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柴犬の名は、シバコウ。またの名を、ジョセフィーヌ  作者: 木村文彦


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 隣の席にどかっと座るシバコウが、いる。

 シバコウに反応しようと、前の席から、今まさにきなこが振り返っている。

 今日、淳ちゃんは欠席のようだった。

 銃。

 僕は前の方に消しゴムを落とすふりをして、屈み込み、今一度、中を確認する。

 今、きなこの席に、銃は入っていない。

「シバコウはお眠りさんだね」

「うむ。おお。きなこちゃんは今日もビューティフルじゃ」

 薄く目を開いたシバコウが優しく微笑んでいる。

 あの話し合いが終わり、僕は気がつくと、また新しい一日を歩み始めていた。

 学校以外で、僕は生活した記憶がなかった。

「シバコウ、お世辞はいらないよ?」

 きなこがシバコウに顔を寄せている。

「いんや。本音じゃ。前の世界でも、よく言っておったろう?」

「たしかにねえ」

 きなこが口に手をやり、慎ましく笑う。

 シバコウは顔を少し、右に傾けている。

 シバコウには申し訳ないが、僕にとっての生前の記憶は、水に流される最期の時しかない。だから、いくら知り合いだったと言われても、淳ちゃんやきなこの存在が正直、僕にはまだ、ピンと来てはいなかった。

 銃。

「神とは別に、魔王になる者も少数だが、確実に存在する。魔王とは、神とは対をなす存在だ。悪魔を従え、堕天使の支援も得ている」

 授業中、シバコウが隣の席でぶつぶつと小言を放っていた。

 念だろうか。

 それとも、よっぽど魔王にはなりたくないのだろうか。

 銃。

「魔王と神は別に、敵同士ではない。ここを勘違いするな」

 隣の席では小言を唱え終えたシバコウが一瞬で僕のバッグの中から袋を取り出し、器用に口を開け、さつまいもチップスを貪り始めていた。

 やはり、あの小言は念だった。

 シバコウの机の上だけが、大食漢仕様になっていく。

「こんなに多くのさつまいもチップスの袋をどうしたのさ。まさか全部、念を使って?」

 一応、僕は確認を入れた。

「うむ。大ちゃん、この世界は本当にすごいんじゃよ。さつまいもチップスを食べたいと念じれば、勝手に、目の前に袋が、ポンと、いくらでも現れるんじゃ。それが何回でも、どこでも可能なんじゃよ」

 飽きたのか、シバコウは途中で食べる手を止めていた。

 余ったさつまいもチップスの袋を、僕のバッグの中に、ぎゅうぎゅうと押し込んでいる。

「またまたあ」

「そんなに疑うなら、大ちゃんもやってみんしゃい」

 じゃあ、僕はアジの刺身が食べたいかなあ。

 急に、ボンっと、大きな音が鳴った。

 机の上には見るからに新鮮なアジが大皿に盛り付けられた状態で、本当に出現している。

「な、すごいじゃろ?」

 執拗に頷いたシバコウはバリバリと音を出しながら、「美味いのう」と目を細めた。

 せっかくだしと、僕もアジの刺身を味わった。

 美味しい。

 桜井先生の目が三角になっている。が、授業を止めてまで、説教されることはなかった。

 銃。

 ふと、思う。

 シバコウの念さえあれば、きなこも銃を所持できるのではないか。

「おい、そこ。バリバリとうるさいぞ」

 不意打ちで桜井先生に注意された反動か、その後、シバコウの口は固く閉ざされてしまった。地蔵のようにせっかく念について、色々と質問をしたいと思っていただけに、間が悪い。

「よし。授業は、ここまで。ここからは自己紹介の続きでもやろうか」

 桜井先生が、奥の席を指差す。

 胸元をはだけるようにして学生服を着こなしている金髪男子が鈍重な足取りで、ゆっくりと教壇の方に歩いていった。

 金髪男子の後ろに君臨するのは、神々しい龍だ。

 僕は口を動かしつつ、アジの美味を感じながらも、注視する。

 龍だ。

 入学式で見た、あの龍だ。

 龍の目つきは鋭く、身体もうようようと宙を浮き、風格すら感じる。

 だが、教室内に収まるサイズだった。外で見かけた時は、もっと大きかったはずだ。

「ワシも早く自己紹介がしたいのう」

 途端にシバコウが身体を左右に揺らし始める。

「シバコウはもうやったじゃんか」

「あれは神知学園の紹介が多めじゃったから、ノーカウントじゃ」

 僕は横目でシバコウを確認して、また前を向いていた。

 柴犬と龍。格差が、すごい。

「青梶だ。こっちは、ドチグマ」

 たった一言で、青梶は教壇から離れていった。

「茜美里です。この子は、リエル。よろしくね」

 しばらく静かにしていたシバコウだったが、入学式で見かけた金髪のショートカット女子が自己紹介をしている最中、俊敏に動いた。

 教壇に立つ茜の横には狸がいて、ちゃぶ台があり、なぜか蜜柑が卓上に置かれていた。

 これから昼寝でもしようかというぐらいリラックスした体勢を取る狸のリエルに対して、シバコウは大量のさつまいもチップスの袋を胸に抱えながら、リエルの隣を陣取り、蜜柑だらけのちゃぶ台に袋を置き、参戦している。

「リエル殿。さあさあ、お近づきの証にこれでもどうぞ。美味いんじゃよ」

 シバコウが湯飲みに熱々の緑茶を並々、注いで、狸の神様候補をもてなしている。

 リエルも「いやあ、悪いですなあ」とまんざらでもない様子だ。

「それにしても、素晴らしい名前をお持ちじゃ。羨ましいのう」

 シバコウが蜜柑の皮をむき始めた。

「あなたこそ。シバコウという名前の由来は、どのようなものなんでしょう?」

 リエルも蜜柑をそっと手に取っている。

 ちゃぶ台に積み上げられたさつまいもチップスの袋には、どちらも手を伸ばさない。

「いやいや、大した理由なんてないんじゃ。本当は、ジョセフィーヌと呼ばれた方が嬉しいんですがのう」

 その後も、シバコウは人間の自己紹介をしている裏に潜み、あらゆる生き物にさつまいもチップスの袋を配っては、口を動かし、笑い続けていた。

 その点について、桜井先生の綺麗な顔が醜く歪み、眉間の皺も、それはそれは深く刻み込まれこそしたものの、直接的にシバコウが咎められることは、なかった。

「モフモフはもう止めておくれ。くすぐったいんじゃ」

 自席に戻ってきたシバコウの背中をずっとモフモフしながら、僕は考え事をする。

「減るもんじゃないし、いいよね?」

「よくないのう。なんか大ちゃんに触られすぎると、身体がヌメヌメしそうで嫌なんじゃ」

「ヌメヌメ?」

「ねえ」

 シバコウの前の席でじっと座っていたきなこが唐突に、振り向いている。

「これは、これは。きなこちゃん、どうかしたかのう?」

「淳ちゃんがどこにいるのか。知らないかなあ?」

 ほんの一瞬だったが、シバコウの表情が固まったように見えた。

 その感情の機微を、僕は見逃さない。銃。

「知らんのう」

 シバコウは体裁を取り保つようにして、頭をぶんぶんと振っていた。

 直後、斜め前方を向き、凛々しい表情を、柴犬は作り直している。

 やはり、シバコウは何かを隠している。

 全員の自己紹介が終わると入れ替わるようにして、桜井先生が教壇の上に立っていた。

「では、授業を再開する。が、その前に、嬉しい報告から始めよう」

 桜井先生は無表情のまま、なぜか淳ちゃんが座っていた席を指差している。

「早くも神知学園から、卒業生が出た。伊藤淳だ。おめでとう」

 淡々と、桜井先生は手で音を奏でている。

 銃。

 きなこの耳が、わずかに震えていた。



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