↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
セレニア王国物語 ~花冠の女王と白き神獣~  作者: n.
第一部 花冠の女王
PR
4/21

第三章 本に書かれていないこと

その夜、リリアは夕食を済ませると、すぐにLilasから借りてきた本を食卓に広げた。


『セレニア王国法制概論』


昼間から、早く読んでみたくて仕方がなかった。


昨日までなら、自分から手に取ることはなかっただろう。政治に興味があるわけではないし、税の仕組みを覚えたところで、花を束ねるのが上手になるわけでもない。


けれど、知らないことをそのままにしておくのは、どうにも落ち着かなかった。


「さて、と」


リリアは頁を開いた。


そして、しばらくして。


「……難しい」


題名からしてあまり面白そうな本ではなかったが、やはり面白くなかった。


頬杖をつきながら、同じ頁をもう一度読む。


税にはいくつもの種類があるらしい。土地にかかるもの、商売にかかるもの、王都へ品物を運び入れる際にかかるもの。国に納められた税は、街道や橋の整備、兵士の給与、医療院の運営などに使われる。


そこまでは分かる。問題は、その先だった。


聞いたことのない役職や制度の名前が次々と出てきて、三頁ほど前から自分が何を読んでいるのか怪しくなっている。


リリアは本を閉じかけて、やめた。


黄色い花を受け取った男性の顔が浮かんだ。


『税も上がったし、食べ物も高くなった。みんな似たようなもんだ』


「税が上がった……」


リリアはもう一度、本を開いた。


巻末には、近年の税制改定についてまとめられている。指で文字を追う。一年前。二年前。三年前。


「……あれ?」


もう一度読む。読み間違えたのかと思って、今度はゆっくり読み直した。けれど、同じだった。


少なくともこの本に書かれている限り、商人たちに課される基本の税率は、昨年から変わっていない。


「上がってない……?」


本が古いのだろうか。表紙を確認する。刊行されたのは今年だ。


もちろん、本に載っていない規則があるのかもしれない。リリアが読み落としているだけかもしれない。


分からない。でも、分からないことが分かった。それだけで昨日より少し前に進んだ気がした。


リリアは紙の端に、いくつか数字を書き留めた。


翌朝。


「ねえ、ヴァレン」


「なんだ」


「税って上がったの?」


珈琲を飲もうとしていたヴァレンの手が止まった。


昨日と同じ、Lilasの開店前。そして昨日と同じように、ヴァレンは三枚の銅貨をきちんとカウンターに置いている。


「……どうして?」


「昨日のお客さんが言ってたから。気になって、本も読んでみたの」


リリアはカウンターの下から昨夜の本を取り出した。何枚もの紙が挟まっているのを見て、ヴァレンが眉を上げる。


「一晩で?」


「全部じゃないよ」


「十分だろ」


「でもね、商人にかかる税率は去年から変わってないみたいなの。私が調べた限りだけど」


ヴァレンはすぐには答えなかった。


「なのに昨日のお客さんは、税が上がったって言ってた。どういうこと?」


「税は一つじゃない」


「それは本にも書いてあった」


「なら、分かるだろ。物の値段が上がる理由だって税だけじゃない」


「うん。だから分からなくなったの」


リリアは本を閉じた。


「税が上がったから物が高くなったのか、物が高くなったから生活が苦しくなったのか。それとも別の理由なのか。私、何も知らなかったんだなって」


ヴァレンは黙ってリリアを見ていた。何かを考えている顔だ。


「ヴァレン?」


「いや」


「最近、それ多くない?」


「何が」


「『いや』って言って何も教えてくれないの」


「そうか?」


「そうだよ」


リリアは少し不満そうに彼を見る。ヴァレンは視線を逸らし、珈琲を一口飲んだ。


「……最近は、あまり一人で遠くまで行くなよ」


「税の話をしてるんだけど」


「俺はリリアの話をしてる」


「どうして?」


「念のためだ」


「何の?」


「いろいろ」


また、いろいろ。


リリアはじっとヴァレンを見た。やっぱり何か知っている。けれど、それ以上聞いても答えないだろう。


「分かった」


そう答えると、ヴァレンが少し意外そうな顔をした。


「素直だな」


「私だって素直なときくらいあります」


「そうか」


「あります」


ヴァレンが笑った。少し腹が立つ。


そのとき、奥からマダム・エレナの声がした。


「リリア、今日市場に行ける?」


「行けます」


反射的に答えてから、リリアはヴァレンを見る。ヴァレンもこちらを見ていた。


「……市場は遠くないから」


「何も言ってない」


「顔に書いてある」


ヴァレンは小さく息を吐いた。


「大通りから外れるなよ」


「はいはい」


「一回でいい」


「はい」


今度こそ満足したらしい。


面倒だと思う。でも、心配しているのだということも知っている。だから、これ以上は言わなかった。


王都リュネールの中央市場は、Lilasのある通りから歩いて半刻ほどの場所にある。


昼前ともなれば、通りは人で埋め尽くされていた。野菜や果物を積み上げた露店。焼いた肉を売る屋台。布地、食器、香辛料。少し離れたところでは、地方から運ばれてきた花も売られている。威勢のいい呼び込みの声が、あちらこちらから飛んでくる。


リリアは、この市場が好きだった。


本とは違う。頁をめくらなくても、歩いているだけで知らないものが次々と目に入る。


今日はマダム・エレナから、注文していた茶葉を受け取るよう頼まれていた。ついでに、いい花があれば見てきてもいいと言われている。


いつもなら、まず花を見る。けれど今日は、少し違った。


「……高い」


店先の値札を見て、思わず呟いた。


以前マダム・エレナと来たときより、野菜が高い。隣の店も見る。やはり高い。


「お嬢ちゃん、買ってくかい?」


声をかけられ、リリアは慌てて首を振った。


「すみません。見ていただけです」


「そうかい。まあ、今年は高いからねえ」


店主は困ったように笑った。


「やっぱり高くなってるんですか?」


「そりゃあね。仕入れが上がってるから、こっちもどうしようもないよ」


「どうして仕入れが?」


「いろいろさ」


いろいろ。今日二度目だ。


大人は都合が悪くなると、いろいろと言うのだろうか。


そんなことを考えながら歩いていると、今度は妙に空いた一角が目に入った。


以前来たときには、確か店があった。何を売っていたのかまでは覚えていない。けれど、赤い布の日除けがあったことは覚えている。


今日は、それがない。


少し先では、二人の商人が話していた。


「また北からの荷が減ったらしい」


「運んだところで、あれだけ取られちゃな」


「声が大きい」


一人がそう言うと、二人は急に黙った。


リリアは足を止めそうになって、やめた。


何を取られるのだろう。聞きたい。でも、見ず知らずの自分が突然会話に入っていくのも変だ。


そのまま茶葉の店へ向かおうとしたとき、人の流れが少し変わった。道を空けるように、商人たちが左右へ退いていく。


役人が来た。


三人。揃いの上着を身につけ、一人が帳簿を抱えている。


リリアは邪魔にならないよう道の端へ寄った。役人たちは一軒の店の前で止まった。


「今月分だ」


店主が慌てて奥から出てくる。


「はい」


帳簿を持った役人が何かを読み上げる。


リリアは聞くつもりではなかった。けれど、数字が耳に入った。昨夜、何度も本で見た数字だったからだ。


店主が袋から硬貨を出していく。一枚、二枚、三枚。


リリアはぼんやり眺めていた。そして、眉を寄せた。


多い。


役人が告げた額より、店主が渡した硬貨のほうが多い。


何か別の支払いだろうか。


役人は硬貨を受け取り、帳簿に記入すると、何事もなかったように隣の店へ向かった。


リリアはその背中を見送った。


気のせいかもしれない。


そう思って、次の店を見る。また役人が金額を告げる。商人が支払う。


やはり、多い。


三軒目。今度は意識して数えた。


間違いない。告げられた額と、渡している額が違う。


リリアは昨夜書いた紙を取り出した。税率と簡単な計算を書き留めたものだ。


もちろん、これだけでは分からない。店ごとに条件が違うのかもしれない。本に載っていない徴収があるのかもしれない。自分が知らないだけかもしれない。


役人たちが去るのを待って、リリアは最初の店へ戻った。


「あの」


店主が顔を上げる。


「なんだい?」


「さっきの……」


そこまで言って、迷った。聞いていいことなのだろうか。


「税のことなんですけど」


店主の顔が変わった。ほんの一瞬だった。けれど、リリアには分かった。


警戒した。


「私の勘違いだったらすみません。さっき役人の方が言っていた額より、少し多く払っていたように見えて」


「お嬢ちゃん」


店主はすぐにリリアの言葉を遮った。声が小さくなる。


「そういうことは、あまり口にしないほうがいい」


「でも――」


「いいんだよ」


店主は笑った。さっきまでとは違う笑い方だった。笑っているのに、早くこの話を終わらせたいことが分かる。


「商売してりゃ、いろいろある」


また、いろいろ。


リリアは店主を見た。


「……分かりました」


それ以上は聞かなかった。礼を言って、店を離れる。


けれど、頭の中には疑問が残った。


知らないのは、自分だけなのかもしれない。市場の人たちは知っている。役人も知っている。ヴァレンも、もしかしたら知っている。


それなのに、誰も話そうとしない。


本には、何も書いていなかった。


頼まれていた茶葉を受け取り、リリアはLilasへ戻ることにした。


行きよりも荷物は重い。けれど、それ以上に頭の中が重かった。


税率は変わっていない。それなのに、人々は「税が上がった」と言う。役人が告げる金額と、商人が実際に渡す金額が違う。そして、それを尋ねると話を逸らされる。


何かがおかしい。


けれど、何がおかしいのかは、まだ分からない。


考えながら歩いていたせいだろう。最初は、それが視界に入ったことにも気づかなかった。


白いものが、通りの向こうを横切った。


リリアは足を止めた。


「……また」


あの白い影。


今度は見間違いではない。


人混みの向こう、建物と建物の間へ、白い何かが入っていく。


「待って」


思わず追いかけた。


数歩走ってから、朝のヴァレンの言葉が頭をよぎる。


『大通りから外れるなよ』


リリアは止まりかけた。


けれど、白い影はすぐそこだ。少しだけ。角を曲がるだけなら。


細い路地へ入る。


「……いない」


左右を見渡した。


誰もいない。奥には別の通りが見えている。猫も、鳥も、人もいない。


「何だったんだろう」


やっぱり見間違いなのだろうか。


そう思って引き返そうとしたとき、足元に何かが落ちていることに気づいた。


白い花だった。


リリアはしゃがみ込む。


小さな花。薄い花びらが幾重にも重なり、中心だけが淡く銀色に光っているように見える。


拾い上げる。


「……何、この花」


Lilasで四年間働いてきた。花の図鑑も何冊も読んだ。南部から来る花も、外国から運ばれてくる珍しい花も、ある程度は知っている。


それなのに、見たことがなかった。


リリアは花を掌に載せた。


花には意味がある。愛情、感謝、謝罪、別れ。セレニアの人々は、言葉にできない思いを花に託す。


けれど、この花が何を意味するのか、リリアは知らなかった。


顔を上げる。路地の向こうには、もう白い影はいない。


手の中に残されたのは、名も知らない花が一輪だけ。


本を読めば、たいていのことは知ることができる。リリアは、ずっとそう思っていた。


けれど、この日。


本には書かれていないことが、この世界にはたくさんあるのだと知った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。