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柴犬の名は、シバコウ。またの名を、ジョセフィーヌ  作者: 木村文彦


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 近頃、ふくらはぎの筋力が異様に発達してきたシバコウが、いつにも増して機敏な動きを見せている。

「ドロップキックの練習が活きておるのう」

 ちゃぶ台の上からドロップキックを繰り出した柴犬は、床に着地するなり、自画自賛している。心機一転、新たに入学したはずの神知学園の生活にすっかり慣れきっている僕とシバコウは休憩時間を十全に活用しては、それぞれの趣味を謳歌している。

 僕の滑らかな足は、何度か床を叩き、小気味よい音を出していた。

「きなこを廊下で見たような気がするんだけど?」

 タップダンスの動きを止め、僕はシバコウに近づいた。

 事実だった。アイスクリーム屋の後も、何度も白い背中を廊下で目撃している。

 きなこは襲ってこそ、こない。が、明らかに僕を襲撃する時期を見計らっている。

「大ちゃん。悲しいのは分かるがのう。きなこちゃんは、もう神知学園から卒業してしまったんじゃよ」

 念の件は、理解した。

 魔王の世界にも、複雑な事情があるとも分かった。

 シバコウの想いを知り、僕はきなこと和解したはずだった。

 ただ銃の件だけは、今もさっぱり分からない。

 もう一つ懸念も、ある。

 僕は命が三つ、あった。

 二回目の時、過去に戻りたいと念じて、一度目の記憶を辿るようにして、今。

 三度目の命が燃え始めている。

 この流れは、念によるタイムスリップと捉えて本当にいいのだろうか。

 周りの動きを見る限り、そのように捉えるのが、自然だが、僕には違和感が残っている。

 例えば、シバコウのドロップキック。

 今まで見てきたドロップキックの中で、一番、仕上がっている気がする。

 二回目の神知学園の時よりも痛そうなキックを、シバコウは何度も披露している。

「ねえ、シバコウ。本心でいこうよ。今後、きなことはどういう関係でいきたいの?」

 そこで僕は回りくどい手を使った。

 シバコウは直接的な発言こそしないものの、どこか卒業したはずの絆、きなこのことを常に気にしている節があった。そこに銃を含めた謎を解決する手がかりがあるのでは、と考えた。

「絆はある。じゃが、たまに会うくらいが理想じゃな」

「本当に?」

「どうしてじゃ?」

「もっと親密でいたいように見えるから」

 魔王であるシバコウは、きなこの悪行を把握しているはずだった。

 ただ、それでもシバコウは決してきなこを突き放そうとはせず、むしろ仲間として、明るく接していた。

 ドロップキックですら、絆を結ぶきなこのために、頑なに一度は拒否したくらいである。

「それも一理あるのう」

 急にガラガラと、扉が開けられた。桜井先生を先頭に、茜の肩にリエル、青梶の周囲にドチグマが巻きつくようにして、入室してくる。

 悪魔のレオや一平が卒業して、幾分の月日が経過していた。

「大ちゃんは、これからどうしていきたいのかのう?」

 唐突にシバコウが聞いてきた。自らの思考を慎重にまとめながら、返事したためか「そんな素っ頓狂な声を出さんでものう」とシバコウに呆れられてしまう。

 念、銃、きなこ。

 そして、僕の複数ある命。

 一つの予想が、頭の中に閃いていた。

 ちょっと、疲れたなあ。

 僕は、肩に手をやる。

「そうか。魔王の柴犬も色々とあったんだな」

 いつの間にかシバコウの近くに立った青梶がきなこの話を聞いて、魔王に同情している。ここまで大神と魔王の距離感は近かっただろうか。

 神と魔王の世界が一緒くたになっている。

 前回、神知学園にいた時、青梶は何かを桜井先生と話し合い、両者ともに笑顔になっていた。     

 ドチグマも、だ。

 あれは、どういうことだったのだろう。

「じゃあ、柴犬はどうしたいんだよ?」

 途端に大声を出した青梶がシバコウの肩を両手で力強く、掴んでいる。 

「そうじゃのう。いつかは覚悟を決めんといけんのう。もう時間がないからのう」

 シバコウの眉間には、深い皺が刻み込まれている。

「そうか」

 小声になった青梶は、ドチグマの背中を優しく撫で始めた。

「いいのう。ワシも撫でてみたいのう」

 シバコウの手の動きが、青梶とシンクロしていた。

 宙を、撫でている。

「ねえ、シバコウ?」

「どうしたんじゃ、大ちゃん。うむ。顔色が悪いのう」

 きなこだけでなく、全員が、銃の件に関わっていたのではないか。

 そこには悪魔だけでなく、青梶やドチグマ。

 更には、茜やリエルまでもが含まれていたのではないか。

「どうして銃の存在を、全員がひた隠しにしているのかな?」

 渋い顔をしたシバコウは手を宙に置いたまま、固まる。

 また教室の扉がガラガラと開かれた。当たり前のようにして、銃を持ったきなこが中に入ってきている。その後ろから、レオ、一平、淳ちゃん。

「ジョセフィーヌ。そろそろ潮時だよ」

 きなこは有無をも言わせず、僕に銃口を向け、そのまま廊下を歩くよう指示してきた。

 廊下には、茜やリエルもついてきた。奥から、桜井先生も歩いてくる。

 どうして全員、笑顔なんだ。

「ここは公平に行うべきだ」

 桜井先生は視線を遠くに据えたまま、口の端を少し上げている。

「うん、統一神も最後の命ですものね。時間にも限りがありますから」

 どうして卒業したはずのきなこや淳ちゃんが平然と神知学園の中に戻っているのに、誰も咎めないのか。

 銃について、誰も触れないのか。

 なぜ、僕が残り一つの命であることを、きなこは克明に把握しているのか。

「とある人物を呼ぶ。少し、待て」

 桜井先生の指示に、全員が素直に従った。きなこですら、従った。

 どうして、だ。

 全員が教室に戻ったことを確認すると、桜井先生は三度、黒板を強く叩き始めた。

 ぶわん。感情階段。そこには大文殊様がいて、のっそりと階段から下りてきている。

 銃口をかつての統一神に向けたきなこは、その照準を亀に定め続けていた。

 だが、発砲はしない。

 大文殊様が階段を下りきると、今度は銃口を天に向け、そして、遂に、きなこは銃の引き金を引いた。

 銃声が、鼓膜を揺らす。

 天井に、穴が空く。本物の銃だ。

 僕は、身構える。

「役者が揃ったな」

 桜井先生が全員を指差し、最後にシバコウに人差し指を向けた。

 きなこの発砲については、誰も触れない。

「うむ。きなこちゃん。お見事じゃった」

 なぜか、シバコウだけが拍手喝采だ。

 僕は改めて、身体がダイオウイカであることを強く自覚していた。

 ダイオウイカの寿命はおよそ二、三年。

 長くても、五年だ。

 今回も、既にかなりの時間が経過している。眠たい。

「ねえ、シバコウ」

「なんじゃ?」

「まだ僕に何か隠し事をしていないかな?」

「いんや。隠し事など、してはおらんのう」

 銃の件。

 僕には一つだけ辻褄が通る答えを見つけだしていた。

 普通なら、あり得ない。と、却下するような仮説だったが、シバコウであれば、魔王のジョセフィーヌであれば。十二分にあり得る話だ。

「先に言っておくけど、重たい愛はいらないよ?」

「さて、なんのことじゃろうか?」

 口笛を吹き始めたシバコウを見て、僕はふっと息を漏らす。

「いやあ、そうじゃのう。今まで、楽しかったのう」

 独りごちた魔王は覚悟を決めたのか、モフモフと立ち上がる。

 僕の前に、仁王立ちのシバコウが正対していた。

「でも、そろそろ締めくくりの時間が来たようじゃ」

 魔王の手には、銃があった。

 僕は覚悟を決め、逃げない。シバコウの銃と対峙する。

「大ちゃん。なるようにしか、ならないんじゃよ」

「うん。今までありがとうね。シバコウ」

 シバコウは躊躇なく、引き金を引いた。咄嗟に、目を閉じる。

 銃声が聞こえた。これまでの感謝を、僕は胸の中で、何度も、何度も唱えた。



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