第16話 敵のダンジョンなら、うちの星霊族が遠慮しません
接続境界を越えた瞬間、空気が少し変わった。
いや、本当に空気そのものが違うわけじゃない。
俺の気分の問題だ。
ここから先は、天城麻耶奈のダンジョン。
つまり、何か壊れても俺は困らない。
「マスター?」
隣を歩くリュネリアが、俺の顔を覗き込んできた。
「何だ?」
「なんだか嬉しそうですね」
「当たり前だろ?」
「え?」
「お前に俺の大事な家を壊される心配がないからな」
「もう、マスター!」
頬を膨らませるリュネリアを横目に、俺は目の前へ続く通路を見る。
「別に敵の家なら、多少壊れても俺は困らないし」
「多少ですよね?」
「安全さえ確認できたら盛大にぶっ放してやる」
「はい!」
返事が良すぎる。
今の言葉だけは絶対に忘れない顔してる。
「ただし、安全確認してからだからな」
「分かってます!」
「本当に?」
「頑張ります!」
「そこは変わらないんだな」
まあいい。
少なくとも、こっちでは昨日みたいに《星泪泉》が無事かとか、寝床が残るかとか、そういう心配をしなくていい。
使えるなら使う。
敵のダンジョンなんだから、遠慮する理由もない。
最初の通路へ入る。
麻耶奈がわざわざ籠城を選んだだけあって、入口からして嫌な感じだった。一見するとただの一本道なのに、床には微妙な継ぎ目があり、壁には妙に均等な穴が並んでいる。そのさらに奥では、薄い青色の膜みたいなものが通路全体を塞いでいた。
「……おお」
「どうしました?」
「いや」
ちょっとテンション上がるな。
敵ダンジョンの罠解除。
ゲームだったら普通に好きなやつだ。
自分の身体でやることになるとは思ってなかったけど。
リュネリアが前へ出ようとする。
「待て待て」
肩を掴んで止めた。
「そこ踏むな」
足元を指す。
床を横切るように、細い金属線が張られていた。かなり見えづらいが、さっき自分のダンジョンで罠を使ったばかりだからか、妙に違和感が目につく。
「これですか?」
「たぶんな」
「壊します?」
「いや」
俺は右手を軽く開いた。
せっかくだ。
普通に出すのも味気ない。
一度腕を大きく後ろへ振りかぶり、何かとんでもない武器でも呼び出すみたいに勢いよく前へ突き出す。
「来い!」
次の瞬間、俺の手の中に銀色の万能トングが現れた。
「…………」
リュネリアが無言で見ている。
「何だよ」
「いえ」
「何」
「別に何も言ってません」
「ならいい」
ちょっとやりすぎたかもしれない。
でも出し方は格好いい。
武器がトングなだけで。
俺はしゃがみ込み、罠の金属線へ先端を伸ばした。
「……意外とトングも役に立つじゃないか」
「昨日からずっと役に立ってますよ?」
「戦闘以外でな」
麻耶奈の剣を挟んだ時は、最終的に俺ごと引きずられた。そこだけ思い出すとあまり格好よくないが、こういう用途なら話は別だ。
危ない物へ直接触らなくていい。手の届かない場所にも届くし、何かあればそのまま離せる。
敵ダンジョン攻略用の道具として見ると、普通に当たりかもしれない。
「これ、結構いいな」
「トングがですか?」
「だから言い方」
金属線を挟む。
そのまま引っ張ろうとして、手を止めた。
……いや、待て。
切ったら発動するタイプもある。
「マスター?」
「根元を見る」
「なるほど!」
分かって言ってる?
線を辿ると、壁際の小さな金具へ繋がっていた。そこを挟み、身体は距離を取ったままゆっくり引き抜く。
カチッ。
嫌な音。
次の瞬間、前方の壁から十数本の矢が一斉に飛び出し、俺たちより遥か前を横切って反対側の壁へ突き刺さった。
「…………」
「解除できましたね!」
「いや、思いっきり発動したけどな」
でも俺たちには当たってない。
なら成功でいい。
たぶん。
俺はトングを肩に担ぐように持ち直し、その先に続く通路を見る。罠はまだありそうだし、むしろここからが本番だろう。
「……いいね」
「何がですか?」
「敵ダンジョン攻略」
少し楽しくなってきた。
死なない範囲でなら、こういうのは結構好きかもしれない。
◇
次に見つけたのは床だった。
通路を構成する石板の中で、一枚だけ僅かに沈んでいる。近づかず、トングで拾った小石を落とした。
ガコンッ!
石板が沈んだ直後、天井から分厚い鉄板が轟音と共に落下し、床へ叩きつけられる。
「…………」
リュネリアが鉄板を見る。
俺を見る。
「踏まなくて良かったですね!」
「ほんとにな!」
あれは痛いじゃ済まない。
模擬戦だから戻るとはいえ、一回ぺちゃんこになってから復活するのは嫌だ。
さらに進むと、今度は壁の一部が不自然に窪んでいる。
嫌な予感しかしない。
トングを伸ばして押した瞬間、横の壁が開いた。
ガシュッ!!
長い槍が何もない空間へ突き出す。
すぐトングを離した俺は、その穂先を眺めながら思わず口元を緩めた。
「…………楽しくなってきた」
「さっきより嬉しそうですね」
「敵の罠を遠くから全部無駄撃ちさせるの、結構気持ちいいぞ」
「そういうものなんですか?」
「俺も今知った」
自分で罠を作るのも楽しい。
他人が作った罠を台無しにするのも楽しい。
新しい発見だ。
ただ、第一層で一番面倒だったのは、その先に張られた薄い青色の膜だった。
リュネリアが近づいた瞬間、身体の周囲で小さな光が弾ける。
「わっ」
「止まれ」
リュネリアが手を伸ばすと、膜に触れる寸前で指先を魔力らしき光が押し返した。
「通れません」
俺は試しに小石を投げる。
普通に通る。
手を伸ばしてみても問題ないし、トングも通った。
「……魔力だけ止めてる?」
「たぶん、そうだと思います」
リュネリア対策か。
さっきの戦闘だけで、もうこういうものを使ってくる。本当に対応が早いな、あいつ。
俺は膜の周囲を観察する。
魔法の仕組みなんて知らないが、何かを動かしているなら、どこかにそのための物があるはずだ。
床を見て、壁を見て、最後に少し高い位置で小さく光る青い石を見つける。
「あれじゃね?」
「届きますか?」
「俺には無理」
右手を見る。
「でも、こいつなら届く」
トングを伸ばす。
先端が青い石を挟んだ直後、石の周囲で光が強くなった。
「マスター、光ってます!」
「見えてる!」
だったら早い方がいい。
そのまま一気に引っこ抜く。
ガキンッ!
青い石が壁から外れ、同時に通路を塞いでいた膜がふっと消えた。
「おお」
「すごいです!」
ちゃんと解除できた。
今度こそ。
俺は手元の青い石を眺める。
これ、戻されたらまた使えるのか?
分からない。
だったら。
「よいしょ」
トングで挟んだまま後方へ放ると、青い石はカラン、カランと音を立てながら遥か後ろへ転がっていった。
「何で投げたんですか?」
「再利用されたら嫌だから」
「なるほど!」
実際にできるかは知らない。
でも敵が丁寧に置いていた物は、とりあえず面倒な場所へやる。
それでいい。
第一層はそんな調子で進んだ。
怪しい場所を見つけたら止まり、直接触れたくない物にはトングを伸ばす。仕組みが分からなければ距離を取ったまま作動させ、一つずつ安全を確保しながら奥へ進んでいく。
派手さはない。
でも、悪くない。
俺自身が急に強くなったわけでもないし、麻耶奈みたいに剣を作れるようになったわけでもない。それでも、今までリュネリアの後ろで「危ない」「撃つな」「そこ壊すな」と騒いでいただけの男からは多少進歩している。
ヒモ男からシーフにジョブチェンジ、といったところか?
……いや、ヒモ男だったことを認めたみたいで嫌だな。
やがて第一層の奥、大きな石扉へ辿り着く。
ここまで麻耶奈もセシルも姿を見せていない。
待っている。
絶対に。
「リュネリア」
「はい」
「ここからは多分、こんなゆっくりやらせてくれないぞ」
「大丈夫です!」
「何で?」
「私がいますから!」
相変わらず自信満々。
でも今回は否定しない。
「頼むぞ」
「はい!」
俺は石扉へ手をかけ、ほんの少しだけ開いた。
隙間から中を見る。
「…………」
閉めた。
「マスター?」
「ちょっと待って」
もう一度開ける。
見間違いではない。
広い空間には四足の魔物が六体、小柄な人型が五体、さらに大柄な盾持ちが二体。その後ろに黒銀の槍を構えた麻耶奈が立ち、斜め後方には既に弓を手にしたセシルがいる。
それだけじゃない。
床には継ぎ目、壁には穴、天井には何かが吊られている。
罠、魔物、麻耶奈、セシル。
全部入りだ。
なるほど。
第一層で俺が罠を潰しながら来た。
だから第二層では、罠を解除する時間そのものを与えない。
……本当に嫌だな、頭の回る相手。
「どうしますか?」
俺は万能トングを見る。
もう一度、扉の向こうも見る。
敵十三体。
二人。
罠多数。
トング一本。
無理だ。
「これ、一個ずつ解除してる場合じゃないな」
トングを消す。
使える道具ではある。
でも、使う場面は選ばなきゃならない。ここで罠一個に夢中になった瞬間、矢か槍か魔物が飛んでくる。
だったら別のやり方を使う。
俺は扉の向こうにある天井と壁を確認した。
第一層よりずっと広く、高さもある。壁もかなり厚そうで、一発二発なら耐えてくれそうだ。
「リュネリア」
「はい」
「ここ、どれくらい撃ったら崩れる?」
「えっと……」
リュネリアも中を覗き、しばらく考えたあとで答える。
「全力じゃなければ大丈夫だと思います!」
全力じゃなければ。
その基準が怖い。
でも今は、それで十分だ。
「よし」
「撃っていいんですか?」
期待に満ちた目。
俺は扉を大きく開いた。
魔物たちが一斉にこちらを向き、麻耶奈とセシルも身構える。
「ここが壊れない程度にぶっ放していいぞ!」
「はいっ!!」
めちゃくちゃ嬉しそう。
まあ、いい。
やれ。
◇
最初に飛び出してきたのは四足の魔物だった。
一体が先頭を走り、その後ろから二体が追う。さらに小柄な魔物たちは左右へ広がり、盾持ちが中央を固めていた。
ただ突っ込ませているわけじゃない。
配置まで考えられてる。
「セシル!」
麻耶奈の声が飛ぶ。
「はい!」
直後、矢がリュネリアへ向かって一直線に飛んできた。
「右!」
リュネリアが半歩ずれ、矢が肩の横を抜けていく。
その間にも銀髪がふわりと浮き上がり、空中へ小さな光点が次々と現れ始めた。一つ、二つと増えたそれらが数えきれないほど集まり、リュネリアの掌へ吸い込まれていく。
向かってきていた魔物の動きが鈍った。
何匹かは足まで止めている。
本能なのか何なのかは分からない。
でも、たぶん感じてる。
これ、やばいって。
「麻耶奈様!」
セシルが叫ぶ。
麻耶奈はそれより早く動いていた。
「散開! 盾を前へ!」
盾持ちの魔物を中央へ出しながら、周囲の黒銀の金属を一枚の巨大な盾へ変える。さらにその後ろへ二枚、三枚と重ね、さっき俺たちのダンジョンで使ったものより明らかに厚い防壁を作り上げた。
対応が速い。
やっぱりこいつ、強い。
でも。
今は。
「リュネリア」
「撃てます!」
「やっちまえ!」
「はい!!」
光が放たれた。
目の前が一瞬で白く染まり、遅れて轟音が腹の底まで響く。
先頭の四足魔物が光へ呑まれ、その後ろの二体も続いて姿を消す。盾持ちまで巻き込んだ光は勢いを失わないまま麻耶奈の防壁へ直撃し、一枚目を砕き、二枚目をひしゃげさせ、三枚目ごと彼女たちを後ろへ押し込んだ。
「うっわ……」
言ったの俺だけど。
マジか。
昨日、一部屋なくなったのを見ている。
火力がおかしいことも分かってる。
でも、敵へ向かって本気で撃たせると全然印象が違う。
さっきまで俺は、魔物が十三体だとか、罠が何個あるとか、麻耶奈とセシルがどこにいるとか、そういうものを一つずつ処理しようとしていた。
リュネリアが撃つと。
その辺がまとめて問題じゃなくなる。
いや、攻略ってそういうものだっけ?
光が止み、煙が広がる。
「マスター!」
「何!?」
「まだ撃てます!」
「知ってる!」
むしろ、それが怖い!
煙の向こうを見る。
全滅ではなかった。
散開した小型の魔物が数体残り、麻耶奈もセシルも無事だ。そして何より、麻耶奈はもう次の手へ移っている。
「固まらないで! 左右から!」
残った魔物が一斉に散る。
壊れた盾の破片はその場で細長い槍へ作り直され、五本、八本、それ以上の黒銀の穂先が俺たちへ向いた。
「来るぞ!」
槍が飛ぶ。
リュネリアが俺の服を掴み、まとめて横へ跳んだ。
「うおっ!?」
直後、さっきまで立っていた場所へ何本もの槍が突き刺さる。さらにセシルの矢が逃げた先へ飛び、その向こうでは床の継ぎ目が見えた。
「止まれ!」
リュネリアの腕を掴む。
一歩先で床が開き、深い穴が口を開けた。
危ねえ。
火力を見てすぐ散開させた。
盾で止められないと分かれば、今度は俺たちを動かして罠へ落とす。
リュネリアが強いから勝てる、なんて単純な相手じゃない。
「……やっぱすげぇな、あいつ」
「麻耶奈さんですか?」
「そう」
「褒めるんですか?」
「敵が強いことと、嫌な奴かどうかは別だろ」
麻耶奈が嫌な奴かもまだ分からないけど。
少なくとも強い。
だからこそ、正面から付き合う必要もない。
俺は部屋全体へ視線を走らせる。
麻耶奈は中央を固めるため、残った魔物と盾をこちらの正面へ寄せ始めていた。正面を抜こうとすれば、また左右の罠へ誘導される。
だったら。
「リュネリア」
「はい!」
右側の壁際を指す。
「右。広めに」
「はい!」
麻耶奈の視線が即座に動いた。
「防御を右へ!」
読まれた。
黒銀の盾が右側へ集まる。
でも、それでいい。
「撃て!」
光が走り、麻耶奈の盾がそれを受け止める。
轟音。
その瞬間、俺は逆の左へ走った。
「マスター?」
「こっち!」
今、右に防御を寄せた。
なら左が薄い。
倒す必要なんてない。
抜ければいい。
「麻耶奈様、左です!」
セシルがすぐに気づき、俺の進路を塞ぐように矢を放つ。
「リュネリア!」
言い切る前に、小さな光弾が矢を弾いた。
そのままリュネリアが追いつく。
「おお!」
「任せてください!」
「今のは偉い!」
「はい!」
嬉しそう。
でも今は本当に助かった。
残った魔物が左から飛び込んでくる。
「前!」
リュネリアの光弾が炸裂し、魔物がまとめて吹き飛ぶ。
「近っ!?」
「当ててません!」
「そういう問題じゃない!」
爆風だけで髪が全部後ろへ持っていかれたぞ!
それでも進む。
第二層の奥。
次の扉がもう見えている。
麻耶奈も分かっているはずだ。
ここを抜かれれば、残るのは奥だけ。
「セシル!」
麻耶奈が呼んだ。
だが返事より先に、セシルは動いていた。
弓を捨て、腰から短剣を抜く。
そのままリュネリアへ一直線に踏み込んできた。
「えっ」
近接もできるの!?
速い。
リュネリアは魔法を撃った直後で、まだ腕が上がっている。
間に合わない。
「下がれ!」
リュネリアが身体を引く。
短剣が腕を掠め、白い肌へ細い赤線が走った。
「っ!」
血。
俺の頭が一瞬で熱くなる。
「リュネリア!」
「大丈夫です!」
セシルは追撃しなかった。
すぐ麻耶奈のところまで戻っていく。
何で。
いや、違う。
時間稼ぎだ。
麻耶奈の周囲には、さっきより大量の金属が集まり始めている。
盾を作る時間を稼いだのか。
「……セシル」
麻耶奈が低く呼ぶ。
「はい」
「先に第三層へ」
「ですが――」
「行って」
セシルが一瞬だけ迷う。
その間にも麻耶奈は防壁を組み上げている。
なるほど。
麻耶奈がここへ残り、セシルを奥へ逃がす。
そうすれば第三層でまた二人になる。
嫌だ。
ここまで来て、また後ろから矢を撃たれるのは面倒すぎる。
「リュネリア」
「はい!」
「腕いける?」
「大丈夫です!」
なら。
俺は第三層への扉、その手前にいる麻耶奈とセシル、そして天井までの距離をまとめて確認した。
「扉の手前まで」
「はい!」
「そこまでは盛大にやっていい」
「はい!!」
リュネリアの周囲に再び光が集まる。
セシルは走り出し、麻耶奈はその背中を守るように前へ出た。
巨大な盾が完成する。
「撃て!」
白い光が黒銀の盾へ正面から叩きつけられた。
一枚目が砕ける。
すぐ後ろから新しい金属が重なり、壊れた部分を塞ぐ。そこもまた削られれば、さらに別の素材が流れ込んで補修される。
「……マジか」
押されながら、まだ作ってる。
リュネリアの攻撃を真正面から受けながら、壊された箇所だけを次々塞いでいる。
麻耶奈の靴底が石床を削り、一歩、また一歩と後ろへ滑る。
「セシル!」
麻耶奈が叫んだ。
セシルが扉へ飛び込もうとする。
あと少し。
でも、光の方が速かった。
防壁の端から溢れた奔流がセシルへ届き、その身体を白の中へ呑み込む。
《敵対個体一名の戦闘不能を確認》
セシル。
脱落。
麻耶奈の表情がほんの一瞬だけ悔しそうに歪む。
それでも立ち止まらなかった。
壊れかけた盾を捨て、踵を返して第三層へ走る。
「追うぞ!」
「はい!」
俺たちも後を追う。
第二層を抜ける直前、横目で部屋を見た。
罠も魔物も盾も、床も壁も、ほぼ全部めちゃくちゃになっている。
……まあ。
敵のだからいいか。




