3 密談
主人公視点に戻ります
アンネグレートが自身の婚約者の死を知らされたのは、彼女が忠告のためにフレンケル侯爵邸を訪れた翌朝のことだった。
訃報を耳にした彼女は大きく目を見開いたのだが、それはハラルドの死に驚いたためではなかった。
彼女たちの行動があまりに迅速で驚いたのだ。
笑い出しそうになる口を押さえて、次いで彼女は両手の平で顔を覆った。何も知らない家族や使用人たちの目には、アンネグレートが悲しみ嘆いているように映ったことだろう。
そう。今は笑うべき時ではない。
まだ、笑うべきではない。
それはすべてが終わってからだ。
しばらくの間、アンネグレートは黒いベールを被って過ごした。
ハラルドの葬儀も埋葬も、フレンケル夫妻とのやり取りも。彼女はすべてをベール越しに終えた。
結婚間近の婚約者を亡くしたのだ、無理もない。
人々からは憐憫の情を寄せられた。
それはアンネグレートの隠された顔が、突然の悲劇にさぞ憔悴しきっていることだろうと思われたからだ。
実際は違った。
ハラルドの訃報以降、アンネグレートが人前でベールを外さなかったのは、平素となんら変わりのない顔色を隠すためだった。
そのベールを外したまま、彼女が客人を迎え入れたのはハラルドの葬儀から半月ほどが経過した頃のことだった。
ひっそりとジルベック侯爵家を訪れたその客は、白い髪の儚げな佳人であった。人払いのされた応接室で、アンネグレートは久しぶりに素顔で人と対面している。
客人は人払いが成されてすぐに本題を口にした。
「一昨日、彼の人が無事に入城を果たしたと連絡がありましたよ」
前置きのないそれを、アンネグレートは微笑みをもって受け止めた。
彼女――セルディーネと名乗る女性に会うのは、今回で二度目だ。
会った回数はごく少ないが、アンネグレートはいっそ事務的なほど簡潔なセルディーネの言動を好ましく感じている。
彼女との会話には、余計な腹の探り合いなど必要ない。互いに腹の中をさらけ出して言葉を交わせるのだ。
「そうですか。それは良かったです。ご存じだとは思いますけど、こちらは葬儀も埋葬も問題なく行われました。途中で棺の蓋を開けて彼の死に顔を見たいなどと言い出すような人もいませんでした。安心して送り出せましたわ」
「ええ。昨日、フレンケル侯爵家に報告に伺って聞いたわ。彼にそこまで親しいご友人がいなくて幸いだったわね」
「本当に。開けられていたらきっと大騒ぎになってしまいましたもの。ハラルドの死体なんて入っていないのですから。まったく、彼の人望のなさに感謝する日が来るとは思いもしませんでしたわ」
さして大きくもない声で笑い合い、二人はテーブルの上の紅茶で喉を潤した。
アンネグレートがセルディーネに最初に会ったのは、一年半前のことだった。
突然、人生で関わることもないと思っていた外交院から召喚状を受け取り、フレンケル侯爵夫人エルマーティカと共に呼び出された王宮内の一室で、顔を合わせたのだ。
その時の召喚状として使われていたのが、ハラルドも受け取っていた薄桃色の月下美人が描かれたカードだったのである。
女性外交官一名の立ち会いのもと王宮の一室で行われたそれは、まさに密談だった。
まず初めに、セルディーネは自分の身分がファルバライト女王国の王族である事を明かした。女王国の姪にあたるのだと。
ファルバライト女王国とは、アンネグレートが住むライリカ王国のはるか北方にある国だ。国土面積はライリカ王国よりも大きいのだが、その三分の一が雪山に占められているという。
遠方ゆえに、ライリカ王国の民がファルバライト女王国の民と交流することはほとんどなかった。
アンネグレートも、女王国の事をあまり知らない。他国の言語で記された旅行記や、各国を股にかける商会から断片的な情報を得るのみだった。
北方の雪の色を思わせる真っ白な髪を軽く払って、セルディーネは親しげに目元を緩ませる。その瞳の濃い桃色にアンネグレートは一瞬見惚れてしまった。
「わたくしは確かに王族ではありますが、これから話すことは皆が腹を割らなければ進まない話。言葉を飾っていては出る結論も出ません。ですので、ここでは普段の貴女たちが話す言葉を使ってください。お互いの呼び方も簡略化して、名前を呼び合うことにしましょう」
まずセルディーネが過度な緊張は不要と明言した。侯爵夫人であるエルマーティカはともかく、ただの学生であるアンネグレートは、それでようやく息がつける思いがした。
王族、ましてや他国の王族などと、今まで彼女は言葉を交わしたことなどなかったのだから。
隣に座るエルマーティカに視線を向けると、彼女は小さく頷いた。従いましょう、の意味だ。アンネグレートは喜んでそれに倣うことにした。
「では、まずは基本情報を。エルマーティカ、アンネグレート、貴女たちはファルバライト女王国の人口に関する噂をご存知かしら?」
さっそくセルディーネが軽い口調で問う。アンネグレートは小首を傾げたが、エルマーティカには思い当たる節があったようだ。
若い頃は大陸の紅薔薇姫と呼ばれ、現在もその美貌を保つエルマーティカは、寡聞ながら、と前置きして答える。
「噂によりますとファルバライト女王国には男子が産まれないのだ、と聞いています」
「そう。男子が産まれない。これは建国以前からの事実で、人間にはどうにもならないことなの。土地がそういうふうにできているから、本当にどうしようもないことなのです」
困ったものだ、と言いたげにセルディーネはため息をついた。
伏せた睫毛が雪の結晶のようで美しい。アンネグレートは思わず場違いにも感心してしまった。
美しい人は、細部まで美しいのね、と。
もっとも、アンネグレートは美しい人を見慣れているはずなのだが。婚約者は王国一の美男子と呼ばれているし、今隣にいるその母親は、子供を三人産んでもなお輝きを失わない人なのだから。
美貌の夫人はセルディーネと同じく困ったように頬に手を当てた。
「それで、何か対策はなさっているのでしょう? 手をこまねいていては国が滅びてしまいますもの。もしかして、今回わたくしたちが呼ばれたのはその噂に関することなのですか?」
「ご明察、エルマーティカ。話が早くて助かります」
若干ポカンとしているアンネグレートを置いておいて、セルディーネが今回の主旨の説明を始める。
ファルバライト女王国では前述のとおり男子が産まれない。なので他国の男性と交わって子を成す必要がある。
そのために、大陸の主要な国にはファルバライト女王国が陰ながら経営する娼館があるのだと。そこにいる娼妓は、当然ファルバライト女王国の、我が子を望む女性たちである。
彼女たちは月に二度だけ開かれる『月来香の館』で客の男と肌を合わせ、上手く子供ができれば本国に戻る。
中には客を取るのに嫌気が差して帰る者もいるし、月に二度では子種が足りないと自分で相手を探す者もいる。国が強制しているのではなく、あくまで各人の自由なのだという。
そこまで聞いてアンネグレートは疑問に思った。
「あの、各国から男性の移民を募ればよいのではないのですか? わざわざ他国に行って、その……ええと、子種を、得なくてもよいのでは? お腹に子供が宿ってからでは、本国への旅路も大変になりますでしょう?」
「ああ、これは……未婚のご令嬢には生々しい話で申し訳ない。そこは、あまり忌憚なくとは言えないですね」
セルディーネが苦笑すると、エルマーティカも笑い声を漏らした。アンネグレートは赤面して両手で顔を覆ったが、すぐに気を取り直して背筋を伸ばす。
セルディーネの話は、まだおそらく本題にすら入っていないのだから。
「いえ、わたくしのことなどお気になさらず、お話を進めてくださいませ。経験はありませんが、知識は相応にあるつもりですので」
セルディーネはアンネグレートの視線を受けて軽く眉を上げた。可憐な顔立ちに似合わない悪戯な子供めいた表情を浮かべる。
「いいね。その意を汲んで簡潔に答えましょう。ファルバライトの土地で暮らす男性は、十年生きられないんですよ。なので移民も婿として迎えるのも、まあ、できなくはないけれど進んでやりたがる人がいない」
「あら。ならば素知らぬふりをして連れていけばよろしいのに。素行の悪い貴族子弟ならば大きな問題にもならないでしょう?」
エルマーティカがさらりと人道的ではない提案をしたので、アンネグレートはギョッとした。
「夫人、いえ、エルマーティカ様、それではファルバライト女王国が不良貴族子弟の吹き溜まりになってしまいますわよ」
「吹き溜まりになるほど連れて行ったら生国で問題になるでしょう。それに、あっという間に墓場が満杯になってしまう」
セルディーネは自らの笑えない冗談を軽やかに笑い、すぐに表情を改めて対面に座る二人へと交互に視線をやった。
エルマーティカは心得顔を返し、アンネグレートは口元を引き締める。おそらく、ここからが本題だ。
「しかし我が国でも切実な問題なのは確かです。本国を出て種を仕込む事が出来る国民は数が限られているの。重要な役職に就いている者や高位の王侯貴族などは、そうそう国を空けるわけにもいかない者が多いのですよ。その方々のために、我が国では、国外で経営する娼館を選別機関として使っています。本国に連れて行っても問題のなさそうな、できれば血筋と容姿の良い男性を見極めるのには、娼館と言う場所は最適なんですよ」
アンネグレートはエルマーティカが静かに頷くのを視界の端に捉えた。
そこでようやく察した。
なぜアンネグレートとエルマーティカがここに呼ばれたのかを。
二人の関わる、共通の人物。
ハラルドだ。
「もちろん館を訪れる殿方はそんな事は知りません。わたくしどもも気取られるような迂闊なことはしない。密かに篩いにかけて招待状を送り、本国へ連れて行くに相応しい者を探します。そうして館を利用した数が九回を越えたら、このような場を設けてその方の身内の女性にわたくしどもの真意を明かすのです」
セルディーネは言葉を切って、にっこりと笑った。
「お察しのようね? そう。エルマーティカ、貴女のご子息であり、アンネグレート、貴女の婚約者であるハラルド・フレンケル氏は明日の夜に十回目の来館予定です。このまま通い続けてその回数が二十回に達した時に、彼はファルバライト女王国に行くことになる。それを止めるか止めないかは、貴女方にお任せします」
「え? 止めてしまったらセルディーネ様たちが困りませんか?」
思わずアンネグレートは質問する。
男性を必要としている彼女らが、わざわざこうして娼館の仕組みを教えてくれる意味を測りかねたのだ。
セルディーネは「もっともな質問です」と頷いた。背を反らしてソファに身を預け、彼女は膝の上で両手の指を組み合わせた。
「たしかに困ります。でも、本国に連れて行ってから真相を探られて取り返そうとされる方がよっぽど困るんですよ。騒がれれば娼館の秘密が明るみに出る可能性もある。当方はそれを避けたいのが本音。だからこうして問うわけです」
セルディーネは組んでいた指を解いて、右手の人差し指を立てて言った。
「わたくしたちには彼を連れて行く用意があります。貴女方はそれを止めますか? 止めませんか? と」
お読みいただきありがとうございます!
密談という名の説明回が続きますが、よかったら続きも読んでみてください!




