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先生は、入学式の時に先導をしていた黒髪が美しい細身の女性だった。
小顔だ。色気が、すごい。
教室に入ってくるなり、先生は無言で、数枚の紙を先頭に座る者に配っていく。
順に、後ろまで一枚ずつ、紙が回っていく。
その後、先生はシバコウを指差した。
隣の席で重々しい首肯を、柴犬が繰り出している。
何事かな、と僕が慌てていると、シバコウは自信たっぷりの顔つきで、モフモフと教壇に足を進めていった。
あの余裕綽々な態度はなんなんだ、と僕はシバコウの動向を見守るしかない。
「ここが神知学園と呼ばれている理由を、皆さんはご存知かのう?」
教壇の上に鎮座するモフモフの柴犬が当然のように、先生のような威厳を醸しだし、全員に語りかけている。
「決して、適当に決められた学園の名ではないんじゃのう」
神様のお偉いさんの、そのまたお偉いさんが命名して、創り出された由緒正しき学園。
それこそが、この神知学園なんじゃ。
「心に秘めたる熱い意志。更には、才能の種を持った神になり得る逸材ばかりが、その学園には集められておる。それが、なんと! この場所じゃ!」
さて、それではワシ。
シバコウの自己紹介を始めるとするかのう。
「ワシの名は、シバコウ。またの名をジョセフィーヌ」
「話が長い」
自己紹介をさせるためだけに、先生はシバコウを指差しただけのようだった。
で、あるのに、神知学園の説明から勝手に喋り始めたシバコウは自己紹介を終わらせるのに、たっぷりと三十分近く、要した。
「いやいや、それは先生から直々に指を差してもらったからのう」
などと、のらりくらり、シバコウは弁明し、まだ教壇に立ち続ける。
それは最早、嫌がらせであり、次第に、他の人間や生き物たちから大いなる反感を買っていった。
「黙っとれ! 今から大事な話があるんじゃ」
物言う株主と経営陣のような構図になっている。
それでもシバコウは荒れ狂う聴衆に対して、多大なる唾でねじ伏せ、ずっと喋り続けていた。
「いやあ、有意義な時間じゃったのう」
シバコウは清々とした表情で、周りに睨みつけられながらも、自らの席に帰還したのは、それから十分後のことだった。
「あの柴犬のせいで、まるで時間が足りなくなった。他の者は後日に改めて自己紹介の機会を与える。ああ、そうだ。私は、桜井。よろしく」
抑揚のない一言に、すごく冷静な先生だな、と僕は思った。
改めて、教室内を見渡す。
活気に溢れている。
全員が、笑顔だ。
僕はどうだろうか。
シバコウ。またの名を、ジョセーフィーヌ。
おや、僕の名前は?
僕は「大ちゃん」と周りから呼ばれているだけで、僕自身、本名を知らない。
本名の一部から、「大ちゃん」と呼ばれているようだ。それしか、分からない。
名前を知らない寂しさが、胸を締めつけていた。
「では端的に、大事な話だけをする。ここには神になり得る者が必ずペアでやって来る。だが神になれる存在は、ごく一部だけだ。基本的には、神知学園での生活を終えると、ほとんどの者は自動的に次のステップに移ることになる」
配られたプリントは両面綴りだった。
そこには名前を書く欄があり、シバコウは汚く、「シバコウ」とクレヨンで書いたのかと勘ぐるくらいには、太い文字で、殴り書きしていた。
名前を知らないという事実が、世界から切り離されたような孤独を生んでいた。
この教室にいる者たちは、どうして教室で授業を受けることを容認しているのだろう。
学校が終われば、みんな、どこに行くんだろう。
僕に、居場所はあるのだろうか。
「多くの疑問が、浮かぶだろう」
桜井先生は僕の気持ちを汲み取ったかのような説明を、した。
「質問もしたいだろう。だが、答えられない。神の世界を他力で知った無礼者など、この世界には不要だからだ」
挑戦的な顔つきになった桜井先生は、しばらく教室中を見渡している。
教室は水を打ったかのように、静かになっていた。
「ワシこそが、神じゃ!」
机の上で仁王立ちになり、威風堂々、「神様である」と宣言した柴犬がいる。
桜井先生はシバコウに視線を飛ばしこそ、した。
が、何事もなかったかのように、説明を再開している。華麗に桜井先生から無視をされたシバコウは、そっと机の上からモフモフと降り、静かに、椅子に座り直していた。
僕は、顎に手をやる。
さっきの桜井先生の言い方が妙に、気になっていた。
あれはつまり自力であれば、いくらでも神の世界を探ってもいい、ということになるのではないか。黒板に身体の全体重を預ける態勢で、桜井先生は話を続けている。
「この場所は、あくまで神になる者を見極めるための場だ。逆も然り、だがな。まあ色々と、頑張ってくれ」
その日、初めて、桜井先生が白い歯を見せていた。
逆ってなんなんだ、と僕は手を挙げかける。
質問は、できない。
じっと桜井先生は僕だけを見据えていた。
白い歯を見せてくる。
桜井先生の微笑みを見た瞬間、胸の奥に封じられた何かが軋んだ。
忘れてはいけない記憶が、そこに眠っている気がした。
教室ではなく、もっと厳かで広大な場所が、脳内にすっと現れ、すぐに消失する。
間違いない。
桜井先生のことを、僕は知っていた。身体の奥底も、そう叫んでいる。
胸のざわつきが、またひどくなっていた。
「ワシこそが、神じゃ!」
シバコウの声量もまた、うるさくなっていた。




