第18話 弱そうな男だったのに、最後まで一番面倒でした【麻耶奈視点】
最初に大隅詩を見た時、正直に言えば、私は彼自身をほとんど警戒していなかった。
目を引いたのは、その隣に立っていた少女の方だ。
銀色の髪に赤紫の瞳。見たことのない種族で、立っているだけでも分かるほど濃い魔力を纏っている。少なくとも、普通の従属個体ではないことだけは一目で分かった。
それに比べて、その主人である大隅詩は驚くほど普通だった。
年齢は私とそう変わらない。鍛えている様子も薄く、立ち方を見ても近接戦闘に慣れているとは思えないうえ、魔法を使う気配もなかった。
そして、最初に取り出した武器は――トング。
今でも意味が分からない。
ともかく、その時点での私の認識は単純だった。
強いのは少女であって、大隅本人ではない。
だから、少女さえ抑えてしまえば終わる。
実際、大隅側のダンジョンで戦っている間も、その考えが大きく間違っているとは思わなかった。
少女――リュネリアの魔法は確かに強力だったけれど、防げないほどではない。私が距離を詰めれば大きな魔法は使いづらくなり、セシルの矢で動きを制限した隙に私が前へ入ることもできる。
少なくとも。
その時の私は、そう判断していた。
問題になったのは、その後ろにいる大隅だった。
本人はほとんど戦わないし、剣もなければ魔法も使わない。身体能力だって高くないのに、こちらが動くたび、妙なところへ割り込んでくる。
罠の位置を見て、地形を見て、リュネリアの立ち位置とセシルの射線、私の間合いまで確認しながら、その場でこちらが一番されたくないことを選んでくる。
そして、一番腹が立ったのがあのトングだった。
私の剣を挟んだ時、最初は意味が分からなかった。
引いても抜けない。
ただし、大隅本人に私の力を止めるだけの腕力がないことは、すぐに分かった。
なら、そのまま引けばいい。
実際、大隅ごと引きずることはできた。
そこまでは予想通りだったのに、私が十分に力をかけたところで突然トングを消され、抵抗を失った身体が僅かに流れた。
その一瞬を利用してくる。
最初からそこまで計算していたのか、それとも途中で思いついたのかは分からない。
ただ、一つだけはっきりした。
大隅詩は、自分が弱いことを知っている。
そして、その弱さまで最初から条件に入れて戦っている。
面倒。
その時、初めてそう思った。
だから私は、自分のダンジョンへ戻ることを選んだ。
リュネリアの本当の火力に気づいたからではない。
むしろ逆だった。
大隅側で見せた程度の攻撃なら、自分のダンジョンへ誘い込めば十分に対処できると考えたからこそ、戻った。
第一層には罠がある。第二層には魔物を配置してあり、第三層には《戦装錬成》で使う素材を大量に用意している。
もちろんセシルもいる。
こちらは地形も罠も全部把握しているのに対して、大隅たちにとっては完全な初見。
どう考えても、こちらで戦った方が有利だった。
「籠城なら、私の方が得意よ」
そう言って退いた時、私はまだ自分が追い込まれたとは思っていなかった。
むしろ、ここからが本番。
そのくらいに考えていた。
◇
第二層で待っていると、やがて第一層から罠の作動音が聞こえ始めた。
矢が飛ぶ音。
重い物が落ちる音。
壁から何かが突き出したような金属音。
仕掛けておいた罠が次々に動いていることだけは分かるのに、肝心の戦闘不能通知が一向に出ない。
嫌な予感がした。
時間はかかった。
かなりかかった。
ただ、その間に誰一人脱落しないまま罠だけが順番に潰されていく様子から、大隅が無理に進まず、一つずつ安全を確認しているのだと分かった。
おそらく、あのトングを使って。
最初に見た時は、本当にふざけた武器だと思った。
それが今では、私の用意した罠へ直接触れず、安全な位置から作動させるための道具になっている。
こちらが想定していなかった用途ばかり増えていくのが、妙に腹立たしい。
第一層の最後には、リュネリア対策として魔力障壁まで置いていた。
魔力を持つ対象には反応するが、普通の物体や魔力をほとんど持たない人間なら通れる仕組みで、少なくともリュネリアの足は止められるはずだった。
それなのに。
少しして、その反応まで消えた。
私は小さく息を吐いた。
制御部まで見つけたらしい。
本当に。
面倒な男。
◇
第二層の扉が、ほんの少しだけ開いた。
誰かがこちらを覗き、すぐに閉じる。
しばらくしてもう一度開いた時も、まだ入ってはこない。
「…………」
数えている。
魔物の数。
私とセシルの位置。
おそらく、見える範囲で床や壁の状態まで確認している。
慌てて飛び込んではこない。
第一層と同じ。
先に見てから、どう進むかを決める。
やがて扉が大きく開き、大隅とリュネリアが中へ入ってきた。
私はすぐに魔物へ指示を出す。
一体を前へ出し、後続は少し距離を取らせる。小型は左右へ広げ、盾役は中央に置いて、リュネリアの広範囲攻撃を警戒しながら最初から一ヶ所には固めない。
「セシル!」
「はい!」
セシルが矢を放つ。
その瞬間。
「右!」
大隅の声が飛んだ。
リュネリアが半歩ずれ、矢が肩の横を抜ける。
そして、そのまま彼女の周囲へ光が集まり始めた。
見たことのある魔法。
私は迷わず指示を出す。
「散開! 盾を前へ!」
盾持ちの魔物を中央へ出し、さらに手元の黒銀素材を使って防壁を重ねる。
大隅側で受けた攻撃を基準にするなら、これだけ重ねれば十分止められる。
そう思っていた。
「リュネリア」
「撃てます!」
「やっちまえ!」
「はい!!」
光が放たれた。
次の瞬間、最前面の防壁が砕けた。
「――え?」
二枚目がひしゃげる。
その後ろへ重ねた防壁まで衝撃が届き、気づけば私自身が石床を削りながら後ろへ押されていた。
前に出していた魔物は光へ呑まれ、その後ろにいた個体までまとめて消えていく。
中央を固めていた盾役でさえ、まともに止める役目を果たせていない。
何。
これ。
大隅側で見たものとは、明らかに違う。
あの時の攻撃なら防げる。
そう判断したからこそ、その威力を基準に防壁を作った。
完全に読み違えた。
光が止まり、煙が広がる。
壊れた盾と消えた魔物、抉られた床を順番に確認してからリュネリアへ視線を戻すと、彼女はまだ普通に立っていた。
呼吸すら大きく乱れていない。
「……さっきまで、あれで全力じゃなかったの?」
そこで。
ようやく気づいた。
大隅側のダンジョンでは、リュネリアは本気で撃っていなかった。
理由までは分からない。
大隅を巻き込まないためなのか、設備を壊したくなかったのか、それとも別の事情があったのか。
ただ、一つだけは間違いない。
私はリュネリアの火力を完全に見誤った。
しかも。
その状態で、ここなら自分たちが有利だと思い、自分からダンジョンへ誘い込んだ。
最悪。
だけど、まだ終わっていない。
「固まらないで! 左右から!」
盾で受けきれないなら、今度は二人を動かす。
残った魔物を散らし、リュネリアと大隅を罠の残っている位置へ追い込むように攻撃を重ねる。
まだ戦える。
そう考えた直後。
「止まれ!」
大隅がリュネリアを止めた。
一歩先で床が開く。
また。
見つけた。
こちらの攻撃を避けながら、それでも床の違和感まで見ている。
その直後。
「……やっぱすげぇな、あいつ」
大隅の声が聞こえた。
「麻耶奈さんですか?」
「そう」
「褒めるんですか?」
「敵が強いことと、嫌な奴かどうかは別だろ」
……何なのよ。
こっちは本気であなたを倒そうとしているのに。
ただ、ほんの少しだけ悪い気はしなかった。
そんなことを考えた直後、大隅がこちらを見て、その次に右側へ視線を移した。
「リュネリア」
「はい!」
「右。広めに」
「はい!」
右。
狙いは分かる。
「防御を右へ!」
すぐに盾を寄せる。
リュネリアの光が正面から叩きつけられ、私はそれを受け止めた。
その瞬間。
大隅が反対側へ走った。
「麻耶奈様、左です!」
セシルが気づく。
私も気づいた。
でも。
一歩遅い。
右へ撃たせた目的は、私を倒すためではなかった。
こちらの防御を右へ寄せ、その隙に反対側へ通るため。
大隅自身には私を押し切るだけの力がないから、リュネリアを使って私の位置を動かした。
本当に。
自分ではほとんど何もしない。
なのに、そのせいでこちらばかりが動かされる。
腹は立つ。
それでももう、最初のようにただの弱い男だとは思っていなかった。
大隅が進む。
セシルが矢を放つ。
その矢をリュネリアが弾き、二人がさらに奥へ入ってくる。
残った魔物をぶつけても。
「前!」
大隅の短い指示に合わせ、リュネリアの光弾が炸裂する。
魔物がまとめて吹き飛び、第二層の奥にある扉までの距離が一気に縮まった。
まずい。
このままなら抜かれる。
「セシル!」
私が呼ぶ。
けれど、返事をするより早くセシルは動いていた。
弓を捨て、腰から短剣を抜くと、魔法を撃った直後のリュネリアへ一直線に踏み込む。
わずかな隙を狙った一撃。
リュネリアは身体を引いたものの、短剣が腕を掠め、白い肌へ細い赤線が走った。
「っ!」
そして、その血を見た瞬間。
大隅の表情が変わった。
「リュネリア!」
「大丈夫です!」
声にも、さっきまでにはなかった焦りが混じっている。
……そう。
そこは。
気にするのね。
セシルは追撃せず、すぐ私の位置まで戻ってきた。
「……セシル」
「はい」
このまま二人揃って第三層まで下がるのは厳しい。
なら。
どちらかが、ここで相手を止めなければならない。
「先に第三層へ」
「ですが――」
「行って」
セシルが一瞬だけ迷う。
その間にも私は防壁を組み上げ、彼女が走り出せる道を作る。
私がここで防ぎ、セシルだけでも第三層まで戻す。
そこで合流できれば、まだ二人で戦える。
そう考えていた。
セシルが走り出す。
私はその背中を守るように前へ出た。
そして。
「リュネリア」
大隅の声が聞こえた。
「はい!」
「腕いける?」
「大丈夫です!」
返事を確認した大隅は、第三層へ続く扉と、その手前にいる私たち、さらに天井まで一度に見回している。
何を考えている。
「扉の手前まで」
「はい!」
「そこまでは盛大にやっていい」
「はい!!」
リュネリアの周囲へ光が集まり始める。
来る。
私は防壁を固めた。
「撃て!」
白い光が、黒銀の防壁へ真正面から叩きつけられた。
一枚目が砕けた瞬間、すぐ後ろから別の金属を重ねる。
壊れた部分を塞いでも、さらにその上から削られる。
なら次。
さらに別の素材を流し込み、少しでも持たせる。
それでも身体は止めきれず、靴底が石床を削りながら少しずつ後ろへ押されていく。
まだ。
セシルが扉まで行けば。
「セシル!」
叫ぶ。
あと少しだった。
第三層への扉まで。
本当に。
あと少し。
けれど、光の方が速かった。
防壁の端から溢れた奔流がセシルへ届き、その身体を白い光の中へ呑み込む。
《従属個体・セシルの戦闘不能を確認》
表示が出た瞬間、身体が僅かに止まりかけた。
逃がせなかった。
私が。
それでも。
ここで止まれば、セシルが作った時間まで無駄になる。
私は壊れかけた盾を捨て、そのまま踵を返して第三層へ走った。
背後から。
「追うぞ!」
「はい!」
大隅たちの声が聞こえた。
◇
第三層へ入ると同時に、私は残っている素材を確認した。
黒銀。
鉱石。
床へ仕込んだ金属板。
量は十分。
ここは最初から、《戦装錬成》を最大限に使うための場所として作ってある。
《模擬核》もある。
罠も残っている。
セシルはいなくなった。
それでも、大隅本人の戦闘能力が低いことは変わらないし、リュネリアがどれほど強くても、まだ勝つ方法がなくなったわけではない。
そう考えながら息を整え、第三層への扉を見た。
……来ない。
さっき確かに「追うぞ」と聞こえた。
なのに、いつまで経っても入ってこない。
少しして、遠くから轟音が響いた。
一度。
また一度。
そのたびに石が砕けるような振動がここまで伝わってくる。
「……まさか」
第二層から第三層へ続く道には、まだ罠を残している。
それを。
壊しながら来ている。
セシルがいなくなり、私も一人になった。
普通なら、今こそ一気に押し込もうと考えてもおかしくない。
けれど大隅は、そこで急がない。
一人になったからといって私の罠まで消えたとは考えず、危険な場所を確認し、面倒ならリュネリアに壊させてから進んでいる。
慎重なのに。
やっていることだけ見れば、ほとんど爆破解体。
本当に。
どっちなのよ。
やがて。
第三層の扉が開いた。
大隅は入ってすぐ、こちらへ駆け込んでくることもなく足を止めた。
最初に私を見る。
そのあとすぐに視線が動き、壁に埋め込んだ鉱石、床の金属板、積み上げた素材、最後に私の後ろにある《模擬核》まで一通り確認していく。
また。
考えている。
「……来たわね」
「ようやくな」
「セシルを倒したくらいで、勝った気にならないで」
「まだ勝ったつもりはない」
即答だった。
……でしょうね。
もう。
そのくらいは分かる。
大隅は、そういう男だ。
◇
私は片手を上げ、第三層へ用意していた素材を《戦装錬成》で必要な形へ変えていく。
剣。
槍。
盾。
鎖。
戦況に合わせて使えるよう形を整え、その中から双剣を手に取る。
大隅はこちらを見ていた。
なぜか妙に羨ましそうな顔で。
理由は分からない。
今はどうでもいい。
「ここが最後よ」
双剣を構える。
けれど大隅が最初に見たのは、私ではなかった。
視線はその後ろ。
《模擬核》。
「リュネリア、前に出すぎるな」
「でも、麻耶奈さんを倒さないと」
「いや、狙うのはあっちだ」
大隅が《模擬核》を指す。
「あ」
リュネリアが小さく声を漏らした。
……忘れていたの?
「麻耶奈と正面から勝負する必要はない。あれを壊せる位置まで進めれば俺たちの勝ちだ」
「なるほど!」
私は思わず眉を動かした。
「本人の前で随分堂々と作戦を話すのね」
「別に隠すようなことでもないだろ」
「それもそうね」
「それに俺があんたと正面から戦うわけないじゃん」
「そこは少しくらい格好つけなさいよ」
「死ぬよりマシ」
思わず。
少しだけ笑った。
「嫌いじゃないわ、その考え方」
「どうも」
だからこそ。
先に大隅を落とす。
言葉が終わるより先に床を蹴り、別方向からの攻撃を重ねながら一気に距離を詰める。
狙うのは、リュネリアではない。
大隅。
「やっぱ俺!?」
「指示役から潰すのは当然でしょう!」
当然よ。
リュネリアの火力がどれほど高くても、ここまで撃つ場所とタイミングを決めてきたのは大隅だ。
なら。
そこを潰せばいい。
双剣を振るう。
一撃目は身体を引かれて避けられる。
二撃目。
その軌道へ。
また。
あのトング。
「それはもう見たわ!」
「知ってる!」
剣身を挟まれる。
でも、今回は違う。
一度見ている。
大隅が途中でトングを消し、こちらの力を利用して体勢を崩してくることまで。
だから、その先を最初から用意していた。
予想通り。
トングが消える。
押していた身体が僅かに前へ流れた。
けれど、もう片方の双剣は既に大隅へ向かっている。
取った。
そう思ったところへ。
「マスター!」
リュネリアの光弾が割り込んだ。
攻撃を捨て、後ろへ跳ぶ。
直後、大隅との間で床が爆ぜた。
……やっぱり。
守る。
大隅が危なくなれば、リュネリアが必ず入ってくる。
なら。
次はそちらを止める。
双剣を鎖へ変え、そのまま低く振る。
鎖がリュネリアの足へ巻きついた。
強く引けば身体が崩れる。
そこへ大隅がトングを呼び出し、鎖を挟んだ。
「うおおおお!?」
普通にこちらへ引かれてくる。
本当に。
力はない。
「マスター!?」
「俺の筋力忘れてた!」
……何で忘れるのよ。
けれど。
それだけでは終わらなかった。
大隅は鎖そのものを引っ張るのを諦めると、引きずられながらトングの先端を私の手元へ滑らせてくる。
そこを挟み。
すぐに消す。
こちらが引いていた抵抗が突然なくなり、腕が僅かに流れた。
「今!」
その一瞬でリュネリアが鎖を振りほどき、そのまま光弾を撃ち返す。
私はすぐに盾を作って受けた。
それでも衝撃までは止めきれず、石床を削りながら数メートル押し戻される。
また。
一つ。
対応された。
しかも、一度目と同じ使い方ではない。
本当に嫌になる。
その後も、大隅たちの進み方は変わらなかった。
床の仕掛けが動きかければ。
「止まれ。そこ撃って」
「はい!」
罠だけを解除しようとはせず、せり上がる刃ごと床を壊す。
右壁の仕掛けが動こうとすれば。
「右壁!」
「はい!」
今度は壁そのものを吹き飛ばす。
その一方で、壊せば自分たちが進めなくなる場所では。
「左は撃つな! 足場残せ!」
「はい!」
ちゃんと残す。
何でも壊しているわけではない。
大隅はずっと、次に自分たちが使う場所を残しながらリュネリアへ撃たせている。
私が盾で攻撃を逸らし、その隙に大隅へ金属片を投げる。
首を引かれ、耳の横を抜けた。
「ちっ」
「今舌打ちした!?」
「気のせいよ」
「絶対しただろ!」
返事の代わりに槍を投げる。
「話し合いを放棄するな!」
「戦闘中よ!」
本当に何を言っているのよ。
でも。
腹が立つのに、変な男。
「左から行く!」
「はい!」
今度は左。
私はすぐに移動して進路を塞ぐ。
すると大隅は無理に突破しようとせず進路を変え、そこへリュネリアが攻撃を重ねてくる。
私が守る。
その分だけ。
二人が進む。
「天井近くは駄目! 麻耶奈の左!」
「はい!」
そこで。
改めて気づいた。
最初からずっと、大隅はリュネリアへ好き勝手撃たせているわけではない。
壊していい場所。
残さなければならない場所。
次に自分たちが立つ場所。
それらを見ながら、リュネリアの火力をただの攻撃ではなく、前へ進むための手段として使っている。
「次、右床!」
光弾が罠を床ごと消す。
その向こうに足場が残り、また二人との距離が縮まる。
私は武器を変える。
進路を塞ぐ。
大隅を狙う。
リュネリアを狙う。
そのたびに、自分では最善だと思う手を選んでいる。
それなのに。
止まらない。
おかしい。
大隅自身なら。
簡単に倒せる。
近づけば私の方が速い。
力もある。
戦闘技術だって比べものにならない。
なのに届かない。
正確には。
届きそうになるたび、その間へ何かが入る。
リュネリア。
罠。
トング。
地形。
そして。
大隅自身の判断。
だから。
気づけば、口から出ていた。
「……本当に、あなた自身は弱いのね」
大隅がこちらを見る。
「知ってるよ!」
迷いもなく。
即答。
それが。
余計に腹立たしい。
「なのに、どうしてこんなに面倒なのよ!」
「俺に聞くな!」
本当に。
何なのよ。
私は強い。
少なくとも、大隅よりはずっと。
一対一なら負けない。
でも。
この男は、一対一をしない。
自分が勝てないことを当たり前のように受け入れて、その代わり、勝てる状況を作ることだけに集中している。
自分で倒せないならリュネリアを使う。
近づけないなら罠を壊す。
盾を抜けないなら私の位置を動かす。
何一つ。
正面から付き合わない。
卑怯。
そう言おうと思えば言える。
でも。
私には言えない。
だって。
全部。
勝つために必要なことだから。
そして、そんなことを考えている間にも距離は削られ、気づけば背後の《模擬核》まで残り十メートルほどしかなかった。
もう。
出し惜しみはできない。
私は攻撃を止め、第三層に残っている素材を確認する。
床の金属。
壁際の鉱石。
砕けた武器の破片。
さらに、自分の鎧。
使える。
全部。
黒銀の素材を《模擬核》の前へ組み上げ、まず一枚の防壁を作る。その後ろへ二枚目、さらに三枚目を重ね、隙間まで別の金属で補強していく。
これなら。
「……これなら」
呼吸を整える。
「さっきの攻撃でも、防げる」
大隅が防壁を見る。
その目が。
少しだけ変わった。
そして。
「リュネリア」
「はい!」
「まだいけるよな!?」
「もちろんです!」
……まだ?
「どれくらい?」
リュネリアは少し考え、両手を大きく広げた。
「いっぱい!」
何なの、その説明。
しかも。
何でそれで大隅は納得してるのよ。
大隅は後ろへ下がりながら、左右の壁と天井、自分とリュネリアの位置を順番に確認していく。
射線。
そう理解した瞬間。
嫌な予感がした。
ものすごく。
嫌な予感。
「……何?」
大隅は答えない。
十分な距離まで下がると、リュネリアへ視線を向けた。
「最後だ」
「はい!」
光が集まり始める。
その量を見た瞬間、背中が冷えた。
さっきより。
明らかに多い。
「……待って」
大隅も隣のリュネリアを見る。
「お前、まだ上あったの?」
「ありますよ?」
あなたも驚いてるの!?
「嘘でしょう……」
思わず声が漏れた。
本当に。
嘘でしょう。
それでも、止めるしかない。
残っている素材を防壁へ追加し、少しでも厚みを増やしていく。
リュネリアの周囲から溢れる光が第三層全体を白く染める中、大隅は少し離れた位置からこちらを見ていた。
さっきまでみたいな軽い表情ではない。
最後まで。
戦場を見ている。
「やっちまえ」
「はい!!」
光が放たれた。
衝撃が防壁へ叩きつけられ、受けた瞬間に両腕まで痺れる。
それでも、最初の一瞬だけは止まった。
いける。
そう思った直後。
最前面へ亀裂が走る。
すぐに素材を流し込み、砕けた金属まで使い直して裂けた場所を塞ぐ。
けれど。
追いつかない。
一枚目が砕ける。
その衝撃で二枚目が大きく歪み、さらに三枚目まで押し込まれていく。
「まだ……!」
残りを全部使う。
鎧まで外し、防壁の補強へ回す。
持っているものを。
全部。
それでも。
光は止まらない。
最後の防壁へ亀裂が走り、次の瞬間には中央から大きく砕けた。
その向こう。
ほんの一瞬だけ。
大隅の姿が見えた。
自分では攻撃していない。
剣もない。
魔法もない。
今はトングすら構えていない。
ただ、リュネリアの少し後ろに立って。
最初から最後まで。
戦場を見ていた。
……本当に。
弱いのね。
あなた自身は。
なのに。
最後まで、一番面倒だった。
光が迫る。
そして。
私の意識は途切れた。
◇
次に目を開けた時、私は自分のダンジョンへ戻っていた。
身体を起こして周囲を確認すると、痛みはなく、壊れたはずの鎧も元通りになっている。第三層の壁も床も、模擬戦が始まる前と同じ状態へ戻っていた。
当然。
そういうルールだった。
ただし。
結果だけは戻らない。
《敗北》
目の前に浮かぶ表示を見つめる。
「……負けた」
口に出した瞬間、胸の奥に沈んでいた悔しさが、遅れて形を持った。
喉が焼けるように熱い。
指先に力が入る。
負けた。
その事実を認めるだけなら簡単だった。模擬戦の結果は表示されているし、セシルも戻っている。壊れた装備も、失った魔物も、すべて元通りだ。
なのに。
私の自尊心だけは、何一つ元に戻っていなかった。
「はい」
横からセシルの声がした。
見ると、彼女も完全に元の状態へ戻っている。
「分かってるわよ」
「何も申し上げておりません」
「今、はいって言ったでしょう」
「事実の確認です」
「それが腹立つのよ」
セシルが少しだけ笑う。
いつもなら、その程度の反応は気にも留めなかった。
けれど今は、何を言われても胸に刺さる。
私はもう一度、結果表示へ目を戻した。
《勝者――ダンジョンマスター・大隅詩》
大隅詩。
その名前が、妙に大きく見えた。
本人が強かったかと聞かれれば。
答えは違う。
私の方が強い。
近接でも。
身体能力でも。
戦闘技術でも。
おそらく、比べる必要すらない。
その事実だけなら、今でも揺らいでいない。
だからこそ、悔しかった。
力で負けたわけではない。
技術で圧倒されたわけでもない。
正面から打ち合って、私の方が押し切られたわけでもない。
それなのに。
私は負けた。
しかも、自分のダンジョンで。
自分が選んだ地形で。
自分が用意した罠と魔物を使い、自分が勝てると判断した条件の中で。
それでも。
大隅詩に届かなかった。
「……違う」
思わず呟く。
届かなかった、ではない。
私は。
届かせてもらえなかった。
その違いに気づいた瞬間、悔しさがさらに深くなった。
第一層を突破したのは誰だった。
罠を見つけたのは。
魔力障壁を解除したのは。
第二層で私の防御を右へ寄せ、その間に反対側へ抜けたのは。
第三層で罠を潰しながら、リュネリアが撃つ場所を決め続けたのは。
そして最後に、あの少女が最大の攻撃を撃てる位置まで連れてきたのは。
全部。
大隅。
リュネリアは強い。
間違いなく。
あの火力は異常だったし、真正面から受け続けられるようなものではない。
けれど、リュネリアは自分で戦場を選んでいたわけではない。
どこへ撃つのか。
いつ撃つのか。
どこまで壊していいのか。
どこだけは残すのか。
それを決めていたのは大隅だった。
あの男は、剣を握って私を斬ったわけではない。
魔法を放って私の防壁を砕いたわけでもない。
それでも、私の選択肢を一つずつ削っていった。
私が右を守れば左を抜ける。
私が距離を取れば、リュネリアに撃たせる。
私が大隅を狙えば、リュネリアが割り込む。
私が罠を使おうとすれば、先に見つけられる。
私が防壁を重ねれば、その防壁ごと壊せる場所へ誘導される。
気づいた時には、私は戦っていたのではなく、戦わされていた。
その事実が、何よりも腹立たしかった。
「……腹が立つ」
「大隅様にですか?」
「負けたことによ」
「それだけでしょうか」
「何が言いたいの?」
セシルは少し考えたあと、穏やかな顔のまま口を開いた。
「マヤナ様は、最初はリュネリア様の方を警戒されていました」
「当たり前でしょう」
「途中から、大隅様ばかり狙っていましたね」
「指示役だからよ」
「はい」
「何、その顔」
「何でもありません」
絶対何かある。
私は視線を逸らした。
けれど、否定する言葉は出てこなかった。
最初の私は、大隅を脅威として見ていなかった。
強い従属個体を手に入れただけの男。
自分では戦えないから、少女の後ろに隠れている男。
そう思っていた。
だから、彼を見落とした。
リュネリアの魔力ばかりを測り、大隅の視線や足の向き、指示を出すまでの間、戦場全体を確認する癖を見ようとしなかった。
私は自分の強さを信じていた。
それ自体は間違いではない。
私は強い。
だからこそ、弱い相手を見下ろすことにも慣れていた。
相手が私より遅ければ、私の方が先に斬れる。
相手が私より脆ければ、私の方が先に壊せる。
相手が私より弱ければ、正面から押し切れる。
そういう勝ち方を、私は知っていた。
けれど大隅は、最初からその土俵に立っていなかった。
私が強いことを認めたうえで、私と正面から戦わない。
私の強さを否定するのではなく、強さが意味を持つ状況そのものを避けてくる。
それは卑怯だと思う。
思いたい。
でも。
卑怯と呼ぶには、あまりにも正しかった。
「……あいつ」
名前を口にしただけで、また悔しさが込み上げる。
大隅詩。
弱い。
本人だけなら、間違いなく私の方が強い。
その評価は変わらない。
変わらないのに。
もう、最初と同じ意味では見られなかった。
弱いから脅威ではない。
その考えは、完全に間違っていた。
弱いからこそ、自分一人では勝てないことを理解している。
理解しているからこそ、従属個体の力を最大限に引き出し、地形を使い、相手の判断を利用し、勝てる形になるまで戦場を組み替える。
それは、私が持っていない強さだった。
認めたくない。
認めれば、私が負けた理由を認めることになる。
けれど、認めなければ次に勝てない。
その現実が、私の自尊心をさらに苛立たせた。
「次は、最初から大隅も潰す」
「今回も途中からかなり狙っておりましたが」
「最初からよ」
「リュネリア様が守るかと」
「その前提で考える」
「罠も見つけられます」
「見つけても対処できないものにする」
「トングがあります」
「……」
あれ。
思い出しただけで腹が立つ。
あのふざけた道具が、何度私の攻撃を狂わせたか。
剣を挟み、罠を探り、遠くの物を動かし、こちらが勝ったと思った瞬間に消える。
見た目だけなら、どう考えても武器とは呼べない。
なのに、あの男はそれを使って私の力を利用した。
私の方が強いという事実さえ、あのトングを通せば大隅の都合のいい形へ変えられてしまう。
「何とかするわよ、あのトングは!」
「はい」
「絶対に、次は通用させない」
「大隅様本人も警戒されますか?」
「当然でしょう!」
思わず声が大きくなった。
セシルが目を瞬かせる。
私はすぐに顔を背けた。
「……何よ」
「いえ」
「何か言いたそうね」
「大隅様を、強敵と認められたのだと思いまして」
「認めてないわ」
反射的に否定した。
けれど、その言葉は自分でも驚くほど弱かった。
認めていないなら、なぜこんなにも悔しい。
認めていないなら、なぜ次に会った時の対策を考えている。
認めていないなら、なぜあの男の視線や指示の出し方まで思い返している。
私は結果表示へ目を戻した。
《勝者――ダンジョンマスター・大隅詩》
その名前を見つめる。
悔しい。
腹立たしい。
できることなら、今すぐもう一度戦いたい。
今度は最初から大隅を狙う。
リュネリアの射線を潰す。
トングの動きを読む。
罠を一つ増やすだけでは足りない。あの男が見つけることまで前提にして、見つけた後の判断を誤らせる仕掛けが必要だ。
そう考えている自分に気づき、私は唇を噛んだ。
もう。
私は大隅詩を、ただの弱い男として見ていない。
それが悔しかった。
私の中で、あいつの評価が変わってしまったことが。
強いと認めたくない。
けれど、警戒しなければならない。
面倒だと吐き捨てたい。
けれど、侮ればまた負ける。
嫌いだと言い切りたい。
けれど、あの男が自分の弱さから逃げず、それを勝つための武器に変えていたことだけは、認めざるを得なかった。
「……次は、負けない」
「はい」
「今度は、絶対に」
「はい」
「だから、そんなに素直に返事をしないで」
セシルが小さく笑った。
私はもう一度、結果表示へ視線を向ける。
大隅詩。
本人だけなら、間違いなく弱い。
でも。
弱いから脅威ではないとは、もう思わない。
あの男は、私より弱い。
それでも、私を負かした。
その事実を覆すには、次に勝つしかない。
次に会った時は、最初から一番警戒する。
リュネリアだけではない。
あのトングだけでもない。
大隅詩、そのものを。
そう決めながら、私はその名前をもう一度見つめた。
悔しさを飲み込むように。
そして、次は必ず上回ると、自分に言い聞かせるように。




