より冷静かもしれない。
「ネイラ」
「何?」
「本当に助かる」
また耳がぴくっと動き、今度は尻尾も少しだけ揺れた。
俺がそれを見た瞬間、ぴたりと止まる。
「尻尾」
「動いてない」
「今動いてたぞ」
「動いてない」
「いや――」
「動いてない」
ちょっと強めに言われた。
なるほど。
そこは認めたくないらしい。
十四歳ほどの見た目相応というか、妙なところで可愛いな。
「ネイラさん、尻尾ふわふわですね!」
リュネリアが目を輝かせる。
ネイラの尻尾がすっと俺側へ逃げた。
「触らないで」
「触ってないですよ!」
「触ろうとしてた」
「少しだけ!」
「駄目」
「どうしてですか?」
「尻尾だから」
「なるほど!」
そこで納得するのか。
リュネリア、本当に会話の守備範囲だけは広い。
その後も簡単にダンジョン内を回ったが、ネイラは想像以上に順応が早かった。
一度通った場所はほぼ覚えているらしく、通路の構造だけでなく、死角になりそうな場所や侵入者が潜みやすそうな角まで自分から確認している。
「この角、見えにくい」
「敵が来た時か?」
「うん。私は先に匂いで気づけるけど、マスターとリュネリアは見えないと思う」
「なるほどな」
「何か置いておいた方がいい。罠でもいいし、音が鳴るものでもいい」
提案までできる。
あまりにも話が早い。
俺が求めていた「自分でも周囲を見て判断できる仲間」が、そのまま形になって現れたみたいだ。
「マスター、顔が嬉しそうです」
「まあな。正直、かなり嬉しい」
「私もいますよ!」
「お前は見つけたあと担当だろ」
「はい!」
そこは胸を張っていい。
むしろお前は、見つける前に撃たないでくれれば十分だ。
そんなことを考えていた時だった。
ネイラの耳が不意に通路の奥へ向いた。
「……来る」
俺とリュネリアも足を止める。
「何が?」
「さっき言った小さいやつ。こっちへ来てる」
しばらく通路を見ていると、やがて小さな影が角から飛び出してきた。
鼠に似た魔物だった。
普通の鼠より一回り大きく、背中には灰色の硬い毛がびっしり生えている。こちらへ襲いかかってくる様子はなく、何かから逃げてきたのか、慌ただしく通路を走っていた。
「あれ?」
「うん。危険じゃない」
ネイラは興味なさそうに答えた。
小型魔物もこちらに気づき、ぴたりと止まる。
俺を見て、リュネリアを見る。
そして最後にネイラへ視線を向けた瞬間、その身体が分かりやすくびくっと震えた。
「……ん?」
ネイラの黒い耳が鋭く立つ。
さっきまで気にも留めていなかったはずなのに、琥珀色の瞳が細まり、身体の重心までわずかに下がった。
「ネイラ?」
「何?」
返事はいつも通りなのに、視線だけは魔物から一度も外れない。
小型魔物が一歩後ずさり、さらにもう一歩下がる。
逃げ道を探すように首を動かした。
それを追うようにネイラの耳が向きを変え、床へ垂れていた黒い尻尾が、ゆっくりと持ち上がっていく。
「お前、何か雰囲気変わってない?」
「変わってない」
「いや、絶対変わって――」
その瞬間だった。
小型魔物がくるりと背中を向け、全速力で逃げ出した。
ほぼ同時に、俺の隣から黒い影が消える。
「……は?」
一拍遅れて通路の先を見る。
ほんの一瞬前まで隣にいたはずのネイラが、もう遥か先を走っていた。
「ネイラ!?」
「速いですね!」
「感心してる場合か!」
黒い尻尾が、通路の角を曲がって消える。
俺はその後ろ姿を見送りながら、さっきまで抱いていた確信が音を立てて崩れていくのを感じていた。
今度こそまともな仲間が来た。
ほんの数秒前まで、本気でそう思っていたのに。
「待てネイラ! どこ行くんだよ!!」
遠くから返ってきた声は、妙に平然としていた。
「狩ってくる」
「何でだよぉぉぉ!!」
俺とリュネリアは、揃ってその背中を追いかけた。




